アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

アート観客のはじまり

 このところ、アートを見る機会が、ほぼなくなってしまいました。

 今の状況では、仕方がないとも思いますが、この20年以上、特に辛い時など、気持ちを支えてもらってきた事実も変わらないと思っています。そして、今振り返ると、ありがたい気持ちにもなります。

 実際に、直接、アートに触れることがほぼできなくなってしまった、この機会に、ここまで見てきた展覧会、個展、本、作品などのことを、少しずつ、書いて、伝えてみたいと、思うようにもなりました。

 最初は、それまでアートにほぼ興味がなかった人間が、どうやってアートを見るようになった話から書いてみたいと思います。

 

 

 昔は、美術やアートと呼ばれるものに、ほぼ興味が持てなかった。

 学生の授業の時も面倒くさくて、美術が好きではなかった。

 美術にまつわることも、好きではなかったと思う。

 

 高校の時、隣のバス停から乗ってくる女子が、肩かけのカバンを頭にかけて後へたなびかせていた。頭にみぞがある、といわれるくらい、そのカバンはズレなかった。その子は演劇部だった。美術とは違うのだろうけど、自分の中では一緒で、バスの窓から走る姿が見えるたびに、不思議な気持ちになっていた。

 

 大学の時、美大系のサッカー部と試合をしたことがある。約30年前なのに11人の選手のうち、2人もモヒカン刈り(ハードバージョン)だった。あまり近くに寄りたくないのに、マークすべき選手がそのうちの一人だった。彼はチームの中では上手いのにヘディングをしない。そのぶん守っていて楽だった。

 

 社会人になって、スポーツのことを書く仕事を始めた。

「芸術的なプレー」という表現に、「なんで、芸術の方が上みたいな書き方をするんだ?」などと軽い反感を憶えていた。

 

 1990年代「トゥナイト2」という深夜番組があった。とても軽いタッチの深夜番組。そこで、イベント紹介があった。「TOKYO  POP」。その展覧会は神奈川県の平塚でやっていることを知った。わずかに映る場面はちょっと魅力的だけど、都内からは遠い。でも、妻が行きたがった。

 

 出かけて、良かった。

 身近な印象の作品も多かったが、それが逆にリアルで、いいと思えた。

 これまで、ひたすら自分と関係ないと思っていたアートの方から、初めてこちらに近づいてきたように思った。

 30代になって、初めて、アートが面白いと思った。

 

 それまでの遠ざける感じから見たら、調子がいいとは思うのだけど、それから、アートは自分にとって必要なものの一つになった。

 それが1996年のことだった。

 

 気がついたら、美術館やギャラリーに、作品を見るために、出かけるようになっていった。自分にとって、ウソのない作品が見たいと思っていた。辛い時ほど、触れたくなった。気持ちを支えてくるものになっていた。週1レベルだから、たいした数ではないかもしれないけれど、気がついたら、20年以上の時間がたち、何百カ所は行ったと思う。

 

 今回の機会に、これまでの記録を少しずつ、お伝えしていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

(右側のカテゴリーは、

 「展覧会の開催年」

 「作家名」

 「展覧会名」

 「会場名」

 「イベントの種類」

 「書籍」

 

 の順番で並んでいます。

 縦に長くなり、お手数ですが、

 そうした項目の中で、ご興味があることを

 探していただけると、ありがたく思います)。

 

 

2024.3.13 アートブログ 『豊嶋康子 発生法──天地左右の裏表』。2023年12月9日〜2024年3月10日。東京都現代美術館。

 

2024年2月27日。

 1990年代の末だから、もう25年くらい前のことになる。

 豊嶋康子の作品は目にしていて、記憶に残っているけれど、印象に強いわけではない。

 

 確か、一本の鉛筆の真ん中を削って、そこに両方から芯が出て、それがつながっているような鉛筆がケースに入っている作品だった。それはパッと見ると鉛筆が二本ありそうだけど、一本の鉛筆が、そのような形になって、でも、使えない状態になっている。

 それは、学生のアイデアのようなものを形にしていて、誰もができそうで、しかも身近でスケールが大きいとはいえなくて、だけど、少しでも考えたら、鉛筆はその頃は、もっと日常的に使われていて、このように真ん中を削って、鉛筆だけど、鉛筆ではないようなものを実際につくって、それを作品として展示するまでが、実はかなり困難なことに後になって気がついたりもする。

 さらには、壁にたくさんの振込カードが展示されているのは分かった。そこに作者の豊嶋自身の名前もあったから、作家本人が行った行為なのも理解できたのだけど、その意味自体がよく分かっていなかった。

 だから、人目をとてもひく、というような作品ではなかったから、強く印象に残ったわけではなかったのだろうけれど、でも、そうした誰もができそうに思えた作品も、意外と、似ている作品が少ないまま、年月が経った。

 

習慣

 私も1990年代が終わる頃に、介護を始めて、仕事もやめて、それから、20年近く介護を続けることになったけれど、その間も、アートを見に行くことで、気持ちが支えられる習慣は続いていた。

 介護が終わった後に、コロナ禍になりアートを見る機会が圧倒的に減った時期もあって、それでも人混みを避けながら、時々見に行った。こういう言い方は失礼だとは思うけれど、私が行きたいと思うような現代アートの展覧会は、かなり空いていることが多かったから、そういう意味ではコロナ禍でも行けたのかもしれない。

 そして、2023年の年末から、豊嶋康子のかなり大規模な個展が初めて行われるということを知った。

 

インタビュー

『Tokyo Art  Navigation  豊嶋康子インタビュー』

https://tokyoartnavi.jp/column/33746/

 そうした個展が開かれることもあって、インタビューも行われ、考えたら、初めて作家の考えていることを、比較的詳しく知ることもできたし、この30年の経過も少しだけど、分かるような気がした。

 勝手に意外だったのが、アーティストとして、かなり苦しんだ時期が長いことだった。

 

若くしてデビューしたものの、その後は大きな活動の機会も減り、悩みの時代が続いた。地道に制作を続けるも、展示やレジデンスの機会に恵まれず、周囲の動きに戸惑っていたという。

豊嶋 2000年代はターニング・ポイントがないことがターニング・ポイントのような時代でした。デビュー後、1994年には美術評論家の鷹見明彦さんらが企画した展示に呼んでいただき、今後発表の機会が増えるのだろうと思っていたら、そうでもなく。95年には一人暮らしを諦めて埼玉の実家に戻りました。そして、戸惑いのうちに2000年代が進みました。
少し上の世代は海外に行っているという情報もあり、私もどこかにいくべきかといろいろ申請しましたが、《ミニ投資》や《口座開設》は日本のシステムを使っていますから、文脈が複雑で説明が必要な作品になってしまう。そうして私がもたついている間にコマーシャル・ギャラリーが増加し、自分より若い世代はそこに所属することが普通になった。ちょうど世代の狭間に落ちたような感覚でしたね。「私はこんなに考えているのに、なんで上手くいかないのか」と不貞腐れていた。「ポイント」ではなく、長期的な焦りのような「ターニング・ゾーン」とでもいう期間が200007年頃まで続き、とても悩んだ時期でした。

──その長いトンネルをどう抜けたのですか?

豊嶋 その状況に飽き飽きして、どうして不貞腐れたのかわからなくなるほどエネルギーを使い果たしたのが2007年ぐらいです。ちょうどそのころ、相撲を見ることに不思議なほど集中した時期があって、そこで毒が抜けたと言いますか、徐々に道が開けていきました。 (「Tokyo Art  Navigation 」より)

 

 豊嶋は、東京藝術大学在学中に、美術館でのグループ展に作品を展示していたのだから、未来は明るく見えていたはずだ。さらには、このインタビューの中にあるように20代のうちに美術評論家の企画した展示にも呼ばれれば、もっと発表の機会が増えると思ってしまうのは自然なことのはずだ。

  だから、私が豊嶋の作品を初めて見た1990年代の後半は、すでに本人的にはうまくいかず実家に戻っている頃だったのも、このインタビューで初めて知った。

 

  ただ、1990年代後半の観客にとっては、豊嶋はまだ若手で、新表現主義という、かなり粗い説明をすれば、その時代の「新しい絵画表現」が盛んになっていた頃だったから、豊嶋のようなコンセプチャルな表現を続けている作家は希少なようにも思えたし、そこに勝手に強い意志を感じていたから、当たり前だけど、作品にそうした戸惑いのようなものを見ることができなかった。

 

  その後、実はかなり長い年月が流れていて、その間も現代アートを見続けていたけれど、豊嶋の作品は時々、見かけていた印象があるし、2010年代半ばには、グループ展で見たのは新作のはずで、それはパネルを使ったものだったけれど、スタイルは違っているにも関わらず、20年前に見た作品と、一貫してつながっているように感じた。

 

  インタビューによれば、2000年から2007年という長い年月の間、かなり戸惑いと焦りの中にいたことは、観客としては感じなかった。

 

  ただ、今回、こうした本人の言葉を少しでも知ると、若くしてデビューできたとしてもアーティストとして続けていくことの難しさを改めて感じ、こうしてコンパクトにまとめられているものの、その焦りと戸惑いの時間は、豊嶋の30代とほぼ重なっていたはずで、作品制作に関してはもっとも体力も気力も充実していたはずの時期に、発表の機会に恵まれなかったのに、それでも、やめなかった凄さのようなものの、勝手に感じていた。

  それで、より今回の個展に興味が持てた。

 

 

豊嶋康子 発生法──天地左右の裏表

https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/toyoshima_yasuko/

(「東京都現代美術館」サイト)

 その展示会場は、東京都現代美術館の1階で、外からも内部が見える。木製の並んでいる姿は、窓を通しても、なんだか美しく見えた。

 最初の部屋には、木製のパネルが並んでいる。

 そして、最近の展覧会には紙製のハンドアウトは少なくなってきて、QRコードを読み込んでください、といった場合も増えてきて、スマホも携帯も所持したことがない観客にとって少し戸惑うこともあったのだけど、この展覧会はそのハンドアウトはあった。

 そして、普段はそれほど見ないことも多いのだけど、今回の展覧会に関しては、この説明が必要不可欠だった。

 展示されている作品には、キャプションなどはないから、ハンドアウトを見て、現在位置を確認して、そして番号と作品が一致しているのも見直して、その番号の説明を読む。

38 パネル

2013―

本来は干渉する部分ではない

パネルの裏面に、他にあり得るであろう

骨組みのパターンを増やし続ける。

壁に斜めに掛けてあるので、鑑賞者は

作品の横から裏面を覗き込むことができる。

         (展覧会「ハンドアウト」より)

 そんな言葉があったものの、それで、何か見え方が違ってくるわけではなかった。ただ、実際に存在するものに対して、作家が働きかけて、本来とは違うものにしている。そういう意志のようなものは伝わってきた。

 壁には、色のついている不定形なピースが並べられていて、それは不規則な曲線を描いているが、目指すべき正解ははっきりしているジグソーパズルのピースが使われていた。

 そのことを知ると、ちょっと見え方は変わって、そのピースがその正解のどの部分だろうということを、分かるわけもないのに、ちょっと探ろうとしている自分の意識に気がつく。

 透明なケースの中に、たくさんのサイコロが並べられている作品もある。

04

サイコロ

展示会場でサイコロを振る。

片手に一握り、箱ごと一気に、

アンダースローで、など

私が決めたさまざまな振り方によって

サイコロの目が出る。

        (展覧会「ハンドアウト」より)

 

 この偶然性をギャンブルなどの「実用」に使うこともあるのだけど、このサイコロは、ただの偶然を記録するように形にしたものだった。しかも、この「制作」は1993年とあるから、それから30年以上が経っても、それは過去の偶然が、そのまま残されている、ということになると思うと、ただサイコロが並んでいるのに、ちょっとだけ違って見えてくるような気がする。
 

個人と社会

 廊下のような、外も見える場所には「復元」と名づけられた作品が並ぶ。

 それは、現代陶器のような外観をしているが、作家の想像力を形にしたものだった。

25 復元

身の回りに落ちていた破片を集め、

もともと在ったであろう形体に復元する。

今ある破片からかつて在った全体を

創造(想像)する成り行きを、

「器」の形としてあらわす。

        (展覧会「ハンドアウト」より)

 

 見ていて、ちょっと面白く意外だったのは、その「破片」が復元した全体に比べると、本当に小さくて、この小さい「破片」から、この全体をつくったことを想像すると、その想像力の強さみたいなものも感じられたことだった。

 

 次の広い展示室には、初期の作品も並べられた。

 もっとも最初期の「マークシート」。(1989-1990)

 イスと机が一体化していて、かなりコンパクトなのだけど、白くて、ちょっとかっこいいその机の上に紙が並べられている。それは、いわゆるマークシート方式の解答用紙の、本来、塗るべき細長い楕円の部分だけを残して、他の部分を鉛筆で真っ黒に塗りつぶしている、という作品だった。

 入試試験というシステムを、採点する手間を少しでも省くために開発されたのがマークシート方式のはずで、このテストのために、普段はあまり使わない鉛筆を用意し、何本もよく削って、そして、このマークシートは塗りにくく、面倒臭かった印象も思い出し、さらには、こうして他の部分だけを塗りたくなるような衝動も確かに少しはあった気もしたが、でも、実際にできなかったのは、試験に関係ない行為である以上に、とても手間と時間がかかることを想像しただけで気持ちが萎えてしまうからだった。

 だから、この行為をしているだけでも、なんだかすごいと思えてしまったし、他にも、見たことがない作品や、過去に見た記憶がある作品も並んでいるが、個人が社会に対して、それも大規模ではなく、スキルや時間は必要だとしても、誰もができるような介入方法を提示しているようにも思えた。

 

 分度器や定規をオーブントースターで加熱して、本来とは違う形にしてしまったものは、その偶然性も含めて、どこか美しくも見えたし、作家が自分と社会が関わった結果を、そのまま展示することによっても、作品として成立していること自体に、ちょっとうれしい気持ちにもなったのは、自分にも何かできるのではないか、といった思いになれたせいかもしれない。

18

発生法2(断り状)

これまでに受け取った各種の断り状を

保存・収集し、印刷物の作品として扱う。

       (展覧会「ハンドアウト」より)

 たくさんもらった就職活動の時の「お祈りします」と書かれた自分の断り状も、まだ保管していることを思い出した。

 

19

発生法2(通知表)

1998

小学校、中学校、高校から受け取った

通知表を展示する。他者が

私の存在について入力した方法を、

自分の方法としても提示する。

          (展覧会「ハンドアウト」より)

印象の強い作品

 そして、過去に見て、この作家のことを覚えさせてくれた、印象の強い作品も並んでいる。

13

 鉛筆

 1996-1999

 鉛筆の中心付近に芯が出るように、

 両側から中心に向かって削っていく。

 1本の鉛筆は2本で向かい合う形となり、

 内向きの芯を折らない限り

 使用することができない

       (展覧会「ハンドアウト」より)

「ミニ投資」(1996-)は、とても少額で株式投資をしながらも、その変動を列挙しながらも、生涯売却しない作品だったし、「振込み」(1996-)は、現在では違う意味合いを持つ言葉にもなってしまったけれど、自分の銀行口座に、ATMから振り込みを続け、その際に「振込みカード」も発行し続け、その振込みカードを展示している作品。

 こうした詳細はハンドアウトを見ながらわかっていくことだけど、やはり、ただ作品を見るだけよりも、こうした意味合いを知りながら鑑賞すると、その淡々とした物質に違う意味を帯びてくるようにも感じる。

 振込みカードは、通常は、こうした使い方をしないものだけど、でも、こちらが機械に対してリクエストすれば、毎回、律儀に発行され、それにかかる経費なども考えてしまう。

 そして、ケースの中に通帳が何十冊も並んでいる。

 そこに記された銀行名は、2020年代の現在では、すでに存在しない銀行もいくつもある。

 

15

口座開設

1996-

銀行口座での口座開設の手続きで

1,000円を入金して、2週間後に届く

キャッシュカードを待つ。

カード到着後に口座開設時の1,000円を

引き出し、別の銀行で口座を開設する。

この手続きを繰り返す。

         (展覧会「ハンドアウト」より)

 

 昔、最初に見た時は、この方法まできちんと理解していなかったけれど、これは原理的には銀行が存在する限り、無限に続けられるはずで、しかも入金1,000円ですぐに引き出されるとしたら、やはり銀行側の経費としてはマイナスになるのではないかなどと思ったけれど、こうした誰でもができるけれど、思いつかず、さらには実行するにはややハードルが高い行為を形にして作品化していることに、20年ぶりに見て、改めて感心もした。

 他にも、木彫りや、照明や、比較的、身近な材料や、それほど困難でない作業だけど、無意識に他の方法はないと思われているようなオーソドックスな作業を選択していないことで、作品になっている。

 できそうでできないことが形になっているように感じた。

 

 それが作品の種類としては50以上も並んでいて、このハンドアウトの番号は、作品の制作順に並んでいるようで、数字が若いほど、より古い作品になっているのだけど、そのためいん一見、ハンドアウトでは数字の並びがアトランダムで、ちょっとわかりにくくもなっているが、そのことも含めて、作品の意味を増やしているようにも思える。

 

 コンセプチャルアートは、個人的な印象としては、かなりクールで、それは言葉を変えれば理性は動かしても感情に関わってくることは少なかったので、展覧会場に入る前は、少し構えるような思いもあった。

 だけど、展覧会場に滞在する時間が長くなるほど、その作品を、美術作品、それも現代美術の作品として成り立たせるために、作者がどれだけ考え抜いたのだろうか、といったことを想像すると、それは自分の気持ちにも届くような気がした。

 

 さらには、30年以上、作品を制作し続けた歴史の蓄積にも思いが至ると、それだけでもさらにさまざまな気持ちになれた。

 

 

 

『豊嶋康子作品集 1989-2022』

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『MOTアニュアル2023  シナジー、創造と生成のあいだ』。2023.12.2~2024.3.3。東京都現代美術館。

MOTアニュアル2023  シナジー、創造と生成のあいだ』。2023.12.2~2024.3.3。東京都現代美術館

2024年2月27日。

 それほど華々しく宣伝するわけでもないし、今回も、知っているアーティストがいるわけでもないけれど、それは、いつも私にとっては新鮮な展覧会になるので、ぜひ、行きたいと思っていて、そして、天候や健康やさまざま事情によってギリギリになってしまったのだけど、それでも妻と一緒に行けることになった。

 新橋からバスに乗って、約40分。たっぷりと時間をかけて、だけど、バス停からはすぐなので、ありがたかった。美術館の中は、会期終了間近とはいえ平日のせいか人も少なく静かだった。

 そして「MOTアニュアル」の入り口には、チラシと同じビジュアルで、「創造と生成のあいだ」というタイトルがプロジェクターのようなもので映し出されていた。

MOTアニュアル」は1999年に始まり、若手作家の作品を中心に現代美術の一側面をとらえ、問いかけや議論のはじまりを引き出すグループ展のシリーズです。19回目を迎える本展では、アーティストの想像力や手仕事による「創造」と、近年、社会的に注目を集めるNFTや人工知能、人工生命、生命科学などのありようを反映するかのように自動的に生まれる「生成」とのあいだを考察します。              (「MOTホームページ」より)

 

 ホームページには、こうした文章があり、入り口にプロジェクターによるタイトルがあって、もしかしたらテクノロジーが強調されすぎるのではないか、といった警戒心が出てしまったのは、恥ずかしながら今だに機械に弱いからかもしれない。

 

手作業

 展示室に入ると、原稿用紙を模した作品が並んでいる。

 それは、いわゆる文豪といわれる夏目漱石や、太宰治の本があって、その下に原稿用紙の「立体」がある。

 それは、最初、CG的な映像を使っているのかと思ったら、文字を針金で再現し、それに、書く順番によって高さをかえている。だから、上から見えると、文字を書いて、そこを修正して、さらに赤字が入っているのだけど、少し斜めから見たら、その文字の高さが違っていて、赤字が最も高い位置にあるのがわかる。

 それも、文豪が残した原稿用紙の文字を再現するかのように作品が制作されていた。

 

 ここで、やっとこの展覧会の企画の意図のようなものに気がつく。

 私が最初に思ったように、残された原稿をテクノロジーによって再現することも可能だと思うのだけど、おそらくは、その再現を、最後は針金を使った手作業で表現している。

 荒井美波の作品。

 そのことを知ったとき、その作品から受ける印象は、単純な感心ではなく、もう少し複雑な感覚になった。

 

本展の試みを通して、これまで対立的に捉えられがちであった「創造と生成」「アナログとデジタル」のありようを見直し、それらを超えて両者のあいだに生まれるシナジー(相乗効果)を見つめ、私たちの知覚の拡がりを問いかける場が生まれれば幸いです。

                    (「MOTホームページ」より)

 

 この文章に書いてあることのように、整えられてはいないけれど、それに近い感じが、作品を見始めて、やっとわかった。

 

テクノロジー

 他にも個人的には印象的な作品はいくつもあった。

 暗い部屋で、入り口やその中にもスタッフの方々いて、光源を所持しながらガイドをしてくれている中で、次々と形を変える光の造形があった。

 それは、動きもあって、不思議にも思えたし、単純にきれいだった。でも、それも妻が近寄って、わかったのだけど、立体が実在した上に映されている映像だった。もちろんテクノロジーがなければ、これだけ次々と複雑に変化する表現はできないはずだけど、私は、全部が光だけで造形されていると思っていたので、それが、立体があるからできるのを知った時も、やはり微妙な感覚になった。

 後藤映則の作品。

 後藤の作品は、さらには展示室だけではなく、屋外にも立体物として展示されていて、それは回転を続けることによって、変化を生み出そうとしていた。光の作品が、とてももろそうに見えたけれど、この屋外の作品は、とてもしっかりしていて、それでいて異質感もあり、そばで見てもいいけれど、美術館の中からでもガラス窓の向こうに見えて、その姿も、魅力的に思えた。

 

持ち帰れるもの

 そして、展示室の中に入った途端に大きな音を立てる作品もあった。

 バイクが2台ワイヤーで吊り下げられ、組み上げられた三角錐の形の大きめの枠があって、その頂点に向けて、引っ張り上げられている。それから、またそのバイクは下ろされて、床について、一連の動作は終わったようだ。

 最初はなんだかわからない。

 それで、近くにいた美術館のスタッフの方に聞いてみる。

 すると、本当はその展示室にも説明があったけれど、美術館の外にさっきも見た太陽光発電のパネルがあり、そこで発電された電気が、この作品のモーターに送られ、そのことによって2台のバイクが持ち上げられる。そして、一番上までいったら、少し経ってから、そのバイクが下ろされる。その時に、また発電され、その電気は作品のそばにある機械によって、スマホなどの充電ができる、という作品だった。

 私と妻は携帯もスマホも持っていないので、ちょっとうろうろしていたら、その説明を一緒に耳にはさんだ人が、充電したいと言ってくれたので、その作品の前に行き、最初は、持ち上げるための電力がたまるのを待ち、それはランプで知らせてくれるので、ボタンを押す。

 その動きはさっきと変わらないのだけど、自分が関与していると、ちょっと気持ちが違う。大きい音でゆっくりと2台のバイクが持ち上がっていく。そして、頂点に達する。スマホを持っている女性がすでに接続してくれていたので、バイクが下がっていくと、そのときにまた電気ができて、バイクは床についた。

 思ったよりも充電できたことを、その女性は教えてくれて、持ち帰ることができる作品だと感じると、何かそこで相互交流ができて、自分が電気をもらったわけではないのに、ちょっとうれしい気持ちになった。

 

映像と行為

 それから、小学生の作品もあったり、箱が動いて枠を通り過ぎるような動きが制御されているだけなのにずっと見ていられたりする作品もあった。

 

 さらに、自分の行為を撮影し、それも含めて展示してある作家もいる。

 花形槙の『still human』。

 全身タイツのようなものを装着し、目の部分に映像が映し出されるゴーグルをする。そして、そのカメラをお腹だったり、足先だったり、お尻だったりと、別の部分に装着する。そのことによって、人間ではないもののようになれるのでは、というような狙いが、冷静に図も含めて説明がしてある。

 確かに視覚は、人間にとって情報を得るのに、重要だから、どこから見るかが変われば、感覚も変わるかもと思えた。

 そして、作家は、どうやら自身でそのタイツを着て、カメラを体のさまざまな部分に装着し、それでコンビニに行ったり、熊野古道を歩いたり、公園で子どもと遊んだりを撮影し、映像として流している。

 その姿は、その狙いのクールな印象とは違って、コントのような印象だったけれど、それも含めて、とても潔い作品だと思った。テクノロジーを導入し始める時の、ぎこちなさも見事に表現されているように感じたからだ。

 

 市原えつこの作品は、造形物と映像の組み合わせだった。

 どうやら食をテーマにした作品で、会場には、その食事を形にした立体が並んでいる。それと同時に、その内容と背景を伝える映像も流れている。コロナ期は、現在でもあるのだけど、その時の飛行機内で提供される食事のことを話をしていて、それも、エコノミークラスの機内食についての「あるある」のようなことを伝えてくれている。

 それは、やはり、ちょっと笑えるような内容でもある。

 さらに、食事が立体になっている作品はあと二つ。

 それは、比較的近い未来、さらには、もっと遠い未来。

 どちらもディストピアの気配が強く、食糧が不足しているので、昆虫を食べなくてはいけなくなったり、さらに未来はもっと困窮しているから宗教的な団体が力を持っているような設定で、それも、それぞれ作家自身が、映像の中でその時代の食事のことも、ちょっとホラー映画の登場人物のように話をしている。

 悲惨な状況というのは、自分とは関係のない場所から見ていると、実は笑い話のように思えることが少なくない。この展示物の、どこか不謹慎な雰囲気はそのことも表現しているように思えた。

 

 さらには、掃除ロボットが少し装飾されて並んでいて、それは、その掃除ロボットが戦隊ヒーローもののように活躍(?)するような、それも明らかにスマホで撮影されたと思われる縦長の画面で展開される作品もあった。それもバカバカしいと思いながらも、とても短いストーリーを10本以上続いているから、その前に小さいイスもあるので、そこに座って、つい見てしまう。

 そして、自分自身は所持したこともないのに、これだけある意味では「安っぽい」(失礼。それに、この完成度を上げないのは意図的だと思われるけれど)映像を通してでも、そこに登場する掃除ロボットを擬人化してみることができるのに気がつく。

 それは人間の感情の柔軟さのようなものだと思った。

 菅野創+加藤明洋+綿貫岳海。その3人のユニットによる作品。複数で展示物を制作する、というのも、これから増えていくスタイルのように感じた。

 

おしゃれ

 展示の最後の作品は、油彩だった。

 それもいわゆるホワイトキューブのような展示室にして、そこに何枚かの作品がゆったりと並んでいるから、それぞれの絵画をじっくりと見ることもできる。

 絵画、というとても古くから続く、そして、行き詰まったとか、終わったとか、言われながらも、ずっと制作され続けてきた表現だけど、ここにある作品は、新しい感じがする。

 スライム状の半液体のような物体が、人間の顔にからみつくようにあって、でもそのことを絵画の中の女性は不快に思っていないような、どちらも溶け込んでいるような気配。

 絵の完成度は高く、なんだかカッコよくオシャレに見えて、それで、作者は20代で、今年(2024年)に東京藝術大学の大学院を修了予定で、すでにこれだけの作品を制作し、この感じは、広く受け入れられそうで、見ていて気持ちよかったけれど、この作家のプロフィールのことを思うと、なんだかうらやましくて、ざわざわした。そういうことは意図されていないと思うのだけど、そういう自分の気持ちの揺れも、なんだか面白かった。

 友沢こたお。

 しかも、こうしたアーティストネームをつけるところに余裕も感じて、さらにじわじわした気持ちになったけれど、でも、その作品は確実に、少し未来に思えた。

 

 展示会場では、他にも、スマホなどを使って、仮想空間での展示などを試みている作品もあって、それについては、私も妻も持っていなくて十分に楽しめなかったと思うが、ただのテクノロジーの最先端を紹介する、というよりは、そういう生成AIなどが登場してしまった現代に、人間の作家がどうやって作品を制作していくか?という「人間のこころみ」を見せてもらったような気がした。

 それは直接比べるものではないとは思うが、写真機が本格的に実用化された後、絵画をどうするのか?ということを試行錯誤した「印象派」のあり方と、少なくとも相似形ではあると思った。

 

 

シナジー、創造と生成のあいだ』展覧会 図録

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 現代アートとは何か』  小崎哲哉

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書籍 『ヘンな日本美術史』 山口晃

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『ヘンな日本美術史』 山口晃

 

 この本は、カルチャースクールで話された内容をもとにしているというが、そこに出てくる作品や、作者たちが、それこそ「日本のふるい絵」であり、「昔の絵描き」であるにも関わらず、その距離感がとても近い。

 というよりも、作品としては現存している限りは、あくまでも「現役の絵」であり、まるで「現役のアーティスト」として、著者の山口は書いているように思えてくる。

 例えば、誰でも一度は教科書などで見たことがあるはずの「鳥獣戯画」について、著者は「上手さ」が目についてしまって好きではなかったという正直な感想から、実物を見て、その印象までが変わったという話から始まる。

鳥獣戯画」の一番の面白さというのがどこにあるのかと云えば、それは構成の妙でしょう。甲乙丙丁の四巻一揃いで見る事により、現実と空想が混じり合う、この独特の世界を堪能する事ができます。

 最近は否定されているが、日本のマンガの始まりなどと言われている「鳥獣戯画」が、そういう面白さを持っていることも知らなかったし、この作者として「鳥羽僧正」という名前もどこかで覚えていたのだけど、今はそれ自体が根拠が薄いものであり、それよりも、複数の人が、それも完全に同時期ではなく、最初の絵巻に、時間が経ってから、あとの作者が次の絵巻を描き足していく、というスタイルで描かれた作品ということも、初めて知った。

要するに、近代以降の絵画では前提とされている「作家性」が前に出た作品の在り方ではなく、そういうものは割とどうでもいいと考えられている訳です。これらを描いた人たちも、恐らくそんな事はどうでもよかったはずです。

 複数の人が参加していって、結果として一つの作品とされる。後から描いた人は、同じ「鳥獣戯画」と呼ばれて一括りにされるとは恐らく考えていなかったでしょう。

 こうしたことは「ふるい絵」に関してのことのはずだけれど新鮮だったし、それらを知った後では、おそらくは「鳥獣戯画」も違って見えてくるのは間違いないと思えた。

 

現代とのつながり

 著者の思考はかなり自由にあちこちとつながる、というよりは、著者本人が現役の画家であるため、その作品を通して、過去も現在も同じように考えられる、ということかもしれない、と読み進めると思えてくる。

 例えば、墨の線と塗りだけで描かれた上に、詞書、というその場面の説明として文字までもが画面の中に共存する「白描画」について、こうした論が展開されている。
 

 画面の中に空間を構成するために様々な技法を凝らすと云うよりは、意識が画面の外に出ていて、画面そのものを作り出す方に意識が行っている。言うなれば、一段上の視点から見ている訳です。

 絵を見る人の意識が画面の外とつながっていたとも言えるもので、そのように考えると(こういう言い方は嫌なのですが)、非常に現代的なものです。

 けれども、こうした方向が良い面ばかりと云うとそうでもなくて、現代は逆に外に出ようとしすぎて行き詰まっている感じもします。喩えるならば、みんながスタジアムの中で野球などのゲームをしていて、昔はそのゲームが作品として成立していました。しかしある時、誰かがスタジオから解説者がゲームを評している事をひっくるめて作品化しました。それが、サインをしただけの便器に「泉」というタイトルをつけて作品として発表したマルセル・デュシャン(一八八七〜一九六八)だったりする訳です。

 一度その方向が生まれ、皆に「やり方」が分かってしまうと、今度はその外側、さらにその外側……と、どんどん外へ外へと向かう。そうした側面が現代美術の不幸な所でもありまして、そのうちにこれ以上行く所がなくなり、みんな地球の裏側により集まらざるを得なくなって、そこで窒息死するのではないかと私などは踏んでいる訳です。

 その点、白描画絵巻と云うのは、一方で画面の外の視点を獲得しながらも、中側の視点でも新たな領域へ踏み込んでいる。それが詞書と云うものです。この詞書があることによって、全く違う次元の空間が立ち現れてくるのです。(中略)

 文字情報を入れたいだけだったら、文字の部分だけ隣にでも貼り付ければいい訳です。

 にもかかわらず、文字を絵に取り込み、さらに行くと文字で絵を描いてしまう。

 こうして著者の思考は、「白描画」を起点として、何百年もの時間を行ったり来たりしているが、様々な異論がすぐに出てくるのは予想がつくものの、この引用部分の中の「現代美術」の「外へ外へ」という指摘は、現代美術が好きで見ている人間にとっても、納得がいく指摘だった。

 

表現の本質

 さらには、さまざまな作品を語り、そこから少し逸れているようにも思えながらも、やはり、「表現の本質」に関するような言葉も、この書籍の中に、ごく自然にあちこちに散りばめられている。

 

 例えば肖像画について。

 手間を一〇掛けられるとして、それを満遍なくやろうとすると、その絵は全体の完成度が五くらいにしかならない。同じ一〇の手間のうち、顔に八を掛けてその他の部分は残り二でどうにかしたものの方が、完成度は七、八と上がってくるのです。

 極論してしまえば人物像は、顔、そして余力があれば手を描けば何とかなります。

 

 また、美術教育に関して。

普段絵をあまり描かれない方に接すると、「上手く描けないから」と自分の絵が下手である事を恥じている一方で、少し絵をかじっているくらいの人の「小上手い」絵を絶賛していらっしゃるのを見かけます。それを見るにつけ、私はこの国の美術教育は間違っているのではないかと心底思います。

 実はこうした中途半端な「上手さ」と云うのは、プロから見れば一番どうしようもないもので、それならば下手さを受け容れて好きに描いていた方が余程マシです(もちろん、技術的に途上であることがいけないと申しているのではありません)

 日本の美術教育はせいぜい中学までで、高校へ行くともう選択制で、大人で学ぶ人はほとんどいません。

 ですから、ある中途半端な部分だけを教え込まれる。もう少しトータルで、社会的な教養にしていかないと、絵と云うのは多くの人にトラウマとしてか残らない物になってしまって、こんなすごい宝があるのに気付かないことになってしまう訳です。それは非常に勿体ない事です。

 

 そして、「洛中洛外図」などの俯瞰図に関して、自らも画家であるからこその言葉をつづっている。

これはどこかから見たままを描いた絵ではあり得ません。様々な視点から見える風景を飲み込んだ上で、それらを合成して描いた「地図」なのです。地図と云うのは、見なければ作る事ができないものではありません。 

 絵描きは基本的に嘘つきです。ただ、その嘘は観た人の心の中にこそ、「本当」が焦点を結ぶように事実を調整した結果なのです。どれくらい上手に嘘をつくか、嘘をつく事で自分の描きたいものをどれだけ表現できるかと云う事を追求している。

 それを現実の風景だとして、どこから見たものなのかを追求することは、私には余り意味のあることだとは思えません。(中略)今でもたまにテレビ番組で、ヘリコプターまで出して「天橋立図」は」どこから見たものなのか?と云ったものをやりますが、あれも私に言わせればヘリコプターに乗りたいだけなのではないかと……まあ、この辺で止めておきましょう。 

 

 さらに「新しさ」について。

 全く新しいことをやろうとすると、むしろ古さの方に取り込まれてしまう事が多い。これまでと全く異なる事と云うのは、比較する対象がありませんから、それを見た人は、既存の古いものの類型として判断せざるを得ないからです。

 それが悪いとは申しませんが、見る側と云うのは、自分のそれまでの経験に当てはめてしまう事が多いですから、そうなると無理やり「これは、あれの二番煎じだね」と云うような解釈をされてしまいます。

 その一方で、新しさを装った古さというのもある。ハリウッド映画などがその典型です。彼らは目先の「新し薬」をちょっと付けて、本当に古くさい、百年も前から同じ事をやっている。でも、多くの人がそれに手もなく飛び付いてしまうのは、それが必要とされていると云う所もあるのでしょう。

 ですから、新しさと云うものを分かるのは非常に難しい。インターネットなんかも最初に出てきた頃は、多くの人はその新しさが分かりませんでした。

 

後の時代に名を残す人などが、若い頃には誰々の真似だと言われたり、できそこないなどと言われたりする事は結構あって、やはりそれらも新しさ故なのですが、その新しさが発見されるまでには時間が掛かる事が多いのです。

 

 そして、「画家の思い」について。

そもそも、美しい絵を描こうと意識した瞬間に、その絵の到達点はぐんと低くなってしまいます。基本的に描く人間は絵の向こう側を思いながら描かなければ、まともな絵は描けません。

 描く前には、物凄い到達点が見えていて、そこに行きたいと思って描くのですけれどもーーそして描いている時には、そこに到達できそうだと思っているのですけれどもーー自分の技量や画材の不足などの原因で大抵はその遥か手前で終わります。

 描き終わってみれば、もうこのマイナス部分しか見えなくて、俺はまだまだなどと思ったりするのです。北斎にして「天があと十年、いや五年、命を永らえさせてくれれば、本物の画工となれただろう」と言ったと云うのは別に謙遜ではなく、描いている人間なら誰しもこう思っているはずです。

 

 日本の美術史に残るさまざまな作品や作者についてだけでなく、こうした「表現の本質」に関わる思考まで書かれているので、決して「ヘン」ではなく、むしろ「もう一つの正統」といってもいいとは思うのだけど、実作者である著者は、そうした大げさな言い方を好まないだろうから、こうしたタイトルになったと思われる。

 

 日本の美術に興味がそれほどなくても、何かしら表現に関わっている人であれば、必読の本だと思います。そして読むことで、日本美術への見方も、おそらくは変わってくるのではないかとも思っています。

「少女たちのお手紙文化1890-1940展」。2024.1.20~3.24。町田市民文学館ことばらんど。

 

2024年1月21日。

https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08Literature/tenrankai/otegami.html

(「町田市民文学館ことばらんど」)

 

かつて手紙は、人々をやわらかく結びつける大切な役割を担っていました。そこに書き込まれた手書きの文字は書き手の人柄や想いを反映し、読む人にぬくもりを感じさせます。しかしインターネットの普及にともない、一時は最も主要な通信手段であった手紙も、今ではすっかり書く機会が失われてしまいました。ところが近年、デジタル化により時間に追われるようになった生活様式への反省から、文房具や手書き文字は再び注目を集めています。また、人々の行動範囲を制限した感染症の流行が、会えない相手との心のこもった交流ができるツールとして、手紙を見直すきっかけともなりました。

          (「ことばらんど」ホームページより)

 こうしたことがあって、この企画展がおこなわれたということになっているようだけど、手紙も「少女たちの文化」としての視点で組み立てられているらしい。
 

本展では、封筒や便箋などのお手紙道具、明治期から昭和初期にかけてさかんに出版された手紙の用例集、文通の場として読者投稿欄を設けた少女雑誌、そして実際に書かれた手紙などを通して、近代日本において特に少女たちが担ってきた“お手紙文化” を振り返ります。本展を通して、人々をつないできたお手紙文化を見つめ直し、手紙を書くことの楽しさを感じていただければと思います。

          (「ことばらんど」ホームページより)

 

 展示室には、封筒や便せんが並んでいて、それは、確かに実用面から見たら、必要とは思えないような装飾があって、それは、例えば大正時代のものであっても、今でも「かわいい」と思えるものが並んでいる。

 そういうものを見ていると、確かに自分が学生時代の時も、「女子」が授業中でも小さくたたんだ手紙を届けるために何人かの手を渡っていったことがあったり、「かわいい」封筒や便せんは、やはり「女子」が中心になって購入されていたし、今も、家の中にはそうした封筒や便せんが少なくないけれど、主に妻が買っているものだった。

 だから、最初、手紙文化を「少女たちが担ってきたもの」という見立て自体に無理があるかも、と思ってしまったが、実用的な手紙は別として、特に用事があるわけでもなくて、ただコミュニケーションを目的としたような手紙のやり取りは、確かに「少女たち」それも、女学校といわれる場所にいる女子たちで盛んに行われていたようだ。

 この展覧会には、実際に当時、特定の誰かから、別の誰かに出された手紙も、名前の部分は伏せられているものの、そのまま展示されている。もう何十年も前の、それこそ、見聞したことの感想を伝えている、いってみれば、たわいもない内容なのだろうけれど、そこに何かしらの思いがあるのは確実で、それが、全く関係のなく、時代も違っていて、全部を読み切ったわけでもないのに、なんとなく、そこに柔らかいコミュニケーションがあるのは伝わってくるような気がした。

 自分だけが読むものではない。だけど、不特定多数ではなく、誰かに向けて書かれた文章というのは、書いた人が濃厚いそこにいるように感じるから、余計に不思議な気持ちになるのかもしれない、と思った。

 その一方で、こうした手紙のやり取りをしていた女学生は、文字もきれいで、もちろん教養もあるのだろうけれど、全体の人口だと、おそらくは本当に少数の恵まれた層なのではないか、などと思ったのは、展示室に並んでいる「かわいい」手紙の道具は、おそらく、いわゆる茶封筒や、真っ直ぐにラインだけがあるシンプルな便せんよりは高額なはずで、そうした商品を日常的に使えるとなれば、やはり限られた人たちなのではないか、とも思っていた。

 ただ、文化というのは、そういうものでもあることを、再認識もできた。

 

竹久夢二中原淳一

 手紙の道具だけではなく、手紙にまつわる雑誌なども展示されていて、その中で、目をひいたのが、竹久夢二中原淳一の作品だった。

 竹久夢二は、独特の美人画で知られる大正ロマンの頃の画家であり、詩人であり、デザイナーでもある存在だった。一方、中原淳一は、戦後に、それこそ「少女たち」に夢を与えた存在で、考えたらどこかで竹久夢二と印象も似ているかもしれない。

 どちらの作家の描く女性や、少女たちは、今見ても「かわいい」し、こうした顔の現代のアイドルもいそうで、すでに大正の時代から、こうした価値観は確立していたのかと感心

するような気持ちにもなる。

 もちろん、それは個人的な印象に過ぎないから、人によってはすでに古いものかもしれないけれど、それでも、ある時期の「少女」(女性だけではないかもしれない)といわれるような人たちであれば、普遍的に憧れるデザインがあるのかも、と思えるくらい、竹久夢二中原淳一の描く「女性」は、それほど知らない人間が見ても、魅力的に見えた。

 特に夢二は、正式に美術教育を受けたこともないはずだから、独学で、こうした作品を生み出し続けたのは、やっぱりすごいのではないかと改めて思った。

 

ラブレター

 他にも、夏目漱石や、小川糸など、明治から現代まで、手紙を題材としている文学の紹介があったり、思った以上に広い分野のことについて展示がある。

 だから、あまり手紙を書かなくなった、と言われても、手紙という存在が、想像以上にどこか特別なものであるのはわかる。ただ、今後、本当に手紙を書く習慣が絶滅に近い状態になったとしたら、こうした展示自体が、そのときの鑑賞者にとっては、エジプトの遺物を見るような、そんな博物館に近い印象になるのかもしれなくて、そうなると、家にある手紙自体が、歴史的な存在になるかも、といった本筋とは関係のないことを思ったりもした。

 そうして、具体的な手紙として本人の名前も出ていた手紙があったのは、町田出身の詩人 八木重吉のものだった。

 それも、説明によると、家庭教師をしていた女学生が好きになってしまい、そのあとに、いわゆる遠距離恋愛になったような時期もあったのだけど、そうしたときに書かれた手紙もガラスケースの中に並んでいた。八木重吉が、のちに結婚する相手である島田とみにあてて出されたものだった。失礼ながら、八木重吉という人を知らなかった。

 男性が書くにしては、当時でも「かわいい」便せんを使用していたし、その文字も達筆といった硬さがあるのではなく、どちらかといえば、もっと柔らかい書き方をしているし、その改行も比較的自由だったのだけど、それはどうやら、若い女性である、手紙の相手が気に入ってくれるように、あちこちに細心の注意と、とても熱量の高い好意がこもっているのが、全部を読んだわけでもないのだけど、伝わってくるようだった。

 とにかく好きでたまらない。

 手書きの文字。自分で選んだ手紙の道具。そうしたことも含めて、そういう思いが、まだそこにあるようだった。

 すごいラブレターだと思った。

 

https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08Literature/yukari-sakka/50on/yagijyukichi.html

(町田市ホームページ)

 

1922年に島田とみと結婚。この頃から詩作に専念し、1925年には第1詩集『秋の瞳』を刊行した。これが縁で「詩之家」や「日本詩人」などに作品を発表したが、29歳の若さで病死。没後、生前自選の詩集『貧しき信徒』が、再従兄の作家・加藤武雄の尽力で出版された。1927年10月26日、結核のため29年の生涯を閉じた。

             (町田市ホームページより)

 

 結婚してから詩作に専念する、というのも、かなり大胆な選択だと感じるが、とても好きだった相手と結婚できて、子供も生まれ、楽しかったのではないか、と勝手に思いたいのは、その結婚生活も5年で、しかも八木重吉は、29歳の若さで病死してしまう事実も観客は知るからだ。

 それでも、とみさんは、大事に手紙を保管していたから、こうして約100年経っても、見ることができる。

 ただの記録では伝わりにくい、抽象的な「思い」というようなものを、手紙という形で残されている限り、ずっと伝えてくれるから、日常的でもあるのだけど、手紙は時間を越える凄さがあるのだと思えた。

 

 

Amazon.co.jp: 永遠の詩(8) 八木重吉 (永遠の詩 8) : 八木 重吉, 井川 博年: 本

 

 

 

 

 

『切手デザイナー・貝淵純子 講演会』---『少女たちのお手紙 1890-1940 展』関連イベント。2024.1.21。町田市民文学館 ことばらんど。

 

https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08Literature/tenrankai/otegami.html

(「町田市民文学館 ことばらんど」ホームページ)

 

2024年1月21日。

 東京の町田駅から歩いて、少し不安になる頃に、「ことばらんど」があった。

 午後2時からの講演会に間に合った。

 建物の2階に上がり、会議室と思われる場所の前に机が出されていて、その前に受付けがあって、私と妻の名前を告げたら、資料と、2円切手のシートも入っていた。

 会場は、ほぼ満員だった。定員が80名のはずだったから、70人ほどはいると思った。

 ここに来るまで汗をかいていたので、1階のトイレに行って着替えたら、戻ってきたときは、すでに講師が会場に来ていた。

 穏やかな気配の人だと思った。

 会場の前の壁面に映像を映して、話が始まる。

 

 切手デザイナー、という存在は、普段は意識もしていないし、そうした仕事があることも、なんとなくうっすらと意識する程度で、どんな人がしているかも知らない。

 改めて、いろいろなデザインの切手があって、中には、知らないうちに発売されて、いつの間にか売り切れていて、できたら欲しかった、といった気持ちになるような切手もあった。

 そして、切手デザイナーという存在は、今は日本郵便という会社に所属するおそらくは会社員で、現在は7人いること。さらには、その人によって、そのデザインに個性があること。そういうことも初めて知った。

 

竹久夢二

 さらには、講師である貝渕純子氏が、デザインをした竹久夢二の切手についての具体的な話題になった。

 

https://www.post.japanpost.jp/kitte/collection/archive/2021/0201_01/

竹久夢二 のデザインをモチーフとした切手)

 

 2022年に発売された切手は、見た記憶はなかったが、一目見ても魅力的で欲しいと思えるものだった。

 それが現実に販売されるまでの、デザインの案を提出するところから、その案をどうやって組織の中で通していくか、といったような話も聞き、そういう場面は誰でも経験があるのだろうけれど、私も、過去の印象を思い出した。決定権があって、状況に詳しくないのに、売り上げは望めるのか?を繰り返す、無責任な中年男性のことを、今、貝渕氏が話をしている人とは関係ないのに、勝手に重ねて、微妙に嫌な気持ちになってしまった。

 

 それでも、貝渕氏はさまざまな努力や工夫や、周囲の協力を得て、販売までを実現させた。

 その中でも、かなり細長い切手があって、それが魅力になっているのだけど、こうした形のものは前例がないため、そのデザインを了承してもらうためにも、さまざまな工夫をしていた、という話を聞き、私のようにただ嫌な気持ちになるだけではなく、実現させるための具体的な対策をきちんと粘り強くしているようで、それにも凄さを感じた。

 

「切手デザイナー」という仕事

 切手デザイナーの作品は、それでも多くの人が見る。さらに切手として手にとって、デザインが工夫されていたものだったら、手紙を出す相手のことを考えて、使うことが多い。

 しかも、昔は、記念切手を集めることが趣味として成立していて、販売価格よりもかなり高価で、売買されていた時代もあった。

 これから先、郵便物が少なくなったら、また意味合いが変わってくるかもしれないけれど、それでも、切手のデザインというのは身近でありながら特別な印象は、ずっと変わらない。そして、場合によっては、特定の切手と思い出が結びつくことさえある。

 だから、特別な仕事というイメージがある。

 

 切手デザイナーという仕事は、現時点では、専門職として日本郵便に雇用され、それも、いつも募集があるわけでもなく、最近だと、ほぼ1人採用に対して200名の応募があるということだったので、やはり、切手デザイナー、という仕事自体が、会社員でありながら(雇用形態は、詳しくわかりませんでしたが)選ばれた存在であるのは間違いなかった。

 やはり、切手デザイナーは、その仕事自体が表に出ていて大勢の人に見守られていて(時に見張られるかもしれないけれど)、なじみがありながら、現時点では7人という、ごく一部の人が行なっている特別な仕事だという印象になり、そうした仕事をしているのは、もちろん外からは分からない大変さもあるに違いないのだけど、やはり、ちょっとうらやましかった。

 講演会の最後は、講師の方が、私物の中からプレゼントを用意してくれて、自分自身がデザインした2円切手のシートを入れてくれたカードに番号が書いてあり、その番号を読み上げて、当たった人に手渡す、という時間で締めくくられた。

「いらないかもしれないので、もし必要ない方はそっと置いていってください

」。

 

 講師の貝渕氏は、そうした言葉を繰り返していたが、こうして、無料で聴きに来ている聴衆にまで気を配ってもらったことは、わかった。

 切手を見る目が、おそらくちょっと変わる。それをデザインした人の存在を、少し強めに意識するようになると思う。

 穏やかで、興味深い時間だった。

 

 


 

 

(書籍 「切手デザイナーの仕事」)

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「動物園にて」。2023.11.16~2024.1.8。東京都美術館。

 

2024年1月7日。

 動物園をテーマにした展覧会は、初めてかもしれない。

 それも、国内最大規模の上野動物園が、本当に目と鼻の先にあるこの美術館で行うことには、それだけで、そこに意味が一つ加わる。

 

https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_collection.html

東京都美術館「動物園にて」)

 

 現在「動物園」(Zoological Garden)という名で親しまれる様々な動物を飼育・公開展示する施設は、18世紀末のヨーロッパで誕生し、日本では、明治15(1882)年、上野の地に最初の「動物園」が開園しました。以来、各地に次々と開かれた「動物園」は、時代とともにそのあり方を少しずつ変えながら、現在も数多くの来園者たちを招き入れ続けています。
本展では、主に東京都美術館に隣接する上野動物園という日本最古の「動物園」に焦点を当てながら、東京都立の美術館・博物館、またその他の施設や個人等が保管する、「動物園」に関わる作品・資料を展示します。

                      

                       (「東京都美術館」ホームページより)

 

 確かに資料的なものが多く、それはとても貴重なものなのはわかる。

 

 そうした展示物の中で、個人的に最も印象に残ったのは、動物園のゾウのいる場所の前での家族写真だった。それも、どうやら広く呼びかけたらしいので、モノクロの写真も、カラーの写真も混ざっていて、だから、かなりの年月の間に、そこで撮影された様々な家族の方々の写真がスライドで次々と移り変わっていく。

 

 動物園が、家族と相性のいい場所でもあって、それは、ただ動物を見にいくところでもないことが、その写真たちを見ていると、よくわかるような気がした。

 

 

 

 

amzn.to

『いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間』。2023.11.16~2024.1.8。東京都美術館。

『いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間』。2023.11.16~2024.1.8。東京都美術館

2024年1月7日。

https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_uenoartistproject.html

東京都美術館

 

 展覧会の最初の部屋には「きのこ」の絵が並んでいた。

 小林路子の作品。

 それも、その生えている場所の枯葉や、植物なども含めて描きこんでいる。少しでもよく見ると、林や森などには、枯れ葉がそのままに放置されていると、前年の冬ではなく、もしかしたら、何年か前の枯れ葉もそこに混じっているのではないか、と思えるほどの描きわけがされているように見えて、きのこだけではなくて、そこにある全てを描こうとしているのは、伝わってきたような気がした。

 会場内の説明文などによると、以前は心象的(シュール)な絵を描いていて、写実的なものを描こうと思った時に、きのこに偶然出会ったということだった。それが、プロフィールによると、1980年代だからそれから30年以上、きのこを描いてきたのだと思う。

 写真が登場して、もう200年近く経つのだから、こうした作品も写真を撮影すればいいのではないか、という見方もできるのだけど、こうした作品を見ているときは、どれだけ写術的であっても、その作者の視点のようなものをどこかで意識するような気もするのは、その切り取った場面も含めて、作者が見た風景をそのまま描いているからだと思う。

 

 そして、この作品のそれぞれに作家自身のコメントがある。

 例えば、「ドクツルタケ」

全身純白の致命的猛毒きのこ。味も良いというのがおそろしい。欧米では〝死の天使〟と呼ばれている。だが、食べさえしなければただのきのこ。緑の苔に立つ姿は清楚で美しい。夏〜秋、平地から高山までいろいろな林に普通に発生する。

 

「タマゴタケ」。

赤いきのこは毒、という迷信のため敬遠されていたが、食べられると知られて人気が出た。赤くても食用になるきのこもあれば、赤い猛毒きのこもある。色だけでは食・毒の区別はできない。夏〜秋、林内地上に発生。

 

 こうしたキャプションが、展示室に並んでいる作品全てにあり、その文章の距離感が長年、きのこを描き続けていて、とても親しみを持っているけれど、でも、その特徴や魅力を知らない人にも伝えるための距離感を持っている読みやすい文章だった。

 それは、絵画にも共通することだろうとも思った。

 

バードカービング

 きのこの背後には、鳥の姿があった。

 内山春雄。バードカービング

 それは、やっぱり飛び立ちそうにも見え、その周囲の石や岩なども含んで、再現度が高く、FRPで型抜きをして、そこに採食しているから、その塊としての一体感も高く、人の目の高さより少し低い高さになるように台に設置してあり、そこには白線があって、これから先は立ち入らないでください、という印にもなっているのだけど、その作品を見ていて、そこについ近づいてしまって、スタッフに注意されている人が何人もいたけれど、それも仕方がないと思えた。

 ライチョウ。冬と夏の両方の姿が作品になっている。

 

 そこから、別の展示室に歩くと、アホウドリや、トキやヤンバルクイナといった珍しい鳥がいたし、大きさもあると、重さまで伝わってくるようだった。おそらくはクロツラヘラサギや、ナベヅルといった名前は初めて聞くような鳥たちも、実物大で制作されているはずだから、その大きさと、意志の疎通が難しそうな目つきも含めて、ちょっと怖く感じるのは、鳥類は恐竜の子孫といった情報が、その気持ちに関係しているのかもしれない。

 後半には、内山の作品でタッチカービングで、今度はカラスやスズメなど、普段から目にしている鳥が作品化され、色が塗られていないのは、目が見えない人たちから触らせてほしい、という要望に応えるためで、その細やかな凹凸は、初めて触った。

 

植物

 きのこの作品と比べると、やや素朴な技術で描かれたような植物が並んでいる。

 それは、辻永(つじひさし)の作品だった。

 明治生まれの辻が、墨といったものではなくて、油彩で描いたことが、その頃は、おそらく新しいことなのだと思う。

 草花という身近なものを写生する、ということに、大きい歴史的なテーマではなく、日常的な描くといった狙いがあるようだった。

 年月が経つほどに、素人の鑑賞者でも技術が上がっているように見えるが、草花への愛情のようなものは、勝手ながらそれほど感じられなかったものの、おそらく、こうした試みの蓄積があってこそ、今回のような展覧会の成立があることを考えると、この辻永の作品の意味は、観客が思った以上に大きいのかもしれない。

 ただ、何しろ明治時代から、昭和の戦前から戦後まで50年以上、草花を描き続けたことは、すごいことだと素直に思う。

 

馬、ゴリラ、牛

 馬の写真は、今井壽惠が撮影している。

 それもサラブレッドだから、競馬という人間との、もしくは階層も関係している風景がそこに広がっている。

 美しい作品だった。

 ゴリラの絵を描き続けているのは、阿部知暁で、これだけごつい体を持つゴリラの目はとても穏やかで、かわいいといっていいような作品になっている。

 それは、40年近くゴリラと関わってきた成果と、作家本人も考えているようだった。

 

 そして、牛、それも家畜としての牛を描いているのが冨田美穂で、今回の6人の作家の中では、1979年で最も若く、その作家が描く牛は、思った以上に静かに、でも強く伝わってくる作品だった。

 最初は、木版画と分からなかったのだけど、その牛は耳に番号がぶら下がっていて、それは家畜という人間が飼っていることを表している。プロフィールによると、大学2年で初めて酪農のアルバイトをして、牛を初めて間近で見てから、20年近く、牛を描き続けている、という。

 しかも、酪農の仕事をしながら、ずっと描いている、というエピソードが納得いくように、とても尊重して描きながらも、ベッタリと近づきすぎたり、まして擬人化することもなく、とても正確に描いていて、実在感があった。

 個人的には、この牛の作品を見て、来てよかったと素直に思えた。

 

 

 

『きのこの絵本』 小林路子

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