駅から歩いてすぐといっていい所にこじんまりとした美術館がある。取材の帰りに蕨駅で降りて行く。
確か入場料が300円くらい、というのも嬉しい。うっかりすると見のがしそうな入口を入る。荷物を受け付けの人に預かってもらい、ゆっくりと歩く。
「コレクション展」。結構気持ちよく鑑賞できた。人が少ないからだ。いろいろあったはずなのに、後になっても、憶えているのは森村泰昌の作品。例によって、いわゆる名画の中に自分がいる。でも、そんなに詳しくなくても、見れば分かるのだから、インパクトは強いのだろう。でも、実は受け付けの人に頼めば随時、説明をしてくれるのを途中で知り、それを気付かせてくれた中年男性も森村の作品を見てすぐに「これは有名だよね」などと言っていたから、想像以上にアート界では誰でも知っているのかもしれない。それでも、この人の作品に会う度に「うわ」と思うようになってしまったのは、現代美術館で嫌というほどまとめて見たせいもあるかもしれない。
3階まであったが、小さめのビルでもあり、歩く距離もほどほどで疲れもない。静かで落ち着く。3階には、ソファーと小さな机。美術関係の雑誌や本。それに、やたらと嬉しく思うのは貧乏が板についたせいもあるかもしれないが、そこにコーヒーメーカーがあって、自由に飲めるからだ。ずるずると、飲みながら絵も見ることができる。そこで、美術手帳のバックナンバーを眺めて、ウォ−ホールの特集の芸術新潮で見た絵の中でクレメンスとバスキアという名前を憶え、自分がより気に入ったのはバスキアと知ってからのことだから、バックナンバーの中にバスキアの特集があるのを知りメモをとる。
気持ちがいい意味で、静かになり、満足感もある。
埼玉だから、なかなか行く機会もなかったが、ずーっと妻と一緒に行きたいと思っていた。そうしたら、その「川口現代美術館」が、もうすぐなくなってしまうのを知ったのは、それから3年後の99年のことだった。その年は池袋のセゾン美術館も閉まってしまった年だった。ただ、それを残念がる資格は全くといっていいほど私にはない。アートに興味を持ちはじめたのがここ数年に過ぎないからだ。たぶん、残念ですねといったことをいう人でも、そういう閉まってしまう美術館にそれほど足を運んでいないかもしれない。
でも、それでも今はアートは生きていく上で必要なものの一つだと思っている。
人が人として生きていくのに必要なモノは想像以上にたくさんあるのかもしれない。そして、人によってそれは微妙に違っているはずでもある、と思う。それにしても、川口現代美術館が閉まる前に妻といっしょに行きたいと思っている。
(1999年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。