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1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

青山悟『刺繍少年フォーエバー』 永遠なんてあるのでしょうか?2024.4.20~6.9。目黒区美術館。

青山悟『刺繍少年フォーエバー』 永遠なんてあるのでしょうか?2024.4.20~6.9。目黒区美術館

刺繍少年フォーエバ

 普段、いくつかのサイトを見て、今開催されている展覧会や個展などの情報を知るのだけれど、自分が普段から積極的に情報を集めているわけではないから、実は見落としているのではと微妙な恐れのような気持ちはずっとある。

 特に目黒区美術館は、こちらから検索しないとそうしたサイトで大きく取り上げられることは少ないから、比較的行きやすくて心地いい場所と思っているのに、つい存在を忘れがちになる。

 だから、今回の展覧会も偶然見つけた。

https://mmat.jp/exhibition/archive/2024/20240420-427.html

(「青山悟『刺繍少年フォーエバー』 永遠なんてあるのでしょうか?」サイト)

 

 その展覧会の企画で、作家本人が出演するトークが5回もあった。会期が2ヶ月にも満たないのに、それだけの話す機会が設けられている展覧会は珍しいと思ったが、他の場所で見た様々な話をする青山氏の姿を思い出し、確かにあれだけのコミュニケーション能力があれば、それも可能なのだろうと思った。

 まだ行ける日程を確認して、その日に会場に行くことを、妻と相談して決めた。

 

大人のための美術カフェ

  目黒区美術館の担当学芸員と、青山悟が、この展覧会が開催されるまでの話をする、という企画だった。

 午後2時からの対談。

 参加方法は先着順。定員は20名程度。

 その条件にすでに焦りを感じ、30分くらい前には行かないと見られないのではないか、人がたくさん来て、その会場に入れなくなるのではないか、といった気持ちになって、午後1時30分くらいには着くように出かける。

 美術館に着いたら、そのトークショーはまだ余裕があるようで、しかもまだ20分以上あった。だけど、気がついたら、その1階の会場の前には何人かの人が並んでいて、やっぱり焦ってロッカーに荷物を預けてから妻と一緒に並んだ。

 入場料は一般で一人900円。2000円を超えるところも出てきているから、1000円以下というのは、とてもありがたかった。

 午後2時前には開場に中に入った。ミシンが置いてある。イスは多い。おそらく50人は入れるはずだ。こんなに焦らなくてもよかったのに、とは思った。

 トークは、担当学芸員が話を進めた。

 担当学芸員が、本格的に知ったのは2020年頃だから、比較的最近だった。

 ただ、展覧会の開催を決めてからは、月に1度は必ず作家と会って、5時間くらいは話しあった、という内容は興味深かった。それだけコミュニケーションをとるのは、非効率に思えてとても大事なことだと改めて思える。

 そして、青山氏が語った刺繍少年フォーエバー、というサブタイトルは、ジェンダーいろいろな意味を込めた、ということだし、さらには普段はアートに興味を持っていない人にもアピールできたら、という思いも語った。

 

 青山は、刺繍によって作品をつくり続けている理由を質問されて、最初にロンドンでテキスタイル学科を卒業したから、といった言い方をしていた。当初から周囲が女性ばかりの中でミシンを踏んでいて、ジェンダーのことは意識せざるを得なくなった、といったことを話をしたが、作品には確かにそれだけではなく、社会的な問題のようなものを常に意識していることも納得が行ったような気がした。

 さらには、今回のワークショップについての話になり、アートや作品について語る姿や口調は、本当に真剣に考え続けている気配は伝わってきた。

 妻は、もっと強く感じていたようだった。人が話すのを長いこと聞いているのがそれほど得意ではないのに、すごく熱心に聞いていたようだったし、私よりも作品を制作することについていろいろなことを思ったようだった。

 来てよかった、と言っていた。一緒に来て、私もよかったと思った。

 

展覧会

 「大人のための美術カフェ」が終わってから、2階の会場へ上がった。

 そこには、別の美術館の図録で見かけて、実物を見たかった作品も並んでいた。

 2020年のコロナ禍がもっと厳しい状況のとき、紙に文字を刺繍するような、ドローイングのような作品を青山は多く制作していて、それは新鮮な印象があった。

 

 コロナ禍で自衛隊ブルーインパルスを飛ばしたときにモヤモヤした気持ちがあったのだけど、小さいジェット機の後ろに紙で煙のようなものとして、そこにその飛行に対しての青山の気持ちなども刺繍で文字になっていたりもした。

 他にも、マスクやキャップにさまざまな文字が刺繍されていて、それは、コロナ禍の混乱した時の気配を思い出させるもので、どうやら、当時は、展覧会などが中止になったりして、青山は経済的にも困窮しそうだったし、どうすれば、といったこともあったので、小品を作ってインターネットで販売する、といったことの一環でこうしたドローイングのような作品を作り続けていたようだ。

 ただ、そうした作品群は、それまでの再現度の高い刺繍とは違うものの、青山の思考や感覚がかなりダイレクトに伝わってきて、また新しい魅力を感じさせるものだったし、それが、その後の「吸い殻」の作品にもつながっているようだった。

 社会的なことと、個人的な要素を鮮やかに結びつける作品が、これからも多く制作されるような予感もした。

 青山自身が自宅からアトリエに通うための切符を刺繍で再現し、作品化されていたり、紙幣も精密に再現されていたり、そうした題材も含めて自由度が高くなっていたようにも思えた。

 会場の白い台の上に屋外のように散らばっているチラシもレシートも吸い殻も枯葉も、全部、刺繍の作品のようなものは、チラッと見ると、全部が本物に見えた。

 

絵画

 その一方で、風景を刺繍で再現した展覧会のメインビジュアルのような作品も魅力的だったし、歴史に残るような絵画作品を何十枚もコンパクトなサイズで刺繍で再現しながら(それでも、その再現度をおそらくは意識的に少し緩めながら)、その作品を、「個人的」↔︎「社会的」。「保守的」↔︎「ラジカル」。という座標軸を作って、さまざまな作品が、どのポジションなのかを配置し、それについて、青山が展示室の壁に手書きで説明を加えるという作品も感覚と論理の両方に届くようだった。

 それまでも、過去の絵画作品を刺繍で再現したり、と最初の青山の作品イメージのものも、何度見ても、よくできてる、という気持ちよさを味合わせてくれるし、考えさせてもくれる改めて豊かな作品なのだと思った。

 何より、作者のつくり続ける意志のようなものが、今日、話を聞いたせいかもしれないけれど、確かに宿っている有機的な作品にさえ見えていた。

 そして、他の作家にも、作品について質問をし、その答えも含めて映像を使った作品にしていて、社会的な視点も忘れない人だと思った。

 来てよかった。

 

Tシャツ

 1階の静かなショップには、今回の展覧会に関連するグッズも売っていた。

 今回のサブタイトル「刺繍少年フォーエバー」と「永遠なんてあるのでしょうか?」という文字が書かれたTシャツが売っていた。2枚セットで4500円。アート関係のTシャツは、1枚でこのくらいの値段になることも珍しくないから格安と言ってもいいのだけど、今回は妻が欲しがった。

 それは、トークも含めて、作品をつくり続けていく姿勢に敬意を感じたから、ということだった。そういうことは珍しいので、妻が「刺繍少年」の方でS。私が「永遠」の方でMサイズで購入した。1枚だけだと2500円なので、お得なはずだ。

 さらに今回の、というよりは、青山悟の作品集として販売していたものは、作家本人のサイン入りで、3000円を超えていたが、今回は妻がためらいなく買うことを決めた。

 さらには、ポストカードなども買って、個人的にはかなりの金額にはなったものの、なんだか満足感はあった。

 入場料や、ショップのグッズなどの料金も他の美術館などと比べると区営のためか安めで、それもありがたかった。

 話も聞けて、作品も見られて、グッズも買えて、満足感が高かった。

 

 

 

https://amzn.to/4cak63f

(『青山悟 刺繍少年フォーエバー』)