アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

アート観客のはじまり

 このところ、アートを見る機会が、ほぼなくなってしまいました。

 今の状況では、仕方がないとも思いますが、この20年以上、特に辛い時など、気持ちを支えてもらってきた事実も変わらないと思っています。そして、今振り返ると、ありがたい気持ちにもなります。

 実際に、直接、アートに触れることがほぼできなくなってしまった、この機会に、ここまで見てきた展覧会、個展、本、作品などのことを、少しずつ、書いて、伝えてみたいと、思うようにもなりました。

 最初は、それまでアートにほぼ興味がなかった人間が、どうやってアートを見るようになった話から書いてみたいと思います。

 

 

 昔は、美術やアートと呼ばれるものに、ほぼ興味が持てなかった。

 学生の授業の時も面倒くさくて、美術が好きではなかった。

 美術にまつわることも、好きではなかったと思う。

 

 高校の時、隣のバス停から乗ってくる女子が、肩かけのカバンを頭にかけて後へたなびかせていた。頭にみぞがある、といわれるくらい、そのカバンはズレなかった。その子は演劇部だった。美術とは違うのだろうけど、自分の中では一緒で、バスの窓から走る姿が見えるたびに、不思議な気持ちになっていた。

 

 大学の時、美大系のサッカー部と試合をしたことがある。約30年前なのに11人の選手のうち、2人もモヒカン刈り(ハードバージョン)だった。あまり近くに寄りたくないのに、マークすべき選手がそのうちの一人だった。彼はチームの中では上手いのにヘディングをしない。そのぶん守っていて楽だった。

 

 社会人になって、スポーツのことを書く仕事を始めた。

「芸術的なプレー」という表現に、「なんで、芸術の方が上みたいな書き方をするんだ?」などと軽い反感を憶えていた。

 

 1990年代「トゥナイト2」という深夜番組があった。とても軽いタッチの深夜番組。そこで、イベント紹介があった。「TOKYO  POP」。その展覧会は神奈川県の平塚でやっていることを知った。わずかに映る場面はちょっと魅力的だけど、都内からは遠い。でも、妻が行きたがった。

 

 出かけて、良かった。

 身近な印象の作品も多かったが、それが逆にリアルで、いいと思えた。

 これまで、ひたすら自分と関係ないと思っていたアートの方から、初めてこちらに近づいてきたように思った。

 30代になって、初めて、アートが面白いと思った。

 

 それまでの遠ざける感じから見たら、調子がいいとは思うのだけど、それから、アートは自分にとって必要なものの一つになった。

 それが1996年のことだった。

 

 気がついたら、美術館やギャラリーに、作品を見るために、出かけるようになっていった。自分にとって、ウソのない作品が見たいと思っていた。辛い時ほど、触れたくなった。気持ちを支えてくるものになっていた。週1レベルだから、たいした数ではないかもしれないけれど、気がついたら、20年以上の時間がたち、何百カ所は行ったと思う。

 

 今回の機会に、これまでの記録を少しずつ、お伝えしていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

(右側のカテゴリーは、

 「展覧会の開催年」

 「作家名」

 「展覧会名」

 「会場名」

 「イベントの種類」

 「書籍」

 

 の順番で並んでいます。

 縦に長くなり、お手数ですが、

 そうした項目の中で、ご興味があることを

 探していただけると、ありがたく思います)。

 

 

「少女たちのお手紙文化1890-1940展」。2024.1.20~3.24。町田市民文学館ことばらんど。

 

2024年1月21日。

https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08Literature/tenrankai/otegami.html

(「町田市民文学館ことばらんど」)

 

かつて手紙は、人々をやわらかく結びつける大切な役割を担っていました。そこに書き込まれた手書きの文字は書き手の人柄や想いを反映し、読む人にぬくもりを感じさせます。しかしインターネットの普及にともない、一時は最も主要な通信手段であった手紙も、今ではすっかり書く機会が失われてしまいました。ところが近年、デジタル化により時間に追われるようになった生活様式への反省から、文房具や手書き文字は再び注目を集めています。また、人々の行動範囲を制限した感染症の流行が、会えない相手との心のこもった交流ができるツールとして、手紙を見直すきっかけともなりました。

          (「ことばらんど」ホームページより)

 こうしたことがあって、この企画展がおこなわれたということになっているようだけど、手紙も「少女たちの文化」としての視点で組み立てられているらしい。
 

本展では、封筒や便箋などのお手紙道具、明治期から昭和初期にかけてさかんに出版された手紙の用例集、文通の場として読者投稿欄を設けた少女雑誌、そして実際に書かれた手紙などを通して、近代日本において特に少女たちが担ってきた“お手紙文化” を振り返ります。本展を通して、人々をつないできたお手紙文化を見つめ直し、手紙を書くことの楽しさを感じていただければと思います。

          (「ことばらんど」ホームページより)

 

 展示室には、封筒や便せんが並んでいて、それは、確かに実用面から見たら、必要とは思えないような装飾があって、それは、例えば大正時代のものであっても、今でも「かわいい」と思えるものが並んでいる。

 そういうものを見ていると、確かに自分が学生時代の時も、「女子」が授業中でも小さくたたんだ手紙を届けるために何人かの手を渡っていったことがあったり、「かわいい」封筒や便せんは、やはり「女子」が中心になって購入されていたし、今も、家の中にはそうした封筒や便せんが少なくないけれど、主に妻が買っているものだった。

 だから、最初、手紙文化を「少女たちが担ってきたもの」という見立て自体に無理があるかも、と思ってしまったが、実用的な手紙は別として、特に用事があるわけでもなくて、ただコミュニケーションを目的としたような手紙のやり取りは、確かに「少女たち」それも、女学校といわれる場所にいる女子たちで盛んに行われていたようだ。

 この展覧会には、実際に当時、特定の誰かから、別の誰かに出された手紙も、名前の部分は伏せられているものの、そのまま展示されている。もう何十年も前の、それこそ、見聞したことの感想を伝えている、いってみれば、たわいもない内容なのだろうけれど、そこに何かしらの思いがあるのは確実で、それが、全く関係のなく、時代も違っていて、全部を読み切ったわけでもないのに、なんとなく、そこに柔らかいコミュニケーションがあるのは伝わってくるような気がした。

 自分だけが読むものではない。だけど、不特定多数ではなく、誰かに向けて書かれた文章というのは、書いた人が濃厚いそこにいるように感じるから、余計に不思議な気持ちになるのかもしれない、と思った。

 その一方で、こうした手紙のやり取りをしていた女学生は、文字もきれいで、もちろん教養もあるのだろうけれど、全体の人口だと、おそらくは本当に少数の恵まれた層なのではないか、などと思ったのは、展示室に並んでいる「かわいい」手紙の道具は、おそらく、いわゆる茶封筒や、真っ直ぐにラインだけがあるシンプルな便せんよりは高額なはずで、そうした商品を日常的に使えるとなれば、やはり限られた人たちなのではないか、とも思っていた。

 ただ、文化というのは、そういうものでもあることを、再認識もできた。

 

竹久夢二中原淳一

 手紙の道具だけではなく、手紙にまつわる雑誌なども展示されていて、その中で、目をひいたのが、竹久夢二中原淳一の作品だった。

 竹久夢二は、独特の美人画で知られる大正ロマンの頃の画家であり、詩人であり、デザイナーでもある存在だった。一方、中原淳一は、戦後に、それこそ「少女たち」に夢を与えた存在で、考えたらどこかで竹久夢二と印象も似ているかもしれない。

 どちらの作家の描く女性や、少女たちは、今見ても「かわいい」し、こうした顔の現代のアイドルもいそうで、すでに大正の時代から、こうした価値観は確立していたのかと感心

するような気持ちにもなる。

 もちろん、それは個人的な印象に過ぎないから、人によってはすでに古いものかもしれないけれど、それでも、ある時期の「少女」(女性だけではないかもしれない)といわれるような人たちであれば、普遍的に憧れるデザインがあるのかも、と思えるくらい、竹久夢二中原淳一の描く「女性」は、それほど知らない人間が見ても、魅力的に見えた。

 特に夢二は、正式に美術教育を受けたこともないはずだから、独学で、こうした作品を生み出し続けたのは、やっぱりすごいのではないかと改めて思った。

 

ラブレター

 他にも、夏目漱石や、小川糸など、明治から現代まで、手紙を題材としている文学の紹介があったり、思った以上に広い分野のことについて展示がある。

 だから、あまり手紙を書かなくなった、と言われても、手紙という存在が、想像以上にどこか特別なものであるのはわかる。ただ、今後、本当に手紙を書く習慣が絶滅に近い状態になったとしたら、こうした展示自体が、そのときの鑑賞者にとっては、エジプトの遺物を見るような、そんな博物館に近い印象になるのかもしれなくて、そうなると、家にある手紙自体が、歴史的な存在になるかも、といった本筋とは関係のないことを思ったりもした。

 そうして、具体的な手紙として本人の名前も出ていた手紙があったのは、町田出身の詩人 八木重吉のものだった。

 それも、説明によると、家庭教師をしていた女学生が好きになってしまい、そのあとに、いわゆる遠距離恋愛になったような時期もあったのだけど、そうしたときに書かれた手紙もガラスケースの中に並んでいた。八木重吉が、のちに結婚する相手である島田とみにあてて出されたものだった。失礼ながら、八木重吉という人を知らなかった。

 男性が書くにしては、当時でも「かわいい」便せんを使用していたし、その文字も達筆といった硬さがあるのではなく、どちらかといえば、もっと柔らかい書き方をしているし、その改行も比較的自由だったのだけど、それはどうやら、若い女性である、手紙の相手が気に入ってくれるように、あちこちに細心の注意と、とても熱量の高い好意がこもっているのが、全部を読んだわけでもないのだけど、伝わってくるようだった。

 とにかく好きでたまらない。

 手書きの文字。自分で選んだ手紙の道具。そうしたことも含めて、そういう思いが、まだそこにあるようだった。

 すごいラブレターだと思った。

 

https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08Literature/yukari-sakka/50on/yagijyukichi.html

(町田市ホームページ)

 

1922年に島田とみと結婚。この頃から詩作に専念し、1925年には第1詩集『秋の瞳』を刊行した。これが縁で「詩之家」や「日本詩人」などに作品を発表したが、29歳の若さで病死。没後、生前自選の詩集『貧しき信徒』が、再従兄の作家・加藤武雄の尽力で出版された。1927年10月26日、結核のため29年の生涯を閉じた。

             (町田市ホームページより)

 

 結婚してから詩作に専念する、というのも、かなり大胆な選択だと感じるが、とても好きだった相手と結婚できて、子供も生まれ、楽しかったのではないか、と勝手に思いたいのは、その結婚生活も5年で、しかも八木重吉は、29歳の若さで病死してしまう事実も観客は知るからだ。

 それでも、とみさんは、大事に手紙を保管していたから、こうして約100年経っても、見ることができる。

 ただの記録では伝わりにくい、抽象的な「思い」というようなものを、手紙という形で残されている限り、ずっと伝えてくれるから、日常的でもあるのだけど、手紙は時間を越える凄さがあるのだと思えた。

 

 

Amazon.co.jp: 永遠の詩(8) 八木重吉 (永遠の詩 8) : 八木 重吉, 井川 博年: 本

 

 

 

 

 

『切手デザイナー・貝淵純子 講演会』---『少女たちのお手紙 1890-1940 展』関連イベント。2024.1.21。町田市民文学館 ことばらんど。

 

https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08Literature/tenrankai/otegami.html

(「町田市民文学館 ことばらんど」ホームページ)

 

2024年1月21日。

 東京の町田駅から歩いて、少し不安になる頃に、「ことばらんど」があった。

 午後2時からの講演会に間に合った。

 建物の2階に上がり、会議室と思われる場所の前に机が出されていて、その前に受付けがあって、私と妻の名前を告げたら、資料と、2円切手のシートも入っていた。

 会場は、ほぼ満員だった。定員が80名のはずだったから、70人ほどはいると思った。

 ここに来るまで汗をかいていたので、1階のトイレに行って着替えたら、戻ってきたときは、すでに講師が会場に来ていた。

 穏やかな気配の人だと思った。

 会場の前の壁面に映像を映して、話が始まる。

 

 切手デザイナー、という存在は、普段は意識もしていないし、そうした仕事があることも、なんとなくうっすらと意識する程度で、どんな人がしているかも知らない。

 改めて、いろいろなデザインの切手があって、中には、知らないうちに発売されて、いつの間にか売り切れていて、できたら欲しかった、といった気持ちになるような切手もあった。

 そして、切手デザイナーという存在は、今は日本郵便という会社に所属するおそらくは会社員で、現在は7人いること。さらには、その人によって、そのデザインに個性があること。そういうことも初めて知った。

 

竹久夢二

 さらには、講師である貝渕純子氏が、デザインをした竹久夢二の切手についての具体的な話題になった。

 

https://www.post.japanpost.jp/kitte/collection/archive/2021/0201_01/

竹久夢二 のデザインをモチーフとした切手)

 

 2022年に発売された切手は、見た記憶はなかったが、一目見ても魅力的で欲しいと思えるものだった。

 それが現実に販売されるまでの、デザインの案を提出するところから、その案をどうやって組織の中で通していくか、といったような話も聞き、そういう場面は誰でも経験があるのだろうけれど、私も、過去の印象を思い出した。決定権があって、状況に詳しくないのに、売り上げは望めるのか?を繰り返す、無責任な中年男性のことを、今、貝渕氏が話をしている人とは関係ないのに、勝手に重ねて、微妙に嫌な気持ちになってしまった。

 

 それでも、貝渕氏はさまざまな努力や工夫や、周囲の協力を得て、販売までを実現させた。

 その中でも、かなり細長い切手があって、それが魅力になっているのだけど、こうした形のものは前例がないため、そのデザインを了承してもらうためにも、さまざまな工夫をしていた、という話を聞き、私のようにただ嫌な気持ちになるだけではなく、実現させるための具体的な対策をきちんと粘り強くしているようで、それにも凄さを感じた。

 

「切手デザイナー」という仕事

 切手デザイナーの作品は、それでも多くの人が見る。さらに切手として手にとって、デザインが工夫されていたものだったら、手紙を出す相手のことを考えて、使うことが多い。

 しかも、昔は、記念切手を集めることが趣味として成立していて、販売価格よりもかなり高価で、売買されていた時代もあった。

 これから先、郵便物が少なくなったら、また意味合いが変わってくるかもしれないけれど、それでも、切手のデザインというのは身近でありながら特別な印象は、ずっと変わらない。そして、場合によっては、特定の切手と思い出が結びつくことさえある。

 だから、特別な仕事というイメージがある。

 

 切手デザイナーという仕事は、現時点では、専門職として日本郵便に雇用され、それも、いつも募集があるわけでもなく、最近だと、ほぼ1人採用に対して200名の応募があるということだったので、やはり、切手デザイナー、という仕事自体が、会社員でありながら(雇用形態は、詳しくわかりませんでしたが)選ばれた存在であるのは間違いなかった。

 やはり、切手デザイナーは、その仕事自体が表に出ていて大勢の人に見守られていて(時に見張られるかもしれないけれど)、なじみがありながら、現時点では7人という、ごく一部の人が行なっている特別な仕事だという印象になり、そうした仕事をしているのは、もちろん外からは分からない大変さもあるに違いないのだけど、やはり、ちょっとうらやましかった。

 講演会の最後は、講師の方が、私物の中からプレゼントを用意してくれて、自分自身がデザインした2円切手のシートを入れてくれたカードに番号が書いてあり、その番号を読み上げて、当たった人に手渡す、という時間で締めくくられた。

「いらないかもしれないので、もし必要ない方はそっと置いていってください

」。

 

 講師の貝渕氏は、そうした言葉を繰り返していたが、こうして、無料で聴きに来ている聴衆にまで気を配ってもらったことは、わかった。

 切手を見る目が、おそらくちょっと変わる。それをデザインした人の存在を、少し強めに意識するようになると思う。

 穏やかで、興味深い時間だった。

 

 


 

 

(書籍 「切手デザイナーの仕事」)

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「動物園にて」。2023.11.16~2024.1.8。東京都美術館。

 

2024年1月7日。

 動物園をテーマにした展覧会は、初めてかもしれない。

 それも、国内最大規模の上野動物園が、本当に目と鼻の先にあるこの美術館で行うことには、それだけで、そこに意味が一つ加わる。

 

https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_collection.html

東京都美術館「動物園にて」)

 

 現在「動物園」(Zoological Garden)という名で親しまれる様々な動物を飼育・公開展示する施設は、18世紀末のヨーロッパで誕生し、日本では、明治15(1882)年、上野の地に最初の「動物園」が開園しました。以来、各地に次々と開かれた「動物園」は、時代とともにそのあり方を少しずつ変えながら、現在も数多くの来園者たちを招き入れ続けています。
本展では、主に東京都美術館に隣接する上野動物園という日本最古の「動物園」に焦点を当てながら、東京都立の美術館・博物館、またその他の施設や個人等が保管する、「動物園」に関わる作品・資料を展示します。

                      

                       (「東京都美術館」ホームページより)

 

 確かに資料的なものが多く、それはとても貴重なものなのはわかる。

 

 そうした展示物の中で、個人的に最も印象に残ったのは、動物園のゾウのいる場所の前での家族写真だった。それも、どうやら広く呼びかけたらしいので、モノクロの写真も、カラーの写真も混ざっていて、だから、かなりの年月の間に、そこで撮影された様々な家族の方々の写真がスライドで次々と移り変わっていく。

 

 動物園が、家族と相性のいい場所でもあって、それは、ただ動物を見にいくところでもないことが、その写真たちを見ていると、よくわかるような気がした。

 

 

 

 

amzn.to

『いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間』。2023.11.16~2024.1.8。東京都美術館。

『いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間』。2023.11.16~2024.1.8。東京都美術館

2024年1月7日。

https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_uenoartistproject.html

東京都美術館

 

 展覧会の最初の部屋には「きのこ」の絵が並んでいた。

 小林路子の作品。

 それも、その生えている場所の枯葉や、植物なども含めて描きこんでいる。少しでもよく見ると、林や森などには、枯れ葉がそのままに放置されていると、前年の冬ではなく、もしかしたら、何年か前の枯れ葉もそこに混じっているのではないか、と思えるほどの描きわけがされているように見えて、きのこだけではなくて、そこにある全てを描こうとしているのは、伝わってきたような気がした。

 会場内の説明文などによると、以前は心象的(シュール)な絵を描いていて、写実的なものを描こうと思った時に、きのこに偶然出会ったということだった。それが、プロフィールによると、1980年代だからそれから30年以上、きのこを描いてきたのだと思う。

 写真が登場して、もう200年近く経つのだから、こうした作品も写真を撮影すればいいのではないか、という見方もできるのだけど、こうした作品を見ているときは、どれだけ写術的であっても、その作者の視点のようなものをどこかで意識するような気もするのは、その切り取った場面も含めて、作者が見た風景をそのまま描いているからだと思う。

 

 そして、この作品のそれぞれに作家自身のコメントがある。

 例えば、「ドクツルタケ」

全身純白の致命的猛毒きのこ。味も良いというのがおそろしい。欧米では〝死の天使〟と呼ばれている。だが、食べさえしなければただのきのこ。緑の苔に立つ姿は清楚で美しい。夏〜秋、平地から高山までいろいろな林に普通に発生する。

 

「タマゴタケ」。

赤いきのこは毒、という迷信のため敬遠されていたが、食べられると知られて人気が出た。赤くても食用になるきのこもあれば、赤い猛毒きのこもある。色だけでは食・毒の区別はできない。夏〜秋、林内地上に発生。

 

 こうしたキャプションが、展示室に並んでいる作品全てにあり、その文章の距離感が長年、きのこを描き続けていて、とても親しみを持っているけれど、でも、その特徴や魅力を知らない人にも伝えるための距離感を持っている読みやすい文章だった。

 それは、絵画にも共通することだろうとも思った。

 

バードカービング

 きのこの背後には、鳥の姿があった。

 内山春雄。バードカービング

 それは、やっぱり飛び立ちそうにも見え、その周囲の石や岩なども含んで、再現度が高く、FRPで型抜きをして、そこに採食しているから、その塊としての一体感も高く、人の目の高さより少し低い高さになるように台に設置してあり、そこには白線があって、これから先は立ち入らないでください、という印にもなっているのだけど、その作品を見ていて、そこについ近づいてしまって、スタッフに注意されている人が何人もいたけれど、それも仕方がないと思えた。

 ライチョウ。冬と夏の両方の姿が作品になっている。

 

 そこから、別の展示室に歩くと、アホウドリや、トキやヤンバルクイナといった珍しい鳥がいたし、大きさもあると、重さまで伝わってくるようだった。おそらくはクロツラヘラサギや、ナベヅルといった名前は初めて聞くような鳥たちも、実物大で制作されているはずだから、その大きさと、意志の疎通が難しそうな目つきも含めて、ちょっと怖く感じるのは、鳥類は恐竜の子孫といった情報が、その気持ちに関係しているのかもしれない。

 後半には、内山の作品でタッチカービングで、今度はカラスやスズメなど、普段から目にしている鳥が作品化され、色が塗られていないのは、目が見えない人たちから触らせてほしい、という要望に応えるためで、その細やかな凹凸は、初めて触った。

 

植物

 きのこの作品と比べると、やや素朴な技術で描かれたような植物が並んでいる。

 それは、辻永(つじひさし)の作品だった。

 明治生まれの辻が、墨といったものではなくて、油彩で描いたことが、その頃は、おそらく新しいことなのだと思う。

 草花という身近なものを写生する、ということに、大きい歴史的なテーマではなく、日常的な描くといった狙いがあるようだった。

 年月が経つほどに、素人の鑑賞者でも技術が上がっているように見えるが、草花への愛情のようなものは、勝手ながらそれほど感じられなかったものの、おそらく、こうした試みの蓄積があってこそ、今回のような展覧会の成立があることを考えると、この辻永の作品の意味は、観客が思った以上に大きいのかもしれない。

 ただ、何しろ明治時代から、昭和の戦前から戦後まで50年以上、草花を描き続けたことは、すごいことだと素直に思う。

 

馬、ゴリラ、牛

 馬の写真は、今井壽惠が撮影している。

 それもサラブレッドだから、競馬という人間との、もしくは階層も関係している風景がそこに広がっている。

 美しい作品だった。

 ゴリラの絵を描き続けているのは、阿部知暁で、これだけごつい体を持つゴリラの目はとても穏やかで、かわいいといっていいような作品になっている。

 それは、40年近くゴリラと関わってきた成果と、作家本人も考えているようだった。

 

 そして、牛、それも家畜としての牛を描いているのが冨田美穂で、今回の6人の作家の中では、1979年で最も若く、その作家が描く牛は、思った以上に静かに、でも強く伝わってくる作品だった。

 最初は、木版画と分からなかったのだけど、その牛は耳に番号がぶら下がっていて、それは家畜という人間が飼っていることを表している。プロフィールによると、大学2年で初めて酪農のアルバイトをして、牛を初めて間近で見てから、20年近く、牛を描き続けている、という。

 しかも、酪農の仕事をしながら、ずっと描いている、というエピソードが納得いくように、とても尊重して描きながらも、ベッタリと近づきすぎたり、まして擬人化することもなく、とても正確に描いていて、実在感があった。

 個人的には、この牛の作品を見て、来てよかったと素直に思えた。

 

 

 

『きのこの絵本』 小林路子

https://amzn.to/3HGZbaw

 

 

amzn.to

 

 

 

『即興 ホンマタカシ』。東京都写真美術館。2023.10.6~2024.1.21。

『即興 ホンマタカシ』。東京都写真美術館。2023.10.6~2024.1.21。

 ホンマタカシの写真は、約20年前から少しずつ見ている。

 美術館で展示されていて、そのときは、郊外の子どもが無表情にこちらを見ている作品だった。

 その時代のことを表しているようで、新鮮に思えた。

 その後も、ただ目の前のものを撮る。でもなく、撮りたいものを撮影する。といった感覚的なものでもなく、写真とは何か。今の時代に写真は必要か。そういった知的な関心を優先させる、かなり批評的な視点の写真家だと思ってきた。

 それがすべてではないだろうし、全部を理解しているとは思わないけれど、写真史というものを考えたときに、あと何十年か経ってから、より重要な写真家になるとは思っていた。

 それでも、この人だけの展覧会を見るには、どうも、少しためらってしまうのだけど、ラジオを聴いていたら、ホンマタカシが出演していて、意外でもあったのだけど、今回の展覧会のことも告知していて、その行動によって、やっぱり見ようと思った。

 

『即興 ホンマタカシ

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4540.html

2023年12月27日。

 会場に入る。入り口が、通常の展覧会とは逆になっていて、そこに順路のように矢印があった。最初に会場に入ると、ぼんやりした映像が並んでいた。

 数字も写っていたりする。

 何を写しているか、わからない。

 そのうちに、建築物や、都市を撮影しているのが分かったのだけど、どれもはっきりと写っていなくて、とても古い画像にも見えた。

 暗い部屋があって、そこの窓をのぞくと「9」が見える。

 展示室に大きく都市が撮影されていて、そこの部屋には鏡がいくつもぶら下がっている。

 最後の展示室には、富士山の写真もある。

 暗い部屋は、会場の真ん中にあるようで、どの小さな窓から見ても「9」のようだった。中には「Revolution」もあったかもしれない。

 

解説

 たぶん、これは何かのこれまでにない試みなのだろうと思ったが、やっぱりなんだかわからなかった。

 それで、チラシと一緒にもらった「東京都写真美術館ニュース 別冊ニャイズvol.00000155」を、展示室から出て、グレーのソファーに座って、読んだ、というよりも見た。

 それはカレー沢薫のマンガだった。

https://amzn.to/4az0sOi

(こうした作品を描いている作家さんです)。

 

 この「別冊ニャイズ」によって、この「即興ホンマタカシ」展で、何をしているのかは、分かった。とてもありがたい解説だった。

 この「ニャイズ」によると、建物の一室をピンホールカメラのようにすると、外の風景がさかさまの写真になる、ということらしい。だから、そういう逆立ちしたような建物の写真が多かったことと、部屋を、しかも最も古典的であろうピンホールカメラの原理で撮影するのだから、画素数といったものから考えたら、粗くなって当然だった。

 このエピソードを、何年か前に、どこかで読んだか、聞いたことがあるかもしれない記憶がうっすらと蘇るが、その感覚まで、この作品の延長のようだった。

 そして、そのホンマの試みは、今回も写真そのものを問うような作品であるのは、こうした解説を読んで、やっと少し分かった。

 さらには、テーマが即興で、偶然性を生かして、ネガフィルムが空港のX線検査のために一部変色してしまったことなどもそのまま使用したり、会場は通常とは逆回りで、その矢印をフライヤーを作家本人が折って制作したということも、この「別冊ニャイズ」で知った。

 そして、このやたらと現れる「9」も、ビートルズの「Revolution 9」へのオマージュだったり、会場の真ん中にある暗い部屋に楽器が見えたのだけど、そこにあるピアノを、ホンマタカシが訪れて演奏することもあると知った。

 

 そうしたさまざまな情報や意味合いを知った上で、時間を置いて、もう一度回った。

 部屋をカメラにした撮影したのか、と思うと、その写真の意味は違ってきたように頭では分かったけれど、それでも、写真から受ける感じは、それほど変わらなかった。

 ただ、こうした情報を知らないままよりも、はるかに多くのことを考えられた。

 やはり、知性に訴えかける写真家、ということなのだろうと、改めて思えた。

 

 

 

 

ホンマタカシの換骨奪胎』

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「見るまえに跳べ」日本の新進作家vol.20。2023.10.27~2024.1.21。東京都写真美術館。

 

2023年12月27日。

 写真美術館に行く。

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4542.html

(「見るまえに跳べ」 日本の新進作家vol.20)

 

 この日は3つの展覧会を見たのだけど、自分としては、最初は、この展覧会を目的にして来た部分がある。

「日本の新進作家」というシリーズで、こうして、新しい写真家で展覧会を続けているのは、とても意味があるし、だから、写真美術館だとも思っているせいもある。

 入る前に、撮影はできますが、一部禁止のところがあります。それに暗幕がありますので、それをかき分けて、どんどん次に行ってください、といったことをスタッフに言われて、写真の展示で、そういうことを言われるのも珍しいと思って、最初の展示室へ入ったら、そうした注意事項を言われるのも納得がいくような気がした。

 壁には、写真を大きく伸ばし、それを短冊のように切って、展示室の壁いっぱいに、それが貼り付けられ、壁の面が見えなくなっている。それは、そこに来ないと分からないと思われる雰囲気で、写真が降り注いでいるような気がした。

 その中に、いわゆる人物写真が並んでいる。

 その人たちが、どういう人間なのか、それは最初の少し長いキャプションで説明されている。

 

 そこには、この展示室の写真を撮影をした淵上裕太が生まれた場所や、その後の生い立ち。大学を卒業し、車の整備士として働き始め、知り合った女性と結婚する未来を夢見ていたのに、その女性が姿を消したことから、仕事を辞め、写真の専門学校に通い始め、その頃から被写体になってもらっていたのは路上で知り合った人たちで、今は上野公園でさまざまな人を撮影している。

 この展示室にあるのは、上野公園で撮影された人たちの写真だった。

 それは、みんなこちらをまっすぐにみていて、その作品を鑑賞している人間も、見られていたり、にらまれていたり、ということではなくて、写真の前に立つと、その人と向き合っているような気持ちになれる。

 この展示室のキャプションも、この写真がここに並んでいる必然性に繋がっているし、壁を埋め尽くす細く切られた写真も、その中でこそ、一枚、一枚の人物写真も生きているような気がするから、今は、写真の展示も、その空間も含めて考えないといけない時代になったのだと思った。

 それは、写真は、以前よりも日常にあふれるようになってからも年月を重ねてしまったのだから、わざわざ、その場所に来ないと味わえないような展示をすることが、これからは常識になっていくのかもしれない。

 これに関しては、写真美術館で出している『「別冊ニャイズ」vol.00000154』によると、「作家から予想のナナメ上をいく提案も受けました。諸事情により諦めた内容もありますがほぼ作家たちの意向通りです」というコメントもあったので、写真家自身の発想ということを知ると、なんだか心強く、それこそ「将来性」という言葉が似合うようなことだと思った。

 

ウクライナ

 そこから、暗幕を通って、暗い部屋に進む。

 その部屋の前も壁には、「戦争だから」という手描きの大きな文字があった。

 

 夢無子。『戦争だから、結婚しよう』。

 2022年。ロシアの侵攻を受けたウクライナに2度に渡って現地に行って撮影した記録だった。

 小さめの映画館のスクリーンに、その時の写真と、さらには、作家の思いが言葉として、そこに並べられていく。そして、観客は、ヘッドフォンをつけて、ウクライナの現地の音を聴き続けながら、そこにいる。

 写真や、作家の現地での、後ろめたさや怖さも含めての率直な言葉や、写真や、さらには耳からの音によって、安全な場所にいる観客にも、なんともいえない不安定な怖さが伝わってくる。

 こうした大きいテーマを写真家が扱うことや、外の国の人間が現地に行くことに対して、色々な思いも浮かぶし、さまざまな批判もされそうだけど、でも、ずっとその部屋にいて、2つのスクリーンに映し出される夢無子の作品を見続けていた。

 観客は、とても安全な場所で、こうした作品に接することができるのは作家のおかげなのは間違いなかった。そして、やはり、とても強い印象が残った。

 

写真の展示

 そこから、さらに3人の写真家の作品を見た。

 それぞれの展示が、かなり明確に分かれていて、山上新平の展示室も、照明を落として、作品に集中できるようにしていたし、星玄人は、西成や新宿や横浜など、普段生活していると、あまり接しないような人たちの姿を撮影していて、さらには、自身が母親から受け継いだ喫茶店を今も経営しているらしいこと、その店自体が被写体になっていることに、急に必然性のようなものも迫ってくるような気もしたのは、それを情報として知ったからなのか、と観客自身の気持ちを振り返ったりもできた。

 そのあたりも含めて、山上も、星も、観客として知らない世界が、そこに、ただ収まっているようにはしないように、できたら体験に近いものになるように展示しているようにも思えた。

 展示の最後は、フライヤーのメインビジュアルでもある うつゆみこの作品だった。

 合成かと思った「鳥人間」のような写真は、再び「別冊ニャイズ」によると、作者が珍しい動物を飼っている人に頼んでいるらしいので、この動物たちの写真はCGのようなものではないらしい。といったことを知ると、やっぱり少し見方が変わる。

 展示室の中には、小屋のようなものが設置されていて、そこにビーズののれんのようなものをくぐって入ると、一つ一つを丁寧に鑑賞すると言うよりは、その世界に入らせてもらう、というような、やはり体験に近いものになっていたように思い、ちょっと楽しくもなっていて、奈良美智も、こうした小屋のような作品があったことも思い出す。そして、この小屋のような場所が撮影禁止になっているのは、被写体に自分の子どもがいたからかも、と勝手な推測もする。

 こうして別の作家のことを並べるのは失礼かもしれないけれど、今回の5人の写真家の展示を見て、特に写真は展覧会を見なくても写真集を見ればいいやと思ってしまいがちなのだけど、これだけ写真が日常になった現代では、展覧会をわざわざ見にくる意味が、以前よりもよりなくなってきているのは確実なことを前提に、とにかく、ここに来る価値のようなものを、5人ともきちんと考えているように思えた。

 それが、美術館側からすれば「ナナメ上をいく提案」に感じたのかもしれないけれど、観客としては、そうた作家の提案によって、来てよかったと思えた。

 

 

 

「路上2」渕上裕太

https://tppg.thebase.in/items/27913099

 

amzn.to

 

「Helix」山上新平

https://poeticscape.stores.jp/items/62e0afc3b5285a3dbdd11b13

 

「街の火」 星玄人

https://amzn.to/3u5vIE1

 

「Wunderkammer」 うつゆみこ

https://amzn.to/3U3715F

 

プリピクテ「HUMAN /人間」展。2023.12.15~2024.1.17。東京都写真美術館。

プリピクテ「HUMAN /人間」展。2023.12.15~2024.1.17。東京都写真美術館

2023年12月27日。

 年末に写真美術館に出かけた。

 

東京都写真美術館サイト)

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4591.html

 

Prix Pictet(以下プリピクテ)は、写真と地球の持続可能性(サステナビリティ)に関する世界有数の賞です。2008年にピクテ・グループによって創設され、写真の力をつうじてサステナビリティという重要な問題に人々の関心を集めることを目的としています。今回で10回目となるプリピクテは、各回ごとにサステナビリティに関するテーマが設定されています。

プリピクテ「HUMAN /人間」展では、ショートリストに選ばれた12人の卓越した写真家の作品が展示されます。作品はどれも、「HUMAN /人間」というテーマが提示するさまざまな問題を、人々の心に訴えかける強烈なイメージと共に探求するもので、最終選考に残った写真家たちは、それぞれ独自の方法で、私たちが共有する人間性と、人間と世界との関係性という大きな問題点を掘り下げています。今回展示される作品は、ドキュメンタリー、ポートレート、風景、光とプロセスの研究など多岐にわたり、扱うテーマも、先住民の苦境、紛争、幼少時代、経済構造の崩壊、人間の集落に残された産業開発の痕跡、犯罪組織による暴力、国境の土地、移民に至るまでさまざまです。それぞれの写真は、”地球の世話役"としての私たち人間の役割を冷静に評し、15年前に創設されて以来、プリピクテが重視してきた地球のサステナビリティという重大な問題に光を当てています。

2023年9月、今回の世界巡回展の最初の開催地であるヴィクトリア&アルバート博物館で行われたオープニング・セレモニーでは、インドの写真家ガウリ・ギルがプリピクテ第10回「HUMAN /人間」を受賞したことが発表され、賞金10万スイスフランが授与されました。ギルはプリピクテの審査員たちによって、ショートリストに選出された12人の中から選ばれました。

ギルの作品からは、コミュニティと一緒に活動し、コミュニティを通じて活動するという、彼女が「アクティブ・リスニング」と呼ぶ信念が強く感じられます。20年以上にわたり、彼女は北インド、ラジャスタン西部の砂漠地帯にあるコミュニティと親交を深め、ここ10年はマハラシュトラ州の先住民アーティストとたちとも交流してきました。

                   (東京都写真美術館サイトより)

 

 そのギルの作品は、このサイトに載せられている。

 少女が二人、一人が木の枝から逆さまにぶら下がっているので、ややトリッキーな印象を与えるが、基本的には、とてもオーソドックスな写真が並んでいる。

 

 他の11人も、世界の各地で、様々な問題について取り組み、ウクライナのことから、自宅の庭での出来事まで幅広い出来事を記録した写真で、それぞれ、違うテーマでありながらも、どれも必然性のようなものがあって、強い画面に思えた。

 

 こうした貴重な作品を無料で見られるのは、さらにありがたい気持ちになった。

 

 

 

 

https://amzn.to/48rO1Cq

写真集 『Balika Mela』 ガウル・ギル