2024年6月1日。
https://www.wako-art.jp/exhibitions/ifimustdieyoumustlive/
そういう詩が存在することを、この展覧会で初めて知った。
だけど、やはり行こうと考え直し、六本木に向かい、ビルの階段を上がり会場に入ると、思った以上に人が多く、だけど、静かな空間だった。
本展では、フィシュの新作を含む彫刻作品やドローイング、ムスアブ・アブートーハ(1992〜)の詩、画家 スライマーン・マンスール(1947〜)の版画、ガザのためにアーティストたちが制作したポスター(Posters for Gaza)を中心に紹介。 また、長年フィシュと親交があり、今回の企画の意図に賛同した奈良美智(1959〜)の新作も展示される。
(『美術手帖』サイトより)
どうしても奈良美智の作品がすぐに目に入ってしまうのは、これまで見てきた作家だから、というのもあるけれど、このギャラリーのそれほど広くない空間には、ポスターがあり、版画があり、ドローイングも、絵画もある。
パレスチナ出身のアーティストや詩人に関しては、失礼かもしれないけれど、ほぼ知らなかった。もしかしたら、ガザ侵攻がなければ、こうした作品に触れることもなかったかもしれない。
作品も、静かで、でも力も感じて、さらにいろいろなことを思ったのは、その背景を考えてしまうからで、こうした大きな出来事に対して、自分は何もできないし、していない、といった後ろめたさもあったけれど、その会場にある詩や言葉は、ただ、他の場所で読むよりも、こうして作品に囲まれている中で接したことで、知らない人であるのに、そこで話されているように感じるから、しばらく自分の中に残るような気がする。
何かを言えない。
そんな気持ちになるが、いったん出て、他のギャラリーを見てから、再び、この空間に来る。少しとどまる。
整えられたハンドアウトもありがたくいただく。そこには言葉があった。
ギャラリーにあった本も読んでみようと思った。自分は、本当に何も知らないことを知る。
(『ホロコーストからガザへ』 サラ・ロイ)