アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

書籍   『生き延びるために芸術は必要か』 森村泰昌

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『生き延びるために芸術は必要か』 森村泰昌

 

 最初、著者の今は誰も住まなくなった実家の話から始まる。

 そして、その実家は、このままだと朽ちていくしかないけれど、ではどうするか?といった話になり、でも、それは空き家問題といった社会的なことではなく、もっとプライベートな方向に向かっていく。

 

これは終活問題ではなく、ある種の介護のエピソードではないのかと。しだいにこわれゆく私の実家、それは第三者には寿命がつきかけたありふれたボロ家に過ぎない。しかし私はこの家とだれよりもながくつきあってきたわけである。

 

       (『生き延びるために芸術は必要か』より。以下、引用部分は、同著より)

 

 そして、その実家とどうやって付き合っていくかについては、最後になって、また登場するのだけど、そこに至るまでは、これまで行ってきた大学での講義の内容を中心に進むことになり、それは後から振り返れば、「生き延びる」ことが話の中心になっていたことに、著者自身が気づいたようだ。

 

役に立つということと生き延びることは、まったく別問題である。役に立つから生き延びるのではない。役に立つかどうかとは無関係に、生き延びたい、生き延びてほしいとねがう気持ちが、なにものかを生き延びさせるのである。

 そして、その話題は、意外というか、だけど、森村泰昌にとっては必然の選択なのかもしれないが、「フランシスコ・デ・ゴヤ」そして「ディエゴ・ベラスケス」という、どちらも西洋の、今からいえば何百年も前の西洋美術史の「巨匠」が、どうやって生き延びたのか、という話になっていく。

 

雇われた画家として生き延びること

 フランシスコ・デ・ゴヤ

 「カルロス四世の家族」の肖像画

 1800年から1801年にかけて描かれたとされる傑作。

 

 私も実際にこの作品を見たことはないし、図版などで見かけただけでも、隙のない大作、という印象しかない。

 だが、同じ実作者である森村だからこそ、ゴヤの思惑まで、その作品からかなり踏み込んで推測をしている。

 それは、職業画家としてのとんでもなく高い技術は前提として、同時に芸術家として、どうやって生き延びたのか、という想像以上に緻密で大胆で考え抜かれた戦略があることに、読者にも気がつかせてくれる。

 この作品には、実はやや不自然なスペースがある。まるで、本当はもう一人、そこに主役級がいるようだ。そのことによって、隠された王女の不倫のことを密かに描き込んでいる。王よりも、不倫相手との子供を中心にしている、らしい。

 

 作品から読み取れることを述べている森村の推測は、とても説得力があった。

 

 ただ、さらに謎とも思えるのは、このときの最大の権力者の一人でもある王女の表情を強かに描いたことだ。それが、この人物の本質であったとしても、どれだけ優れた画家であったとしても宮廷に雇われている身としては、こうしたやり方は、画家自身の身の危険さえ及ぼしかねない行為のはずだった。

 そのことに関して、森村は、子どもたちを、とても輝かしく描き、そのことで、王女にも、それならば仕方がないと思わせたのではないか、という読みを展開させている。

集団肖像画『カルロス四世の家族』とは、権力者マリア・ルイーサの政治的思惑と、一介のお雇い画家にすぎなかったゴヤの芸術的価値との
あいだでくりひろげられた、熾烈な格闘技のようにすら感じます。
 そして、森村は、この作品について、ここから、さらに豊かな視点を提示してくれている。
もしマリア・ルイーサがゴヤの絵の価値に無知蒙昧の人物であったとしたら、今日こうして私たちが『カルロス四世の家族』という問題作を目にすることもかなわなかったはずです。ゴヤにとってもっともてごわい鑑賞者はおそらくマリア・ルイーサだった。この人物を納得させられる強度を持つものでなければ、それは風雪にたえうる「
いい絵」かつ「すごい絵」とはなりえない。作品を制作する側と作品を鑑賞する側のあいだにおける、人生を賭したといってもいいようなあのはりつめた応酬、あれがなければ傑作は生まれない。『カルロス四世の家族』はゴヤ作というより、ゴヤとマリア・ルイーサという立場も価値観も真逆であった両者による、みごとなコラボレーションであったというべきなのかもしれません。

 

 次に、森村が論じているのは、ディエゴ・ベラスケスラス・メニーナス』。

 おそらく、少しでも美術に興味があれば、誰もが一度は図版などで見たことがある傑作。私は実物は見たことがないが、この作品は、鑑賞した人も少なくないと思う。

 そして、『ラス・メニーナス』を過激だと見立てる森村の推察は、少なくとも私は聞いたことがないような、画家と王との「高度なゲーム」だったが、そこにとどまらないのが、現役で、ベラスケスと同じ芸術家である森村の見方なのだとも思わされた。

 

ラス・メニーナス』をはじめとするこの画家の画業のすべてが濃厚におびているのは、ほろびゆく歴史にさしむけられたわけへだてのない哀悼の感情です。(中略)

ラス・メニーナス』とは、去来する歴史へのレクイエム(鎮魂歌)です。終わりゆくものへのせつなる愛です。我をわすれて熱狂的に前進するだけでは、〝生き延びる〟ことの真意はなかなか読みとれないのかもしれませんね。

作品と商品。

 森村の講義は、コロナ禍が厳しい頃でもあったので、大学でオンラインで期間限定での配信だったようだ。第六話は「生き延びるために芸術は必要か」という本のタイトル通りのテーマだった。

 コロナのときに、「不要不急」という言葉が随分と聞かれたし、「不要不急」以外のことは、糾弾されるような目で見られていたから、当然、美術や芸術もそのように扱われ、一斉に学校が休校になったときも、当然のように図書館も、美術館も閉まっていて、個人的には、悔しい思いをした。

 30歳を過ぎてから、急に美術やアートに急に興味を持って、自分でも意外だったのだけど、特に現代美術の作品を見るようになり、さらに意外なことに、自分が気持ちが追い込まれるほど、美術作品に触れたくなり、そのことで、心が底の底まで落ちる前に支えられた。

 だから、それ以来、美術やアートや、その作品を制作するアーティストにも、とても勝手で一方的な思いだけど、どこか感謝するような気持ちがあった。

 そんなことを、森村の書籍を読んで、思い出した。

 この「第六話」のテーマは、『作品、商品、エンタメ、芸能、そして「名人伝」』だけれども、かなり鮮やかに、こうしたことに関して語っていると思った。

 

「商品」とは、「あったらいいな」の世界である

「作品」とは、「ありえへん」の世界である。

 

 本当にそうだと思った。だから、「美術」に限らず「作品」は「不要不急」に一見、思えない。だけど、「作品」がなかったら、分かりにくいけれど、いつの間にか「生き延びること」ができなくなりそうだと、自分が思っていることを、再確認させられた。

 

エンターテイメントとは、あらかじめわかっていることの再確認である。

 エンターテイメントと、芸術の違いも、はっきりと分かれるものではないにしても、やはり違いがあると感じ、それは、どこかで「商業や経済との関係の濃度の違い」みたいな差ではないかと思っていたが、その感覚が浅はかであることも改めて気がつかされた。

美術館は、よくわからない

「作品」ばかりが並んでいる場所は、確かにそうかもしれない。

芸術は不親切きわまりないスフィンクススフィンクスからの謎かけに、こちらからまえのめりになってつきあわなければ答えは得られないし、さきにもすすめない。このスフィンクスの「わからなさ」にむきあってみることが「おもしろさ」だと感じられてくるとき、芸術はエンタメ世界とは異なる、別種のちょっと目がはなせないワンダーランドにみえてくる。

 最初は戸惑っていたのだけど、なんだか自分に問いかけられているような気がして、そのことで、これまであまり使わなかった感覚が動くような気がして、それで、急に興味を持ったことを思い出した。

 確かに、こんな気持ちの動きがあって、20年以上、「作品」を見続けてきたのだった。

 

芸術と芸能

 芸術と芸能。

 この違いもいろいろと言われてきた。

 さまざまな視点から検討もされ、その結果として、エンターテイメントと芸術の違いのように、重なるところもあり、それほどはっきりとした違いがないかもしれないと思いながらも、決定的に違う要素があるようにも感じてきた。

「芸能」とは、ぜったいにウケないといけない世界である。

「芸術」とは、ウケなくてもやらなければならない世界である。

 この指摘の納得感が深いのは、芸術のプレーヤー側からの視点であり、しかも、その内面の違いも含んでの話だからだと思う。

ウケなければ生き延びることができない芸能界と、ウケなくてもやるべきことはやりつづけなければならない芸術の世界。「芸能」と「芸術」は、おなじ「芸」でもたち位置がまったく逆です。しかし「芸」であることの熾烈と過酷という意味においては共通しています。

 「芸」であることの熾烈と過酷が共通しているから、観客側としては、その違いがわかりにくいはずだった。だけど、これは、とても納得ができる分析だった。

 

名人伝

 そして、その「芸」に関しては、中島敦名人伝』の話まで進む。

 この短編は、弓の名人を目指した人が、途中では弓を使わないで空を飛ぶ鳥を落とす域まで達するが、それだけでとどまらず、その「名人」は晩年は弓矢の存在さえ忘れてしまう、といった展開になる。この小説は学生の頃の課題小説であって、この「名人伝」を最初に読んだときは、あまりにもトリッキーな結末だと感じていた。

 だけど、年齢を重ねた方が、この『名人伝』と同じ文庫にある『山月記』も含めて、芸や、表現することの業のようなものが描かれているのだと思うようになった。

 この『名人伝』の最後、弓矢を忘れてしまう「名人」のあり方について、森村は、こんなふうに説明している。

あえていうなら、難問は〝解く〟べきものでも、〝説く〟べきものでもない。おのずと〝溶けていく〟ものである。溶けてしまえば、答えをもとめて悩むこともなくなる。そうなれば作品をつくったり、本書を書いたりする必要もなくなるのだろう。 

 

 他にも、『華氏451の芸術論』。『コロナと芸術』。『芸術家は明治時代をいかに生き延びたか』。さらには、『生き延びることは勇ましくない』といったテーマについて、森村は語っていて、どれも新鮮な視点を提示してくれたように思った。