2015年6月25日。
評判がいいらしい東京都現代美術館の山口小夜子展を見に行くことにした。妻のほうが、その時代をよく憶えているというので誘ったが、最初は、乗り気でなかったので、どうして?と聴いたら、過去を振り返る感じになりそうで、という答えだった。今、展覧会をやるには、新しい意味を付けているはずだから、と言って、一緒に行くことになった。
現代美術館は久しぶりだけど、行くと気持ちがいい空間で、展覧会は人がいっぱいいて、モデルらしき人や、地方の高校生らしき団体が目立った。
山口小夜子は、すごく個性があると言われれば、そうとしか思えない。今見るのと、その時に会うのとは全く違うのだろうと思うのは、山口小夜子がモデルケースとしてそれを真似する人が多くなると、その個性がうずもれてしまうからだろうと思うけど、それでも、写真で見る、目がすごかった。
カメラマンにとっては、恐い存在だろうな、と勝手に思ったのは、出来上がった写真が面白くなければ、撮った人間の責任に簡単になりそうなほど、いろいろな表情をしていた。だけど、とにかく笑っていなかった。後味としては、ずっと緊張している、というものだった。ただ、生涯、そのイメージを自分で死守したのは、すごいことだろうと想像するしかなく、だから、その死因は分からないにしても、それだけの緊張感の中で生きていれば、長生きは出来ないかもしれない。そのイメージはずっと研ぎすまされていて、すごかった。
観客には、かなりの年齢の人もいたけれど、今の10代にとっては、どんな風に写るのだろうか、と思ったりもした。
ほぼ晩年、といっても、50代後半の写真で、松蔭 浩之の作品が、微妙にリラックスしていて、そして、生々しくて、そこに人間が写っているようで、素直に好きだと思えた。それから、山川冬樹の作品が、能面のような山口小夜子の面をして、福島の原発付近を歩き回る作品が印象に残った。
「常設展」
そのあとは、常設展示も見た。
キャンバスの裏も初めて見たし、宮島達男の作品の部屋に横尾忠則の作品がフィットしていたり、妻が知人に行きがけに会って、しみた、という作品は山川冬樹という作家だった。父がキャスターで、父親が残したビデオテープや、声などを組み合わせて、暗闇に生きている時間、といったものを再現していたと思うが、半分しか見ていないから、なんともいえないが、人生、というものを考えた。最後のほうで、声の調子が悪くて、と言いながら仕事をしていて、そして、バブルの絶頂期に不安を強く訴えていたけど、それは体からの信号なのかもなどと勝手なことを考えた。
いつも同じ、というイメージだった常設展が、入れ替えがあるたびに新鮮に思うことが多くなり、それがありがたかった。
(2015年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。