アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「徹虚」加藤智大 Art Exhibition 。2022.2.26~3.12 。HUNCH。

「徹虚」加藤智大 Art Exhibition 。2022.2.26~3.12 。HUNCH。

2022年3月9日。

 図書館に行くと、チラシが並んでいる棚がある。

 そこには、ボランティアや催しや展覧会など、本当にぎっしりと並んでいるので、ほとんど外から見えないものまである。

 

 その中に、異質な質感を感じさせるチラシがあった。抜き取ると、黒くて、ちょっと重さを感じさせる見かけだった。

 

 「徹虚」。TEKKYO。

 

 写っているのは、黒っぽい部屋で、廃墟感があったが、少し見ると、茶室らしいのは、分かる。何より、その作品が、蒲田駅のそばで展示されることを知って、うれしさと意外さがあった。

 

 地元に近い街だけど、アートには、そんなに馴染みがないと思っていたからだった。

 

 ずっとコロナ禍は続き、感染者は増加して、それほど劇的に減少する気配もなかったので、アートを見に行くのもためらっていた。特に人が多い街中は、持病のこともあるし、ちょっと行くのが怖かった。

 

 だから、こうして近い場所で、展覧会をやってくれるのは、ありがたかった。

 外出については、ちょっと迷ったけれど、平日で、昼間だから、そんなに人もいないだろうし、たまにはアートに触れた方がいいと思った。

 

 会期は、3月12日までだから、いろいろと自分の用事のことを考えると、結局は、最終週になってしまったが、人数制限があるので、事前に予約をした。1回で一人なので、2回、手続きをして、妻と二人で出かける準備はできた。

 

 当日は天気はよかった。気温も少し上がってきている。

 

 妻と一緒に午後に出かけ、電車に乗る。会場の地図を見ると、いつも見ている景色の中にあるビルのようだった。蒲田駅に着く直前くらいに、そのビルを見たら、黄色い物体がその窓に見えて、それには「作品」の質感があったから、この場所にアートがいつもあったことに気づく。そこは、アトリエのビルのようだった。

 

 駅から、いつもは通らない「バーボンロード」という道を歩く。そこには、夜は、アルコールを中心とした飲食店のネオンがついて、コロナ禍の前は、特に夜になるほどにぎわう場所のはずだったのだけど、アルコールを飲まなくなってから、夜の街には縁遠くなっていた。

 

 ビルの入り口に着く。

 HUNCH という文字。

 受付で、名前を言って、会場に入る。

 入り口のそば、すぐに、その作品があった。

 

 小さい建築物。そっけない質感。四角い作品が、そこにあった。

 もう少し近づく。中が見える。

 

 それは、確かに茶室だった。

 「鉄茶室 徹亭」。

 

 チラシには、こういう文章がある。

「本作は、二畳台目出炉下座床の草庵小間を、一室すべて原寸大のまま鉄にうつした茶室です。簡素な佇まいは、茶の湯の粋、「寂び」の情趣を有し、茶室内は、鉄でしつらえた茶道具一式が鎮座しています」。

 

 茶室の外には、鉄で作られた朝顔がある。

 

 棚には、鉄製の茶碗や、お菓子を乗せるための小さい鉄板があった。

 どれも、形は、茶道の世界の中にあるものと、一緒に見えた。

 茶室の障子も、鉄製で作られている。

 それを動かすだけで、かなり重い。

 

 茶室の中には、茶碗だけでなく、棗や柄杓や茶筅や釜など、「お茶」のために必要な道具が全て揃っているようだ。

 全部鉄製だった。

 

 それに、床の間には、掛け軸や、花も飾られているが、全て鉄製だった。

 見る時間が長くなるほど、凄さがわかってくるような作品だった。

 

 スタッフの方に聞いたら、中には靴を脱いで、触ってはいけない作品はあるものの、内部に入っていいことも知る。

 

 靴を脱いで、いわゆる「にじり口」から入る。

 畳も、少し模様がついているように見えたが、鉄製だから、硬い感触が伝わってくる。

 だけど、思った以上に拒絶される感じもない。

 

 中に入ると、思った以上に広く感じるし、想像以上に冷たさよりも、どちらかといえば、包まれるような感覚になる。

 

 茶碗も持たせてもらったけれど、形は、あの茶碗のはずだけど、見た目の何倍も重さを感じる。

 

 床の間の掛け軸や、花も、内部にいると印象が違ってきて、気持ちとしては近くなる。

 花は、テッセンで、それは、漢字だと「鉄線」や「鉄仙」と表記されるので、鉄の茶室なので、「鉄」という文字が含まれている花を選択したという、ちょっとしたシャレも含まれていることを、スタッフに教えてもらう。

 

 そんな余裕まで、この作品にあることを、知った。

 それで、また周りを見回し、いろいろと見つめていると、さらに居心地も良くなっているように思えた。

 

その後、スタッフの方が、さらに作品や、「お茶」体験についての説明をしてくれた。

 

 畳は、最初は、鉄の線を、本当の畳のように編もうとしたが、あまりにも時間がかかりすぎて、断念し、現在の少し畳の模様に見える形に落ち着いたこと。

 作品の重量は一トンを超えること。

 鉄の茶碗で、抹茶を立てると、鉄分と反応して、鉄の匂いがすること(無害らしいと、リーフレットで知る)。

 お茶菓子として、和菓子屋に発注しているけれど、それも、鉄をテーマとしているらしいこと。

 

 「お茶」体験は先着順で、参加者は、すでに締め切ったのだけど、その模様を周囲から観覧することはできるらしい。ただ、その時は、自分の都合もあって、行くこともできなかったけれど、この茶室で、お茶を楽しんだり、という体験はしたいと、実際に「茶室」を見て、説明を聞くことで、より、思うようになった。

 

 見に行く前と、実際に見て、「茶室」に入り、茶碗を持つだけの体験だけど、全く印象が変わった。

 アートでしか感じられない感覚だと思う。

 

 

(2022年の時の記録です)。

hunch-label.com

 

amzn.to

 

 

 

 

 

 

 

「テート・ギャラリー展」。1998.4.15~6.28。兵庫県立近代美術館。

テート・ギャラリー展。1998.4.15~6.28。兵庫県立近代美術館。

1998年5月12日。

 

 取材の帰りに寄った。

 御立派だった。それしか、いいようのない感じ。また、何年かたって見たら、違うのかもしれないが、この頃は自分とダイレクトにつながっている感じがしないと、ホントにピンとこなかった。

 常設展。彫刻展は、充実していた。これが、神戸の大震災の時には、倒れたのか⋯。

 館内を走っている人がいた。団体ツアーだった。観賞になるのだろうか。

 

(1998年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

amzn.to

 

www.artm.pref.hyogo.jp

 

 

 

森村秦昌 [空装美術館] 絵画になった私。1998.4.25~6.7。東京都現代美術館。

森村秦昌 [空装美術館] 絵画になった私。1998.4.25~6.7。東京都現代美術館

 

1998年5月21日。

 

さすがに、同じ顔は飽きる。

妻は、すっかり嫌がっていた。

この人はアートという世界で守られている感じがする。平気で、笑われる覚悟みたいなものが、ない気がする。

 

ただ、この時は、そんなことを思ってしまったが、年月が経つほど、この人の作品の凄さと、この作家の覚悟の強さを少しずつ分かるようになっていく。

 

 

 

(1998年の記録に、後年、加筆をしました)。

www.mot-art-museum.jp

 

amzn.to

「点と線の宇宙」。2019.2.9~3.21。藤沢市アートスペース。

「点と線の宇宙」。2019.2.9~3.21。藤沢市アートスペース。

 

2019年3月13日。

 この場所に行く時は、辻堂駅から歩いて気持ちがいい。空が広いし、平日でも公園に子供が多く、そして、バラダイス感も強い。ボランティアの帰りに、妻と一緒に行った。

 

 宇宙のテーマは、広すぎて、どこか遠い感じになることが多いが、渡辺望の作品は、アスファルトに吐き捨てられたチューイングガムを主な被写体とした「都市の天体写真」シリーズ。それを黒く大きい写真にしたら、アスファルトの道路が確かに夜空に見えた。さらには、ただの石ころの写真を大きくして、それを窓際に展示して、帰りに見上げると、月には見えなかったけど、異質感はとても強かった。

 

 帰りにショッピングモールのフードコートで妻と食事をした。楽しい一日になった。

 

 

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

www.city.fujisawa.kanagawa.jp

 

amzn.to

 

 

 

 

 

「脱・現代美術教養論」。1999.10.2~11.14。板橋区立美術館。

「脱・現代美術教養論」。1999.10.2~11.14。板橋区立美術館

1999年10月3日。

 神経のトライアスロン、妻がそう言った毎日が続く。未来は、確実に少しずつゆっくりと潰されていくのが見える気がする。階段をどんどんと妙に重い音を立てて夜の3時に降りてくると、それだけでゾッとして目が醒める。それなのに、朝起きると、母に大丈夫?と言われる。いきなりカチンと来る。それは、こっちの聞きたいことだ。

 

 母は退院してきたが、誰かがいないといけない。

 ずっと実家にいる。

 

 今週は弟は来ない。家に帰れない。10月に入った。丸2ヶ月、仕事を受けていない。物凄く狭い人間関係の中でしか生きてない。病気になってからは3ヶ月、2月も入院したから、考えれば今年1年、棒に振った。命を削られた。暗い怒り。

 

 昨日も怒った。神経が痛んでいるのは分かる。だから、出掛けよう。この2ヶ月で母を半日以上、1人にしたことはない。恐いから、戻ったらこっちも終わりだから、でも、それを母は心配し過ぎだと思っている。だから、出掛けよう。本当は、クルマで行こうと思って、夜中に地図を見て、運転が少しでも出来るようになると、見ていて楽しくなるのは分かるようになったが、ガソリンを入れた時に、ベテランの店員にタイヤが劣化してます。ヒビが入っています。少なくとも高速は走らない方がいいと思います。目を見たら、確かに商売もあるが、それにプラスして忠告な感じも強かった。だから、電車で行こう。

 

 目黒で妻と待ち合わせをした。久し振りの外出、実家の門を出て、道を歩き始めただけで肩の力が露骨に抜けていくのが分かる、こういう種類の開放感はあまり憶えがない。

 

 板橋区立美術館。レオレオーニの展覧会以来、たまに行くようになった。今回は現代美術に関する企画展、2年前も分かってたまるか、現代美術、というタイトルに惹かれて一人で行って印象が良かった、だから今回も行こう。しかも無料。そこの学芸員の説明がある時、妻はやたら熱心に聞いていたので、今回も問い合わせたが、今週はアーティストの講演らしい。でも、人の話を聞きたかった。聞く能力が日々鈍っていく恐怖感が消えない。成増から送迎バス。西高島平から歩くのは、あのすさんだ光景を思うと気が進まなくなった。駅前のマクドナルドで月見バーガーのセットを食べる。
 

 美術館の入り口のガラスにテーマの文字。脱・現代美術教養論。お勉強という感じはするが、意欲的は伝わる。2時から作家と韓国のジャーナリストの対談。それまで1階のこじんまりとしたロビーで待つ。そこに、関係者が集まって挨拶をしあったりしている。ロビーというよりリビングといった場所で、妙な距離をとった会話。なつかしい、そう思う自分が情けない。プレスルームな感じ。いつになったら、仕事ができるのか。医者に行って、後2週間様子を見ましょう、と言われる度に暗い脱力感を感じるだけの毎日。ホントに仕事をきちんと出来るようになるのか。それでなくても、仕事が減っていくだけの数年で、明るいことはなかったのに。そこにいる坊主頭でヒゲの人が気になる。酒太りで顔色が悪く、妙に威張りそうな人と話していて、必要以上に頭を下げているのを見て、似合わない、と勝手にがっかりする。その人が、2時から話すアーティストだった。

 

 郭徳俊。京都生まれの京都育ち。20代で病気をして、その後作品をつくり出す。本人が言うには、横のつながりなくて、独自のものを作って来た。七十年代に入って、日本と韓国の交流が盛んになってきたがその中にいたわけでもない。孤立していた。独りでやって来た。そんな話から始まる。
 

 郭徳俊VS 金福基

 

 1970年代の韓国の美術界は、禁欲的で白や黒ばっかりだったことも、この人の話で初めて知ったが、そういう話をしていても、僕は関係ない。日本の中でも、韓国の中にも属していない。ここまで続けていられるのは、どこにもいないで、一人でやって来たからだと思う。なるほど、と思ったが、隣の学芸員は寝ている、説明は良かったのに、ここで寝るか?と思ったら私は寝てないと言いたいような妙なうなづき方をしていた。韓国のジャーナリストは、雑誌の編集者らしい。
 

 1時間30分が経とうとしている。

 こじんまりした会場での対談はまとめに入っている。

 韓国人ジャーナリストは、自分の書いた文章を通訳に読んでもらい、それで穏やかに終わろうとしていた。

 

 郭の作品の独自性は、日本でも韓国でもない、言ってみればアウトサイダーであることが強く影響しているのではないか?つまり、在日韓国人であるから出来た作品では?といった内容だった。 

 こういうひとまとめみたいな括りをされるの嫌だろうな、と思っていたら、郭の反応はさっきより少し力の入った言葉になった。

 

 おっしゃる通り、在日韓国人という立場はあって、その思いもある。でも、アートではそういうのは一切出さないようにしてきた。それは、アートは普遍的でないといけない、と考えているから。自分の今の状態を説明するものじゃない。僕は在日のグループ展にも一切関知しない。それは、そういう理由があるから。

 僕は、僕の名前を臥せれば、地球上の誰が創ったか分からないものにしたい。人間の共通する部分、普遍性、共通するものが大事で、個々のものには意味がない、個々の事情はいい、と思っている。

 

 作品は、2年前も見たものがいくつもあった。作品の題名を隠し、めくってみるようにしてある仕掛け。でも、題名が時代のせいもあるだろうけど、ワークとかあったりして、気恥ずかしいものも目立つ。ほとんどが古臭い感じがしてしまう。その中で、草間弥生のマカロニコートは確かに、キャラ立ちしていたし、妻もそれを見るなり、あ、クサマさんだと言っていた。コハダのブラジャーを写真に撮ったものや、自分の名前で振り込みカードを作っていた豊嶋康子は、二色の鉛筆を真ん中で削るだけなのに、妙に目がいったりするリアルさがあった。

 

 山下菊二というアーティストの戦争への執着と簡単にいっていいか分からないが、それは妙な迫力をまだ感じる。

 

 その中で、確か福岡の美術館で見て、いいなと思った作家の作品があった。どこにでもありそうな日常の光景をエッジが効いた切り取り方をして、シルクスクリーンで表現したものだった。今回も窓のそばの部屋の光景をカーテンにシルクスクリーンで転写したもので、この前見たものと比べるとリアルさがイマイチだったが、別の場所で見つけると変に嬉しい。ただ、その割に、鳥洲一 とりすはじめ という名前だと覚えていたのに、妻に聞いたら、島洲一 しま くにかず という名前だった。自分がマヌケだった。

 

(1999年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

amzn.to

 

 

 

「川端龍子VS.高橋龍太郎コレクション」会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃。2021.9.4~11.7。大田区立龍子記念館。

川端龍子VS.高橋龍太郎コレクション」会田誠鴻池朋子天明屋尚山口晃。2021.9.4~11.7。大田区立龍子記念館。

2021年10月28日。

 地元・東京都大田区大田区立龍子記念館」という施設があるのは知っていた。

大田区に20年以上住んでいるのに、一度も行ったことがなかったのは、川端龍子という画家を、以前は、ほとんど知らなかったせいだ。その名前の読み方(りゅうし)も、この画家が、男性ということさえ分かっていなかった。

 

bijutsutecho.com

 

 高橋龍太郎コレクションというのは、医師でもあるコレクターの高橋龍太郎氏の収集した2000点以上に及ぶコレクションで、自分も欲しくなるような作品ばかりで、「高橋コレクション」の関わる展覧会は、いくつも行った。

 

 それが、その高橋氏が、大田区にもゆかりがあるということで、そのコレクションと、川端龍子の作品がコラボレーションする企画が「区立龍子記念館」で行われる、というのは、個人的には、ちょっと夢みたいな気持ちだった。

 

 会田誠鴻池朋子天明屋尚山口晃の作品が見られるのは、自分にとっては、スターたちだから、ありがたい企画だったけれど、感染者が増大している時で、行けるかどうか分からなかった。10月になって感染者数が減ってきて、行けそうになった頃には、会期終了が迫ってきていた。
 

 平日の昼前に行こうと思ったのは、今のような感染が減少している状況であっても、できたら感染のリスクが少ない時に行こうとしたからだった。

 

「区立龍子記念館」の入り口には、消毒のポンプがテーブルにある。
 さらに、健康に関するチェックシートがあり、それに消毒をしてくれている鉛筆で、印をつける。
 それを持って、小さな窓の受付に渡し、入場料金を払う。

 一般で、500円。ありがたい。

 65歳以上と、未就学児は無料。素晴らしい。

 

 最初に川端龍子の作品。「香炉峰
 透明になった零戦が、大きく描かれている。
 とても目をひく、魅力的な、それで、新しさも感じる作品だった。
 単純に戦意高揚だけに思えないのは、今の視点から見るせいだろうか。

 

 次に会田誠の作品。「紐育空爆之図」。
 ニューヨークを零戦が爆撃をしている作品。
 絵を支えているのは、黄色いビールケース。意図的に安っぽさのようなものを出しているのだと思う。
 久しぶりに見て、これを、1990年代後半に描いたのは、今でもすごいような気がする。

 

 それから、鴻池朋子。「ラ・プリマヴェーラ」。
 色が鮮やかな植物と、思春期が描かれた絵画。

さらに映像作品も展示している。
 動画を、何人もがじっと見ている。

 

 それと対応するのが、川端龍子の「草の実」。これは、会田誠が評価しているという作品。売店で、扇子になっていた絵画。黒いバックに、植物が描いている。大きな屏風絵。顔料にプラチナなども使っているらしいが、渋い上に、シャープな印象があり、思った以上に、古くない絵画だった。

 さらに、会田が評価している「爆弾散華」は、自宅が爆破された後、終戦の年に描かれていて、ほぼ草花だけを描いているのに、何か、幅のある絵画だったし、ジャーナリスティックな作品でもあったと思った。

 

 山口晃天明屋尚。それぞれの作品に呼応するような川端龍子の絵画や仏像を、並べている。

 そんなに広くなかったのだけど、ゆっくり見られたし、初めてきちんと見た川端龍子の作品は、とても新鮮で、よかった。

 

 1時間弱で、見終わった。

 川端龍子の作品のクリアファイルを買って、館を出た。

 

 

(2021年の時の記録です)。

 

amzn.to

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リック・カストロ」展。1998.3.30~4.25。THE deep。

「リック・カストロ」展。1998.3.30~4.25。THE deep。

1998年4月10日。

 取材の帰り、渋谷の道玄坂の上の方に歩いて、ビルの上の階。

 暗い感じ。

 いわゆるフリークスの写真が並ぶ。

 

 異常というような感じはしなかったが、でも、見ていると、気持ちが引きつけられる感じもして、それでも、ダークとは違うような気もする。

 

(1998年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

www.natsume-books.com

 

amzn.to