2004年10月4日。
いつものように「青山ブックセンター」からハガキが来て、そして電話で申し込んで、当日は、同じビルの中だけど、初めて入る大きめのホールだった。10分くらい前に着いたら、すでに人が並んでいた。20番目くらい。私以外に、もう1人、中年がいたが、頭を金髪にそめたアロハシャツを着た人だった。
夜6時30分くらいに受け付けが始まる。
ホールに入ったら、小冊子も渡してくれた。そしたら、知らないうちに「青山ブックセンター」は倒産して、そして再生していた。そのことについて、いろいろな人が文章を寄せていた冊子だった。その人達は、選ばれた人に見えた。
一度ホールを出て、本を買って、再びホールへ戻った。隣の列が関係者席で、その位置を選んだのは、きっと見やすいからだろう。斜前の席に、森山大道が座る。テレビで見るより若く、髪の毛がふさふさだった。
始まると、スライドが次々と変わっていって、それは1977年、大竹伸朗がイギリスへ行った時のもので、それをまとめて「UK77」という作品集を出すらしいが、それは、この前出したという「17」というもののように、過去のもので、でも、そういうのが出せるくらいの人気もあることを、今日、さっきの行列で分ったような気がしてきている。
最初は、音楽の話。会場に流れているのは、大竹がいた1977年の当時のイギリスのヒットチャートだった。ボブマーリーもかかったりしている。あ、ボブマーリーだ。と心の中で思う。
まとまりがないが、豊かな話が続く。
なぜ、海外に行ったか?
「高卒後に感じていた、すごいどんづまり感」。
こういう言い方がすごいリアルで、ああそういうのは同じだったんだ、と思わせるものがある。
「現在進行型の20歳とかわんないよ」。
なぜ、ロンドンか?
「アメリカへ、ウォーホールはかっこいいと思っていたし、ウエストコーストのブームだったりもしたので、行こうと思い、代理店を訊ねた。そしたら、お金が足りない。ロンドンなら、行ける。じゃあ、ロンドンにしよう」。
なぜ、写真と撮ったか?絵を描いたか?
「毎日いることをとにかく残したいという欲求。
自分がそこにいる理由がなかった。だから、自分で無理矢理意味をつくり出した。それを使って展覧会をやるとか作品集を出すとか、そういう気持ちもさらさらなかった」。
そして、ラッセルミルズというアーティストに会った。
「自分の未熟さにいやになった。日本にいた頃、周りが絵書きになるとかいう人間もいたけど、無理だと思っていた。それじゃあ。だけど、自分も何も示せない。そういうもがいた感じ。そして、ラッセルとの開きを実際に見て、もう絵描きとして通用しないだろう、という気持ちにもなった。だから、帰ろう。みたいな気持ち。
いきあたりばったりで来てたから、感じる孤立感。
それでもラッセルミルズが嫌なやつだったら、まったく変わっていた。学校の友達を紹介してくれたりとか、80年にまたロンドンに行った時は、手伝ってくれ。と言われ、それはたいしたことないかもしれないけれど、ちょっとした一言で続くか続かないかが、決まったりもする」。
といった話をしていて、そして、話は急に現在につながる。
イチローの話題。
『ニュースなどを見ていて、中で「イチローはバットをテニスのラケットのように扱う」というアメリカの解説を聞いて、鋭いと思いつつ、そこが美術に似ているような気がした。
すごく頭のいい人がいて、バットをテニスのラケットのように扱うのがベストだと気がつく。そして、テニスの分析を始め、完璧にそういうことをやっても、イチローには辿り着かないような気がする。
つまり、どんなに鋭いコンセプトがあっても、人を感動させることは出来ないんじゃないか。そこに行き着かない何か。計算じゃいかないもの。そこが美術の魅力だと思っている』。
それに、たぶん関連した話題。
「イグノーベル賞というのがあって、今年の受賞者がカラオケを発明した人に贈られた。その最初の機械がシンプルだけど、むちゃくちゃかっこいい。それは最初のエレキギターと同じようにむちゃくちゃかっこいい。
共通点は試行錯誤。
ぶっかこうだけど、独特のかっこよさがある。それが、もっと完成度が高まって、きれいになったら、整理されてしまうと消えてしまうもの。
試行錯誤のかっこよさ。というのがある」。
話し方がすごくおもしろい、と思う。しゃべってる力の入れ方にウソがない。へたすれば、妙に奇をてらった話題になりがちなのが、そうならないのは、シンプルな理由で、ホントにそう思っているからだろう。
そして、さらに話題は同じラインをたどりつつ、違う人物にうつる。
「ウォーホールの亡くなった頃、たまたまニューヨークにいて、大回顧展を見た。何が見たかったかといえば、シルクスクリーンにうつっていくところだった。そうしたら、シルクスクリーンにうつる前の年。膨大な量の油絵を描いている。でも、刷ればいいじゃん。になかなかたどりつかない。そのなかなか行き着かないで、冷蔵庫の絵とかを見て、グッと来る。分らない方が面白みがある、というか」。
富山県立美術館に行った時。大竹は、そこにあるデュシャンの作品を見た。
「それは、20個くらいのパックの作品で、そして、その20番目が富山にある。別々の作品が入っていて、その富山のものは、もう50年くらい前の作品なのに、それは、精液をかけたものだという。それも、その成分が分る前に富山で買って、その正体(?)が分った。そうすると、今でも海外からの美術館から貸してくれ、という話が多くなった」という。
そして、大竹伸朗が続けた。
「その当時、精液かけた作品にしてしまったのがパンク。精液だから凄いんじゃなくて、それを作品として成り立たせる自由さみたいなのが凄い。そして、その作品が日本にある、っていうのが⋯」。
そして、ブライアン・イーノ。
『80年代まで、音楽界にとって凄かった。
その「アンビエント4 オンランド」は、もう音を使った情景描写みたいなものになっているのに、その裏にロックが張り付いている。それは、その時代では、やっぱり凄かった』。
そんな話を聞いて、椹木野衣の話と微妙に違っていて、そして、また聞いてみたい、と反射的に、思う。
そして今年の台風の話題。
「ものすごく多くて、そして、強い。そしたら、宇和島も凄かったが、直島も凄くて、作品がなくなった、と電話があった。さらに、次の台風でまた打ち上げられた、という電話があった。だけど、全部ではなくて、やっぱり作り直さなきゃいけないみたいで」という話から制作した当時の話に移り「最後にボートの形の作品に樹脂を吹き付け、乾くいい感じの時に、必ずさわる」と言った。
少し、笑ってしまった。
「どうもさわりたくなる何かがあるらしい」という言葉にも、何だか感心しつつ、笑ってしまう。
午後8時20分過ぎに、ゲストの森山大道が登場。そのために来てたんだ、と思う。壇上に上がった森山は大竹のことをファンだと言う。そして、「既にそこにあるもの」の本のタイトルに嫉妬までした、と。これは写真家が使うべき言葉ではないか。
これは、やっぱり、そういう破壊力を持った言葉だったのだ、と確認したような気持ちになって、なぜか安心する。さらに、森山が「似ているという言い方は失礼かも」という言葉使いをした時も、何だかホッとしたような気持ちになる。
終ってから、サイン会。
もらった最初の整理券の番号通りに呼んでくれる、という。どこに番号があるのか、と最初は秘かにあせるが、だけど、裏に番号が書いてあった。019。そしたら、20番までが一番最初のグループで、並びにいったら、アロハの人もいた。
少し待って、大竹伸朗が来る。わくわく、勝手にしている。あがっているかもしれない。ばかみたいだが。少しずつ、順番が近付く。焦ってお待ち下さい。と言われている人もいる。握手する人もいるが、しない人もいて、じゃあ、遠慮しよう、と思う。1人、1個だけサインする、というのに、本だけでなく、自分のサイン帳みたいなのにサインしてもらっている青年もいる。
そして、前に並んでいる人は、「整理券の裏に自分の名前を良かったら書いてください」というスタッフの言葉に、「書かないから」とやや険悪に言っている。サインをしてもらって、高く売る気だな、と悪いけど、思ってしまう。そして、なんだか2冊買ったようだけど、その2冊ともにサインをしてもらっている。
自分の順番。オチさん?と聞かれ、ひらがなでいいです。と変な答えをしているうちに名前を書いてもらって、さらに大竹伸朗と書いて、それから、線画をパラパラッと描いてくれた。疲れていたように見えたので、お疲れのところ、ありがとうございました。などと声をかけて、その時はキチンと目を合わせてきて、何だか満足して、緊張がまだ続いていて、でも嬉しくて、雨がまだ降っている青山の町へ出て、渋谷の駅まで歩いていった。
でも、よかった。
「既にそこにあるもの」がサイン入りになった。
青山ブックセンターで、文庫化になったカスバの男を買う。その中の絵が、すごくよい。と、思い、その本を読み始めて、思った以上におもしろく、その土地の暑さまで伝わってくる気がして、感心もする。
(2004年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。