アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「見るまえに跳べ」日本の新進作家vol.20。2023.10.27~2024.1.21。東京都写真美術館。

 

2023年12月27日。

 写真美術館に行く。

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4542.html

(「見るまえに跳べ」 日本の新進作家vol.20)

 

 この日は3つの展覧会を見たのだけど、自分としては、最初は、この展覧会を目的にして来た部分がある。

「日本の新進作家」というシリーズで、こうして、新しい写真家で展覧会を続けているのは、とても意味があるし、だから、写真美術館だとも思っているせいもある。

 入る前に、撮影はできますが、一部禁止のところがあります。それに暗幕がありますので、それをかき分けて、どんどん次に行ってください、といったことをスタッフに言われて、写真の展示で、そういうことを言われるのも珍しいと思って、最初の展示室へ入ったら、そうした注意事項を言われるのも納得がいくような気がした。

 壁には、写真を大きく伸ばし、それを短冊のように切って、展示室の壁いっぱいに、それが貼り付けられ、壁の面が見えなくなっている。それは、そこに来ないと分からないと思われる雰囲気で、写真が降り注いでいるような気がした。

 その中に、いわゆる人物写真が並んでいる。

 その人たちが、どういう人間なのか、それは最初の少し長いキャプションで説明されている。

 

 そこには、この展示室の写真を撮影をした淵上裕太が生まれた場所や、その後の生い立ち。大学を卒業し、車の整備士として働き始め、知り合った女性と結婚する未来を夢見ていたのに、その女性が姿を消したことから、仕事を辞め、写真の専門学校に通い始め、その頃から被写体になってもらっていたのは路上で知り合った人たちで、今は上野公園でさまざまな人を撮影している。

 この展示室にあるのは、上野公園で撮影された人たちの写真だった。

 それは、みんなこちらをまっすぐにみていて、その作品を鑑賞している人間も、見られていたり、にらまれていたり、ということではなくて、写真の前に立つと、その人と向き合っているような気持ちになれる。

 この展示室のキャプションも、この写真がここに並んでいる必然性に繋がっているし、壁を埋め尽くす細く切られた写真も、その中でこそ、一枚、一枚の人物写真も生きているような気がするから、今は、写真の展示も、その空間も含めて考えないといけない時代になったのだと思った。

 それは、写真は、以前よりも日常にあふれるようになってからも年月を重ねてしまったのだから、わざわざ、その場所に来ないと味わえないような展示をすることが、これからは常識になっていくのかもしれない。

 これに関しては、写真美術館で出している『「別冊ニャイズ」vol.00000154』によると、「作家から予想のナナメ上をいく提案も受けました。諸事情により諦めた内容もありますがほぼ作家たちの意向通りです」というコメントもあったので、写真家自身の発想ということを知ると、なんだか心強く、それこそ「将来性」という言葉が似合うようなことだと思った。

 

ウクライナ

 そこから、暗幕を通って、暗い部屋に進む。

 その部屋の前も壁には、「戦争だから」という手描きの大きな文字があった。

 

 夢無子。『戦争だから、結婚しよう』。

 2022年。ロシアの侵攻を受けたウクライナに2度に渡って現地に行って撮影した記録だった。

 小さめの映画館のスクリーンに、その時の写真と、さらには、作家の思いが言葉として、そこに並べられていく。そして、観客は、ヘッドフォンをつけて、ウクライナの現地の音を聴き続けながら、そこにいる。

 写真や、作家の現地での、後ろめたさや怖さも含めての率直な言葉や、写真や、さらには耳からの音によって、安全な場所にいる観客にも、なんともいえない不安定な怖さが伝わってくる。

 こうした大きいテーマを写真家が扱うことや、外の国の人間が現地に行くことに対して、色々な思いも浮かぶし、さまざまな批判もされそうだけど、でも、ずっとその部屋にいて、2つのスクリーンに映し出される夢無子の作品を見続けていた。

 観客は、とても安全な場所で、こうした作品に接することができるのは作家のおかげなのは間違いなかった。そして、やはり、とても強い印象が残った。

 

写真の展示

 そこから、さらに3人の写真家の作品を見た。

 それぞれの展示が、かなり明確に分かれていて、山上新平の展示室も、照明を落として、作品に集中できるようにしていたし、星玄人は、西成や新宿や横浜など、普段生活していると、あまり接しないような人たちの姿を撮影していて、さらには、自身が母親から受け継いだ喫茶店を今も経営しているらしいこと、その店自体が被写体になっていることに、急に必然性のようなものも迫ってくるような気もしたのは、それを情報として知ったからなのか、と観客自身の気持ちを振り返ったりもできた。

 そのあたりも含めて、山上も、星も、観客として知らない世界が、そこに、ただ収まっているようにはしないように、できたら体験に近いものになるように展示しているようにも思えた。

 展示の最後は、フライヤーのメインビジュアルでもある うつゆみこの作品だった。

 合成かと思った「鳥人間」のような写真は、再び「別冊ニャイズ」によると、作者が珍しい動物を飼っている人に頼んでいるらしいので、この動物たちの写真はCGのようなものではないらしい。といったことを知ると、やっぱり少し見方が変わる。

 展示室の中には、小屋のようなものが設置されていて、そこにビーズののれんのようなものをくぐって入ると、一つ一つを丁寧に鑑賞すると言うよりは、その世界に入らせてもらう、というような、やはり体験に近いものになっていたように思い、ちょっと楽しくもなっていて、奈良美智も、こうした小屋のような作品があったことも思い出す。そして、この小屋のような場所が撮影禁止になっているのは、被写体に自分の子どもがいたからかも、と勝手な推測もする。

 こうして別の作家のことを並べるのは失礼かもしれないけれど、今回の5人の写真家の展示を見て、特に写真は展覧会を見なくても写真集を見ればいいやと思ってしまいがちなのだけど、これだけ写真が日常になった現代では、展覧会をわざわざ見にくる意味が、以前よりもよりなくなってきているのは確実なことを前提に、とにかく、ここに来る価値のようなものを、5人ともきちんと考えているように思えた。

 それが、美術館側からすれば「ナナメ上をいく提案」に感じたのかもしれないけれど、観客としては、そうた作家の提案によって、来てよかったと思えた。

 

 

 

「路上2」渕上裕太

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amzn.to

 

「Helix」山上新平

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「街の火」 星玄人

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「Wunderkammer」 うつゆみこ

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プリピクテ「HUMAN /人間」展。2023.12.15~2024.1.17。東京都写真美術館。

プリピクテ「HUMAN /人間」展。2023.12.15~2024.1.17。東京都写真美術館

2023年12月27日。

 年末に写真美術館に出かけた。

 

東京都写真美術館サイト)

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4591.html

 

Prix Pictet(以下プリピクテ)は、写真と地球の持続可能性(サステナビリティ)に関する世界有数の賞です。2008年にピクテ・グループによって創設され、写真の力をつうじてサステナビリティという重要な問題に人々の関心を集めることを目的としています。今回で10回目となるプリピクテは、各回ごとにサステナビリティに関するテーマが設定されています。

プリピクテ「HUMAN /人間」展では、ショートリストに選ばれた12人の卓越した写真家の作品が展示されます。作品はどれも、「HUMAN /人間」というテーマが提示するさまざまな問題を、人々の心に訴えかける強烈なイメージと共に探求するもので、最終選考に残った写真家たちは、それぞれ独自の方法で、私たちが共有する人間性と、人間と世界との関係性という大きな問題点を掘り下げています。今回展示される作品は、ドキュメンタリー、ポートレート、風景、光とプロセスの研究など多岐にわたり、扱うテーマも、先住民の苦境、紛争、幼少時代、経済構造の崩壊、人間の集落に残された産業開発の痕跡、犯罪組織による暴力、国境の土地、移民に至るまでさまざまです。それぞれの写真は、”地球の世話役"としての私たち人間の役割を冷静に評し、15年前に創設されて以来、プリピクテが重視してきた地球のサステナビリティという重大な問題に光を当てています。

2023年9月、今回の世界巡回展の最初の開催地であるヴィクトリア&アルバート博物館で行われたオープニング・セレモニーでは、インドの写真家ガウリ・ギルがプリピクテ第10回「HUMAN /人間」を受賞したことが発表され、賞金10万スイスフランが授与されました。ギルはプリピクテの審査員たちによって、ショートリストに選出された12人の中から選ばれました。

ギルの作品からは、コミュニティと一緒に活動し、コミュニティを通じて活動するという、彼女が「アクティブ・リスニング」と呼ぶ信念が強く感じられます。20年以上にわたり、彼女は北インド、ラジャスタン西部の砂漠地帯にあるコミュニティと親交を深め、ここ10年はマハラシュトラ州の先住民アーティストとたちとも交流してきました。

                   (東京都写真美術館サイトより)

 

 そのギルの作品は、このサイトに載せられている。

 少女が二人、一人が木の枝から逆さまにぶら下がっているので、ややトリッキーな印象を与えるが、基本的には、とてもオーソドックスな写真が並んでいる。

 

 他の11人も、世界の各地で、様々な問題について取り組み、ウクライナのことから、自宅の庭での出来事まで幅広い出来事を記録した写真で、それぞれ、違うテーマでありながらも、どれも必然性のようなものがあって、強い画面に思えた。

 

 こうした貴重な作品を無料で見られるのは、さらにありがたい気持ちになった。

 

 

 

 

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写真集 『Balika Mela』 ガウル・ギル

「まいにち展  鹿児島睦」。PLAY!MUSEUM。2023.10.7~2014.1.8。

「まいにち展 鹿児島睦」。
 
2023年12月20日。
 入り口付近はゆったりとしたスペースで、何かのモビールようなものが天井からぶら下がっている。

 柔らかい色合いで、空間ができているような気がする。

 入場料を払って、Mのシールを服に貼り、おみくじまで引かせてもらった。

 なんだか、楽しい感じがする。

 

“役に立たないもの、美しいと思わないものを、家に置いてはならない”

100
年以上前、イギリスの芸術家・思想家、ウィリアム・モリスはこのように言いました。その思想はイギリスからじわじわと世界中に広がり、人々が日々の暮らしに目を向ける、ひとつのきっかけとなりました。 時を超え、九州は福岡で、陶芸家・アーティストの鹿児島睦(かごしままこと、1967年ー)も、人々の暮らしをよりよいものにしようと日々励んでいます。 この展覧会は、陶芸作品を中心に、テキスタイル、版画など多彩な仕事で注目を集める鹿児島睦、初の大規模な展覧会です。会場は、動物や植物をあしらったさまざまな色や形の約200点の器が、「あさごはん」「ひるごはん」「ばんごはん」のための大きなテーブルや壁面に並びます。そのほか、ファッション、インテリア、フードなどの領域でのコラボレーションから生まれたさまざまなプロダクツや作品を、「さんぽ」「おやすみなさい」など、日々の暮らしのシチュエーションで紹介していきます。鹿児島睦とその作品を通じて、私たちの日々の暮らしと、生きていくことに思いをはせる、そんな展覧会です。

                      (「PLAY!MUSEUM」より)

 かなり広いテーマで、だけど、入り口あたりから、その期待を静かに高めるような気配は確かにあった。

 

 会場に入る。

 会場の広いテーブルの上に、こちらが勝手にイメージしている鹿児島睦の象徴である器が並ぶ。

 こうして大皿や小皿やつぼのようなものまで一斉に並ぶのを直接見たのは初めてだったのだけど、その印象は、絵画がたくさんあるのに近い。そこに描かれた植物や動物は、模様というのではなく、そのまま全部がキャラクターのようだった。

 特にネコなどは、明らかに「かわい」かった。

 どれも、ピカピカした感じではなく、古びたというよりも、同じような意味合いだけども、ビンテージという表現が似合っていて、だから、いろいろな場所に合いそうだし、さまざまな料理を盛りつけても、違和感が少なそうだった。

 

 器だけではなく、パッケージなどもあって、例えば千歳飴の袋は、とても魅力的だったし、テキスタイルや、何より波型のプラスチック製の屋根に使われる材料は、家の軒先にも似たようなものが使用されていて、どちらかといえば、貧乏なもののはずなのに、それらに作品の表示や説明の文字を載せたりするなど、会場の設置も、心地よくいられるような工夫があちこちにあったように思う。

 何しろ、全部には気がついていないほど、さりげない気遣いのような会場になっていて、器の色付けの具合によって、その器がより美しく見えるように照明が暗い場所もあったりしたが、最後の部屋は、鹿児島睦の舞台裏、というか、雑誌で言えば、編集後記のような印象だった。

 そこには、鹿児島が影響を受けたものや、娘さんの作品や、これまでの年表のようなものも並んでいた。

 経歴をたどると、クリエイティブとビジネスをどのように両立させるか、といったことを考えながら、そうした環境で仕事をしてきたようだし、時には週末にはバーテンダーとなって、福岡の経済人との交流があった、といったこともあったようだから、いろいろな意味で有能な人なのだろうとも思った。

 

 作業風景の動画もあった。

 器を一枚一枚、さまざまな技法によって制作しているという説明の文章も会場に邪魔にならないように、だけど必要な人にはきちんと説明されているようなのだけど、その映像が流れている。

 器をひっかいて、線を引いているけれど、その道具が歯科医が使うものだったり、傘の骨だったりするのも分かって、そして、これだけ一枚ずつ一つの個性的な作品のように仕上げていて、その器が「かわいい」のであれば、当たり前だけど人気があるのも分かるような気がする。

 その上で、映像では、土という材料を使う陶器の制作現場のイスの座面が白かったし、別に昨日買ったわけでもないのに、白いままだった。

 それは、考えたら、すごいことだと思ったのだけど、作業風景を撮影している映像で、器の制作が一段落し、これで、この日の作業が終了、といった動きになってからら、さらに画面の中の鹿児島氏は動き続けていた。

 後片付けと掃除のためだった。

 あちこちをきれいに拭き取り、イスの脚までふいていたのを見たときは、きれい好きを超えて、とにかく整っていないと嫌な人なのかもしれない、と思い、なんだか感心した。こうした動画は、通常は作品を仕上げて終わりだったせいもある。

 

 展示を見終わり、その外のショップも、その展示の続きのようでもあって、もしもっとお金があったら、際限なく買ってしまいそうなほど、魅力的だった。

 それでも、少しだけ購入して、それから、美術館のスタッフの方に写真も撮ってもらった。

 ロッカーは、暗証番号を合わせて、そして開ける方式で、カギはないタイプで、それも含めて新しい感じがした。

 それで、その建物を後にして、さらに、このグリーンスプリングスという場所の、いくつかのショップを見た。

 だけど、本当はもっとあちこちゆっくりと見てまわりたかったけれど、時間も限られているので、そこから去った。もっとゆっくりしたかった。

 こんな楽園みたいな場所が立川にできた。

 それを、今日まで知らなかった。

 帰ってから、「まいにち展」でもらったおみくじを開けた。

 かわいい動物だった。

 

 

 

「鹿児島睦 まいにち」

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書籍  『秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明』 デイヴィッド・ホックニー

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『秘密の知識』(普及版) デイヴィッド・ホックニー

現代の巨匠、ホックニーが科学的、視覚的根拠により著した美術史における大胆な仮説。
カラヴァッジョ、デューラーダ・ヴィンチ、アングルなど西洋の巨匠が描いた名画やスケッチの複製など500点の図版を駆使して実証。一大センセーションを巻き起こした美術史における発見、

 これは、「amazon」での書籍の紹介の文章を引用したもので、こうした紹介は、時として、大げさではと感じることもあるが、この場合は、適切だと思えた。

 

 この書籍を読んで、過去の巨匠の作品を次に見る時、おそらくは以前と同様に、ただすごいと思えなくなり、見方が変わるような気がする。

 

アングルがなにかしらの光学機器を用いたのはまちがいないと思う。素描にはカメラ・ルシーダ、そして油彩画の精緻なディティールにはおそらくある種のカメラ・オブスクーラを利用したのだろう。それ以外に説明のつけようがあるとは思えない。しかし光学機器を用いたのはアングルが最初ではない。フェルメールはカメラ・オブスクーラを用いたとされる。光学機器に特有な効果が絵画に認められるので、そうした推論がなりたつのである。光学機器を使ったのはフェルメールが最初なのだろうか、それ以前にも使ったひとはいるのだろうか。美術書やカタログにかたはしから目を通し、証拠探しにとりかかった。するとそれまで気づかなかったことが、見えてきた。好奇心がふくらんだ。

                          (「秘密の知識」より)

 

 しかも、光学機器の使用については、ホックニーは15世紀から、と書いている。

 

突然の変化から察するに、新しい物の見方が徐々に描写法に進歩をもたらしたのではなく、原因は技術革新にあったと思われる。そして15世紀の初めにそうした革新があったことを、わたしたちは知っている。線遠近法の発明である。これによって画家は空間の奥行きを表現する方法を手に入れた。(中略)ただし線遠近法を用いて、模様のある織物の襞や、鎧の光沢を描けるわけではない。光学機器はその助けになるけれども、これまで光学に関する知識と技術の登場は遥か後のこととされていた。 

                        (「秘密の知識」より)

 

光学機器が絵を描くことはない。ただ映像、見た目をつくりだし、採寸の手だてとなるにすぎない。この点をもう一度、念を押しておきたい。何をどう描くかを心に思い描くのはやはり画家の務めであり、映像を絵具で描きとめるには、様々な技術的難題を克服する並外れた技量が求められる。とはいえ光学機器が絵画に大きな影響をおよぼし、画家がこれを用いたと気づいたときから、絵を見る目が変わってくる。ふだんは関連づけて考えることのない画家の間に、驚くような共通点を見出してはっとする。
                         (「秘密の知識」より)

 

 ホックニーは、自身の仮説を立証するために、過去の「巨匠」の作品を再検討し続け、時として、容赦のない表現もしている。
 

 情景には入念な照明が施されているが、背景とは一致しない。人物はアトリエの中にいて、背景は後から描き添えたようにも見える。

                        (「秘密の知識」より)

 

 他にも、この書籍は「普及版」ですら大型なので、ホックニーの指摘するような絵画の微妙な歪みも、納得させられてしまう気がしてくる。静物の様々な不自然さ。人物の大きすぎる肩。よく見ると変なプロポーション。確かに、ホックニーの言う通りだと思えてしまう。
 
 

わたしの立てた仮説が美術の不思議な魅力を損なうことになると考えるすべての人びとに、わたしはこう言いたい。それは思い違いである。わたしの考察は、(光学機器を使う)技術と方法の再発見を意味した。この技術と方法には、未来をより豊かにする可能性がある。 

                      (「秘密の知識」より)

 

 ホックニーは、この考察を、これからの美術のために「利用」したいというような意図があると知り、それも含めて、すごい試みだと改めて思わされた。
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さいたま国際芸術祭2023」。2023.10.7~12.10。メイン会場:旧市民会館おおみや

「さいたま国際芸術祭2023」

2023年12月6日。

 なかなか行くことができず、やっと行けそうなのが、会期終了間際だった。

 大宮は、私たちにとって遠い。

 電車に乗って、座れたからよかったけれど、1時間くらいずっと走って、そして、やっと着く。

 その前に、サイトを見ていて、いろいろなイベントや作品もありそうなのは知っていたのだけど、時間もそれほどたっぷりとはないので、おそらくメイン会場しか行けないと思っていた。

 大宮駅に着けば、国際芸術祭でもあるのだから、ポスターなどがあって、どうやって会場に行けばいいのか分かるはずと思っていたら、でも、見た範囲では、そうした形跡が一切なかった。

 埼玉在住の人が、この芸術祭のことを、全く知らない、と言っていたのが、何日か前のことだったのだけど、その人がアートにあまり興味がないせいかと思っていたが、これだけ何もなければ、それも仕方がないと思った。

 駅から出る時も、自分でプリントアウトしていった地図を注意深く見て、さらには駅構内の地図で確認しないと迷いそうだった。知らない街で、道が分からなくなると、不安だし、疲れが強くなるから、ここで慎重にしたかったけれど、これから芸術祭に行くのに、もうちょっと気持ちが浮き立つような表示などがあってもいいのに、と不満に思う。

 

 しばらく道路を歩くと、やっと「さいたま芸術祭2023のフラッグが控えめに歩道の上にぶら下がっているのがわかったから、この道筋で間違っていないとは思えたのだけど、会場に向けて歩いているのに、そのフラッグは、裏側だった。どうしてなのだろう、という気持ちになる。

 街には、芸術祭の気配がない。

 そこから、さらに歩き続け、右に曲がり、妻と二人で、「あの人は、会場に行くかも---」などと言いながら、それでも不安と共に歩いて行った。

 これまでの経験で言えば、この方がアート関係の施設に見えた立派なビルがあったら、それが大宮区役所だった。そのおしゃれな作りに、どこか圧倒されるような気持ちになっていたら、その建物の道路をはさんだところに、サイトで写真を見た、古いコンクリートの建物があり、その前に「さいたま芸術祭」の文字があった。

 旧市民会館おおみやに着いた。うれしいよりも、ちょっとほっとした。

 そこには、大きなモニターのようなものがあって、次々と映し出される映像は、おそらくは、この芸術祭のいろいろな場面のようだった。

 やっとアートの気配がした。

 

(メイン会場 旧市民会館おおみや)

https://artsaitama.jp/#

 この建物は、市民会館おおみやという名前で、実際に使用されてきたのだけど、2022年3月に閉館していた。その建物が、今回、「さいたま芸術祭2023」のメイン会場として再利用されるかたちになるのは、サイトを見て知っていた。

 いかにも古くからの公共施設のたたずまい、やや茶色い外観。

 建物の外側には、スタッフがいて、入場券のことを聞いたら、一階の端っこの入り口を示された。そこで、購入してからも、この建物に入れるし、もう一つ入り口もあると聞いた。

 歩いて、妻と二人で建物に入って、チケットを2枚を買った。4000円。

 1階のロビーのような場所。そこには、まだ工事中にも見える鉄パイプも使っている階段があって、建物の構造自体は複雑なのは分かったけれど、なんだかガランとしていて、何もないようにも思える。

 作品は、どこだろう。そう思っても、何もないように見えて、すぐに目に入ったのは、盆栽だった。「フロアマップ」を見たら、名前があった。「平尾成志」。それが盆栽の「作者」だった。

 埼玉県は、盆栽が有名だったことを思い出した。

 妻の方が、熱心に見ていた。

 あまり見る機会がないけれど、部分的に白骨のようになっているような盆栽もあって、そして、この小ささで樹木になっているのは、やっぱり不思議だった。だけど、その感じが、この古い建物とマッチしすぎていて、イスに座って、しばらくゆっくりして、トイレに行ったりしたのは、ここまでの小さい旅の過程で、少し疲れていたのかもしれない。

 他には、何もない。

 その1階の隅には、透明な板で区切られた別の空間があったけれど、ここから直接行けない。ただ、さいたま芸術祭、という名前がついているのに、もっと作品があるのに、と思ってはいた。

 それでも、単純に見落としているだけかも、と思うのは、作品の表示や説明がなかったせいもある。

 

2階

 

 そこから、階段を上がる。

 2階の「フロアマップ」には、伊藤比呂美という名前がある。

 あの詩人なのは分かるから、壁に何か「詩」があったりするのだろうか、などと思って2階に上がったのだけど、ホールへ入るドアが閉まったままだったり、窓があったり、半分くらいは透明な板で区切られていて、向こうには行けないだけで、そして、もう一人のアーニャ・ガラッチオというアーティストの作品は、どこにあるか分からない。

 そのスペースの隅にある地味なクッションのある長椅子に何の説明もなくヘッドフォンが三つあった。それを耳にかけると、伊藤比呂美が詩や散文の朗読をする声が聞こえてくる。

 古い建物の内部で、人が行き来する姿を見ながら、その声を聞くと、こうして整備されていないような環境では、あまりない経験で、新鮮だった。その声がやけに近くに感じたりもしたのだけど、ずっと聞いていたいような気持ちにもなった。

 ただ、まだ他にも見たいので、途中、区切りのいいところでやめて、3階に上がる。

 今のところ、作品の数が少ないのでは、という気持ちはある。

 

3階

 

 さらに上の階に上る。

 3階に、透明なプラスチックの壁で区切られた、ややがらんとした空間に思えるが、そこに横倒しになった大きな板のようなものがある。

 それはポートレイト・プロジェクトだった。

 さいたまの人を撮影したポートレイトを、毎日入れ替わるから、次の写真が用意されているようだ。

 そして、その奥には、今村源の作品。

 撮影禁止のマークがあって、そこには、机や傘立てなどが、ヒザの高さくらいのところに水面があるかのように、逆さまに、同じ立体が支えている。ちょっと不思議な感覚になるが、そこを床に控えめに示された点線に従って歩いて、見ていると、また次の部屋に出る。

 先に進んでいた妻は、その点線を見落としていたらしく、直線的にその空間に近寄って行って、スタッフの方に穏やかに注意をされていたようだ。

 そのフロアも見ている時は、その透明な板の向こうにいる人たちが、動いている風景自体が、作品にも見える、日常的にはあまりないような姿も気になるが、その今村源の向こうの部屋は暗くなっていて、そこに映像が映写されている。

 水面がそこに映っていて、そこの水面ギリギリのアングルで、少しずつ後ろ向きに動いていって、そして、空とその貯水池に表面に写ったその空が、なんだかきれいに見えて、水の中から、あぶくが浮かんで、といった変化ぐらいだけなのだけど、なんだか見ていられた。

 約10分。荒川弘憲。撮影は、芝川第一調整池だと示されている。

 それで、また、今村源の作品の中を、戻って行った。

 

 ここまで、作品数だと1階から3階まで、5作品。

 国際芸術祭と名前がついて、メイン会場としては、やっぱり少ないと思う。

 でも、実は、この会場では、半分くらい鑑賞したに過ぎなかった。

 

再度入場

 

 この建物が、不思議な構造に思えるのは、透明な板で区切られた場所に行くには、同じフロアなのに、どうやら、一度、外に出て、また違う入り口から入らなければいけないからのようだ。

 そして、一度、出る前に、そういえば大ホールを見ていないと思って、その前にスタッフの方が座っていて、中に入っていいんですか?と聞いたら、うなずいてくれて、その中には立派なホールが広がっていて、少し遠くの舞台では、和服を着て、刀を持って、舞っていた。

 メイン会場・大ホールのスケジュールは、10月7日の最初の日から、休館日以外は、何かしらの催し物がずっと行われていて、今日は、「市民文化団体 さいたま市浦和吟剣詩舞道連盟」だった。

 初めて見たけれど、あまりにもなじみがないせいもあって、妻と二人で、申し訳ないのだけど、少しだけ見て、そして、早めに出てきてしまった。

 それから、一度、外へ出て、今度は外階段を使って、2階から入る。

 その正面には花がたくさん展示されていた。

 それは無数の切花のガーベラが壁に張り付くようにガラスで展示されていて、でも、その花は会期が始まってから、ずっとそこにあるから、枯れている上に、かなり朽ちて、その外側にまで落ちていた。

 そこには時間も表現されているのだろう。

 

 さっき、2階の時には、「アーニャ・ガラッチオ」と名前だけがフロアマップにあったのだけど、これが、その作品で、さっきは見えない場所だった。そこから、またさっきも一度はいた2階のフロアに入ったら、何もないように思えて、そこには目立たないようにヘッドフォンがあって、それは、さっきの伊藤比呂美の朗読だったけれど、その内容はやっぱり違っているようだった。

 さっきは、俗世間に関する話であって、ここでの話は、どちらかといえば、あの世に近いような朗読に感じた。違う言葉で言えば「表」と「裏」のようにも感じた。どちらにしても、こういうある種の雑踏ような場所で、自分だけがヘッドフォンで言葉を聞いていると、やはり少し不思議な気持ちになり、同時に、その話されている内容がやはり面白く、妻と二人で、作品一つが朗読される区切りまで聞いていた。

 時間がもっとあったり、気持ちに余裕もあったとしたら、本当に、さっきの朗読も含めて、全部聞きたいくらいな気持ちだった。

 

裏側

 

 そこから1階に降っていくと、またさっきの「市民文化団体 さいたま市浦和吟剣詩舞道連盟」が舞っている大ホールへ入って行った。

 だけど、それは、ホールの隅っこを、透明な板で区切られた通路を歩く。だから、観客席でも、外側に見えて、そこからさらに歩くと、舞台も真横から見えるような場所もあった。

 いわゆる舞台袖、というものを、今、舞台が行われているときに、こうして、その現場を見るのは初めてだった。当たり前だけど、舞台の奥行きの分だけ、舞台袖のスペースがあるのだから、思ったよりも広くて、そして、そこに関係者、もしかしたら次に舞台に出る人かもしれないけれど、表情は厳しくて緊張感があった。

 でもそれは、私たちのように、舞台をのぞき込むような観客がいるから、余計に緊張して、というか、不機嫌になっていたのかもしれない。そして、その透明な板で区切られた通路は、舞台の裏にまで通じていた。

 だから、もしかしたら、舞っている人たちの後ろで、観客席から見えてしまうかも、と思いながらも、そうはいっても、見えないようにしてくれているのか、と考えながらも、それでも、実際に行われている舞台で、観客もいる中で、その場所からの視点を得られることは、おそらくはこれからもないだろうと思って、そこを歩いてみた。

 あちらから見えているとしても、観客は見えていないように振る舞っているはずで、だから、私の存在は透明人間というか、それこそ、幽霊のような存在になっていると思うと、そのことが本当かどうかは確かめようがなくても、不思議な気持ちにはなれた。

 そこからは、ホールの外側の事務所のような場所が続く、あまり広くない廊下を、一方通行です、とスタッフに言われながら歩く。

 そこは、ずっと透明な板で区切られていて、そこにあるのに、そこにはいけない場所が続く。

 ある会議室のような場所。ソファーが並んでいるのだけど、その部屋の一部だけ、「こちら側」で、仕切りがあって、「あちら側」と区切られているのが、はっきりとしている場所で、なんだか楽しくなって、その「こちら側」のソファーが二つあったので、スタッフの方に聞いたら、座ってもいいということだったので、妻と座って、しばらく話をしていた。

 ここまで思ったよりも、歩いていたみたいで、やっぱり少し疲れていたみたいで、そのまま、ちょっとくつろいだ気持ちで楽しい感じになった頃、スタッフから、「すみません。ここは休憩室ではないので------」と、とても遠慮がちに言われたけれど、それだけ楽しんでいたのだと思う。

 そのそばに、「スケーパー研究所」という部屋があった。

 https://sukeken.jp

 

 それは、この会場の内外で、微妙に日常とは違う行為を行い、それを作品として提示する、というような試みだった。

 だから、さっき、廊下で何もないような天井をずっとみ続けている女性がいたのだけど、あの人も「スケーパー」に違いなく、妻は、話しかけたがって、また廊下を戻ろうとしたのだけど、スタッフの人に、「ここは一方通行なので」と止められていた。

 そのそばには、事務所のような日常的な場所があったのだけど、そこも透明な板の向こうにあって、それは、本当に使っている状態なのかも、よく分からなかったけれど、区切られているだけで、少し遠い世界には感じる。

 あとは、地下1階と地下2階で、この会場は鑑賞したことになる。

 作品数で言えば、ここまででも9点だから、芸術祭、という名前のメイン会場としては、圧倒的に少ないのは間違いないが、この建物の構造によって、なんだか、全てが作品に見えてくるし、実際に、掃除道具があちこちにあったりしたものの、それも「スケーパー」による作品ではないかと思って、みていた。だから、なんだか楽しい空間だった。

 

さざえ堂

 この会場を巡りながら、頭に浮かんだのはさざえ堂だった。

 

会津若松観光ナビ)

https://www.aizukanko.com/spot/138

独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。    また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式

                       (「会津若松観光ナビ」より)

 

 もちろん完全には同じなわけはないし、大きく違うのは、その別の通路にしている仕切りを透明にしたことだ。それによって、見る側の勝手な感覚なのだけど、「あちら側」と「こちら側」のような見方もできて、それだけで、失礼ながら平凡な建物で、さらには、作品数の少なさも、十分にカバーするような独特の面白さを生んでいると思った。

 これが、「目[mé]」ディレクションした、という意味なのだろうけれど、このメイン会場全体が、作品にも思えてくる。

 それで、気がついたのが、まだ、3階をみていないということだった。

 さっきは、一度は「あちら側」の展示は見たのだし、透明な仕切りだから、何があるのかは知ってはいたのだけど、やはり、わかっているようで、視点が違うと感じるものも違うのかも、と思って、妻とも相談して、3階に上がった。

 そこには、その仕切り自体に着色されたような絵画のような作品があるのは、知っていた。でも、その裏に鏡があって、さらに、その作品が写って、複雑な像に感じさせるのは、さっきは見えなかった。

 谷口真人。《私たちは一つの物語しか選べないのか?》。

 それだけが見たくて、3階まで上がってきたのだけど、透明な仕切りのせいで、なんだか、違う場所にも思えたり、さっきの今村源の作品は、仕切りのこちら側から見た方が、本当に、イスとか、傘立てなどが水面に浮かび、その反射した像が見えているように思えたりもして、新鮮だった。

 何より、同じような場所にいるのに、観客が「あちら側」を歩いていて、それは、そこにはいけないというような感覚も不思議には思えた。

 そのあと、やや疲れが見えてきた妻と話をして、でも、せっかく来たのだからと、地下1階の作品も見た。そこには映像があって、空き缶を、野球のピッチャーが変化球を投げる握りをしているのが、妻は気に入ったようだった。

 途中で、掃除のスタッフがいたのだけど、あれは例の「スケーパー」ではないか、と妻は興味を持ってみていて、話しかけそうな勢いもあったから、私よりも集中して楽しんでいたのだと思う。

 そして、地下2階もあるのだけど、地下1階はずっと一方通行で、いったんは外へ出て、また地下2階に向かう、というあたりで、妻の疲れも出ていたのだけど、それでも見たかったので、一緒に行ってもらい、だから、この構造が余計に、「さざえ堂」のように思えてきたし、ここまでみてきて、建物のあちこちにあったものも、実は「スケーパー」の作品ではないかと思えること自体が、なんだか楽しかった。

 いわゆるスターアーティストのような人はいなかったように思ったし、自分の無知もあるけれど、失礼ながら知っている作家もいなかったし、国際芸術祭と名乗らない方が、もっと自由にできるのに、などと思ったけれど、この空間も含めて、新鮮だった。

 ポストカードも購入し、会場を出る時は2時間が経っていた。

 会場の外のベンチの上にも、色づいた枯葉が明らかに意図的に集められている場所もあった。

 

 帰りの電車の中で、座席に座っていたのだけど、通路の向こう側の座席の女性が、こちらに向かって、笑いかけているように思えた。最初は隣の人と話をしているのかと思ったら、一人で、もしかしたら、この人も「スケーパー」なのでは、と思った。

 考えすぎだと思うけれど、そんなようなことを思えるほど、影響があったのだから、十分に意味があったし、来てよかったと思った。

 

 

 

「さいたまトリエンナーレ2016 公式カタログ」

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『読書する女性たち』。2023.9.9~11.19。アーティゾン美術館(特集コーナー展示)。

『読書する女性たち』。2023.9.9~11.19。アーティゾン美術館。

 アーティゾン美術館になってから初めて行った。

 常設展の中に、特集コーナーが設置されていて、そこで「読書する女性たち」というテーマだった。

 

『ヨーロッパでは、読書という画題は、男性に属するものと考えられてきました。書物は、その男性の職業や社会的地位を表すもの、あるいは、知識や権威、思索の象徴としての意味を担っていました。

 ルネサンス期に印刷術が発明されると、宗教書以外の書物が市場に出回り、17世紀に入ると小説が娯楽のひとつとなりました。18世紀には識字率が向上して、女性の読者が増加しました。そして、読書する女性の姿が多くの絵画に描かれるようになります。

 西洋に学んだ日本近代の画家たちも、同じ画題を取りあげました』(ハンドアウトより)。

 

 時々、どうして本を読む女性が絵画になっているのか不思議に思うこともあったのだけど、そうした背景があったのだと初めて知った。そして、そう思ってみると、今まで平凡な画題と思っていた「本を読む女性」が、ちょっと違って見える。

 

『ヨーロッパへ留学した日本人画家たちは、西洋にならい、読書する女性を画題としました。たとえば和田英作は、パリ南郊のグレー=シュル=ロワンで浅井忠と共同生活を送りながら、宿のそばに住む20歳前後の女性をモデルに制作しました。ふたりの日記によると、モデルの女性は、子どもが泣くのを無視して平気で小説を読んでいたそうです。

 読書する女性たちは、西洋的な画題として日本で受け入れられ、多く描かれるようになりました。とりわけ明治末期の文展(文部省美術展覧会)には、「婦人読書図」が多く出品されています。

(中略)

 大正時代になると、読書は良妻賢母というあり方にふさわしくないと考えられるようになりました。読書にふけって家事をないがしろにする風刺画が描かれたほどです。「読書する女性」は、東西の時代背景を伝えてくれる重要な画題です』(ハンドアウトより)。

 

 こうした画題も「輸入」されたものだったのだと思った。だから、西洋と日本では、その絵の意味は違うのだろう。ただ、大正時代以降、「読書は良妻賢母にふさわしくない」という時代背景になってからの、日本の「読書する女性たち」には、また違う意味合いが加わったのかもしれない、とも思った。

 

 

 

(『すぐわかる画家別近代絵画のみかた』 尾崎正明 監修)

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『安藤裕美個展 学舎での10年をめぐって 「ナビ派」と「パープルーム」への眼差し』。2023.11.10~11.20。パープルームギャラリー。

『安藤裕美個展 学舎での10年をめぐって 「ナビ派」と「パープルーム」への眼差し』

2023年11月20日。

『パープルームギャラリー』。

https://parplume-gallery.com/501-2/

 パープルームというアート・コレクティブ(≒アートグループ)、第1期のパープルーム予備校生として入ってきて、東京藝大に合格したものの、かなり早く中退をして、再びパープルームでずっと活動を続けていた安藤裕美というアーティストが、個展をすることを知った。

 

 これまで、10年、パープルームで活動をしながら、その日常をずっと作品にしてきた。漫画の形式をとったり、映像として制作したり、そして今回は油彩を発表するという。

 

都心から電車で1時間ほど、神奈川県にあるベッドタウン。JR相模原駅から徒歩20分ぐらいの住宅街にパープルームはポツンと佇んでいる。時代においていかれたようなボロボロの2階建ての建物はいつもぎしぎし軋んでいる。2階がパープルームの拠点で1階のテナントのうち一つがパープルームギャラリーだ。その隣にはラーメンショップと焼きとり屋が入っていて、あたりにはいつもラーメンの匂いが漂っている。
この個展の出品作品は全てパープルームで生活しながら制作したものだ。

 

私はこの場所でパープルームのメンバーとして10年間活動を続けてきた。私が初めてここにきたのは2014年、19歳の夏だった。
2010年代はコレクティブの時代と言われていて、たくさんのアート系のグループが存在した。そのなかでパープルームは『スクールカーストの3軍系』と自称していた。
他のコレクティブが次々と活動をやめていくなか私たちが続けてくることができたのは、ずるずるとしていながらも真面目なつながりだからかもしれない。グループとしての方針はなんとなく存在してるけれど、みんなが理解しているかは怪しい。頻繁に寄り集まっているけれど、そんなに仲が良いわけでもない。しかし各々、人生のほとんどの時間を美術の活動のために割いている。掛け金は高い、そこは共通している。そうじゃない人はあまり定着しない。
パープルームにはこれまで10代から20代までの美術を志す若者たちが全国各地から相模原に移住してきて共に活動し、言葉で言い表せない関係性や変な物語がたくさん生まれてきた。ここには私の青春が詰まっている。印象的なエピソードを思い出してみると、どんどん溢れてくる。

      (「パープルームギャラリー」サイトより)

 

 これは、サイトにも載せられているステートメントだった。

 

今回の個展の副題が『ナビ派とパープルームへの眼差し』なのは、私が12年前から傾倒してきたナビ派とパープルームを重ね合わせて見ているからだ。ナビ派は19世紀末、フランスで活動した前衛芸術グループで、その中心メンバーは画塾アカデミージュリアンに通っていた。この塾は当初、フランスの国立美術学校エコール・デ・ボザールの予備校として設立されたものだったが、だんだんと反アカデミズムの独自の教育を施すようになった。ナビ派ゴーギャンの影響を受けつつもそこから新しい何かを生み出そうとした。ただ、メンバーに裕福な家庭のエリートが多く活動形態もゆったりしていた。そこまで活発ではない作家でもちょっと作風がそれっぽければナビ派を名乗れた節がある。パープルームの場合はみんな作風は違うけれど作家活動にかける熱量やメンバー同士のやりとりは、ナビ派よりもレベルが高いように思う。

       (「パープルームギャラリー」サイトより)

 

 ギャラリーの自動ドアは、どうやら故障していて、パープルームのメンバーと思われる男性が、手でそっと開けてくれた。

 スペースは記憶の中よりも、コンパクトだった。すでに観客は一人いる。

 そこに絵画が並んでいる。

 油絵の具を使用して、密度が高く画面が作られていて、色でびっしりとうめられている。すごくはっきりとした形をつくっているわけではないのだけど、それでも、そこで何があるのかは、わかる。

 

 いつも観客として絵画を見るとき、長い歴史があるスタイルで、これまで数限りなく「名作」も誕生してきたはずだけど、こうして作品を見ると、やっぱり古くなくて、現代だと、どうしてだか思う。

 見ていると、しばらく見ていたくなるような感じがしていると、安藤裕美に話しかけられる。この作品は、パープルームの日常をスナップのように切り取って、描いたものです。そんなような説明をしていて、こちらをまっすぐに見てきた。

 

 作品には、パープルームの日常が描かれている。

 それは、そのときにそこにいた人間にしかわからない出来事がある。

 自分には、まったく関係もなく、知らない人たちであって、見たことのない日常のはずなのに、なんだか、自分にもあったような気もしてくるから、勝手に郷愁のようなものを感じる。

 ただ、そんな勝手な思いとは別に、絵画自体は見ていると、最初は混沌として絵の具が盛られているように見えていたのが、それぞれの色彩が鮮やかに思えてくるから、それは画面に慣れてきたのか、色彩に馴染んできたのかわからないけれど、そうしたことも含めて、やっぱり古いものではなく、新しい作品なのだという印象になる。

 そういう言葉にならない感じを伝えてくれるから、これはやっぱりアートなのだと思う。

(ここでは美術、という言葉のようだけれど)。

 

制作

 せっかくなので、描いた本人もいるので、少し聞いてみた。(その時の会話を記憶で書いたので、細かい点が違っていたら、すみません)。

 

 描くときに、これまでの歴史的なことは考えて、これでは、近代絵画に勝てない、的なことを考えて、色の配色を考えたりもしている。

 そして、作品制作に関しては、主宰する梅津の頭の中には美術史のデータベースのようなものがあるので、そうした意見も参考にしながら制作しているというので、ただ、感じるままに筆を走らせるといった方法はとっていないようだ。

 そうした思考の積み重ねのようなものが、大げさに言えば、画面の強度につながっているように思った。

 それでも、少し不思議だったのは、パープルームの初期からずっといて、活動も制作も続けているのに、確か、安藤の個展のような催しは、このパープルームギャラリーでも行われていないのが不思議だったけれど、そんなことを少したずねたら、油絵を描くようになったのは、ここ3年くらいなので、という答えがかえってきた。

 見続けると、いろいろなものが見えてくるような重層的な感じがして、こういう作品ができる力があるのに、と思ったから、すごく謙虚な感じがした。

 これから、この場所はなくなるけれど、今度は立川に場所を移し、パープルームの活動は続けるので、安藤も当然のように作品を制作し続けるのだろう。

 考えたら、19歳から29歳までの10年間は、自分のことを振り返っても、何をしたらいいのか、本当はどうしたいのか、そういうことがよくわからずに、あれこれ試行錯誤をする時期でもあるはずで、それは、ごく一般的なことでもあるはずなのに、安藤裕美は、パープルームの活動をして、その日常を作品化してきたようだ。

 

 それをどうして形にするのか。どうすればより質の高い作品になるのか。(この質に関しては、すごくいろいろと考えていそうだけど)。そういう迷いや、悩みはあっても、この日常を作品にしていくことに、どうやらなんの迷いもなさそうで、それは、すごいことだと改めて思う。

 生活と、作品制作が、まるで一体化していて、さらには、相模原という場所には華やかなことも少なそうで、ずっと美術の世界に暮らしていて、すごくストイックなことでもあるはずだけど、今回、とても短い時間で、わずかな会話しかしていないから、全部がわかるわけでもないのだけど、よく、ストイックさと共存しているはずの悲壮感のようなものを、ほとんど感じなかった。

 そういう人だから、アート・コレクティブという特殊な環境の中に生活をしながら、その生活の中の出来事を、作品化し続け、それを10年も持続することができるのかもしれないけれど、考えたら、そういうことは他の誰にもできることではないのではないだろうか。

 それを続けることは、おそらく本人にも全部説明できることではないのだろうけど、これをこれだけ持続することは、人目をひく派手さはないとしても、なんだかすごいことで、それがベースにあるから、日常的な光景にも関わらず、不思議な強さを感じるのかもしれない。

 絵画のタイトルには、どんな場面で、誰が描かれているかが記されているので、この作品が長く残ることになれば、パープルームの日常が歴史化されて、さらに年月が経って、美術館に収蔵されたり、誰かが所蔵し続けると、2000年代の日本のアートコレクティブの代表的な存在としてパープルームが取り上げられる時があるのでは、などと作品を見てバスに乗って、電車に乗ってから、いろいろとそんなふうな想像が広がったから、やはり作品としての力があるのではないかと思った。

 

 

 

(『ラムからマトン』 梅津庸一)

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