2016年10月11日。
馬車道は降りたことがあるけど、初めてのギャラリーで入り口は何の変哲もない昔ながらのギャラリーで、受付で1500円を払って、中はメモも禁止なんだ、と思って、パーテーションの向こうには、人が思ったよりも多くいた。10人はいたと思う。ギャラリーでの展覧会でトークショーなどのイベント以外でこんなに人がたくさんいる光景は初めてかもしれなかった。
体を売るしか生きる方法がない、というところへ追い込まれているんだ、というのが改めて少し分かったように思う。支援する側の話を読んで、知って、こんなひどいことがと思い、偽善的であるのだけど、自分も違う分野だけど支援の仕事をしていることもあり、恥ずかしいと感じたり、申し訳ないと思ったりもしたが、実際に自分が現場にいたとして適切な対応が出来るのか、と思うと自信はないが、ここに来たあとは、適切な対応が出来る確率は少しだけど確実に上がっている気はする。
こういう企画をすると、さっそくインターネットでたたかれていらしいが、どうして、すぐ叩くのだろう、と思う。それよりも例えば本にするとしても意味は大きいと思うが、こうして写真があって、また「いわれて嫌だった言葉」を書いた布があったり、パネルで文章があったりして、こうして展示されて、そして、他の人たちも読んだり、見たりしている中で、一緒にいることが、とても意味が大きいとは思えた。
問題は、問題として形にならないと、人は気がついてもくれない。
形として実現したのが、すごいことだと思う。
(2016年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。