アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

『能登とartists 能登とともにある、アーティストの思考と行動』。2026.3.7~4.2。そごう美術館。

2026年3月12日

 仕事の帰りに、横浜に寄った。

 

 能登がテーマだった。

 それは、2024年1月1日に起こった能登半島地震に関する作品だった。

 同時に、当たり前だけど、能登という場所や歴史に関する作品でもあって、さらに、能登に関係するアーティストたちの作品が並んでいた。

 

 https://sogo-museum.jp/exhibitions/details.jsp?id=1812

                            (「そごう美術館」)

 2024年1月1日の能登半島地震から2年が経った。能登の復興は進んでいるとはまだ言い難い。その一方で、能登へ思いを寄せる人たちが能登を訪れ、それぞれに活動し始めている。静かだった能登に多様な人たちが集まり、能登の人たちとともに誰も想像していなかった未来へ向かおうとしている。本展には、能登の「これから」に希望を抱き、一歩ずつ復興へと進んでいくことへの願いを込めた。

 本展を構成するのは、石川に暮らす10組に、石川出身の前本彰子を加えた11組のアーティストたちである。いずれも能登で活動する作家、能登への思いを作品にする作家たちである。なかには自宅が倒壊し、住む家を失った作家もいる。展示する作品のなかには、被災し、もとの形ではなくなった作品もある。しかし、アーティストたちはそこに意味を見出し、新たな作品として再構築する。そうしたアーティストたちの思考と行動が、能登の復興への大きな力となるのではないだろうか。能登への思いをつくること、そして多くの方に本展を見ていただき、感じることへと繋いでいきたい。それぞれのアーティストたちとともに、能登復興へ思いを改めて寄せていただけたら嬉しい。

                         (『そごう美術館』より)

 

 とても広がりがあったし、失礼ながら知らない作家も多かったのに、意外性や美しさも感じ、思った以上に充実した展示だった。

 それぞれの展示室に、ハンドアウトがあり、その説明もしっかりしているので、作品のいろいろなものが面が、さらに見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たち』。2026.1.21~3.29。東京オペラシティーアートギャラリー)

2026年2月12日。

 自分が無知なだけだと思うけれど、20年以上、現代美術の作品を、あちこちで細々と見てきていたが、アルフレド・ジャーという名前を聞いたことがなかった。

https://www.operacity.jp/ag/exh294/j/introduction.php

(『東京オペラシティーアートギャラリー』)

 

1956年にチリのサンティアゴに生まれたアルフレド・ジャーは、建築と映像制作を学んだのち1982年に渡米、以後ニューヨークを拠点として国際的に活躍する作家です。1980年代にニューヨークの都市空間へ介入する作品《Rushes》(1986)や《アメリカのためのロゴ》(1987)によって注目を集め、1986年のヴェネチア・ビエンナーレ、1987年のドクメンタ両方に招待された初のラテンアメリカ出身の作家となりました。以降、現在にいたるまで、社会の不均衡や世界各地で起きる地政学的な出来事に対する繊細な視点と真摯な調査にもとづく作品で知られています。その作品は写真、映像、建築的なスケールの立体作品と多様なメディアにわたり、身体的体験をともなうインスタレーションが特徴です。

(『オペラシティー・アートギャラリー』より)

 アルフレド・ジャーは、チリ出身でアメリカに渡り、ニューヨークを拠点として活躍をしている。1980年代後半にすでに活躍を始めていたのだから、それほど情報に強くない鑑賞者であっても、知っておいておかしくはなかったのだけど、ラテンアメリカ出身ということで、第2次世界大戦後は、アメリカがアートの中心になっていたので、同じアメリカであってもUSAではないから、周辺の作家ということで、日本にはあまり紹介されていなかった可能性もある。とにかく、そうした最低限の情報だけで、展覧会場に入る。

アメリカのためのロゴ

 部屋に入ってすぐに、チラシでも見た、消火器の上に地球儀が乗っている立体作品がある。とてもオーソドックスで、オールドでもある感じがしてしまったが、使われている消火器も、地球儀も、いわゆるヴィンテージで、かっこよく見える。そのそばには、「OTHER PEOPLE THINK」と書かれた黒地に白の文字が浮かび上がるライトボックスが壁に掲げてある。

 さらに、何枚かの写真で構成された「アメリカのためのロゴ」(1987)
では、同じ場所(タイムズスクエア)の電光掲示板で映し出された映像を撮影したものだった。それは、一見しただけだと、「これはアメリカではない」という英文字だけが印象に残るが、ハンドアウトなどを見ると、その意味がよりわかる。

アメリカ、と聞くと、その国の影響が強すぎる日本という国にいるせいか、どうしてもUSAとイコールのような気持ちになる。だけど、当たり前だけど、アメリカ大陸は、南北に伸びていて、アルフレド・ジャーの出身地であるチリもアメリカ大陸にある。

 それなのに、特にUSA自体が、アメリカ=USAと捉えすぎていないか、というメッセージがあるようで、その意味に気づくと、その写真の見え方、というか、その作品が少し違って見えてくる。さらには、これは、1980年代後半の作品でもあるけれど、この、アメリカのごう慢というような意味合いがあるのだから、21世紀現在のアメリカの姿を見ると、古くなっていないかもしれない、と思ってしまう。

作品と意味

 この作品の視点は、それから約40年後の「アメリカ合衆国へようこそ」(2018)にも受け継がれている。

 そこには、『TIME』誌(世界で最も有名な雑誌の一つ)の表紙が二枚、並べて飾られている。

 トランプ大統領と、有色人種である小さい女の子が向き合って、子どもは泣いている、という状況。これは、ハンドアウトによると、2018年のもので、それは、当時のアメリカ大統領であるトランプが、アメリカとメキシコの国境で、泣いているホンジュラスの少女と向き合っていて、それは「家族分離政策の残酷さを象徴するイメージとして広く知られる」ようになった、ということだった。

 恥ずかしながら、この表紙のことを知らなかったし、二枚、同じものが並べてあるだけだと思った。それでも、本当に最低限の介入をアルフレド・ジャーはおこなっているのは、近くに寄るとわかる。

 この表紙には、左上部に小さく「Welcome to America」と白い文字で見出しがあるのだけど、片方の表紙だけ、このAmericaの部分が取り消し線で消され、かわりに「the USA」と黒い文字で修正がしてある。

 これは、「アメリカのためのロゴ」と同様に、アメリカ合衆国という一つの国だけがアメリカではない、南北に伸びるアメリカ大陸全体が、アメリカ、という事実を忘れているようなことも批判している、とやはりハンドアウトにもあるのだから、トランプ大統領だけではなく、こうした表紙に「USA」ではなく、「America」と、おそらくはあまり意識しないで印刷してしまう「アメリカ合衆国」全体の意識へも向けられているのでは、と思えてくる。

 作品に込められた意味を知ると、作品の見え方が、確かにかわる。

 展示室に入って、最初に目に入った消火器の上の地球儀の作品も、そのあとの「OTHER PEOPLE THINK」にも、当たり前だけど、意味があることは、ハンドアウトを見返すと、わかってくる。

 例えば、消火器の作品は、「今は火だ」(1988)というタイトルで、それは、人種差別の現状と暴力を告発するノンフィクション小説「次は火だ」にちなんでいる。この小説で示されている倫理的な葛藤と緊張が、このアルフレド・ジャーの作品には表されている、という。

 それがわかっても、全面的に納得したり感心したり、というようなことにはならないとしても、それでも、この作品がただ、違うものを組み合わせているだけではない、ということは分かるし、その上で、この作品に選ばれた消火器も、地球儀も、美しいものではないか、という見方にもなる。

 例えば、「OTHER PEOPLE THINK」は、2012年に作曲家ジョン・ケージの生誕100周年を記念して制作された作品だった。それも、15歳のケージが書いた演説文へのオマージュで、この「OTHER PEOPLE THINK(彼らにも考えがある)」は、その中の一文で、ケージは「私たちは口をつぐんで沈黙し、他の人々が何を考えているのかを学ぶ機会を持つべきなのだ」という内容に関係がある。それは、アメリカ大陸の南米と北米との非対称性への批判でもある。

 そうしたことは、ハンドアウトなどを見て、ようやく分かることであって、ジョン・ケージは、個人的には、あの何も演奏しない《4分33秒》の作者という知識しかないけれど、あのジョン・ケージが早熟で、そうした政治的な活動もしていたこと。さらには、こうしたテーマを扱うのであれば、やはりチリ出身のアルフレド・ジャーがふさわしいかもしれない、といったことも考えた。作品を見て、その意味を知って、その繰り返しで鑑賞していくことになるから、時間はかかるし、よく見ることになるし、考える時間も必要になる。

 それは、静かだけど、かなり豊かで、鑑賞時間をたっぷり取れるのであれば、楽しい時間(という言い方も微妙だと思いながら、でも、気持ちが動くこと自体は、ここで扱われているテーマが重いといっていいものだけど、鑑賞体験として)のように思う。

社会問題と美しさ

 アルフレド・ジャーは、クーデターによって成立した独裁政権を逃れて、チリからアメリカ合衆国に移ってきた。そのことをテーマにした作品も、最初の展示室には並んでいる。

 例えば、チリの国旗が砂丘に並べられ、それが複数の写真で表現されているから、国旗が一列を組んで移動して、そして、海に向かっていく、というように見える。それは、『チリ、1981年、出国前』というタイトルが示すとおり、アルフレド・ジャーが国を離れる直前に製作している、ということを知ると、この静かな風景を写し、並べただけに見える作品からも、さびしさのようなものが伝わってくるように感じる。

 そして、それほど大きくないカレンダーも壁に展示してあり、それには『1973年9月11日(黒)』というタイトルがある。製作年は1974年とあるから、作者が18歳の時の作品になる。このカレンダーも、特に変わったところはないように見えるが、9月11日以降は、すべて、11の日付を示している。それは、クーデターによって、独裁政権が樹立されて以来、時間が止まっている、ということを表しているようだけど、それから、チリを出国するまでは7年の月日が必要だと思うと、なんとも言えない気持ちになる。

 そのあとの展示室も、社会問題を扱っている。

 1970年代にブラジル北東部で金が発見され、1980年代も、そのゴールドラッシュのような状況は続いていたのだが、そこで働く人たちの労働条件は、金が見つからない限り、とてもひどいものだった。そこに訪れたアルフレド・ジャーは、その採掘に関わる人たちを撮影し、作品にしている。それは『ゴールド・イン・ザ・モーニング』(1985)というシリーズになり、搾取によって成立している世界の不均衡を露わにしている。という。

 さらに、その次の展示室の、《エウロパ》(1994)は、第2次大戦後、ヨーロッパで最も凄惨な戦場といわれたボスニア紛争を題材にしている。こうしたことは、すべてハンドアウトなどの内容をもとにしている情報だが、それを知らなくても、何か過酷な場面が表現されているのは、分かるし、それらが印象に残るのは、写真などのレイアウトも含めて、不謹慎な言い方かもしれないが、それが美しく感じるからだ。

『作家はなぜ、誰かの不幸や世界の諍いを題材に選び、作品にするのか。それによって、何をしたいのか。なにを望むのか。

 そして次のような願いが導かれました。遠い国の災禍は他者の物語に見えかねない。しかし、同じ地球上に生きる人間である限り、私たちはそれらと無関係であるはずはなく、日常のさまざまな選択を通じて私たちは「当事者」であることを、展覧会を見終わった後に感じられるものにできないか』。

                   (『ハンドアウト』より)

 こうした文章を読むと、納得もできるけれど、でも、この展示会場で伝わってくる表現は、言葉としては不適切かもしれないが、とても品が良く感じた。そういう、どこか控えめな美しさがあったので、それが作品から静かさを感じる理由だったように、思う。

空間と作品とテクノロジー

 採掘場を撮影した『ゴールド・イン・ザ・モーニング』も、ボスニア紛争を題材とした《エウロパ》も、ただ写真を展示しているだけではなく、ライトボックスを使い、その光景の印象を強く伝えたりするだけではなく、その写真を壁際にある鏡に反射させ、しかも、ライトボックスと鏡の距離を短くすることで、全体がよく見えなくなったり、その光景を直視するためには、近寄ってのぞきこまなくてはいけなくしている。

 光景を写した写真のライトボックスが並べられている前に、大きい炎のような画像が写っているライトボックスが置かれている展示室もある。こうした、テクノロジーというには、とても素朴な方法なのだけど、作品のレイアウトによって、その空間の意味がかわってくるし、こうして、やや見にくくしていることで、同じリズムで鑑賞するわけには行かないので、単純なことだが、多少でも体を動かしながら、しかも、よく見ることになる。

 それだけで鑑賞が、少しだけだけど、体験の方へ向かっていくが、それは受動的なのではなく、作品に誘導されたとしても、鑑賞者が自分から動いていることになるから、自然と想像力のようなものを使っていると思う。現在では、巨大なスクリーンや音響、時には水をかける、といった物理的な方法を使って、没入体験をさせてくれるテクノロジーもあるのだけど、こうした人間の工夫、という範疇に収まるような方法でも、展示会場に来ないと味わえない体験を可能にできるから、改めて、展覧会というかたちにも意味があるのでは、と思えた。

サウンド・オブ・サイレンス

 さらに、《サウンド・オブ・サイレンス》(2006)という作品。事前の情報として、この作品の写真は見ていた。だけど、それは、巨大な場所に大きな箱のようなものが置いてあるだけで、そして、このタイトルだけだと、ある年代以上だとサイモン&ガーファンクル、というミュージシャンを思い出してしまうのではないか、と思えたし、作者も年代的にも、それを知っているはずだと思った。

 展示室には、小さな小屋、くらい大きさの箱がある。その背面は、無数の蛍光灯が並べられていて、まぶしくて、だけど、これだけの光が放たれている姿は、やはり非日常に見える。その前方が入り口だが、内部で作品が映写されている間は、中に入ることも出ることもできない、という注意書きがあり、さらに「日本語版」と「英語版」の両方が交互に見せられているのもわかる。

 このボックスはミニマルなつくりで、それ自体が作品のようなシャープさと美しさがあり、入り口の少し奥まった壁のようなところに横線のように輝くランプが赤の間は、入ることができない。こうしたゆるやかだけど、ここにあるルールに従わなくてはいけない、という状況は、微妙な緊張感を作り出すし、同時に、この中で行われていることが特別なのではないか、といった期待も高まる。この展示室へ到着した時は、ちょうど「英語版」を上映していたので、外で待つ。次は「日本語版」だった。

 中で何が行われているのか、映画館のように音が漏れてくることもないので、全くわからない。ランプが緑になった。中にいた人たちが、外へ出てくる。スタッフに促されて、他の観客と一緒に中へ入る。何もない空間に感じる。時間になり、そして、その瞬間に、入り口のランプは赤になっていることを想像する。これから、この作品が終わるまでは、外へ出られない。

 そこからは、前方のスクリーンに、1行ずつ、言葉が映し出されていく。

 ケヴィン・カーターという人が南アフリカで生まれたこと。そして、自分たちと同様に、決して順調とは言えない人生を送っていること。ただ兵役という今の日本では経験し難いことも義務として果たしていること。そんな人生が、短い文章の連続で、わかってくる。途中で、そのケヴィン・カーターが誰なのかがわかる。ジャーナリストになったケヴィン・カーターは、有名な一枚の写真を撮影したことで、ピューリツァー賞を受賞し名誉も手にするが、同時に、その写真によって、非難を浴び、苦しむことになる。

 そこまで語られた時、そのスクリーンには、その写真が短い時間だけ映る。1990年代を生きていた人間であれば、おそらくは誰もが一度は見た写真。

 この後のケヴィン・カーターの人生についても、かなり多くの人が知っていることだったし、そのときに、自分もそうだけど、情報が広く伝わりやすくなった現代だから、昔より起こりやすい悲劇だから、今も考えなくてはいけないことだけど、個人的には、それを思考する能力が足りないこともあって、今まで忘れていた。ただ、インターネットが発達した現在の方が、より今の課題としても重要なことではないか、と思いながら、気持ちが重くなったのは、これまでケヴィン・カーターをすっかり記憶の外に置いていたことに対する後ろめたさなのかしれなかった。

 改めて、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞を見たのだけど、このアルフレド・ジャーの作品は、この楽曲の示していることと、似ているのではないか、とも思えた。

日本とアメリカ

 展示室に大きいライトボックスが2つ向かい合うように設置されている。『明日は明日の陽が昇る』(2025)というタイトルの作品。床に置かれているものには、日本の国旗。天井から、吊り下げられ、露骨ではないけれど、明らかに圧迫感を感じるような距離で、アメリカ国旗。ただ、吊り下げられているから、床に置かれているよりは、不安定ともいえる。

 そのまま、アメリカ国旗のライトボックスを下ろしていけば、二つのライトボックスは、ピッタリと重なり合うはずだ。アメリカが上にあり、日本は下にある。とてもシンプルだけど、こういう作品で、目の前に見せられると、いろいろな意味で政治的な知識がないとしても、日本とアメリカの関係の現状について、考えてしまう。

一番奥の展示室には、《ヒロシマ、ヒロシマ》(2023)があった。そこに入ったら大きい音と、風があった。壁一面に業務用の送風機のようなものが並べられ、回転していた。それは、作品の最後の部分だった。

 しばらくたつと、そこにスクリーンが降りてきて、さらに少し経つと、映像が始まる。広島の街がドローンで撮影され、それが映し出されている。ビルが続き、川が流れ、少し遠くには海も見えて、どこかゆったりした空気感があるように思える。そして、街の上空を散歩するように映像は進んでいき、なんとなく観光の気持ちにもなっていた頃、見慣れた建造物が近づいてくるのがわかる。

 原爆ドーム。真上からのアングルでの撮影。本当に壁だけしか残っていなくて、原子力爆弾が、異常な破壊力だったことを改めて思い、さらには、原爆ドームは上から見ると楕円形なのも初めて知った。ハンドアウトによると、この作品のためにドローンでの上部からの撮影が初めて許可されたらしい。だから、この角度からの原爆ドームだけで、日本とアメリカの関係だけではなく、いろいろなことを考えていた。

あなたと私、そして世界のすべての人たち

 まだ自分自身の切実な問題として語れないし、何かを言う資格もないのかもしれないのだけど、気がついたら、戦争が地球上のあちこちで起こっている時代が続いてしまっている。だから、この展覧会のタイトル「あなたと私、そして世界のすべての人たち」という言葉が、目に止まり、その上で、よりひきつけられたように思う。

《あなたと私、そして世界のすべての人たち》(2020)

 ただ、これだけ世界に広がる作品名なのだけど、そこにあったのは、ガラスでできた、手のひらに乗るくらいの立方体が3つ並んでいて、それがガラスのケースに入っているだけだった。

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/alfredo-jaar-interview-202602

                      (『東京アートビート』)

パンデミックのあいだ、世界は約2年間にわたって静止してしまいました。その期間中に私が制作した唯一の作品が、これなのです。当時は目の前に膨大な時間がありました。そこで私は、「抽象」というものへのひとつの試みをしてみようと考えたのです。特定の紛争について語るのではなく、あらゆる対立、そして私自身を同時に内包するような、哲学的で抽象的な表現ができないだろうかと考えました。

 この作品には「あなた、私、そして他者」という3つの選択肢がありますが、どれうが誰であるかは明かしていません。ひとつは透明なキューブで、これは非常にオープンで明快な「透明なパーソナリティ」を象徴しています。ふたつ目は全面が鏡張りでなかを窺い知ることができず、外部から内面を読み解くことが困難な「内向的な人」を表しています。そして3つ目は多層的な構造を持つものです。

 私たちは誰しも、これらすべての要素を少しずつ持ち合わせているのではないでしょうか。鑑賞者はこの作品を見て、自分自身を定義することができます。これは受け手に委ねられた「開かれた作品」なのです。

                    (『Tokyo Art Beat』より)

 タイトルを知り、作品を見て、どれが私で、あなたで、すべての人たちなのだろう、みたいなことを考えて、そして、自分も、自分にとっての大事な人も、それ以外の人も、同じように地球上に存在はしているが、そのことは意識しないと忘れてしまいがちかも、などと思っていた。

 この展覧会のタイトルにもなっている作品が、もし、最後の展示室に、これだけがあって、こうした作者の言葉も、どこかにあり、ベンチなどがあったりすれば、それまでの作品の印象の振り返りなどをしながら、さらにいろいろと考えられたのかもしれない、などと思った。

 

持ち帰った作品

 入り口付近に、ポスターが重ねてあり、立方体の彫刻のように見える作品があった。それは、一人一枚、持ち帰ることを促すことが、そのそばの壁面に説明が書いてあった。それは目に入っていたのだけど、最初から、このポスターをくるくるまいて、そこにある黒いゴムで留めて持って歩くと、せっかくロッカーに荷物を入れたのに、また手がふさがるのも嫌なので、最後に持って帰ることにしていた。

 

──会場入り口の《写真はとるのではない。つくるものだ。》(2013)は、アンセル・アダムスの言葉を引用し、制作者の主体性を問いかけています。今日、イメージの制作や生成における社会的・倫理的責任をどうとらえていますか。

 今日、世界では毎日53億枚もの写真が生み出されています。それこそが、まさにこの作品が意図するところなのです。 私が伝えたかったのは、「皆さんはiPhoneで写真を撮っていますが、少し考えてみてください」というメッセージです。あらゆる画像には、世界に対する思想的な側面が内包されています。すべての画像は政治的な表明であり、シャッターを切る前に、その1枚について熟考することが重要なのです。

 この作品を展示するたび、展示物はあっという間に消えてなくなってしまいます。観客がポスターを手に取り、自宅や通りに飾ることで、メッセージが世界中に拡散されていく。画像を生み出すことに対して、人々がより自覚的で責任を持つようになるための手法なのです。

                  (『Tokyo Art Beat』より)

 家に持って帰って、しばらく丸まったまま部屋のすみにあったが、しばらく経って、妻が部屋の壁のような部分に貼ってくれた。

 75センチ四方のポスターには、英文字が並んでいる。

You do not 
take a
photograph.
You make
it.

 その意味を毎回、考えることはしないものの、その文字のあり方などで、部屋が引き締まっているように見える。これほど長く、いろいろと考えさせられるとは、思わなかった。

 

 

 

 

https://nostos.jp/archives/504070?srsltid=AfmBOorsM7tPygJe-Q9lIqBt1ZlEC9QyUIADTS3W1BQDY8_f-5a3xvRT

(『あなたと私、そして世界のすべての人たち』アルフレド・ジャー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『「死を肖像する」鄭梨愛×金セッピョル 文化人類学とアートの協働がひらく地平』。2026年1月24日-2月23日。小金井アートスポット シャトー2F。

 行ったことがない場所。

 しかも、自分の都合だけど、かなり時間がかかるギャラリー。

 それでも、行こうと思ったのは、美術の専門家だけではなく、文化人類学者が二人で企画した、ということを知ったからだった。

 

2026年2月21日。

 

 電車を乗り換えて、武蔵小金井駅で降りて、地図を見ながら、歩いて、ビルの2階にギャラリーがあった。受付で500円を支払って、ギャラリーに行く。

 スタッフは同じ階にいるけれど、ギャラリーには、他に誰もいない。

 

この展示は、アーティストの鄭梨愛と文化人類学者の金セッピョルが、「死そのもの」について共に考え、対話する過程で生まれました。

展示を企画した金は、死と葬儀をテーマに研究を進めるなかで、現代社会において死が、個人の「人生の終わり」として捉えられがちな風潮に違和感を抱いてきました。死は、そういった人間中心かつ個人化した視座だけでは捉えられないものだと考えているからです。

「私の死」に備えることや「誰かの死」を悼むことの先にある「死そのもの」に、思索を巡らせたい。

本展示は、このような意図から企画されたものです。

                      (『KOGANEI ART SPOT シャトー2F』より)

 展覧会場には、鄭梨愛が描いた祖父の絵画が並ぶ。それは、老いというものが確かに表現されているけれど、何しろ、祖父という一人の人間を、よく見て、よく描いている、というような感じがする。

 人間も、生き物で、もっと言えば物体なのだから、それをリアルに描くこともしているとは思うのだけど、人間、それも長い年月を生きた人が、それだけで描ききれないというような気配も感じる。

 

祖父の日常的な姿を淡々と描写したものから、一人の人間として祖父が生きてきた歴史の捉えようのない深さと広さに戸惑いを隠せない作品。これらの作品は身内に対する温かい愛情のみならず、命をもつ者がまた別の命をもつ者を見つめることで生まれたものです。金は、これらの作品を文化人類学の視点から、また生まれて死にゆく一人の人間としての視点から捉え直し、その過程で紡がれた言葉を寄せます。

この二人の協働を通して、「死そのもの」に向けて思考と感覚の拡張を試み、本展示では私たちの生に内在する死について考え、感覚することを目指します。

                      (『KOGANEI ART SPOT シャトー2F』より)

 

  絵画のそばには、金セッピョルが選択した文章や、詩のようなものまで、展示され、それとともに絵画作品(祖父だけではなく、おそらくは自画像や、風景のようなもの)があると、さらにいろいろと感じるような気もしてくる。

 静かに、時間が過ぎていく。だけど、なんだか少し重い時間のような気がしたのは、鑑賞者も「死」についての作品があると、覚悟しながらやってきたせいもあるから、作品を見ながら、より「死」についても、考えてもわからないことなのに、考えてしまったせいかもしれない。

 

 

 

 

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『葬いとカメラ』(金セッピョル)

 

 

 

 

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『坂知夏個展 ちゅうのしんの物語』。2026.2.6~2.28。カイカイキキギャラリー。

2026年2月28日。

 もう20年くらい前になるけれど、坂知夏(ばんちなつ)という名前と、その時に見た作品---パンツを履いたゾウが描かれている絵画—のことは覚えていた。

 だけど、もう長く(自分の情報には限界があるとしても)、その作品も見ていなかったから、若い時には作品を製作しても、年齢を重ねる途中にやめてしまったのかのしれない、と思えたのは、そういう作家は少なくないからだった。

 それが、カイカイキキギャラリーで個展をすることを知った。

 それも、長い期間、作品制作から離れていて、また作品をつくるようになった、ということだった。

 その質が高くなければ、このギャラリーには展示しないはずだと思い、そして見に行きたくなった。

 

https://gallery-kaikaikiki.com

坂知夏は2001年にカイカイキキからデビューして以来、国内外で活躍してきました。2005年にはニューヨークのマリアン・ボエスキー・ギャラリーにて個展を開催し、同年、セントラルパークで巨大なゾウの立体作品を発表。翌2006年にはテキサス州フォートワース美術館で個展が開催されるなど、アメリカを中心に数多くの大型プロジェクトを手がけてきました。

2012年頃より子育てのため制作活動を一時休止していましたが、20219月にカイカイキキギャラリーのグループ展で旧作が出展されたことをきっかけに2023年末にカイカイキキと再び接点を持ち、本格的に制作を再開します。翌年には「Taipei Dangdai 2024」にて12年ぶりとなる新作を発表。さらに続いて「ART SG 2025」、「Frieze Los Angeles 2025」、「Art Basel Hong Kong 2025」に出展し、さらに「Art Fair Tokyo 2025」では個展形式のブースを展開。高さ3m近くあるゾウの立体にライブペインティングをするなど、国際的なアートフェアで精力的に作品を発表してきました。

本展「ちゅうのしんの物語」は、坂知夏にとって復帰後初となるギャラリーでの大型個展です。新作ペインティング16点を展示予定です。ぜひ会場でご覧ください。

           (『カイカイキキギャラリー』サイトより)

 

 復帰したのが2023年。そこから実績を積み上げての個展だった。

 久しぶりに、カイカイキキギャラリーに、初めてバスに乗って向かう。

 先客は小さい子供を連れた男性。子どもの声だけが響くが、静かな空間。

 坂知夏の作品は、以前、見た時の印象と確かにつながるものがあった。かわいさ、というしかないような感覚。それでも、画面に密度が増しているように思えたし、本人にとってのうそのない成熟をすすめているような作品に見えた。

 生きていく力。のようなものも伝わってきて、個人的に、ここ数日感じていた暗さのようなものが、少しぬぐわれていくように思えた。

 来てよかった。

 

 

 

 

 

 

『知覚の大霊廟をめざして——三上晴子のインタラクティヴ・インスタレーション』。2025.12.13〜2026.3.8。ICC。

 

 つい何年か前まで知らなかった、すでに故人となっているアーティストの名前を知るようになり、それからその作家にまつわる個展にも行くようになり、そして、さらに体験型の作品も展示する個展も開かれることを知った。

https://www.ntticc.or.jp/ja/exhibitions/2025/toward-a-mausoleum-of-perception-mikami-seiko-s-Interactive-art-installations/

(『I CC』サイト)

 最近、行かなくなっていたICCで、その三上晴子の、それまであまり接することができなかった、現代にも通じるような作品が見られる、ということで、そして、体験するには追加料金のようなものは必要ではないけれど、一週間前から開始される予約をしないといけないのも分かった。

 午前11時。一週間後の予約のために、コンピュータの前に座ったけれど、なんだかあたふたしているうちに、どんどん予約がうまってしまい、いったん諦めた。それから数分後、一応、確かめたら、体験型の作品の予約は2つあって、どちらも、キャンセルが出たようで、2枠空いた。それで、なんとか予約ができた。

 

2026年2月12日。

 展覧会では、観客が存在してこそ反応するタイプの作品が4つあった。

展示室の壁いっぱいに設置されたカメラ。「欲望のコード」という作品名。

 それは、今は防犯カメラと名付けられるようになったカメラを思い起こさせる装置が、何十台も並んでいて、観客の動きを追いかけるように、一斉に動いて、機械なのだけど、こちらを見ているようい思える。

 ちょっと怖い。

 そして、その映像が近い過去のものも、現在のもものも、壁にも、床にもアトランダムに映される。それは、表立ってはいないのだけど、今の時代をかたちにしたものなのだとは思う。

 

 さらに「重力と抵抗」という大きい平面的な作品。

 その表面には、スキャンのような光の線が動いている。

 スタッフに、乗ってもいいことを促されると、自分が重力をかけていることが、視覚化される。歩くと、その重力のバランスが変わっていく。

 ちょっとジャンプもしたくなるけれど、これは、丈夫だけど精密機械だろうから、と怖くなって、できない。

 

 さらに、あと2つ、予約していた作品を、体験した。

 外部の音も聞こえず、内部の音が反響しない部屋の中にいた。

 《存在,皮膜,分断された身体》。

 そこで、光もなくなり、ただ、作者の心音が響いていく中にいる。本来は、その部屋の中にいる人間の心音を大きくする、というパターンもあったようなのだけど、長く展示されていない年月あとに、そこは復元できなかった、ということのようだった。

 ちょっと残念だったが、でも、新鮮な時間だった。

 

 《Eye-Tracking Informatics》

 自分の視線によって作用する装置。

 そのことで、線による造形のようなものを作っていくような感覚。

 ほとんど経験のない体験だった。思い出したのは、体が動かなくなった人たちが、視線を動かすことによって文章を作成し、意志を伝えることのできる装置のことだった。

 

 さらに、今回、展示されている様々な装置を再起動させるために、10年前に亡くなった作者を知る人たちが、その意志を尊重しながら、さまざまな地道な工夫や調整をしている映像もあり、今回のこの展示のために、どれだけの手間がかかったのかを、想像できる場所まであった。

 

 意志を継ぐ、ということがかたちになっている展覧会でもあった。

 

 

 

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(書籍『SEIKO MINAMI』)

 

 

 

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『所蔵作品展 MOMATコレクション』。2025.11.5–2026.2.8。東京国立近代美術館。

2026年2月7日。

 この美術館の常設展を見るのも久しぶりだった。

 過去の記憶だと、この美術館の所蔵品が、明治以降の年代順に並び、西洋の美術の動向に学ぼうとしている姿勢は伝わってくるような印象があった。

 ただ、今回、常設展ではなく、所蔵作品展という名前のせいか、その展示に意志を感じ、その分、とても鑑賞しやすくなったように思えた。

 

https://www.momat.go.jp/exhibitions/r7-2

(「東京国立近代美術館』)

 

 4階に上がる。

「ハイライト」と名付けられた展示室には、さまざまな時代の作品が並ぶ。

 今回のサイトにあったように、奈良美智の《Harmless Kitty》1994年があった。以前も何回も見ていたはずなのに、その記憶よりも大きく、さらに筆跡が残された描き方も新鮮で、その鋭角的な感触が伝わってくるのも変わらなかった。

 そこから、3階に下り、そこにはいわゆる戦争画も展示され、2階には、より現代に近い作品も並ぶ。

 細江英公「薔薇刑」の部屋や、榎倉康二の小企画は、周囲からは独立したような感触を受けるような展示だったし、杉戸洋やホンマタカシの作品も展示されていると、少し意外でうれしかったが、それだけ、彼らもキャリアを積んだのだし、鑑賞してきた自分も年齢を重ね、時間の流れのようなことまで感じられた。

 とても充実した展示だった。

『アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦』。2025.12.16 - 2026.2.8。東京国立近代美術館

 あるアーティストの作品ばかりが並ぶ個展も、その人によるけれど、見慣れた展示方法だと思う。同時に、あるテーマをもとに、さまざまな作家の作品を選んで展示するのも、そのキュレーションによっては、とても魅力的になるのを教えてくれたのが、東京国立近代美術館の展示だった。

 

https://artaudience.hatenablog.com/entry/2020/06/05/174337

(『プロジェクト・フォー・サバイバル』)

 

2026年2月7日。

 今回も、その企画意図で見たいと思わせた。

https://www.momat.go.jp/exhibitions/566

(『東京国立近代美術館』)

新しい時代を象徴していた女性の美術家は、なぜ歴史から姿を消してしまったのか。

1950年代から60年代の日本の女性美術家による創作を「アンチ・アクション」というキーワードから見直します。当時、日本では短期間ながら女性美術家が前衛美術の領域で大きな注目を集めました。これを後押ししたのは、海外から流入した抽象芸術運動「アンフォルメル」と、それに応じる批評言説でした。しかし、次いで「アクション・ペインティング」という様式概念が導入されると、女性美術家たちは如実に批評対象から外されてゆきます。豪快さや力強さといった男性性と親密な「アクション」の概念に男性批評家たちが反応し、伝統的なジェンダー秩序の揺り戻しが生じたのです。

                     (『東京国立近代美術館』より)

 

 会期終了間近に、ようやく行くことができた。

 会場は、土曜日の夜にもかかわらず、というより、だからなのか、思った以上に観客が多かった。

 そこに展示してある作品は、1950年代から、1960年代に製作されものだから、もう60年ほど昔のものになっている。

 さらには自分がこれまで知らない作家もいるし、見たことがない作品もある。それぞれ人によって、当たり前だけど、違う作品を制作しているのだけど、切実だったり、新しさもあったり、かっこよかったり、かわいさもあった。その後の美術界の流れを先行しているとも思えるものもあったりし、とても新鮮な気持ちになれた。

 こうした作家が、美術史からは消えるような存在として扱われていたのも知らなかった。キャプションには、それぞれの作家のプロフィールも示されているが、結婚、出産などのタイミングで制作をやめてしまった、ということも短く書かれている作家も少なくなかった。男性の私が何かいう資格もないかもしれないが、なんとも言えない気持ちになった。

 こうした社会的な制約の中で、作品を制作し、その上、その評価も、ある意味では不当な扱いをされていた、ということが、展示を見て、改めて考えさせられるものもあった。

 とても有意義な展覧会だったと思う。

 

 

 

 

 

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『アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦』
 
 
 
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