アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

青山裕企 写真展。Schoolgirl complex BEST 2006-2011。2011.12.5~12.27。 Pixib Zingaro.

f:id:artaudience:20210420094648j:plain

青山裕企 写真展。Schoolgirl complex BEST 2006-2011。2011.12.5~12.27。 Pixib Zingaro.

 

2011年12月18日。

 大谷工作展を見に行って、そのついでのように入ったピクシブジンガロで、青山裕企展を見た。スクールガール コンプレックスという展覧会があって、それは、女子高生の姿、顔を写さない写真で、妄想ばかりをふくらませて、キレイな写真に仕上げた作品で、そのエロさはとてもリアルで、とてもいいような気がした。

 

 足だけとか、背中だけとか、スカートだけとか、スクール水着の部分だけとか。その写真集なども並んでいて、お客も当然のように男が多く、どうやらその写真集もけっこう売れたようで、その写真集を買って、持っていたら、変態のおやじっぽいな、と思って、ちゅうちょして買わなかったりもした。それは、より恥ずかしい自意識だった。

 

 だけど、ものすごくよく出来ていた。村上隆のツイッッターを読んだら、客がすごく入っているらしく、そうだろうな、と納得もで来た。

 その帰りに、ラーメン屋の青葉に初めて入って、食べた。おいしかった。その後に、雑誌で見たカフェに行ったら、閉店していた。なんだかがっかりした。

 

(2011年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

amzn.to

 

www.amazon.co.jp

 

 

 

「六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?―明日に挑む日本のアートー。2010.3.20~7.4。森美術館。

f:id:artaudience:20210419104652j:plain

六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?―明日に挑む日本のアートー。2010.3.20~7.4。森美術館

2010年6月17日。

 少しタイトルが大げさというか、人を集める気でいったら、大丈夫だろうか?みたいな事も思うような文章だけど、その参加するアーティストを見て、見たいと思っていた。美術手帖会田誠が、いい、と言っていたし。それに、若い知人も、面白かった、とも言っていたし、3月からやっていて、長くやっているから大丈夫などと思っていたけど、あと3週間くらいになっていて、油断すると見損なってしまうパターンでもあるので、今日は授業もないし、天気も梅雨の間でちょうど晴れているし、で、妻と出かけることにしていた。義母が無事にデイサービスに行ってくれたので、午前11時頃に起きて、昨日、出そうと思っていたメールをうってから、昼少し前に出かけた。

 

 久しぶりに美術館に出かける。六本木は、意外とウチから近く、定期も微妙に使えるし、なんだかちょっとうれしい。久しぶりに行くので、いつ以来だっけ?という話になったら、妻の記憶も混乱していて、伊藤若冲が、とか、それは出来たばかりの時の話などをしていて、もしかしたら、銀行のコレクション展とか、そういうのを見て来て以来、かもという話に落ち着き、六本木駅で降りて、地下を通って、エスカレーターを上がって、美術館とか展望台に行く入り口を登って行ったら平日なのにかなり人が並んでいて、一瞬やめようか、と思ったくらいだった。

 

 同じビルでやっている印象派ボストン美術館展、というのが人気だったらしく、というのが分かって来たので少し落ち着いてきたけど、その展望台が、カップルのための場所みたいに有名になっていたのを知らなかったが、この前、若い知人がここでデートして告白された、というのを思い出し、その場所だけで、その行動が分かるような場所になったのだろうか、と思い、列に並んだ。

 

 学生証を見せたら、年齢に関わらず学生の値段で入れた。嬉しかった。エレベーターに乗り、降りたら、人の流れはボストン展の方に行き、そっちに行っちゃダメなのかも、などと思って逆に進んだら、何もなく、ボストン展へ向かって途中のすき間のようなところを通っていったら、美術館で確かに人が少なく、正面のスクリーンには「チンポム」の作品が流れていた。からすの鳴き声をメガホンで流し、からすの模型を使う事で、バイクに乗りながらそれを渋谷とかいろいろな場所で行うことで、びっくりするほどからすが集まってくる様子が映っていて、確かになんだかすごかった。

 

 そこから入り口を入ったら照屋勇賢の作品があって、紙袋を細かく切って樹木にしていく作品で、5年前のも透明の箱に入っていて、それなりに古くなっていたが、このシリーズはよかった。

 

 それから、相川勝という人のCDジャケットも、中の文も全部。自分で精密に手描きで描いて、歌も楽器の部分まで声で何とかしてしまった音楽が聞けて、という作品。

 

 高嶺格の、自分が在日韓国人2世の女性と結婚する時の事を写真と、文章で表現した作品。この人は政治的などと言われるのだけど、この人が介護を扱ったら、かなり繊細な部分にまで迫れるのではないか、という気がするようなアーティストで、いつもその作品は気になる。

 

 そして、今回、おそらく時間がたっても忘れない作品は、「ミチコ教会」というビデオ作品のはずだ。八幡亜樹。どこかの山の中の、ほとんど小屋としか思えない作りの小さな教会があって、そこに2人の夫婦が40年以上暮らし、何年か前にその夫が死に、70歳を越えたその妻が、ここに暮らして、でも無理だから街に出て、でもまた戻って来た、というような話だった。途中で、そこで結婚式をあげた夫婦や、妻だけがそこの教会にあると思われるドレスを着て、夫は普段着で、というカップルが出て来て、そこにある指輪や、建物の細部がなんだかよくて、そして夫の事や、自分のこれからを語るミチコさんの言葉や、姿や、いろいろな映像がホントになんともいえない気配を出している。

 

 妻と話していて、神に誓う、という行為が出来ないかもしれないけど、この教会があったら、式をあげるかもね、という話になった。この教会を作った夫も、実は正式な牧師でもない、という内容まで語られたけど、でも、大げさな言い方だけど、神が降りるとすれば、ここだろう、という感じはずっとしていた。最後は、ここで式をあげたカップルが赤ん坊を連れて来たシーンで終わった。ここは、こういう企画をやるので、いい美術館だと思うけど、夏に来ると、冷房がウソみたいに強いから、それをなんとかしてほしい、といつも思う。

 

 

(2010年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

www.amazon.co.jp

 

「対照 佐内正史の写真」。2009.10.10~2010.1.11。川崎市岡本太郎美術館。

f:id:artaudience:20210418093949j:plain

「対照 佐内正史の写真」。2009.10.10~2010.1.11。

川崎市岡本太郎美術館

 

2009年12月22日。 

 義母をショートステイに預けて時間がたっぷりある時にしか、おそらく行

けないと思って、この日に出かけることにした。最初は、7人の写真家が対談するという1月に行こうかと思っていたが、Tシャツを販売するとかラジオをするとか、様々な試みがあるというのも知った。

 

 今年いっぱいでなくなるというウエンディーズにも寄り、そこからさらに歩いて、生田緑地に入る前に妻が好きそうな花屋があり、以前の記憶がなかったので店主の女性に聞いたら、3年前からやっていると知り、ここにそんなに来てなかったんだ、と思う。

 

 常設展の中にも佐内の作品が並べられていて、それは確か「俺の車」みたいなタイトルの写真だったはずで、車の写真が多かったが、それだけでなく、その額にあたる部分のプラスチックをうまくというか、大胆に、岡本太郎の作品の間にきっちりと、それでいて調和していて、なんだかよかった。

 

 そして実際の佐内の作品展の展示では、大きく長い机の上の写真のプリントが並べられ(それは700枚らしい)手にとって見ることも出来るという展示だった。その中に植物の写真があって、それは妻がすごく気にいっていてしばらく見ていたが、私もところどこにすごくいいな、と思える写真があって、それもなんて事ないものばかりで、中にはパチンコのエヴァンゲリオンの画面だけを撮り続けてたような写真もあって、なんだか大胆な人だと思い、でもすごいとも思えた。

 

 確かに、こういう風景は、撮影しておかないと、消えてしまい、記憶の中にぼんやりと残るだけだろうし、みたいな事を思わせるものがあった。

 

 佐内は、自主写真集レーベル「対照」を立ち上げ、写真集を発表してきた、という。そういう事もあって、こうして展覧会をやっているのだろうけど、でも、そういう試みがすごいのに写真が日常的だったりして、そういう事も含めて、なんだか面白いと思え、これからの人なんだ、みたいな気持ちにもなったりする。ただ、手にとれる、というだけなのかもしれないけど、そういう事は、ほぼやられていなかったようにも思う。

 

 それからカフェへ行って、対照をテーマ(?)にしたケーキセットを頼んで、半分ずつ色が変わったロールケーキみたいなものだった。もう一度、ショップに寄り、Tシャツを見て、買うのはやめ、迷ってカタログを買った。展覧会は、。行く前に思ってたのとは違う種類の面白さがあった。行ってよかったし行かないと分かりにくい面白さなのかもしれない。でも、これだけ日常のものを撮影されていると、自分が写真も撮りたい、と思えるし、それは、もう誰もが写真を日常的に撮る時代になっているけれど、それでも、あとになって、じわじわと染みてくるような部分もあった。

 

 

(2009年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

「鉄火 佐内正史写真集」

https://amzn.to/3effqMU

 

「多摩川アートラインプロジェクト アートラインウィーク2008」。2008.11.1~9。東急多摩川線全7駅。田園調布せせらぎ公園。他。

f:id:artaudience:20210416104819j:plain

多摩川アートラインプロジェクト アートラインウィーク2008」。2008.11.1~9。東急多摩川線全7駅。田園調布せせらぎ公園。他。

 

2008年11月3日。

 多摩川アートラインは、ウチから徒歩5分の最寄りの駅も多摩川線で、そのわずか全線乗っても、10分くらいの線でアートをテーマにして、作品が飾られたり、この11月の第1週には、様々なイベントが行われる。嬉しいのは、去年の作品がそのまま残されたりすることだ。

 

 鴻池朋子の作品がずっとある駅まである。黒いバックに森があって、様々な実際にいたりいなかったりする生物みたいなものが上の壁と柱をおおっている。駅に、こういう作品がずっとあるのは嬉しいし、なんだか微妙に自慢だったりもする。ただ、近所の評判はよくないみたいで、もっと可愛い絵にすればいいのに、という言葉を聞いた。最近、どうも「かわいい」への強制力がものすごく強くなりすぎているような気がする。それもひたすら柔らかい肉がいい、と似た意味での「かわいい」で、おそらく奈良美智とは違うような気もしている。

 

 それでも、今年も多摩川アートラインをやるのは嬉しくて、去年、その最初のシンポジウムみたいなものを見にいって、ビジネスのにおいが強く、あちこちで名刺交換をやっていた熱気を思い出し、本当に場違いだと思った。でも、それはたとえば金融と深く結びつくような話でもあって、もしかしたら来年からはあやういかも、と思わせるような浮ついた部分のある熱気で、それはバブルの頃にあったものと似ていたと勝手に感じていたせいかもしれなかったが、何しろ、今年もやるのは、ありがたかった。

 

 ポスターになったのは「位相—大地」関根伸夫という作品を40年ぶりに再制作する、というもの。美術館で写真だけ見たことがあった。どこかの公園の地面を茶筒のように丸く掘り、そのそばにそこの土をくりぬいたかのように、やっぱり茶筒のように土が彫刻のようにある姿で、近所でやるとなると、急に関心が高くなる。

 

 そして、多摩川劇場、というイベント。回送電車を使って、蒲田から多摩川の間にその電車の車内で、何かをやって、それを見ませんか?というものだった。その中に山下残という名前を見つけ、昔、美術手帖か何かで見て、こういう人のパフォーマンスは一度見てみたいと思っていたから、妻を誘ったら、行こうと言ってくれた。午前11時に整理券を配って、始まりは午後2時。

 

 多摩川に11時ちょうとぐらいに着いたら、もう、人がかなり100人くらいは並んでいた。同じ時間に黒田征太郎が子供達といっしょに壁に絵を描くということをやっていると聞いて、興味を持ったら、すぐそばに黒田征太郎がいた。もう70くらいのはずだけど、そして、野蛮というよりは、どこか澄んだ感じがして、それが嬉しかった。並んで、もらった。整理券。

 

 それから、せせらぎ公園で、恐竜が展示されていたり、未来の乗り物の骨組みがあったり、タイヤを使った公園があったり、その「位相—大地」もあった。ロープがはられていて、そこの警備のスタッフの人に聞いたら、この円筒形は掘ったものをそのまま抜き出したのではない、と言った。掘り出した土をワクの中に入れて、固めていった、という。考えてみれば、その方法しかない、といってもいいのに、こうしてあると、なぜか土の中からそのまま掘り出した、というように思ってしまう。自分が愚かなだけかもしれないが、実際に、この高さ3メートルくらい、直径2メートルくらいの土の固まりを見ると、見てよかった、という気持ちにもなった。

 

 多摩川のカフェで食事をして、ギリギリに蒲田に着く。3両編成のそれぞれで違うのをやるみたいだ。山下残。背中が異様な男がきた。その人ではなく、5人のダンサーが電車がスタートしたら、何も言わずに動き出した。床に寝転がったりしたし、5人が連動する動きをしたり、バラバラに見える時もあった。電車の音に反応しているのか動きに反応しているのか、どこまで決まっているのか、アドリブなのかも分からなかったが、いろいろな動きをしていて、そして、電車というのは、床がかなり動いているものなんだ、と改めて、その不安定さに気がついたりもして、多摩川までの10分が過ぎ、そして、着いてから改札の外にまで、そのパフォーマンスが続いた。それは、異様な一群だったはずだけど、すれ違う人は無関心だったか、見てはいけないという反応に見えた。

 終わってから、分かったのは、山下残は、ダンサーの中にいないこと。ダンサーは今回、オーディションで選ばれたこと。山下は、最初に見た背中の異様な男だったこと。

 何も知らずに恥ずかしいけど、自分から、こういうパフォーマンスを見たいと思ったのは、おそらく初めてだった。そして、それから、また違う駅にも行こうと思ったが、妻が疲れたということなので、帰った。

 

 

(2008年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

amzn.to

 

 

 

 

 

須田悦弘展。2007.7。ギャラリー小柳。

2007年7月19日。

 須田の作品を見た時、視界が開けた気がした。

 物理的にというよりは、意識の中の、知らないうちにふさがっていた通路みたいなものが、サッと開き、開いたことで通じてなかったと分かるのだけれど、それで少し嬉しくなったのを憶えている。それは、もう10年近く前になるし、こういう言い方は、ある意味、ウソくさいのだけれど、ホントにそうで、だから、そのレベルの気持ちよさを、今も須田の作品を見るたびに、やっぱり求めてしまっているようだった。これを観客のワガママというのだと思う。

 

 天上のところの窓から光がさしこみ、その壁に、上から落ちて、バラバラになっていく花があった。チューリップ、それも木彫りだった。

 大きな樹木のほんの一部、根っこを少しだけ木彫りで作るだけで、その全体の大きさを想像させようとした作品。

 イスの下に、監視する役目の人が座っている下に、ホントに小さく作ってある雑草。

 でかいジェット機の彫刻が並ぶすきまに、その窓際に、とても小さく展示されている小さな植物。ぜいたくね、という他の観客の声。

 

 久しぶりに、須田の作品を見にいった。

 個展をやっていたのは知っていたけど、四国の丸亀だった。銀座の小柳ギャラリー。以前、来たことはあった。ビルの場所は同じでも、大通りに面したところは、違うショップになっていた。その裏手の、繁華街の妙なにおいが少し漂うような場所にある裏手のエスカレーターに乗って8階のギャラリーがあり、ここへは初めてだった。ものすごく久しぶりだったんだ、と思うが、記憶の中ではそれほどの遠さはなかった。

 

 入ると、かなり広いスペースだった。長い机があって、女性が座っていて、その前にしゃがみこんでいる若い女性の2人づれ、一人はメガネをかけている。ああ、あの場所に雑草があるんだな、と思う自分がいる。その通りに…そういう風に思うのは、自分の妙な慣れがあるようで気持ちが悪いのだけど、でも、やっぱりしゃがんで見て、よく見ると、完成度が上がっているような気もしてくる。そして、そういうものを見る気持ちよさ、というものもあって、だから、完成度を上げていくという作り手側の気持ちよさも想像できるようにも思う。

 

 壁にある大きめの立派といっていい花の作品もスゴくよく出来ているし、柱のせいで少し出っ張った感じになっている壁際に咲いて(?)いる小さなスミレ…個人的にはこれが一番好きだった…も、よく出来ていると、妻はなんだかウットリとして見ていた。このスミレを撮影してあったのが「ぴあ」に載っていた。その撮り方が、写真は小さいけど、ビルの床のザラザラした感じまで映りこんでいて、だから須田の作品の見られ方の定着、みたいなことも思った。

 

 でも、私は、視界が晴れた気はしなかった。

 それは、観客のぜいたくさ、みたいなものだと思うけれど…作品を買いもしないのに…原美術館で見た「てっせん」…常設作品になっている「この水は飲めません」。おそらく、そこの壁をこわした時に出てきた、そんな表示を生かして、それを生かしたことが観客にもすぐに分かって、だから、よけいにそこにふさわしい作品になっている、それでいて無難とは少し違っていて、さらには、作品の完成度という技術まで見せてくれる、というものだったのに、今回は、私が知らないだけかもしれないが、そこにふさわしいという感じがあまりしなかった。

 

 私は基本的には無知で、金銭的に豊かなお客さんも多そうで、そういう人に見せるショーウインドー的な役割が、今回の個展には大きいのだろうけど、でも、銀座だったら、柳とか、そういうような作品も無理とは分かりつつ見たかった、と思う。ただ、並んでいる作品の中で、私が知らないだけで、そういう作品はあって、それを知ったら、また勝手なことだけど、自分の見方が変わってしまう、そんな不安定な感想でしかないのだけど…。

 

 森ビル…六本木ヒルズで、グループ展で、壁に花が咲いていて、でも、その印象は薄いままで、それが、その前に見た須田の作品だと思い出した。こういう要求ばかりを言う観客も少なくないだろうから、ホントに人目にさらされる、それも一定以上に多くなってしまった人は、とても、やっかいな状況なのかもしれない、と自分の気持ちを考えて、そう思った。

 

 でも、技術的にうまくなっていく、というのはとんでもない武器であるのは間違いなくて、技術がもたらす想像以上のたくさんのもの、みたいな事も思って、ああ、やっぱりベースが健全な人なのかもしれない、などとも思った。

 

(2007年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

bijutsutecho.com

 

 

「GESAI ♯7」。2005.3.20。東京ビッグサイト。

 2005年3月20日。

 久々にゲイサイへ出かける。

 ステージでいろいろな催しものをやっている。これは、しばらく前からなくなっていたことだったけれど。

 

 そして、歴代のメダリスト展をやっていた。ポテト班という最初の芸術道場グランプリの人たちのブースを以前見て、何だか寂しい感じもしていたのだが、それを、再び、集めて、しかも「特別扱い」していた。今まで、見たいと思っていたものも見られたし、こういう自分達で選んだスターをきちんと大事にする姿勢はすごいと思う。

 

 パフォオーマンスで、ホナガヨウコという人が、いい意味でさっぱりしていて、妙な自己顕示欲がなくて好感も持てたが、次に行った時は違った表情に見えた。ホントの凄さを、こちらが分かっていないだけなのかもしれない。

 

 賞の発表の時間くらいに行ったので、キャンパスに何だか、妙なものを並べただけのものがあって、確かに変なひっかかりがあったが、それが金賞をとったと放送された途端に、そこに人だかりが出来てきた。少しずつ、だけど、急激に。そして、その賞の発表が終わった後に、それと関係ない人たちの虚脱感というか疲労感みたいなものは共通していて、それは、何だか面白いというのは失礼かもしれないが、面白いと思ってしまった。

 

 銀賞のパフォーマンスも狭いところに、箱を作って、その中で何だかエネルギッシュな動きをひたすらしているのも面白かった。横に穴があって、そこからのぞいている人がいて、その後ろから見ていたら、そこはダメです。と注意された。

 

 妻は元気だったが、私はある時間を過ぎるとぐったりしてきた。やっぱり、自己顕示欲みたいなものまで、変に浴び過ぎたのかもしれない、よくいえば。単純に疲れただけなのかもしれないが。

 

  だけど、後日、村上隆(FM芸術道場)のラジオで、この時のメダリスト展に関しては、ちゃんと出展料を出したとか、それぞれのインタビューを聞いて、凄く面白かった。やっぱり、今回は、何か主催者の決意みたいなものがあったんだ、と思った。

もしかしたら、10回で終わってしまうかもしれないし、また行きたい。

 

 

(2005年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

The★ Geisai―アートを発見する場所 | 村上 隆 |本 | 通販 | Amazon

 

amzn.to

 

 

 

大竹伸朗氏「『UK77』と写真」スライドトークセッション。2004.10.4。東京ウイメンズプラザホール。

f:id:artaudience:20210413103141j:plain

大竹伸朗氏 「『UK77』と写真」 スライドトークセッション。2004.10.4。

東京ウイメンズプラザホール。

2004年10月4日。

 

 いつものように「青山ブックセンター」からハガキが来て、そして電話で申し込んで、当日は、同じビルの中だけど、初めて入る大きめのホールだった。10分くらい前に着いたら、すでに人が並んでいた。20番目くらい。私以外に、もう1人、中年がいたが、頭を金髪にそめたアロハシャツを着た人だった。

 

 夜6時30分くらいに受け付けが始まる。

 ホールに入ったら、小冊子も渡してくれた。そしたら、知らないうちに「青山ブックセンター」は倒産して、そして再生していた。そのことについて、いろいろな人が文章を寄せていた冊子だった。その人達は、選ばれた人に見えた。

 

 一度ホールを出て、本を買って、再びホールへ戻った。隣の列が関係者席で、その位置を選んだのは、きっと見やすいからだろう。斜前の席に、森山大道が座る。テレビで見るより若く、髪の毛がふさふさだった。

 

 始まると、スライドが次々と変わっていって、それは1977年、大竹伸朗がイギリスへ行った時のもので、それをまとめて「UK77」という作品集を出すらしいが、それは、この前出したという「17」というもののように、過去のもので、でも、そういうのが出せるくらいの人気もあることを、今日、さっきの行列で分ったような気がしてきている。

 

 最初は、音楽の話。会場に流れているのは、大竹がいた1977年の当時のイギリスのヒットチャートだった。ボブマーリーもかかったりしている。あ、ボブマーリーだ。と心の中で思う。

 まとまりがないが、豊かな話が続く。

 

 なぜ、海外に行ったか?

 

「高卒後に感じていた、すごいどんづまり感」。

 

こういう言い方がすごいリアルで、ああそういうのは同じだったんだ、と思わせるものがある。

 

「現在進行型の20歳とかわんないよ」。

 

なぜ、ロンドンか?

 

アメリカへ、ウォーホールはかっこいいと思っていたし、ウエストコーストのブームだったりもしたので、行こうと思い、代理店を訊ねた。そしたら、お金が足りない。ロンドンなら、行ける。じゃあ、ロンドンにしよう」。

 

なぜ、写真と撮ったか?絵を描いたか?

 

「毎日いることをとにかく残したいという欲求。

自分がそこにいる理由がなかった。だから、自分で無理矢理意味をつくり出した。それを使って展覧会をやるとか作品集を出すとか、そういう気持ちもさらさらなかった」。

 

そして、ラッセルミルズというアーティストに会った。

 

「自分の未熟さにいやになった。日本にいた頃、周りが絵書きになるとかいう人間もいたけど、無理だと思っていた。それじゃあ。だけど、自分も何も示せない。そういうもがいた感じ。そして、ラッセルとの開きを実際に見て、もう絵描きとして通用しないだろう、という気持ちにもなった。だから、帰ろう。みたいな気持ち。

 いきあたりばったりで来てたから、感じる孤立感。

 それでもラッセルミルズが嫌なやつだったら、まったく変わっていた。学校の友達を紹介してくれたりとか、80年にまたロンドンに行った時は、手伝ってくれ。と言われ、それはたいしたことないかもしれないけれど、ちょっとした一言で続くか続かないかが、決まったりもする」。

 

 といった話をしていて、そして、話は急に現在につながる。

 

 

イチローの話題。

 

『ニュースなどを見ていて、中で「イチローはバットをテニスのラケットのように扱う」というアメリカの解説を聞いて、鋭いと思いつつ、そこが美術に似ているような気がした。

 すごく頭のいい人がいて、バットをテニスのラケットのように扱うのがベストだと気がつく。そして、テニスの分析を始め、完璧にそういうことをやっても、イチローには辿り着かないような気がする。

 つまり、どんなに鋭いコンセプトがあっても、人を感動させることは出来ないんじゃないか。そこに行き着かない何か。計算じゃいかないもの。そこが美術の魅力だと思っている』。

 

 それに、たぶん関連した話題。

 

「イグノーベル賞というのがあって、今年の受賞者がカラオケを発明した人に贈られた。その最初の機械がシンプルだけど、むちゃくちゃかっこいい。それは最初のエレキギターと同じようにむちゃくちゃかっこいい。

 共通点は試行錯誤。

 ぶっかこうだけど、独特のかっこよさがある。それが、もっと完成度が高まって、きれいになったら、整理されてしまうと消えてしまうもの。

 試行錯誤のかっこよさ。というのがある」。

 

 話し方がすごくおもしろい、と思う。しゃべってる力の入れ方にウソがない。へたすれば、妙に奇をてらった話題になりがちなのが、そうならないのは、シンプルな理由で、ホントにそう思っているからだろう。

 

そして、さらに話題は同じラインをたどりつつ、違う人物にうつる。

 

ウォーホールの亡くなった頃、たまたまニューヨークにいて、大回顧展を見た。何が見たかったかといえば、シルクスクリーンにうつっていくところだった。そうしたら、シルクスクリーンにうつる前の年。膨大な量の油絵を描いている。でも、刷ればいいじゃん。になかなかたどりつかない。そのなかなか行き着かないで、冷蔵庫の絵とかを見て、グッと来る。分らない方が面白みがある、というか」。

 

富山県立美術館に行った時。大竹は、そこにあるデュシャンの作品を見た。

 

「それは、20個くらいのパックの作品で、そして、その20番目が富山にある。別々の作品が入っていて、その富山のものは、もう50年くらい前の作品なのに、それは、精液をかけたものだという。それも、その成分が分る前に富山で買って、その正体(?)が分った。そうすると、今でも海外からの美術館から貸してくれ、という話が多くなった」という。

 

そして、大竹伸朗が続けた。

 

「その当時、精液かけた作品にしてしまったのがパンク。精液だから凄いんじゃなくて、それを作品として成り立たせる自由さみたいなのが凄い。そして、その作品が日本にある、っていうのが⋯」。

 

そして、ブライアン・イーノ

 

『80年代まで、音楽界にとって凄かった。

その「アンビエント4 オンランド」は、もう音を使った情景描写みたいなものになっているのに、その裏にロックが張り付いている。それは、その時代では、やっぱり凄かった』。

 

そんな話を聞いて、椹木野衣の話と微妙に違っていて、そして、また聞いてみたい、と反射的に、思う。

 

そして今年の台風の話題。

 

「ものすごく多くて、そして、強い。そしたら、宇和島も凄かったが、直島も凄くて、作品がなくなった、と電話があった。さらに、次の台風でまた打ち上げられた、という電話があった。だけど、全部ではなくて、やっぱり作り直さなきゃいけないみたいで」という話から制作した当時の話に移り「最後にボートの形の作品に樹脂を吹き付け、乾くいい感じの時に、必ずさわる」と言った。

 

少し、笑ってしまった。

 

「どうもさわりたくなる何かがあるらしい」という言葉にも、何だか感心しつつ、笑ってしまう。

 

 午後8時20分過ぎに、ゲストの森山大道が登場。そのために来てたんだ、と思う。壇上に上がった森山は大竹のことをファンだと言う。そして、「既にそこにあるもの」の本のタイトルに嫉妬までした、と。これは写真家が使うべき言葉ではないか。

 これは、やっぱり、そういう破壊力を持った言葉だったのだ、と確認したような気持ちになって、なぜか安心する。さらに、森山が「似ているという言い方は失礼かも」という言葉使いをした時も、何だかホッとしたような気持ちになる。

 

 終ってから、サイン会。

 もらった最初の整理券の番号通りに呼んでくれる、という。どこに番号があるのか、と最初は秘かにあせるが、だけど、裏に番号が書いてあった。019。そしたら、20番までが一番最初のグループで、並びにいったら、アロハの人もいた。

 

 少し待って、大竹伸朗が来る。わくわく、勝手にしている。あがっているかもしれない。ばかみたいだが。少しずつ、順番が近付く。焦ってお待ち下さい。と言われている人もいる。握手する人もいるが、しない人もいて、じゃあ、遠慮しよう、と思う。1人、1個だけサインする、というのに、本だけでなく、自分のサイン帳みたいなのにサインしてもらっている青年もいる。

 

 そして、前に並んでいる人は、「整理券の裏に自分の名前を良かったら書いてください」というスタッフの言葉に、「書かないから」とやや険悪に言っている。サインをしてもらって、高く売る気だな、と悪いけど、思ってしまう。そして、なんだか2冊買ったようだけど、その2冊ともにサインをしてもらっている。

 

 自分の順番。オチさん?と聞かれ、ひらがなでいいです。と変な答えをしているうちに名前を書いてもらって、さらに大竹伸朗と書いて、それから、線画をパラパラッと描いてくれた。疲れていたように見えたので、お疲れのところ、ありがとうございました。などと声をかけて、その時はキチンと目を合わせてきて、何だか満足して、緊張がまだ続いていて、でも嬉しくて、雨がまだ降っている青山の町へ出て、渋谷の駅まで歩いていった。

 

 でも、よかった。

「既にそこにあるもの」がサイン入りになった。

 

 青山ブックセンターで、文庫化になったカスバの男を買う。その中の絵が、すごくよい。と、思い、その本を読み始めて、思った以上におもしろく、その土地の暑さまで伝わってくる気がして、感心もする。

 

 

(2004年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.amazon.co.jp