アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

元木孝美 展 「space scape scale」。2012.7.7~7.31。Hasu no hana。

元木孝美 展 「space scape scale」。2012.7.7~7.31。Hasu no hana。

 

 トタンを使った、ちょっとはかなげにも思える「彫刻」。

 しっかりとした「形」になる前の「形」のような「立体」。

 ありそうでない作品。

 

 「創作ノートの中身のように

  コーヒーを飲みながら 

  そこはかとなくつれづれなるままに

  形にしていく」

  (メール文中作家の言葉より)。

 

 

 

 

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伊東純子 展 「You`ll Never Know」。2012.6.1~6.20。Hasu no hana。

伊東純子 展 「You`ll Never Know」。2012.6.1~6.20。Hasu no hana。

 女性の下着が展示されているように見える。

 少し入りにくいけれど、男性の下着とは、違うのはわかる。

 

 その柔らかさ。ひらひらした感じ。もちろん、いろいろなタイプはあるのだけど、不思議な感じはする。だけど、それは、男性から見た、変な幻想なのかもしれない、とも思う。

 

 ランジェリーをテーマとしていて、それは、その特徴みたいなものを拡大したような作品だから、その独特な感じが強調されているような気がした。

 

 何かのオブジェのように見える。

 

『造形、素材、機能性の矛盾。女性の内面のようなランジェリー。

 アートの街に生まれ変わった横浜・黄金町エリアで洋服製作アトリエを持ち、オリジナルブランド「un:ten」を展開。今回の展示ではアーティストとして、“ランジェリー”をテーマに展覧会を行います』(チラシより)。

 

 

 

 

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「GEISAI#17」。2012.9.2。東京都立産業貿易センター台東館。

GEISAI#17」。2012.9.2。東京都立産業貿易センター台東館。

2012年9月2日。

 審査員の一人は、ガンダムを創り上げた富野由悠季

 開会式のようなイベントで、「この会場全体が一つの花で、皆様の一人一人は花びらなんだ、」みたいなことを、参加者にもしていたようで、それは、やっぱりすごいことだと思った。

 

 さらに審査員は、鈴木心蜷川実花。二人とも写真家だった。

 

 東京ビッグサイトといった場所ではなく、今回は古くからのビルなので、やはり雰囲気は違っていた。

 

 参加者は、今回は年齢制限が撤廃されたので、いろいろな人たちが参加していた。そして、入場者も来ていた。活気はあった。このイベントの継続は、どうなるのだろうというような話は出ていたようだけど、できたら、長く続いてほしいと思った。

 

 

 

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マシュー・バーニー「クレマスター」1〜5。2017.11.25~26。東京都写真美術館。

マシュー・バーニー「クレマスター」1〜5。
2017年11月25日〜26日。東京都写真美術館

 「クレマスター」という映像作品の存在を知ったのは、20年くらい前のことで、写真としてその一部を見たことが何度もあって、だけど、全体を見たことはなかったし、上映についても、作家本人が定めたルールがあって、全部を見るのが難しいらしく、自分の中では、もう伝説だった。

 

 たぶん見ることが出来ないだろう。それが、日本でも見られると知ったのは、何カ月か前で、申し込もうと思ったら、その日のうちに、まだ数時間しかたってないのに、5本あるのに、すべてが満席になっていた。あっさりとあきらめた。

 

 それが、そこから何週間かたったら、キャンセルが出たのか、機械の都合なのか、また申し込めるようになったけど、その時点で3席とか、場合によっては1席だけだったので、ちょっと悩んで、全部申し込んで、お金も払った。最初の「クレマスター1」だけは、妻と一緒に見ることにした。一本あたり、1000円から、「クレマスター3」は3時間だから、1900円。全部で、7000円くらいになったのだけど、そして、こういうことにお金を使うのか、といった気持ちにもなったのだけど、まさか生きているうちに見られるとは思わなかったので、それはちょっとうれしかった。

 

2017年11月25日。

 初日。妻と一緒に恵比寿から歩く。久しぶりのガーデンプレイス。駅から、相変わらず遠い。映画館ではなく、美術館で見かけるような人々。さらに、お金を持っていそうな感じがする。アートは金持ちのためのものだから、こういう中では、私のように貧乏というだけで少数派なのかもしれない。
 

 「クレマスター1」。フットボールのフィールドと、飛行船2台を飛ばし、人もたくさん使って、何しろ、ぜいたくな作り方。内容は、おそらくは本人の妄想に近い、欲望に忠実なのだろうな、というような、だけど、これだけゴージャスに現実化するのは、特に20年くらい前だから、CGも使えないぶんだけ、お金もかかったよな、と余分なことも考えたが、思ったより面白く見る事ができた。

 妻も、そんなにつまらない、ということもなく、だけど、ここで解散して、先に帰ってもらって、義母の迎えもお願いすることになる。

 

「クレマスター2」。どこまでがリアルな映像かも分からないが、2の方が、殺したり、死んだり、セックスしたりと、欲望に忠実になってくるし、変態臭も強い。気持ちも悪いけど、やっぱりよく映像化した、と思ったりもした。

 

2017年11月26日。

 翌日、「クレマスター3」。長い。そして、あれこれ、きちんと気持ちが悪いし、クルマを破壊するのも、本当にまだやるのか、というくらい壊し続けていて、ちょっと恐いというか、気持ちいいよりも、まだやるのか、というような気持ちにもなり、時々、寝てしまったが、後半、グッゲンハイムの美術館を、本当に好きに使った感じとか、壁を本人が登って行くのは、身体能力も高いし、確か医学も学んでいるし、フットボールの推薦的なこともあったし、何でもできて、アートを選んだのは、それを元に好きに出来る、ということなのかもしれないが、舞台の場所がでかいし、映像の質は高いし、なんだかすごい。

 

「クレマスター4」。これが最初の作品らしく、途中、映像的にあんまりだ、みたいなところもあったが、どうしてこういう映像がイメージできるんだろうとも思ったが、もしかしたら夢を形にしているところが多いのかも、と思い、だけど、こんな夢見ているって、どれだけ変態なんだと思った。3も思ったけど、強い映像と強いエピソードらしきものも、よく分からないまま、どんどん過去になっていく。クレマスター、というタイトルに、妙に忠実だったりする場面があって、変におかしい。

 

「クレマスター5」。オペラがずっと流れている作品。最後は、A−8。一番前のほぼ正面。今回は、売り切れ間近で、一番後ろが、妻と一緒に見たDで、あとはBとAばかりだった。隣に座った男性が、開始5分くらいで寝ている。自分も、ここまで何度も寝ていたら責められないけど、いびきが聞こえる。映像の歌と、両方が聞こえる。途中、静かな場面のときは、いびきがやんだ。何らかのパフォーマンスのようだった。

 見た。

 つかれたりもしたけど、でも、見ている時に、世界に対しての見方が、妙に黒い感じになっていた。それだけ影響されたのだと思った。

 

 

(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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映画「この空の花 長岡花火物語」。大林宣彦 監督。2012.8.18~8.31。ポレポレ東中野。

映画「この空の花」。大林宣彦 監督。2012.8.18~8.31。ポレポレ東中野

2012年8月29日。

 椹木野衣ツイッターでほめているのを、というより、驚きと共に紹介しているのを村上隆ツイッターで知って、そのあとに会田誠もすごい、というような言い方をしているのを知って、見たいと思っていた。

 

 映画館へ一人で行くのは、変な気持ちだ。他のことと違う。美術館へ見に行くのと違うのは、時間が決まっているし、席があいてるのか、どのくらい混んでいるのか、そして、2時間以上の時間、トイレは大丈夫だろうか、そして、映画館へ入ると思った以上の人がたくさんいて、静かな熱気がこもっていて、夏の暑さがよけいに暑くなった。階段に座るなんて、珍しいけど、こういう待ち時間に座りながらも、あんぱんを食べて、おそらく映画を待っている時間にしかない少しのあせりと期待と、独特の緊張感がある。
 
 映画が始まる。主演の松雪泰子が、いきなりこっちを向いてしゃべり始める。一輪車で走る少女が出てくる。時間も場所も一緒になったりして、そして、長岡の歴史を柱にしながら、目が離せなかった。ものすごい密度と情報量。しゃべっている言葉が文字になり、だけど、そのあちこちに行ったりするのが、あまり気にならなかった。反戦的なメッセージが濃いのかもしれないけど、本気なのは分かった。なんだかすごいものだ、というだけは分かった。途中で主人公が、伝わります、と透明な(こういう言い方恥ずかしいけど)確信の部分や、模擬原爆で亡くなった家族がいて、今もその場所で祈るそのご本人の90歳を越えた姿を見て、その2カ所で一番泣きそうにもなった。最後まで、なんだかすごい。というか、やりたいこと、全部をやって、そして、成立させているのが、すごい。
 
 最後に「大団円」という文字が出て、おお、と思ったら、そこからまた長い。話したいことは全部出す。こんな表現がありえるんだ、と思ったが、ずっと変らないエネルギー。70歳を越えた人が出来るのがすごい。ものすごい重たいテーマだけど、CG
がファンタジーで、そして、この人のセンチメンタリズムがこれだけ本気だったという驚き。なんだかすごかった。体験に近かった。
 
 
 
 
(2012年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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「マルセル・デュシャンと日本美術」。2018.10.2~12.8。東京国立博物館(平成館)。  

マルセル・デュシャンと日本美術」。2018.10.2~12.8。
東京国立博物館(平成館)。  

2018年12月8日。

 デュシャンの作品がまとめて見られる、というので出かけた。

 

 1部は、フィラデルフィア美術館が所蔵する作品を中心に、かなりたっぷりと見ることができて、それで改めて、どうして「レディメイド」が出てきたのだろう、と不思議に思えたが、やっぱり満足感があった。ここから、現代美術が始まったと、改めて思う。

 

 ただ、第2部の「デュシャンの向こうに日本が見える」という企画が、あいまいに思えた。デュシャンの作品と、さらに時代的にはもっと前の日本の工芸品、絵画などとの類似点を匂わせているように感じる。

 もし、千利休の見立てが、デュシャンの「選ぶこと自体が作品」とかなり似ている、というのであれば、この展覧会をフィラデルフィアに巡回させ、その図録に、現代美術の源流は千利休の見立てなど、日本に発見できる、といった論文を書き、もちろん英語でも載せて、ある意味、西洋が中心である現代美術界に戦いを挑む、といった覚悟があれば、それが成立するかどうは別としても、この第2部の展示も、もっと違うものになったのに、とは思った。

 

 それは観客の勝手な思惑かもしれないけれど、でも、そういうことも考えたのだから、この展覧会の主旨には、見事に沿っているのかもしれない。

 

 

 

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「給水塔と赤い屋根展」。2013.11.30~12.4。Hasu no hana。

「給水塔と赤い屋根展」。2013.11.30~12.4。Hasu no hana。

2013年11月30日。

 

 阿佐ヶ谷住宅、という場所があった、と聞いた。

 団地、というには、どうやらもう少しおしゃれなところのようだった。写真で見たら、赤い屋根の団地は少し可愛くて、そして給水塔がとっくり型でそそりたっている光景は新鮮だった。私にとって集合住宅の水は、それぞれの棟の上に四角の金属の入れ物があり、そこまで水をあげて、そこから各戸へ水がいく、というスタイルだったという記憶しかない。

 

 今日から、その阿佐ヶ谷住宅、という団地をテーマにした展覧会を地元のギャラリーでやってくれる。それは、他の場所でやっていて、その写真を見て、見たいなあ、と思っていたからそれを巡回展でやってくれることになって、楽しみにしていた。

 

 行ったら、入り口のガラスに模型が並んでいた。それは焼き物で出来ているらしく、その広い敷地まで再現されているみたいで、魅力的な立体になっていた。電灯もつくらしい。
 
 中には写真が並んでいる。スナップ写真というような趣だけど、撮っている人が好きで撮影しているのが伝わって来て、それは自分の記憶などと重なって、すごく気になるものばかりに思えた。焼き物のようなブローチもよかったし、毎日撮影していた給水塔のスライドもなんだか魅力的だった。52棟も並んでいて、公園のようなものもあって、そして近所の人も含めて、60人くらいのアンケートを集めて、それを小さい紙にして書いてあって、地図のそれぞれの場所にはってあるというような作品もあった。手ぬぐいとか、いろいろな小さい商品があることで、かなり独特の空間になっていて、そこに阿佐ヶ谷住宅の中の植物を乾かして、それ

を材料として万華鏡を作る、という商品もあった。妻は、その万華鏡を作るのに、植物の材料を選んで、入れてから戻したりもして、熱心に作っていた。完成したら軽く飛びはねるくらいで、周囲からわりと温かい笑いを受けていた。私も赤い屋根の住宅のブローチ「52」という番号が入ったものを買ってもらった。

 

 思ったよりも楽しかったのは、自分が団地とは違うけれど、社宅に育ったせいかもしれない。そういう記憶がかなりあれこれと思い浮かび、中でも、作品の中の言葉から、自分も小さい頃に、ここが遊ぶところです、と指定されているところだけでなく、建物のすき間とか小さい山を切開いて作った団地だったから、思わず生まれている変な場所などをうろうろして遊んでいたのも久しぶりに強く思い出したりもした。
 
 
 
(2013年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。