アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

保坂和志「小説的思考塾」vol.8。2022.9.4。

http://hosakakazushi.com/?cat=8

保坂和志「小説的思考塾」vol.8。2022.9.4。

 

 何度か、この「小説的思考塾」には、参加している。

 最初に巣鴨の会場に行った時は、保坂和志という小説家のたたずまいというか、言動が不思議で、でも、だからあの小説を書けるのか、それだけでなくああした小説論を語れるのか、といったことを感じた。

 

『小説、世界の奏でる音楽』 保坂和志

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小説的思考塾

 コロナ禍になってから、オンラインでの開催になり、そして、それからも2度ほど参加をした。毎回、今回はどうしよう?と迷うのだけど、2時間ほど保坂が1人で話し続け、時々、スケッチブックに手書きの文字を書いたりするくらいで、画像としての変化はあまりない。

 それでも、ふと目を覚まされるような言葉や、思考がそこに展開されて、とまどいもありながらも、結果として、参加したよかったと思うことになる。

 アーカイブでも見られるので、時々、2日に分けて見たりもするのだけど、これまで、同じようなことを言っているようで、違う。

 そして、言ってみれば「哲学的」な内容の時もあるし、書くことがテーマのこともある。

 

Vol.8

保坂和志『小説的思考塾』vol.8

https://peatix.com/event/3326136

 

 今回は、確か隔月のはずが、少し予定が変わって、それも含めて「vol.8」の告知のメールがきて、またどうしようか迷って、結局は、申し込んだ。

 当日になって、突然、オンラインだけではなく、実際の会場でも観覧可能なのを知ったし、今回は、書くことについてだった。そういうことをあまり見ないで、申し込んでいたのは、時々、こうした言葉に触れないと、考えが狭くなってしまうと思っていたからだった。

 

 今回のテーマはズバリ、「創作の構え」「創作とは何か」です。
 最近の芥川賞作家の受賞コメントは、まるで小学生か中学生が先生に褒められて喜んでるみたいで、創作が自由の行使であることがわかってない。

 創作とは、教室的な縛りの外に出て、自分だけの価値を創ることなのに、みんな、相変わらず教室の中で褒められる気持ちで創作をしている。私は強い危機感を感じています。(私の言う「書く」は、創作・表現全般なので、描くも撮るも踊るも、全部です。)

 表現することは、先生に褒めてもらうのでなく、同志への呼びかけなのです。その「同志」は書きながらも、いるかいないかわからない。しかしきっといるはずだと信じて書く。

 それは権威や制度の外にいることだから、人からは強気に見えても不安がある。自分で何かをすることはいつも不安なものなのです。

 今回私はその人たちを励ますために話そうと思います。

 

 これは、サイトの中の保坂和志の言葉だけど、相変わらず、すごいと思った。これだけで意味があるようにさえ思えてくる。

 

創作とは何か

「小説的思考塾」vol.8が始まり、事前に提示されていたテーマから、通常、思いつくような要素は、ほぼ一つも出てこなかったと思う。

 

「文体」や「デビュー」といった言葉は出てきたのだけど、そこからつながることとしては、あまり考えられないことが多かったよに思う。ただ、ふともう少し考えれば、人間としての真っ当さのようなことに関係あることを話し続けていたような気がして、だから、この言葉の中に出てくる「同志」とは、自分自身は思えないのだけど、それでも、なんだか気持ちが楽にはなった。

 不思議な充実感がある。

 次も、迷いながらも、おそらくはまた視聴することになると思う。

 

「書くこと」に興味があり、そして、いろいろな知識がある人ほど、一度は見てほしい配信が、この「小説的思考塾」だと感じているのだけど、その一方で、人によってその評価も大きく分かれるような気がする。

 

 

 

『書きあぐねている人のための小説入門』 保坂和志

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