アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

書籍 『野球短歌 さっきまでセ界が全滅したことを私はぜんぜん知らなかった』 池松舞

 保坂和志の「小説思考塾」に、保坂氏の対話相手として登場して、そのことで、この著者を初めて知った。

 

保坂和志 小説的思考塾 vol.11』

http://hosakakazushi.com/?p=1498

 

 それで、『野球短歌』-----どうしても、短歌や俳句など定型詩に関しては、気持ちの構えが出てしまうのだけど、それは、自分が無知であるための先入観であることを、扉から分からせてくれたように思った。

 

いつまでたっても阪神が勝たないから、短歌を作ることにしました。

 

 そこからは、これだけの余白の多いページをめくりながら、そこには気持ちがあふれていて、ここには別の世界があった。

 

 

『野球短歌 さっきまでセ界が全滅したことを私はぜんぜん知らなかった』 池松 舞

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 その世界観のシンプルさを示すように、目次の言葉もあっさりしている。

 

 

 前半戦     

 セ・パ交流戦      

 セントラル・リーグ再開 

 後半戦 

 CS ファーストステージ  

 CS ファイナルステージ  

 あとがき         

セ界は世界に先立って」  齊藤倫

 

 著者にとっても、初めて短歌をつくり続ける日々だったようで、そして、個人的には、阪神タイガースの選手たちのことも、失礼ながら、ほとんど知らないのに、短歌と共に2022年のシーズンが進んでいくと、そこに巻き込まれるように、その選手がフィールドに立って、動く姿が見えるような気がしてくる。

 

 

                     5月3日×

 

大山がファーストにいると連携が美しくなるまあ負けたけど

 

晴れの日はサトルの頬の黒線を見るだけでもいいまあ負けたけど

 

西だって三安打しかされてないなら勝ちじゃない?まあ負けたけど 

  

 

 日付けのあとに、○がついていれば、阪神の勝利。×は、負け。△は、引き分け。

 すでに、ここだけで、何かを語っているように思えてくる。

 

     

                     8月16日×

 

 サトテルがヒットを一本打つだけで泣いちゃう情緒で七連敗

 

 おさなごが小さな小さな旗を手にサトテルのスイングを真似ている

 

 夏休みメガホンを持つ子どもらが笑っているのが選手に伝われ

 

 負けたけど初めて射してきた光が明日をどうか照らしてください

 

 

 応援しているチームが負け続けるとき、あのスタンドで、どんなことが起こっているのか。これだけの文字量で、これだけ伝わってくるのかと思う。

 

                          9月21日×

 

 目を閉じて音だけで今日は聞いていた糸井の打席、私は甲子園にいた

 

 糸井が言う タイガースの強い時代がくることを信じて一緒に応援しましょう

 

 大山の頭を何度もなでていたほんとに何度もなでていたんだ

 

 

   引退試合日本ハムオリックスを経てFAで阪神へやってき

   た糸井はこの日、代打で登場。フルカウントからヒットを放

   ち、アナウンサーの声が聞きとれないほどの歓声で球場を沸

   かせた。糸井は投手としてプロ入りし、野手に転向した選手

   だった。

 

 糸井嘉男という選手が引退した日の試合には、少し補足が入っている。だけど、当たり前のように、糸井という名字だけの表記だった。それも含めての「野球短歌」という感じがする。

   

                        9月28日◯

 

原口だ原口がいる先頭に死にものぐるいで引っ張っている

 

村上に重圧がとアナは言うが対する投手だってそうだわ

 

岩崎が打たれるかもと考えていた自分を自分で蹴っとばす

 

青柳が昨日言ってた「ぜんぶ勝つ、最後まで応援してください」

 

 

 本当は、こうして一部だけを抜き出して紹介するようなことをするのは、著者に対して、このシーズンの阪神タイガースに対して、失礼な気もするのだけど、私のように、これだけ知らない読者であっても、読み進めると、気持ちが巻き込まれ、少し熱くなってくるのがわかった。

 

 それは、すごいことだと思う。

 

生み出されたもの

 

「あとがき」の中で、著者は、こうしたことを書いている。

 

 いつまでたっても阪神が勝たないからとSNSで短歌を始めたとき、はたして季語はいるのか。それさえ私はわかっていなかった。  

 いつも短歌を詠んでいる人ではなかった。それ自体が、2度と訪れない奇跡のような感触があるが、ただ、それをかたちにしていったのは、自らに課したルールのようなものだった。

 

 わからないのに、決めたことはほかにもあった。それは試合後すぐに詠むこと、うそをつかないこと、ハッシュタグ(たとえば#tanka)をつけないことだ。なぜか?こっちの理由なら説明できる。

 試合が終わった直後のぐちゃぐちゃな気持ちを、そのまま歌にしたかった。使っていい時間は長くて五分、試合を見られなかった日も、結果を知ってから五分で歌にした。うそをつかない、これは思ってもいないことを書かないということだ。それっぽくするために便利な言葉を使わないということだ。絶対にやってはいけないと思っていた。ハッシュタグをつけなかったのは、短歌の世界に土足で上がり込むようでいやだったからだ。

 こうして私は必ず毎試合・終了後すぐ・うそをつかず・ハッシュタグをつけず、と全部で四つの制約を自分に課し、日々の試合を歌にしていった。

 

 こうしたウソのなさや、誠実さによって、「野球短歌」は、いのちを帯びていき、だから、人の目にとまり、こうして書籍になり、より多くの人間にまで届くようになったのだと思う。

 同時に、こうしてルールを決めて短歌を詠み続ける行為は、現代アートのようにも思えた。

 

 唐突に短歌を始めた理由は、いまもわかっていない。でもこのわからなさは、どうして阪神が好きなのかわからないことに少し似ている。

 気づけば私は野球が好きだった。

 

 何かを表現しようとするときに、言葉を尽くしたくなる。

 だけど、こうして制約の中で伝えようとすると、そのある種の圧力自体が、より熱気を生んで、人を巻き込むような力を持つことを、改めて思い出させてくれた。

 

 だけど五七五七七の定型の力がなければ、日々の観戦を歌にしていくことはできなかっただろうと、いまになって思う。ナイターの照明、ピッチャーの腕のしなり、空に溶けて見えなくなる大飛球、走れ走れランナー、それから芝。昼の試合で見る芝のまぶしさ。観客席。ぶかぶかのユニフォームを着てぎゃあぎゃあ笑う子ども。そういったすべてのものをまとめて野球と呼びたいとき、短歌は力を貸してくれた。どうすればいいのか五七五七七が教えてくれた。

 

 昔、スポーツの現場にいて、取材して書く仕事をしていた。

 こうした熱気や気持ちそのものが、直接伝わるような文章を書きたかった、ということも思い出した。

 

 偶然が重なり、そこに作者の情熱が注がれ続けることで、生み出される作品はすごいと、改めて思った。それは、2度とできないことかもしれないけれど、それは、同じシーズンは2度とない、ということかもしれない。