アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

書籍  『なめらかな人』  百瀬文  

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『なめらかな人』  百瀬文

 

 これだけ誰もが映像を提供できる時代になって、どうすればプロの表現者として生き残れるのか、といったことを考えざるを得ない時代になっているとは思うのだけど、そして、百瀬文の作品は、東京都現代美術館で何点か観ただけだけど、なんというか、こういう場面や、時間は、他の人では記録しないのではないか、そういうぎこちなさのようなものも映っていたような印象がある。

 だから、映像を使った美術作家が、どんなことを考えているのかについては、興味もあったけれど、同時に、想像がしにくかった。

 もとは「群像」という文芸界の雑誌の連載で、このエッセイ集のタイトルを冠したエッセイ「なめらかな人」は、冒頭にある。

 

ある日、ふと思い立って陰毛のある裸をやめてみることにした。

                                                       (『なめらかな人』より。以下、引用部分は同著より)

 そして、そこから実際に剃る行為の描写も入るのだけど、それは、とても正確で冷静な表現だったし、同時に、その状況を親しい人に伝えるときに、不謹慎な笑いが起こるような言葉も使っているものの、そのことによって微妙に変化する感覚や、周囲の状況に関しても率直に文章にしている。

フェミニストを自任する人で、永久脱毛に対して批判的な人は多い。

 そのことについて、何か反論するのではなく、もっとシンプルな理由を語る。

単純に自分がそのような身体になってみたいという素朴な好奇心からだった。

 そういう状態はなってみないとわからないことだと思うけれど、今はVIO脱毛をしている人は多いのに、その行為に対しての言葉は(多くは、自分もその行為をしていて、そのメリットを勧める言語)聞いたことがありながら、その状態になったときの日常的な感覚については、ほとんど知らなかったことに気がついた。

 さらに、同じ美術作家で友人の飯山由貴に、陰毛を剃ったことを伝えたら、え、みたい、と、新しく買った洋服のように言われた場面があって、そのあとに見せた、という話まで続いていく。

 それは、大げさかもしれないけれど、どちらもアーティストだから、その場面が、とても日常的になったように思えた。

 

かなり少数派の同居生活

 著者は、男性二人と同居している。元の彼氏(といっていいのかどうかも微妙な感じがするが)と、その元彼と交際中に付き合った彼の二人であり、今は著者には別の彼がいる。やや説明が難しいことでもあるのだけど、この環境は3人の同居者にとっては合意の上であり、それぞれが快適さもあるから続いているのだと思うけれど、同居している男性2人は、こうして自らを書かれることに関しても、同意している、ということのようだ。

 それ自体、同居者の3人が寛容で、自由なことの証明のようにも思うが、そう感じるのは、こうした「かなり少数派の同居生活」について書いている著者の姿勢が、かなり自然で、必然で、その関係性に関しても、目に入るものに関しては平等にピントがあっていて、しかもそのまま写しとるように書かれているせいではないか、と思った。

 これが映像で作品を作り続けている美術家の視点かもしれない。

外側の視点

 例えば、同居している一人の男性については、こんなふうに認識していることを、心に映るままに書いているように思える。

 晋吾のことを知ろうと色々なことを調べていく中で、他者に対して恋愛感情を抱かないアロマンティックというセクシャリティがあることを知り、もしかしたら晋吾はこれに該当するのかもしれないと思ったりもした。でも二人で話すうちに、何か自分たちが明快な答えを求めて話をしているわけではないことにも気づいた。今のところ晋吾はそのような性自認を持っているわけではない。ただ、それに限りなく近い性質があるのだとは思っている。

 

 そして、3人の関係性に関しても、著者の書き方は、どこか他人事のような距離感の不思議さがある。それは視点が自分の外側にあるような感覚かもしれない。

 

 自分が玲児君と慎吾という二人の男性と同じ家で暮らしていること、それぞれと同時に関係性があることを公言することに、もともとあまり躊躇はなかった。もちろん今は関係のかたちも変わってきているから当時の記憶は少し曖昧だけれども、かかわる全員の合意のもとに始まっている関係だったし、最初からそんなに後ろめたさはなかった。

 その中で、唯一、この3人の同居に関して、著者が言えない相手がいた。それは「玲児君の母親」だった。その「秘密」を告げる場面についても文中で書かれているのだけど、そのときの、独特の空気感が伝わってきた。

 そして、おそらく著者にとっては、独特ではなく、自然なことなのだろう、とも思ったし、それが映像を作品化する芸術家の視点かもしれない、とも感じた。

 

 他にも日常的なことだけではなく、作品に関しての描写もあり、新鮮な視点を提示してくれたと思った。

 

 

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