アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

MOTアニュアル2021 「海、リビングルーム、頭蓋骨」。2021.7.17~10.17。東京都現代美術館。

MOTアニュアル2021 「海、リビングルーム、頭蓋骨」2021.7.17〜10.17。
東京都現代美術館

2021年10月14日。

 このアニュアルのシリーズは、第1回の1999年から毎年のように見てきて、約20年がたったのだけど、去年、コロナ禍で出かけるのをためらっているうちに見損なってしまったが、また見始めることができた、と思った。

 

「海、リビングルーム、頭蓋骨」

 

 全て映像作品。3人の作家。
 潘逸舟が海。小杉大介はリビングルーム。マヤ・ワタナベは頭蓋骨。

 

 本当に、ある意味では、その通りの映像だった。

 

 頭蓋骨は、戦争で銃で頭部を撃たれ、亡くなった方のものを、写した作品だった。

 

 もっと時間があれば、もっと見ていたい作品だった。そして、それは、こういう場所でないと、見られないような映像だった。

 

 小杉大介の映像作品は、ボディビルをしているような父親が、倒れ、それからの体が思いのままにならない生活を、俳優を起用して父親を演じてもらい、リビングルームに固定カメラを設置するという内容だったから、介護をしてきた人間にとっても、他人事でもなく、とても興味深かった。

 

(2021年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

www.mot-art-museum.jp

 

amzn.to

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DIALOGUE 岩井成昭。1998.2.6~2.26。東長寺講堂・P3。

DIALOGUE 岩井成昭。1998.2.6~2.26。
東長寺講堂・P3。

1998年2月16日。

 様々な国の人がしゃべっている。その映像が流れている。台本があるらしい。かなりの手間暇をかけてるわりには、ピンとこない。

 

 それは、自分の理解力などが足りてない可能性もある。

 

 お寺の講堂の地下という珍しさはある。戒壇めぐり、といった暗闇が、こういう場所にあったりもするので、そういう意味では「伝統的」なことなのかもしれない。

 

 

(1998年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

amzn.to

 

p3.org

 

 

 

私たちは『買われた』展。2016.10.6~11。ぎゃらりー彩光(横浜、馬車道)。

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私たちは『買われた』展。2016.10.6~11。ぎゃらりー彩光(横浜、馬車道)。

2016年10月11日。

 たまたま、わたしたちは「買われた」企画展、といったタイトルのNHKの番組を見て、昔「売春」と言われてきたことが、今は違って来ているのだけは伝わってきたような気がして、この企画自体を実現したことがすごいし、それを番組にしたのも、作り方も丁寧だと思って、インターネットで調べたら、夏にやった展覧会をアンコールでやることを知り、それが明日まで、ということも分かった。
 

 馬車道は降りたことがあるけど、初めてのギャラリーで入り口は何の変哲もない昔ながらのギャラリーで、受付で1500円を払って、中はメモも禁止なんだ、と思って、パーテーションの向こうには、人が思ったよりも多くいた。10人はいたと思う。ギャラリーでの展覧会でトークショーなどのイベント以外でこんなに人がたくさんいる光景は初めてかもしれなかった。

 

 写真と、パネルに書いた文章というシンプルな構成。性を売った若い女性達が自らモデルとなり、自ら書いたり、聞き書きだったり、ということはスタッフから聞いたのだけど、その文章はうまい、というのではなく、言葉が強く、嘘のなさがすごいように思える。今の、若い女性のこうした(というまとめ方も失礼だけど)問題は、貧困とか、家庭がひどかったり、そして、他人事ではなく児童相談所などの「支援」する側の問題もあった。
 

 体を売るしか生きる方法がない、というところへ追い込まれているんだ、というのが改めて少し分かったように思う。支援する側の話を読んで、知って、こんなひどいことがと思い、偽善的であるのだけど、自分も違う分野だけど支援の仕事をしていることもあり、恥ずかしいと感じたり、申し訳ないと思ったりもしたが、実際に自分が現場にいたとして適切な対応が出来るのか、と思うと自信はないが、ここに来たあとは、適切な対応が出来る確率は少しだけど確実に上がっている気はする。

 

 こういう企画をすると、さっそくインターネットでたたかれていらしいが、どうして、すぐ叩くのだろう、と思う。それよりも例えば本にするとしても意味は大きいと思うが、こうして写真があって、また「いわれて嫌だった言葉」を書いた布があったり、パネルで文章があったりして、こうして展示されて、そして、他の人たちも読んだり、見たりしている中で、一緒にいることが、とても意味が大きいとは思えた。

 問題は、問題として形にならないと、人は気がついてもくれない。

 形として実現したのが、すごいことだと思う。

 

 

(2016年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

colabo-official.net

 

 

 

 
 

太郎知恵蔵。「ロボット・ラヴ ― 幻想としての他者と機械の欲望 ―」。1997.11.7~12.7。キリンアートスペース原宿。

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太郎千恵蔵。「ロボット・ラヴ ― 幻想としての他者と機械の欲望 ―」。1997.11.7~12.7。
キリンアートスペース原宿。

1997年12月3日。

 考えてみれば、椹木野衣が書いていたけれど「アニメをうまく利用している」側の作家かもしれない。

 

 少し時間が経つと、どんな作品か、ほとんど憶えていない。でも、ビデオで作者がしゃべっていて、モダニズムの終り。想像力を使おう。という言い方に共感したのは憶えている。

 

 でも、モダニズムを、自分は、よく分っていないんだと、思う。

 

(1997年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

amzn.to

 

 

GENKYO 横尾忠則 [原郷から幻境へ、そして現況は?]。2021.7.17~10.17。東京都現代美術館。

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GENKYO 横尾忠則 [原郷から幻境へ、そして現況は?]。2021.7.17~10.17。
東京都現代美術館

 

2021年10月14日。

 

 コロナ禍になり、今年の夏は感染者数が増大し、東京都内に住んでいると、とても怖くなり、外出を控える日々が続いた。

 

 これまで、2018年末まで、19年間、介護をしていて、気持ち的に辛い時には、アートを見に行って、それ以上、気持ちが沈み込むことを避けられてきた。今回は、見に行きたい展覧会や企画や作品があっても、毎日の新規感染者数の数を見て、家族には気管支の持病があるので、とにかく感染しないことを優先する毎日だった。

 

 外へ出ないで、やろうとしていることも増やせず、経済的には厳しくて、ただ不安が増える時間が長くなり、それで、思った以上に気持ちが萎縮したせいか、なんだか外を見て、小雨が降っていたりすると、「何をやっているのだろう」と、生きている意味みたいなものを考えることも多くなっていた。気持ちは沈み気味なのが日常になっていた。その一方で、何かしらの努力や工夫も、それが足りないせいか成果が上がらず、無力感だけが強くなっていた。

 

 そんな時に、テレビを見ていて、展覧会の情報に触れた。

 

www.nhk.jp

 

 これまで何度も個展を見てきたし、随分と長い年月、第一線で作品を作り続けて、発表してきたから、こちらで勝手にある程度のイメージが出来ていたのだけど、最も新しい作品群が、今までとはまた違った印象なのが、テレビ画面を通じても分かった。

 

 それで、それまで全く行く気がなかったのに、行こうと思ったのは、85歳になって、また違う作品を生み出す凄さを確かめたかったのと、大規模な個展は最後になるのではないか、とも思ってしまい、ここを逃してはいけないと思ってしまったからだ。

 

 85歳の今でも新作を描き続けていた。

 それも、突発性難聴になり、あまり聞こえず、腱鞘炎で手首が痛み、その上、絵には飽きてる、と言いながらも、その条件を含んだ上での作品を制作し続けていた。

 

 それほどの強い主張というのではなく、生きていることには意味がない。だから、いかに遊ぶか、みたいなことを、静かに語っていた。

 

 どこかで「意味はない」と思いきれないような自分の気持ちもあったが、その一方で、意味はないと思えたほうが、楽かもしれないと思った。その上で、思うように生きる、といったことを見せてくれているように思えた。

 

  妻と相談して、一緒に行くことになった。

 二人で、アートを見に行くのは、本当に久しぶりだった。

 コロナ禍のために、入場制限の可能性もあるので、サイトから予約をした。

 やっぱり楽しみだった。

 

 

 会期終了の週に、電車に乗って、東京都現代美術館に向かう。

 地下鉄を乗り換えようとして、座席に座って、そこの窓も開ける。

 妻は、電車に乗ること自体が、久しぶりで、二人で一緒に出かけるのは、本当に何ヶ月ぶりかで、それは、やっぱり少しずつうれしくもなってくる。

 

 美術館は、チケット販売の場所はそれほど人がいなくて、予約して、プリントアウトして持ってきた紙を渡したら、入場券を渡された。

 

 横尾忠則の個展は、1階から始まっていた。

 

 昔の作品から、並んでいる。それは、50年以上前のものからで、まだ画家と宣言する前のデザイナーの頃のポスターは、今もかっこよく見える。そして、画家になってからも、その時に描きたいものを書いているらしく、同じ傾向の作品が集中的に並ぶ。

 

 だから、何度か横尾忠則の個展を見ているが、その時によって、確かに横尾作品の共通点はあるけれど、かなり印象が違う。

 

 会場には思ったより人がいて、この美術館で見てきた展覧会は、基本的にはゆったりと見

られることが多かったので、意外だったし、人が来ていることがちょっとうれしかったかけれど、時々、「密」になりそうで、ちょっと怖かった。

 

 1階の会場にたくさんの作品が並び、さらに3階にも続く。

 

 個人的に「Y字路」シリーズを描き始めた時は、とても身近な感じもしたし、こういう場所を描き始めるのは、すごいと思ったが、考えたら、このシリーズを描き始めた時には、横尾忠則は、60歳を超えていたはずだ。それも、最初は写実的だったのが、横尾の幻想が混じり始めるのだけど、どちらもよかった。

 

 最後の会場には、現在の作品が並ぶ。

 

 明るい色調。大きな絵画。画面には人がたくさんいる。何かにぎやかな感じがする。

 

 ここまでもそうだけど、いつも生者と死者が、あまり区別されずに、作品には登場していて、だから、この世だけでなく、あの世のことまで感じたり、考えたりしていたことに、改めて気づく。

 

 最後の部屋には、自画像と、突発性難聴になった時も作品になっていた。自分にはない経験なのに、すごくリアルに感じた。

 

 どこまで理解しているのか分からないけれど、今も新作で、しかもこれまでとはまた違った新しさもあるけれど、それは、作者本人にとっては、さまざまな不自由なことも含めての条件を生かしていて、そして、同じ時代に生きている人が描いていると思えた。

 

 生きていることに意味はない。だから、生きたいように生きればいい。そんなことを、いつの間にか少し思っていた。

 

 来てよかった。大御所でもなく、古い作家でもなく、今も現役の人だった。

 

 

 

(2021年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.mot-art-museum.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さいあくななちゃん個展ツアー2017。2017.6.15~19。デザインフェスタギャラリー。

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さいあくななちゃん個展ツアー2017。2017.6.15~19。デザインフェスタギャラリー。

 

2017年6月15日。

 

 2年前の中野のギャラリーで見て、その切実さと、思い切りと、覚悟を感じる作品だった。話しかけてくれた上で、ブルーハーツが好きで、ということもわかった。ピンクの大竹伸朗だった。そこから、どこまで続けられるのだろう、そんなことを失礼かもしれないが、思ったりもしていて、そして、さいあくななちゃんという言われ方をされたエピソードも知って、その文章が率直で、その切実さが凄いと思った。

 

 原宿の街を歩いて、この前、映像作品を見た場所の先にギャラリーはあって、その中にピンクでうめられた小部屋があったから、すぐに分かった。すでに白人の女性が先にいて、その広くない場所にもう1人が入ると狭くなりそうだから、少し違う場所を見ていて時間をすごして、中に入る。まだ白人女性と話をしていて、その会話がそばで聞こえながら、絵を、作品を見る。線が多くなっていて、2年くらい前に見た時の切実さが、まだ衰えていない。若気のいたり、と言われそうだけど、そんな事と関係なく続けている。
 

 画集を買った。少し話をした。線が増えた、と思っていた。そして、あれから2年で描いたと聞いて、その密度とか濃度か、切実さも含めてすごいな、と思って、そんな話をして、エネルギーはどこから?みたいな平凡なことを聞いて始まっったら「何をしても描きます、そういうもんじゃないですか?」と穏やかに返ってきた言葉と気配に、なんだか凄いと思って、さらに、ゆっくり見たかったものの、後から人が来て、若くて、私よりも必要としているような人たちが来たので、そこをあとにした。

 

 もらったフライヤー(チラシ)は、美術館での大規模な個展のようによく出来ていたし、画集は、1200円だと安いと思った。うわーっと描いてある絵や作品と、冷静さのある画集の作り方とか、見せ方のギャップなどもあって、それも含めて面白かったし、自分のことを書いた文章が、すごくよかった。死ぬものぐるい。と言う言葉とか。 

 次も個展があったり、画集を出したりがあったら、また行きたい。

 

(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

「芸術ロック宣言」さいあくななちゃん

https://amzn.to/3uGHItp

 

 

 

 

 

 

 

 

〝のん〟ひとり展 女の子は牙をむく。2018.4.19~5.8。GALLERY X BY PARCO。

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のん〟ひとり展 女の子は牙をむく。2018.4.19~5.8。GALLERY X BY PARCO。

2018年5月7日

 女優として、朝ドラで魅力的だったし、その後も、あれこれあって、姿を消したと思ったら、映画の声優として本当にぴったりとした役を勤めていて、なんだかすごいと言うか、ガラスの仮面の主役のような人みたいだ、と思っていて、そのせいもあって、テレビなどで見ていた時も変わった部分もあると感じていて、それから、しばらく忘れていて、何かで個展をすると知った。

 

 ここのところ、若い人たちの作品や、作家の方々の話を聞く機会が何度もあって、それは、あまり期待もしないで出かけていって、ああすごいや、と素直に思ったり、こちらも頑張らないとダメじゃん、と素直に思えたり、ということがあったので、若い女優でもある人の個展を見ようと思ったのは、それも妻と一緒に見たいと思ったのは、インターネットで見て、ここのところ見ていた人たちは、もう少し重い感じがあったのと比べると、軽みもあるので、大丈夫そうだったし、それに加えて、おそらくは作りたいという気持ちを優先させて作ったものを見たほうがいいのではないか、と思って、誘って出かけた。

 

 渋谷を歩く。パルコはまだ空き地で工事中だった。そこから、すぐに分かると思っていたら、センター街に向って進んだ場所の、思ったよりも小さいスペースがギャラリーだった。おみくじ付きというのは、入場券の裏に書いてある。

 

「中牙吉」 安心しておキバりください。

 

 ちょっと期待はずれだった。20代の作家にそこまで期待してはいけないのかもしれないけれど、でも、もっと10年くらいは続けてほしいとは思う。カタログは、よく出来ていて、ファンなら絶対に欲しい仕上がりになっていた。グッズも、かわいいし、絵も、何枚かすごくいいと思ったものもあったが、それは販売してなかったし、販売価格がドローイングで8万円でも、けっこう売れていて、それは本人の人気というものなのだろう、と思ってしまうのだけど、印象がいまひとつ薄かった。でも、これだけのものを作る、というのは、すごいと思った。

 

 

(2018年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

amzn.to