2014年2月10日。
テレビでドキュメンタリーをやっていて、それを見て以来、自分も介護をしているから、勝手に少し身近に感じていたのが、「息子介護」で「主役」をしていたフリーライターの野田氏だった。在宅で認知症の母親の介護をしていて、その様子を新聞記事でもブログでも書いていて、それもものすごく正直に率直に書いていて、介護の記録としてもかなり貴重なもので、ずっと気になり続けていて、それも今度は映画になるという事で見たいとは思っていた。妻には重いというか、今も一緒に介護を続けているわけだから、ちょっと見るのが嫌かも、などとも思ったが、相談したら一緒に行くと言ってくれた。ただ、夜中にセキが出て、もしかしたら今日は行けないかもと思っていたから、行けるのが分かってうれしかった。
最初は2008年に放送があった。その時にテレビで私も見たのだった。ただ、介護をしている現場をこれだけ密着させて撮らせてくれた、というだけでも、ものすごく貴重なものだと思ったが、そこにどこまで続くか分からない重い、変な例えだけど泥のような空気の中を生きなくてはいけない感じは、映っていた。専門家といわれる人達こそ、この映画を見て欲しい、と思えるような内容だと出だしで思った。
本当に先が見えない、というよりも、今しか見えない、という状況の中で、果てしない疲労と1日も休めず、ただ続いていく毎日で、逃れられない。そんな感じもよく出ていると改めて思ったが、この番組がテレビで賞をとったというのも分かるように思えた。自分が殴ってあばらの骨を折ってしまったことまで認めて、介護の専門家からは怒られて、でもその上で「やんないとわかんないことあるんだよな」は言いたい気持ちはすごく分かる。
後半は、まだ見てないテレビのシリーズで、介護をしていて、親を、殺してしまった人も出て来た。きちんと介護を続けた上での、最初は1年と思って始めた介護での、それも、施設に預けたら1週間で床ずれが出来たから自分でやるしかないと追い込まれていって、7年たった時に、泥酔して首をしめた、という話だった。
他人事ではないけど、私自身は介護をしていても、何とか乗り切っているけど、それは恵まれているのだと思う。その事件は、近所から嘆願書が出ていて、それで執行猶予がついている、ということだった。墓参りをして、そして、骨の随まで疲れていたから、というような事を言っていた。
そして、さらに野田氏は他の息子介護をしている人を取材していて、その人は40代で感心するくらい優しく父親の介護をしていて、ただ仕事をやめざるを得なくなっていて、その取材中に電話があって、野田氏の母親が亡くなった、という連絡だった。ものすごく無念だと思う。
ただ、今は絶対に言えないけれど、こういう時に亡くなって、それが撮影されたというのは、ある意味では偶然ではなく思えた。
野田氏が、葬式の時に、自分がこのまま負けたら、自分はいいけど、母親に申し訳ない、と言っていて、私自身も、今は義母の介護が続いているが、昨年、介護をしていた母が亡くなって、そんなことを思ったのを思い出した。
これから先の大変さが語られる。そして、その取材していた息子介護の人も、父親の症状が重いと施設のサービスが受けられない、という事を語っていて、本当にどうすればいいのだろう、と見ていて思った。
自分だって伝える義務みたいなものがある。こうしてある程度、恵まれた環境にいるのだから。
またここから1からやろう、というような気持ちにはなれた。とても厳しいのは分かっているけれど。一緒に行った妻の方が、泣いていた。見られてよかった、と言ってくれた。それはうれしかった。
受付で、介護をしています、といったら、本当に1人1000円にしてくれた。観客は最初は私たちだけだったが、結局は6人くらいで見た。
やっぱり支援に関わっている人は見て欲しい、とは思った。