アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

『安藤裕美個展 学舎での10年をめぐって 「ナビ派」と「パープルーム」への眼差し』。2023.11.10~11.20。パープルームギャラリー。

『安藤裕美個展 学舎での10年をめぐって 「ナビ派」と「パープルーム」への眼差し』

2023年11月20日。

『パープルームギャラリー』。

https://parplume-gallery.com/501-2/

 パープルームというアート・コレクティブ(≒アートグループ)、第1期のパープルーム予備校生として入ってきて、東京藝大に合格したものの、かなり早く中退をして、再びパープルームでずっと活動を続けていた安藤裕美というアーティストが、個展をすることを知った。

 

 これまで、10年、パープルームで活動をしながら、その日常をずっと作品にしてきた。漫画の形式をとったり、映像として制作したり、そして今回は油彩を発表するという。

 

都心から電車で1時間ほど、神奈川県にあるベッドタウン。JR相模原駅から徒歩20分ぐらいの住宅街にパープルームはポツンと佇んでいる。時代においていかれたようなボロボロの2階建ての建物はいつもぎしぎし軋んでいる。2階がパープルームの拠点で1階のテナントのうち一つがパープルームギャラリーだ。その隣にはラーメンショップと焼きとり屋が入っていて、あたりにはいつもラーメンの匂いが漂っている。
この個展の出品作品は全てパープルームで生活しながら制作したものだ。

 

私はこの場所でパープルームのメンバーとして10年間活動を続けてきた。私が初めてここにきたのは2014年、19歳の夏だった。
2010年代はコレクティブの時代と言われていて、たくさんのアート系のグループが存在した。そのなかでパープルームは『スクールカーストの3軍系』と自称していた。
他のコレクティブが次々と活動をやめていくなか私たちが続けてくることができたのは、ずるずるとしていながらも真面目なつながりだからかもしれない。グループとしての方針はなんとなく存在してるけれど、みんなが理解しているかは怪しい。頻繁に寄り集まっているけれど、そんなに仲が良いわけでもない。しかし各々、人生のほとんどの時間を美術の活動のために割いている。掛け金は高い、そこは共通している。そうじゃない人はあまり定着しない。
パープルームにはこれまで10代から20代までの美術を志す若者たちが全国各地から相模原に移住してきて共に活動し、言葉で言い表せない関係性や変な物語がたくさん生まれてきた。ここには私の青春が詰まっている。印象的なエピソードを思い出してみると、どんどん溢れてくる。

      (「パープルームギャラリー」サイトより)

 

 これは、サイトにも載せられているステートメントだった。

 

今回の個展の副題が『ナビ派とパープルームへの眼差し』なのは、私が12年前から傾倒してきたナビ派とパープルームを重ね合わせて見ているからだ。ナビ派は19世紀末、フランスで活動した前衛芸術グループで、その中心メンバーは画塾アカデミージュリアンに通っていた。この塾は当初、フランスの国立美術学校エコール・デ・ボザールの予備校として設立されたものだったが、だんだんと反アカデミズムの独自の教育を施すようになった。ナビ派ゴーギャンの影響を受けつつもそこから新しい何かを生み出そうとした。ただ、メンバーに裕福な家庭のエリートが多く活動形態もゆったりしていた。そこまで活発ではない作家でもちょっと作風がそれっぽければナビ派を名乗れた節がある。パープルームの場合はみんな作風は違うけれど作家活動にかける熱量やメンバー同士のやりとりは、ナビ派よりもレベルが高いように思う。

       (「パープルームギャラリー」サイトより)

 

 ギャラリーの自動ドアは、どうやら故障していて、パープルームのメンバーと思われる男性が、手でそっと開けてくれた。

 スペースは記憶の中よりも、コンパクトだった。すでに観客は一人いる。

 そこに絵画が並んでいる。

 油絵の具を使用して、密度が高く画面が作られていて、色でびっしりとうめられている。すごくはっきりとした形をつくっているわけではないのだけど、それでも、そこで何があるのかは、わかる。

 

 いつも観客として絵画を見るとき、長い歴史があるスタイルで、これまで数限りなく「名作」も誕生してきたはずだけど、こうして作品を見ると、やっぱり古くなくて、現代だと、どうしてだか思う。

 見ていると、しばらく見ていたくなるような感じがしていると、安藤裕美に話しかけられる。この作品は、パープルームの日常をスナップのように切り取って、描いたものです。そんなような説明をしていて、こちらをまっすぐに見てきた。

 

 作品には、パープルームの日常が描かれている。

 それは、そのときにそこにいた人間にしかわからない出来事がある。

 自分には、まったく関係もなく、知らない人たちであって、見たことのない日常のはずなのに、なんだか、自分にもあったような気もしてくるから、勝手に郷愁のようなものを感じる。

 ただ、そんな勝手な思いとは別に、絵画自体は見ていると、最初は混沌として絵の具が盛られているように見えていたのが、それぞれの色彩が鮮やかに思えてくるから、それは画面に慣れてきたのか、色彩に馴染んできたのかわからないけれど、そうしたことも含めて、やっぱり古いものではなく、新しい作品なのだという印象になる。

 そういう言葉にならない感じを伝えてくれるから、これはやっぱりアートなのだと思う。

(ここでは美術、という言葉のようだけれど)。

 

制作

 せっかくなので、描いた本人もいるので、少し聞いてみた。(その時の会話を記憶で書いたので、細かい点が違っていたら、すみません)。

 

 描くときに、これまでの歴史的なことは考えて、これでは、近代絵画に勝てない、的なことを考えて、色の配色を考えたりもしている。

 そして、作品制作に関しては、主宰する梅津の頭の中には美術史のデータベースのようなものがあるので、そうした意見も参考にしながら制作しているというので、ただ、感じるままに筆を走らせるといった方法はとっていないようだ。

 そうした思考の積み重ねのようなものが、大げさに言えば、画面の強度につながっているように思った。

 それでも、少し不思議だったのは、パープルームの初期からずっといて、活動も制作も続けているのに、確か、安藤の個展のような催しは、このパープルームギャラリーでも行われていないのが不思議だったけれど、そんなことを少したずねたら、油絵を描くようになったのは、ここ3年くらいなので、という答えがかえってきた。

 見続けると、いろいろなものが見えてくるような重層的な感じがして、こういう作品ができる力があるのに、と思ったから、すごく謙虚な感じがした。

 これから、この場所はなくなるけれど、今度は立川に場所を移し、パープルームの活動は続けるので、安藤も当然のように作品を制作し続けるのだろう。

 考えたら、19歳から29歳までの10年間は、自分のことを振り返っても、何をしたらいいのか、本当はどうしたいのか、そういうことがよくわからずに、あれこれ試行錯誤をする時期でもあるはずで、それは、ごく一般的なことでもあるはずなのに、安藤裕美は、パープルームの活動をして、その日常を作品化してきたようだ。

 

 それをどうして形にするのか。どうすればより質の高い作品になるのか。(この質に関しては、すごくいろいろと考えていそうだけど)。そういう迷いや、悩みはあっても、この日常を作品にしていくことに、どうやらなんの迷いもなさそうで、それは、すごいことだと改めて思う。

 生活と、作品制作が、まるで一体化していて、さらには、相模原という場所には華やかなことも少なそうで、ずっと美術の世界に暮らしていて、すごくストイックなことでもあるはずだけど、今回、とても短い時間で、わずかな会話しかしていないから、全部がわかるわけでもないのだけど、よく、ストイックさと共存しているはずの悲壮感のようなものを、ほとんど感じなかった。

 そういう人だから、アート・コレクティブという特殊な環境の中に生活をしながら、その生活の中の出来事を、作品化し続け、それを10年も持続することができるのかもしれないけれど、考えたら、そういうことは他の誰にもできることではないのではないだろうか。

 それを続けることは、おそらく本人にも全部説明できることではないのだろうけど、これをこれだけ持続することは、人目をひく派手さはないとしても、なんだかすごいことで、それがベースにあるから、日常的な光景にも関わらず、不思議な強さを感じるのかもしれない。

 絵画のタイトルには、どんな場面で、誰が描かれているかが記されているので、この作品が長く残ることになれば、パープルームの日常が歴史化されて、さらに年月が経って、美術館に収蔵されたり、誰かが所蔵し続けると、2000年代の日本のアートコレクティブの代表的な存在としてパープルームが取り上げられる時があるのでは、などと作品を見てバスに乗って、電車に乗ってから、いろいろとそんなふうな想像が広がったから、やはり作品としての力があるのではないかと思った。

 

 

 

(『ラムからマトン』 梅津庸一)

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