アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

水田典寿 囁くものたち展。2018.6.2~6.24。アツコバルー arts drinks talk。

水田典寿 囁くものたち展。2018.6.2~6.24。アツコバルー arts drinks talk

2018年6月23日。

 何となく名前を聞いていて、そこでは一風変わった展覧会をやっていて、ギャラリーなのに、有料で、といったことで、何となく記憶していて、それが、近所のギャラリーのオーナーの話題の中で名前が出て、何となくなので、あいまいな記憶のまま話をしていたら、ギャラリーが閉廊するということを知り、渋谷の繁華街といっていい場所にあって、独特の場所、という印象だけだったのだけど、終わるのであれば、一度は見たいと思って、それを見ようと思っているうちに最終日近くになってしまい、それも、最後の展覧会は、その近所のギャラリーでも展覧会を行った作家だった。

 

 用事が続いて、ちょっと疲れているような気もしたが、いつもとは違って、渋谷なので比較的近いこともあり、妻に先に昼ご飯を食べてもらって、昼寝もしてもらって、それに合わせて、自分はいつも通りの時間に起きて、カロリーメイト的なものを食べて、午後2時頃に出かける。雨が降っている。大きいカサを用意してください、と天気予報で言っていたらしい。

 

 渋谷の駅は相変わらずイメージがしにくく、どこを歩いているのか、どこに向っているのかが分からないままで、全体の駅の印象も固まらないままで、できたら乗換駅として使いたくない、という思いが利用するたびに強まるが、降りて、歩いて、雨が降っていても人が多い。

 

 独特のゴチャゴチャ感があって、それは重みが少なく感じるせいなのかもしれないが、すさんだ未来になるのかも、と思いながら、歩いて、あのビルはここを通るたびにいつも見ていたはずなのに、その1階のコンビ二を利用したことはあっても、その上に登ったことはなかった。そして、今回エレベーターに乗り、5階で降り、それは次はここのビルにはギャラリーはなくなっているのだろうけど、降りて、靴を脱ぐスタイルになっていて、料金窓口で、どこで知ったのですか、といった問いを、正面からされて、近所のギャラリーの名前を告げた。

 

 それから、ドアも、それも古い家のようなものをわざわざ設営したのだろうな、という脇に古い鉄で作られた蝶がバラバラな形になって、壁にある。

 中は、白く、古びまであって、そこに骨董のような、標本のような、骨や鉄を使った作品が並べてあって、中にはバーカウンターもあって、おそらく自分とはあまり縁がないような人たちが集まって、いろいろな話をするのだろうな、というような気持ちになって、だけど、鏡が並んでいたり、作品も独特というか、昔見たような、記憶の中にありそうで、実はないようなものが並んでいて、ただ、上品な感じはして、中で話を続けていて、パリやロンドンの名前を出しながら話をしている人が、オーナーなのかな、違うとしても、関係者なんだろうな、と思ったりもして、その声を聞きながら、作品を見て、明日で展覧会は終わって、今月中にはなくなるスペースで、これまでも来れば良かった、と改めて思ったりもしたが、でも、今それを思っても逆に失礼な気もした。

 

 チラシの文章の中に、閉店のお知らせ、というのがあって、このギャラリーが、「震災をきっかけに日本人の意識が変わるという予感を元にアートを通して見知らぬ人同士が語り合う場所を作りたい」が始まりだったようで、そうなると、あの暗かった時代のあと、5年前に出来たということだから、2013年ということは、自分自身としては、学校を出て、仕事がなくて、辛かった時代で、その時に行っていた場所は、ゲンロンカフェだったことを思い出す。

 

 あれから、小規模な不便な場所にある若い作家が作品を見せるギャラリーが増えた気がして、それはSNSがなかったら、たぶん考えられない事でもあるということは、個人のやり方で、以前よりは何とかなるかもしれない可能性が増えた、ということなのだろう、などと思い、そして、このアツコバルーのオーナーの予感はどんな内容で、それは思ったように進んだのか、それとも全く違った方向だったのか、そんなことは、ちょっと知りたいとは思った。

 

 

(2018年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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