このところ、アートを見る機会が、ほぼなくなってしまいました。
今の状況では、仕方がないとも思いますが、この20年以上、特に辛い時など、気持ちを支えてもらってきた事実も変わらないと思っています。そして、今振り返ると、ありがたい気持ちにもなります。
実際に、直接、アートに触れることがほぼできなくなってしまった、この機会に、ここまで見てきた展覧会、個展、本、作品などのことを、少しずつ、書いて、伝えてみたいと、思うようにもなりました。
最初は、それまでアートにほぼ興味がなかった人間が、どうやってアートを見るようになった話から書いてみたいと思います。
昔は、美術やアートと呼ばれるものに、ほぼ興味が持てなかった。
学生の授業の時も面倒くさくて、美術が好きではなかった。
美術にまつわることも、好きではなかったと思う。
高校の時、隣のバス停から乗ってくる女子が、肩かけのカバンを頭にかけて後へたなびかせていた。頭にみぞがある、といわれるくらい、そのカバンはズレなかった。その子は演劇部だった。美術とは違うのだろうけど、自分の中では一緒で、バスの窓から走る姿が見えるたびに、不思議な気持ちになっていた。
大学の時、美大系のサッカー部と試合をしたことがある。約30年前なのに11人の選手のうち、2人もモヒカン刈り(ハードバージョン)だった。あまり近くに寄りたくないのに、マークすべき選手がそのうちの一人だった。彼はチームの中では上手いのにヘディングをしない。そのぶん守っていて楽だった。
社会人になって、スポーツのことを書く仕事を始めた。
「芸術的なプレー」という表現に、「なんで、芸術の方が上みたいな書き方をするんだ?」などと軽い反感を憶えていた。
1990年代「トゥナイト2」という深夜番組があった。とても軽いタッチの深夜番組。そこで、イベント紹介があった。「TOKYO POP」。その展覧会は神奈川県の平塚でやっていることを知った。わずかに映る場面はちょっと魅力的だけど、都内からは遠い。でも、妻が行きたがった。
出かけて、良かった。
身近な印象の作品も多かったが、それが逆にリアルで、いいと思えた。
これまで、ひたすら自分と関係ないと思っていたアートの方から、初めてこちらに近づいてきたように思った。
30代になって、初めて、アートが面白いと思った。
それまでの遠ざける感じから見たら、調子がいいとは思うのだけど、それから、アートは自分にとって必要なものの一つになった。
それが1996年のことだった。
気がついたら、美術館やギャラリーに、作品を見るために、出かけるようになっていった。自分にとって、ウソのない作品が見たいと思っていた。辛い時ほど、触れたくなった。気持ちを支えてくるものになっていた。週1レベルだから、たいした数ではないかもしれないけれど、気がついたら、20年以上の時間がたち、何百カ所は行ったと思う。
今回の機会に、これまでの記録を少しずつ、お伝えしていきたいと思っています。
(右側のカテゴリーは、
「展覧会の開催年」
「作家名」
「展覧会名」
「会場名」
「イベントの種類」
「書籍」
の順番で並んでいます。
縦に長くなり、お手数ですが、
そうした項目の中で、ご興味があることを
探していただけると、ありがたく思います)。