2023年12月27日。
写真美術館に行く。
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4542.html
(「見るまえに跳べ」 日本の新進作家vol.20)
この日は3つの展覧会を見たのだけど、自分としては、最初は、この展覧会を目的にして来た部分がある。
「日本の新進作家」というシリーズで、こうして、新しい写真家で展覧会を続けているのは、とても意味があるし、だから、写真美術館だとも思っているせいもある。
入る前に、撮影はできますが、一部禁止のところがあります。それに暗幕がありますので、それをかき分けて、どんどん次に行ってください、といったことをスタッフに言われて、写真の展示で、そういうことを言われるのも珍しいと思って、最初の展示室へ入ったら、そうした注意事項を言われるのも納得がいくような気がした。
壁には、写真を大きく伸ばし、それを短冊のように切って、展示室の壁いっぱいに、それが貼り付けられ、壁の面が見えなくなっている。それは、そこに来ないと分からないと思われる雰囲気で、写真が降り注いでいるような気がした。
その中に、いわゆる人物写真が並んでいる。
その人たちが、どういう人間なのか、それは最初の少し長いキャプションで説明されている。
そこには、この展示室の写真を撮影をした淵上裕太が生まれた場所や、その後の生い立ち。大学を卒業し、車の整備士として働き始め、知り合った女性と結婚する未来を夢見ていたのに、その女性が姿を消したことから、仕事を辞め、写真の専門学校に通い始め、その頃から被写体になってもらっていたのは路上で知り合った人たちで、今は上野公園でさまざまな人を撮影している。
この展示室にあるのは、上野公園で撮影された人たちの写真だった。
それは、みんなこちらをまっすぐにみていて、その作品を鑑賞している人間も、見られていたり、にらまれていたり、ということではなくて、写真の前に立つと、その人と向き合っているような気持ちになれる。
この展示室のキャプションも、この写真がここに並んでいる必然性に繋がっているし、壁を埋め尽くす細く切られた写真も、その中でこそ、一枚、一枚の人物写真も生きているような気がするから、今は、写真の展示も、その空間も含めて考えないといけない時代になったのだと思った。
それは、写真は、以前よりも日常にあふれるようになってからも年月を重ねてしまったのだから、わざわざ、その場所に来ないと味わえないような展示をすることが、これからは常識になっていくのかもしれない。
これに関しては、写真美術館で出している『「別冊ニャイズ」vol.00000154』によると、「作家から予想のナナメ上をいく提案も受けました。諸事情により諦めた内容もありますがほぼ作家たちの意向通りです」というコメントもあったので、写真家自身の発想ということを知ると、なんだか心強く、それこそ「将来性」という言葉が似合うようなことだと思った。
そこから、暗幕を通って、暗い部屋に進む。
その部屋の前も壁には、「戦争だから」という手描きの大きな文字があった。
夢無子。『戦争だから、結婚しよう』。
2022年。ロシアの侵攻を受けたウクライナに2度に渡って現地に行って撮影した記録だった。
小さめの映画館のスクリーンに、その時の写真と、さらには、作家の思いが言葉として、そこに並べられていく。そして、観客は、ヘッドフォンをつけて、ウクライナの現地の音を聴き続けながら、そこにいる。
写真や、作家の現地での、後ろめたさや怖さも含めての率直な言葉や、写真や、さらには耳からの音によって、安全な場所にいる観客にも、なんともいえない不安定な怖さが伝わってくる。
こうした大きいテーマを写真家が扱うことや、外の国の人間が現地に行くことに対して、色々な思いも浮かぶし、さまざまな批判もされそうだけど、でも、ずっとその部屋にいて、2つのスクリーンに映し出される夢無子の作品を見続けていた。
観客は、とても安全な場所で、こうした作品に接することができるのは作家のおかげなのは間違いなかった。そして、やはり、とても強い印象が残った。
写真の展示
そこから、さらに3人の写真家の作品を見た。
それぞれの展示が、かなり明確に分かれていて、山上新平の展示室も、照明を落として、作品に集中できるようにしていたし、星玄人は、西成や新宿や横浜など、普段生活していると、あまり接しないような人たちの姿を撮影していて、さらには、自身が母親から受け継いだ喫茶店を今も経営しているらしいこと、その店自体が被写体になっていることに、急に必然性のようなものも迫ってくるような気もしたのは、それを情報として知ったからなのか、と観客自身の気持ちを振り返ったりもできた。
そのあたりも含めて、山上も、星も、観客として知らない世界が、そこに、ただ収まっているようにはしないように、できたら体験に近いものになるように展示しているようにも思えた。
展示の最後は、フライヤーのメインビジュアルでもある うつゆみこの作品だった。
合成かと思った「鳥人間」のような写真は、再び「別冊ニャイズ」によると、作者が珍しい動物を飼っている人に頼んでいるらしいので、この動物たちの写真はCGのようなものではないらしい。といったことを知ると、やっぱり少し見方が変わる。
展示室の中には、小屋のようなものが設置されていて、そこにビーズののれんのようなものをくぐって入ると、一つ一つを丁寧に鑑賞すると言うよりは、その世界に入らせてもらう、というような、やはり体験に近いものになっていたように思い、ちょっと楽しくもなっていて、奈良美智も、こうした小屋のような作品があったことも思い出す。そして、この小屋のような場所が撮影禁止になっているのは、被写体に自分の子どもがいたからかも、と勝手な推測もする。
こうして別の作家のことを並べるのは失礼かもしれないけれど、今回の5人の写真家の展示を見て、特に写真は展覧会を見なくても写真集を見ればいいやと思ってしまいがちなのだけど、これだけ写真が日常になった現代では、展覧会をわざわざ見にくる意味が、以前よりもよりなくなってきているのは確実なことを前提に、とにかく、ここに来る価値のようなものを、5人ともきちんと考えているように思えた。
それが、美術館側からすれば「ナナメ上をいく提案」に感じたのかもしれないけれど、観客としては、そうた作家の提案によって、来てよかったと思えた。
「路上2」渕上裕太
https://tppg.thebase.in/items/27913099
「Helix」山上新平
https://poeticscape.stores.jp/items/62e0afc3b5285a3dbdd11b13
「街の火」 星玄人
「Wunderkammer」 うつゆみこ