アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「須田悦弘」展。渋谷区立松濤美術館。2024.11.30~2025.2.2。

 

2024年12月15日

https://shoto-museum.jp/exhibitions/206suda/

(「須田悦弘」展。渋谷区立松濤美術館

 

 松濤美術館に着いたら、入り口のところに行列ができていた。初めてのことで、なんだかショックだったけれど、確かにホームページでは、混雑の注意喚起はしていたのだけど、普段から行列ができるタイプの展覧会はあまり行ったことがないので、余計にうろたえた。

 ただ、美術館から出てくる人が、何か探しているようだったので、もしかしたら、わかりにくい場所に、そこに小さな雑草が生えているようにしか見えない作品を、見つけていたので、そのことかもと思って、それを伝えたら、ああこれです。ありがとうございました、と感謝された。そんなに、こういう場所でお礼を言われるのは初めてだった。

 ちょっとうれしかった。そして、美術館の外に、とてもわかりにくく、作品があるのは、とても須田悦弘らしいと思ってしまった。

 今日は、公開制作で、もしかしたら都合により中止、ということもあり得ると思っていて、出かける前に確認したら変更がないようだった。だから人が来ているのかもしれないと思ったが、行列は美術館の外まで続いていたものの、10人足らずでホッとして、妻と二人で並んで入場料を払った。

 それから1階のロッカーに荷物を入れる。今日はほとんどのロッカーがすでに使用されていた。珍しいことだった。

 

 ロッカーの一つが、透明な箱のようになって、その中に枝がある。それは須田の作品だった。

 そして、ロッカーに入れる荷物と、鑑賞中も必要と思われるメガネなどをエコバッグなどに入れ替えるためにソファーのようなものに座っていたら、何人も人が近くに来て、その後ろの外の庭のようなところを見ているから、振り返ると、小さな金色の雑草があった。その上に葉っぱが落ちてきたら、見えなくなってしまうようなものなのだけど、はっきりと作品だった。

 須田悦弘らしいと思い、なんだか、展示室に入る前から、うれしくなっていた。

 

公開制作

 荷物を整えながら、すでに何点か作品を見ることになり、古い表現だけど、宝探しのような気持ちにもなり、うれしさもあったし、植物の造形がもう本物と見分けがつかなくて、作品ということを言われなければ、庭にあったら、雑草として抜かれてしまうようなものにも見えていて、もうすごいとも思っていた。

 公開制作は、もしかしたら、途中で終わることもあるだろうし、その時間も限られているようだから、妻と相談をして最初に観に行くことにした。あと10分でその時間になる。だから、展示室に行く前に、地下2階に行くことにした。

 エレベーターのボタンを押す。ここのエレベーターは、なかなか来ない。ドアが開いて、乗り込んで、B2のボタンを押して、動き出す。

 ドアが開いた。すでに駆け出そうとも思っていたくらいだったのだけど、目の前にロープがはられ、休憩中、という大きなふだのようなものがぶら下がっていて、一歩も踏み出せなかった。なんだかちょっとがっかりして、エレベーターを閉めて戻ってきた。

 地下一階の展示室に入った。

 壁には、バラが舞っていた。花びらが少し散っていて、それは時間を止めたような作品で、20年以上前に初めて見た須田のチューリップと同じようなかたちだったので、最初は、チューリップに見えてしまった。

 それは、展示マップによると2024年とあったから、この展覧会のために制作されたもののようだった。

 いつものように本物にしか見えなかった。

そのあとも作品があったのだけど、公開制作のことが気になって、スタッフに開始時刻のことを確認したら、2時です、ときっぱり言われた。

 

 あと5分。

 再び妻とも相談して、地下2階に向かうことにする。とはいっても、まだロープがはられていて、入れなさそうだから、午後2時ぴったりに行くしかないのだろうけど、でも、と思って、展示室の外へ出たら、エレベーターホールのところに列ができていた。

 それは、地下2階に向かう階段の前が先頭になっていた。階段の前にはやはりロープがはられていたのだけど、この列はおそらくは公開制作を待つための列ではないか、と思い、妻と二人で並んだ。だけど、心配になり、一番先頭の方に確認したら、ここに並べば、公開制作のために、という確証はないのですが、という返事がかえってきて、そのあいまいさに賭けられることに少し感心をし、列に並ぶことにした。本当は違うのではないか。エレベーターで行ったら、すでにロープは無くなっているのではないか。

 そんなあれこれを考え、エレベーターで地下2階へ向かう若い男性2人組を見て、彼らが戻って来なかったら、乗ろうと妻と打ち合わせをして、そのエレベーターが戻ってきた時、一瞬列を離れて、閉まりかけたエレベーターの中には、男性一人しかいないようだった。

 なんだかわからないので、待つことにしたら、午後2時ちょうどくらいにスタッフがやってきて、ロープを外した。やっぱりホッとして、地下2階へ向かう。

 大きめの部屋の中に大きな机があり、スタンドライトに照らされる元で、須田悦弘が作業をしていた。

 とても小さい木片を、彫刻刀で削っていた。ただ、それはとても細かい作業なので、その机のそばまで行けるような状況をつくってくれていたのだけど、何をしているのか私にはわからなかった。立ち止まってはいけないコースと、少しは足を止めて見ていていいコースがあって、私たちは後者を選択する。

 須田悦弘の姿を直接見るのは初めてだった。

 落ち着いて、穏やかで、奇をてらった気配もなく、50代になり、大御所の気配はあった。圧力はないけれど、やや近寄り難い感じがしたのは作品を製作中だったからかもしれない。

 妻の方が熱心に見ていた。

 この作業の繰り返しで、あの作品ができるのだけど、すぐにはイメージがつながらなかった。それは、あまりにも日常的な動作に見えたせいもあるのだろうけれど、それだけ、30年以上も、この作業をしているから、作家にとっての自然になっているのかも、などと勝手な想像をしながら見ていた。

 スタッフの方から撮影してもいい、という声がして、かなり近い距離で、すでに何十人かに見られている感じなのに、本人の寛大さを感じ、さらに、質問も大丈夫です、と言われ、作業中なのに、と思ったが、何人かが質問し、それに力みなく穏やかに答えてくれている須田悦弘を見て、聞きたいことを聞こうと思った。

 すみません、と声をかけたら、こちらを向いてくれた。まっすぐで深いところまで見えるような視線に感じた。

 今でも技術が上がっている感覚はありますか?

 すると、少しだけ間を置いてから、ありますね。と答えた。そして、今回も新作を制作し、過去の作品と一緒に並べるような機会があり、そのときに、自分の過去の作品を見て、「稚拙なところもあって、どうしてこのように掘ったのだろう」と思ったりもすると答えてくれた。

 私たちが最初に見たのは1990年代の後半。すでに完成されていたような気がしていて、それから30年くらい経つのに、まだ上手くなるのかと思うと、すごいだけでなく、微妙な怖さまで感じた。

 もう一つ聞きたいことがあったので、質問を重ねることと、もしかしたら失礼なことになるかも、という前提で、「これだけ長い期間、ずっと制作をしていて、飽きませんか?」と尋ねた。

 すると、やはり少し間を置き、今度は少しだけ笑って答えてくれた。

「---それが、飽きないんですね---」。

 同じ植物を何度も制作したりもするけれど、その度に違うものになったりする。そんなことの繰り返しで、飽きない、ということを、さらに丁寧に話を続けてくれた。

 どうやらまだ、作品をつくることを楽しめているような気配もあり、少し言葉を失ったけれど、でも、なんだかこちらまでうれしくなって、今日来てよかったと思っていた。

 それからしばらく制作を見て、それから、また地下1階の第一会場へ戻った。

 

作品の歴史

 地下一階の展示室に戻り、最初は新しい作品のバラだったのだけど、それからは、須田悦弘の作家としての歴史をたどり直すような構成になっていた。

 美大のグラフィック科であるのに、独学で木彫りでつくったのが最初の作品で「スルメ」だった。何度、見ても、最初に独学で、これまでのものができるのだろうか、という完成度に見える。

 そして、チューリップは、花びらがかたまりのように彫られたものが、1989年頃。おそらく最初期の植物の作品。さらには見たことがない小さい「象」の彫刻もあるし、駐車場の片隅に展示された「東京インスタレイシヨン」は、薄く背の高い小さい展示室が作られていて、そこに作品が、本物の植物のような立体がある。

 展示室の床の壁際のすみには、そこに生えているかのような木彫りの雑草やヒナゲシが並ぶ。そして、「展示マップ」を見て、初めて気がつくのだけど、小さい雑草は30年前の作品と、最新の作品が混在しているのだけど、ただ見ている時には気がつかなかった。

 本当にそこに雑草が生えている、と言われても、疑問を持てないレベルだった。

 他にも、自然なチューリップのように見えても、自然界では存在できないような、葉っぱの1カ所で支えているような不自然なかたちの2024年の作品もあって、それは技術の高さがなければ無理なのは素人目にもわかったが、床ギリギリの視点から見ないと、そのことがわからないような自然なものに見えた。

 だから一見ではわからないものの、そこに技術の進化のようなものが明らかにあるようだった。

 

観客を信頼する展示方法

 2階の第2展示場の入り口付近には、窓口のような場所をのぞき込むと、そこには、さりげないビンに生けられたサザンカがあった。

 さらには、これまで見てきたガーベラや、ベルリンという名前がつけられた花びらや、雑草と並ぶように、2024年の新作のはずの朝顔木蓮スズメウリも並ぶ。ドクダミが、ドアの影にある。

 どの作品が新しいのか、それは、本当にじっくりと見ればわかるのかもしれないけれど、壁に並んでいて、考えたら、作品が占める空間の体積は、かなり少ないのかもしれないと思ったが、それぞれの作品の存在感のようなものはとても大きく、その表現している植物の違いもあって、豊かな鑑賞体験になっていくようだ。

 すべては木彫りの植物に過ぎない。

 だけど、それぞれの植物が、特に新作は、この美術館の場所なども関係しているはずだと考えてしまうし、何しろ、須田の作品は、その空間の見え方を変えてしまう。

 さらに、今回は、壁に設置された作品は、その高さが、かなり近くに寄って鑑賞できるような場所にある。

 それは、手を伸ばせば、簡単に触れられるところにある、ということでもあって、これだけ繊細な木彫りの作品を、ある意味ではリスクの高い展示方法が選択されているのだけど、ガラスケースの中や、とても届かないような場所や、テープなどであまり近づけないようにされていないから、すごく近くで見ることができて、そばで見れば見るほど、あまりにもリアルですごいと思えるから、鑑賞の質も変わると思う。

 ただ、繰り返しになるけれど、これはリスクの高い展示方法でもあるのだから、それだけ観客を信頼している選択でもあるから、そう考えると、ここには敬意を払いたくなるような作品の力が、作品自体を守っているということにもなるのだと思った。

 

補作という「作品」

 今回、初めて須田の絵画や、商品のデザインもしていて、その作品も初めて見たが(十六茶のパッケージデザインの植物は須田のものだと知らなかった)、それよりも、印象深かったのが、補作という「作品」だった。

 平安時代という1000年前の時代の仏像や神の使いの鹿や狛犬、そして人物像は、そのままだとかなり虫食いなどもあって、かたちが崩れているはずだが、そのものの経てきた長い時間を損なわない程度に、補作によって、その立体の力をさりげなく蘇らせていた。

 それは、やはり一見したところだけでは、どこが「補作」なのかわからなかった。

 

 「展示マップ」によって確認すると、角や、鎧。手や弓。台座や、左頬などが「補作」と理解し、その情報を知った上で、またそれらの木彫りの立体を見ても、やはり、どこに手を加えられているか、わからなかった。

 それは、自分の意志よりも、その作品を制作した作者の意志に限りなく近づこうとして「補作」をしているから可能なように思えた。

 そう考えると、これまでの須田の作品も、その植物をモチーフにしていながら、その植物のかたちを人間としてつくりあげているのではなく、植物の意志に近づこうとしてかたちを整えていくような作業を根気強く継続してきたということかもしれない。

 それは主体を、対象に移らせる、といった作業に近く、それをずっと植物に対して行ってきたのだろう。それは、植物という自然に限りなく近い意志を持つ、ということで、それができる須田だから、こうして1000年前の「作品」にも見分けがつかないほどの「補作」ができるのではないか。

 これは、やや大げさでかなり見当違いの可能性もあるけれど、そんなことを思わせるのが、須田悦弘の作品なのだと思う。

 

 一通り鑑賞したあと、再び、公開制作を見に行った。

 1日だけ、とはいっても、その公開制作のスケジュールを見ると、昼頃は長めの休憩があるものの、それ以外は、10分ほどの休憩をはさんで60分と、かなりびっちりと公開の時間があった。

 さっき、公開制作を見たのは1時間以上前だったから、それ以降、かなりの時間が経ったものの、須田は淡々と作業を続けていた。とても小さな木片をサンドペーパーで磨いたあと、また彫刻刀で削り、またサンドペーパーを使い、といった作業を繰り返していた。

 それは、またあの植物の立体になっていくのだろうけれど、この作業を30年以上続けてきたことを思うと、なんだかそれはとてつもないことなのは間違いなかった。