2014年9月19日。
生きること 死ぬことの すべて というすごいタイトルの展覧会だった。
久しぶりに写真美術館に行った。目黒から歩いた。まだつかないのかな、と思った頃に橋をわたって現地に着く。
ベトナム戦争の写真だった。死体がそこに普通にある。戦争があると、こんなに死ぬことが近い。人がモノのようだ。とんでもない事で、こんな事がある、というのは、死んでしまったらそこで終わりなのに、まだ生きられるのに、強引に殺されるなんて、やっぱり嫌だろうに、だけど、戦争が起こったりしたら、どうしようもなく、そして、どこかへ逃げることもできなければ、そこに巻き込まれて生き残ったり、死んだりは、運次第だし、と思ったら今、時々考える死ぬのは恐い。無に戻るのは嫌だ、というような事ではない、質の違う命の落とし方なのか、死ぬのは一緒かも、と思って、それも、やっぱり違うのではないか、などといろいろな事を思って、自分が、つまらないと思っていたここ数日のことは、少し遠くになっていた。
いろいろな写真を撮っている。これだけ、いろんな現場に行って、写真を撮っているのだから、そこでものすごく重いものを受けとめているはずで、それだけでもすごいことなのだろうな、と思いながらも、同じ世界のこととは思えない出来事ばかりが並んでいる。
写真で、そこに行けるわけもないが、ただ意識は少しだけ、その世界を見たような気持ちにはなった。考えたら、もう50年以上前の事でもあるのに、その写真の前に立つときは、現在、というのが写真なのかもしれない。というより、そう感じさせる写真家がすごいのかもしれない、などとも分からないなりに思ったりもした。
(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。