アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

project N 富田直樹 展。2015.4.18~6.28。東京オペラシティアートギャラリー。

project N 富田直樹 展。2015.4.18~6.28。
東京オペラシティアートギャラリー

 

2015年6月12日。

 

 写真をそのまま描いているのが、わかる。

 

 そういう作品は、他にも見たことがあるけれど、それでも、なんとなく新鮮な気がするのは、当然、どんな場面を撮影しているか、どんな写真を選ぶのかの違いがあるからだけど、でも、そうなると、美術作品としての独自性は、どうやって伝えるのだろうとは思う。

 

「富田直樹展 東京オペラシティアートギャラリー

https://www.operacity.jp/ag/exh/detail.php?id=194

 

富田直樹は写真をもとに自分の身の回りの事象を描きます。シャッター通りの空きテナント、どこかで目にしたような町中の風景、ウェブサイトから拾った通販商品の画像 ─ ありふれた、日常の中で急速に忘れ去られていくイメージをキャンバスに留めます。スナップ写真のように直感的に切り取られたイメージと分厚い油絵具のマチエール。一見相容れないように思われる二つの要素が富田の絵画を生き生きとしたものにしています。

 

これまで繰り返し富田は「写真には一切加工をせず、見えるものすべてを描く」と述べていますが、言い換えればそれは「肉眼で見える以上のものを描く」ことです。なぜなら人間の視覚からこぼれ落ちるものも残らず留めるのが写真の特性であるからです。同じ風景を肉眼で見る場合、画家は恣意的に描く対象を選び取るでしょう。しかしカメラはそこにある風景をありのまま、未整理の状態で写し出します。それを描くことで画家の眼は無意識のうちに多くの発見をしているのではないでしょうか。「目に見えるものだけを描いて、見えないものの存在を感じさせたい」という富田のコメントは、きわめて写真的なものに思えてきます。

富田はほとんど下絵なしに、ダイレクトに油彩でキャンバスに描いていきます。修正の際は前の筆致を消すことなく、色の上を色で覆い被せるようにして描き進めるといいます。画面を見る時間が一筆一筆に置き換えられ、その持続がキャンバスに厚い層を生み出しています。

   (東京オペラシティアートギャラリー サイトより)

 

 この描き方で、独自性が出ているのかもしれない。
 
 
 
 
ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論」