2024年7月4日。
自分が知らない間に、さまざまな賞ができている。
東京都とトーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)は2018年から、中堅アーティストを対象とした現代美術の賞が実施され、その受賞者が、東京現代美術館で受賞記念展を開催していたことを、初めて知った。
https://www.tokyocontemporaryartaward.jp
(『TCAA』サイト)
こうした賞を知るたびに、特にこうして公共の機関が関係してくると、その意図のようなものを考えてもしまうのだけど、でも、今回の受賞者の一人のサエボーグを、以前から作品を見ていて、知っていたし、興味を持てたし、どこかすごいと思っていたせいもあって、展覧会も見たいと思った。
二人のアーティストの個展を同時開催にすることに関しては、不安もあるが、どうやら無料らしいので、行こうとは思えた。
サエボーグ 「I WAS MADE FOR LOVING YOU」
展示室の中には、犬がいるらしかった。
それも、いる時間が限られているらしいのだけど、それでも、自分がその展覧会場に入った時には、犬がいた。
その周囲も含めて、大きめのバルーンアートの作品で、囲まれているが、犬がいる場所に行くまでには、大便があってハエがたかっているのもビニールの膨らみで表現されているから、全部がフィクション感が強い。
全体は薄暗くて、でも、かなり広いスペースの真ん中に丸いステージのような場所がある。そこに犬のボディースーツを着たアーティスト本人がいる、と思う。その中に人が入っているとはすぐには信じ難いくらいの造形。本当に大きいバルーンアートに見える。
そして、その「犬」の表情は涙を流している。そして、周囲を取り囲む観客に向かって、動きは速くはないのだけど、切実に媚びを売るような動きを繰り返している。それは、普段、目にしているペットとしてのあり方の一部を切り取って大きくしているように思える。
そのステージのようなそばで鑑賞していると、順々にそばにきて、そういう動きと、表情をされると、なんともいたたまれないような気持ちにもなる。
実際に生きた人間が、そうした作品にして、そこにいる人間とのコミュニーケーションをすることでしか、こういう感覚にはならないと思うから、貴重な時間を制作してくれたとも思った。
とても居心地の悪い空間だった。
すごいことだと思った。
津田直子 「人生はちょっと遅れてくる」
もしかしたら、これまで展覧会などで見てきたかもしれないけれど、失礼ながら、津田直子の名前を知らなかった。
映像の作品が並ぶ。
作家の家族の昔のある日の光景を、他の人たちに演じてもらっている。
それは、初めてビデオを購入した、なんでもない会話などが再現されている。それは、おそらくは、同じようにホームビデオを買った家が、「映っているかな」みたいな言葉ばかりが飛び交っていたのだろうと思って、自分はそうした経験がないものの、似た時間があったような記憶が蘇ってきて、気恥ずかしい気持ちになった。
それは、誰もが記録しないような、あえて記憶に残さないような場面だった。
それも、その光景を演じている人は、次々と変わって、それは年齢も性別もバラバラで、でも、その不自然さのようなものも含めて、印象が広がることによって、刺激される感情が変わってくるような気持ちになった。
展示会場には、その場面にあるテーブルセットがあって、そこに鑑賞者が座ると、その映像の一部になったりもしている。
別の展示室では、とても日常的な動作を再現されて、さらには、鑑賞者が、その映像に参加するような作品もあった。
2人の作家は作品のあり方も、作風も違うのだけど、あまり注目しないような、できたら忘れたいような、そうした記憶や感情に焦点を当てたような、そういう共通点はあるように思えた。
(『いとをかしき20世紀美術』 筧 菜奈子)