アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

書籍『震美術論』 椹木野衣

『震美術論』

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 東日本大震災に強く影響を受けた2017年出版の作品でもあるし、美術についての著作でもあるのだけど、今のように「天災」に似た感染症に脅かされている毎日でこそ、読むべき本ではないか、とも改めて思う。

 

 450ページを超え、値段も高めであるし、自分は図書館で借りて読んだから、よけいに推めることにもためらいがあるが、読んだあとは、今、自分が住んでいる場所…大げさかもしれないが「世界」…の見え方が変わってしまうほどの影響を受ける可能性もある。少なくとも、私は、それ以来、日本という場所に住むことの意味が、それまでとは、違った感覚になっている。

 

 誰もが見過ごすような小さな違和感、とても微細なつながり。

 著者の椹木野衣は、もしかすると、世界でただ一人、そこに気づき、そこにこだわり、短期的な集中力ではなく、長期的に集中し続ける思考力によって、クイズ番組で見るような光景だが、一枚、一枚、パネルがはずされていき、実は、最初から、そこにあった全体像が明らかになる。
 読み進むと、そんな印象の中で読み終えることができる本だった。
 そして、明らかになった、その全体像は、日本列島という場所そのものの実像だった。

 

「天災は忘れたころにやってくる」の意味

 

 著者は、美術評論家であるから、語っていく素材は、あくまでも美術であり、美術作品でもあるのだが、執拗といえるほど、語り直されていく日本の歴史の中で、どれだけ自然災害が多かったのかを、読む側は、改めて知らされることになる。

 ただ、少し冷静に振り返れば、自分自身も、どれだけ「日本列島」で災害が多かったか、という記録や痕跡には、書籍で映像で歴史的な遺物で、もしかしたら道端の石碑で、ずっと触れ続けてきたはずだった。だけど、平穏な日常を送るためには、そこをいったん忘れないと、生きていけない、というのが人間でもあるのだから、仕方がないのだけど、その忘れようとしている自分にも気づかされる。

 天災は、忘れたころにやってくる。

 昔から言われていたらしいこの言葉も、天災に備えよ、という警句というだけでなく、忘れないと生きていけない、という日本列島の切実な事情まで含まれているのではないか。そんなことを思うようになったのも、この「震美術論」を読んだ影響だと思う。

 

「揺れる日本」と「揺れない西欧」

 

 今の美術は、元は西洋社会で生まれたといっていいから、その西洋に追いつくのが、日本の目標でもあった。ただ、社会的な違い、文化的な差、といった部分に議論が集中しがちだが、物理的にどんな地盤に成立しているかの違いに、読んでいくと、嫌でも、目を向けさせてくれる。

 西欧においては、イタリアをのぞいて、18世期半ばに、ポルトガルリスボンを襲ったリスボン地震以来、大地震を経験していないといった指摘もあるが、改めて、そんなに揺れていないのか、と思う。

 揺れないことが前提であれば、地震について考える必要もないから、もしかしたら、そういう歴史については、西欧自身は無自覚な可能性もある。日本列島の住民からみたら、もっとも分からない感覚が「大地が揺れないことへの信頼」なのかもしれない。

 

戦中、戦後に多発していた地震

 

 そして、個人的には、日本列島の見え方が、もっとも変わったと思えたのは、地震、そして災害についての、歴史の語り直しだった。

 たとえば、第2次大戦中、もしくは戦後すぐに、日本が多くの大地震に襲われていたことは、知らなかった。

 その中でも、三重県を中心にマグニチュード8クラスだから、間違いなく大地震だった 東海南地震が、1941年12月7日に発生していたことは、恥ずかしながら、全く知らなかった。翌日には真珠湾攻撃だったから、国威発揚のために、その地震発生のことは、当時、徹底的に情報統制された、という。
 
 それは、北海道で、突然の噴火によって、1943年に昭和新山が誕生したことにも適用されていた。
 だから、当時の「災害」のことが、広く知られる機会自体が、とても少なかった。

 

 戦争はあったものの、その時期と、大地震のことは結びつきにくくなっているのは、私の個人的な無知だけではなく、当時の情報統制が、結果として長く続いてしまったからではないだろうか。それは、高度経済成長という「国威発揚」のために、意図的なのか無意識なのか分からないが、隠されることになったのではないか、と思えるようになった。

 

地震の平穏期」が可能にした高度経済成長

 

 何百年単位でいえば、火山の上に位置しているといってもいい日本列島という場所は、地震があるほうが常態であり、それに加えて、台風もやってくる「災害列島」といってもいい場所だったし、今もそれは変わらない。

 ただ、人は自分が生まれて育った時代が基準になってしまう。だから、第2次大戦後、もちろん様々な地震や災害はあったものの、「日本の戦後は地震の平穏期だった」(椹木)という指摘があるまで、それが稀な時期であった、という自覚は全くなかったことに気づく。

 本当に大地震という記憶があるのは、1995年の阪神淡路大震災なので、戦後に約50年の「地震の平穏期」が与えられた前提がなければ、もしかしたら、高度経済成長はありえなかったかもしれないと考えると、歴史の見え方まで、少し変わってくる。

 

 その後も2011年には東日本大震災が起こり、原発事故まで起こったが、その受け入れ方も、実は、長年の感覚が関係しているのではないか。それは、普段は忘れているかもしれないけれど、非常時になると思い出すように作動しているのではないか。


 つまり、原爆の投下や、原発事故も、天災のように受け入れてしまうのは、長年の歴史のせいではないか、という見方を著者は、提示した上で、さらに「災後」のことまでの射程も示している。

 

この列島が、戦後という地質学的に言って相対的に穏やかだったまどろみのような時間のなかで、ひとときだけ、長く立て続く大きな地震から、かろうじて守られていただけだからなのかもしれない。
 けれども、私たちはいまや私たちの新しい美術を、この震える列島の上で、その動かしがたい現実にならって紡ぎ直さなければならない。

 

 この本は地震のことに重点がおかれているもの、ルネッサンスは、黒死病(ペスト)の襲来がなくしては出現しなかった、という指摘もあるし、まるで「アフターコロナ」の時代にも対応しているかのような磯崎新のオリンピックスタジアムの案など、数多い興味深いイメージにもあふれているので、改めて、これからのための「美術論」ともいえるのではないか、と思っている。