アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「生きること 死ぬこと のすべて」 岡村昭彦の写真。2014.7.19~9.23。東京都写真美術館。

「生きること 死ぬこと のすべて」 岡村昭彦の写真。2014.7.19~9.23。東京都写真美術館

 

2014年9月19日。

 生きること 死ぬことの すべて というすごいタイトルの展覧会だった。

 久しぶりに写真美術館に行った。目黒から歩いた。まだつかないのかな、と思った頃に橋をわたって現地に着く。

 

 ベトナム戦争の写真だった。死体がそこに普通にある。戦争があると、こんなに死ぬことが近い。人がモノのようだ。とんでもない事で、こんな事がある、というのは、死んでしまったらそこで終わりなのに、まだ生きられるのに、強引に殺されるなんて、やっぱり嫌だろうに、だけど、戦争が起こったりしたら、どうしようもなく、そして、どこかへ逃げることもできなければ、そこに巻き込まれて生き残ったり、死んだりは、運次第だし、と思ったら今、時々考える死ぬのは恐い。無に戻るのは嫌だ、というような事ではない、質の違う命の落とし方なのか、死ぬのは一緒かも、と思って、それも、やっぱり違うのではないか、などといろいろな事を思って、自分が、つまらないと思っていたここ数日のことは、少し遠くになっていた。

 

 いろいろな写真を撮っている。これだけ、いろんな現場に行って、写真を撮っているのだから、そこでものすごく重いものを受けとめているはずで、それだけでもすごいことなのだろうな、と思いながらも、同じ世界のこととは思えない出来事ばかりが並んでいる。

 

 写真で、そこに行けるわけもないが、ただ意識は少しだけ、その世界を見たような気持ちにはなった。考えたら、もう50年以上前の事でもあるのに、その写真の前に立つときは、現在、というのが写真なのかもしれない。というより、そう感じさせる写真家がすごいのかもしれない、などとも分からないなりに思ったりもした。

 

 

 

(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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「こどもの絵をかざる8の額装展」まほうのアトリエ 斉藤慶子 。2012.2.1〜3.2。花屋&カフェ ラ・プティフルール。

「こどもの絵をかざる8の額装展」まほうのアトリエ 斉藤慶子 。2012.2.1〜3.2。花屋&カフェ ラ・プティフルール。

 

 東横線大倉山駅から歩いて2分。

 花屋とカフェ。

 そこにはギャラリーのようなコーナーもある。

 

「子どもたちが幼い頃つくったものは、

 かわいらしい小さな手の温かさが残ります。

 つくっていた本人は、いつのまにか大きくなってしまいますが、手元に残ったものは、あの幼い日々のまま。

 そんなものたちを額装してみました。

 なんでもないいたずら描きも楽しいインテリアに。

 思わず微笑んでしまいそうなエピソードもいっしょに展示します」(DMより)。

 

 

 

 

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「インターメディアテク」。KITTE 2・3F。

「インターメディアテク」。KITTE 2・3F。

2018年11月11日

 以前から行きたいと思っていて、行けなかった場所の一つで、東京駅近くでのイベントがあって、その帰りにやっと寄れた。

 

 思った以上に広い場所。思った以上に、様々なもの。骨格標本や、蓄音機や、どこかの国の土偶や、幕末の写真。徳川慶喜がはっきりとした顔の宅麻伸みたいな顔だったのを初めて知ったり、こうした様々なものを集めて保管して、という場所そのものが、ある意味で恐い感じもしたのだけど、こうしたコレクションを生み出す「研究」というものは、なんだかおかしな行為でもあるのだとも思わせる空間だった。

 

 また来たい。たぶん、まだ見逃しているものも多いはずだし。特集展示みたいなものがあって、その中に「石とアート」みたいなテーマがあって、写真があったり、やっぱりアートはコレクションというものと違って、何か整理された意図みたいなものがあって、見た目よりもすっきりとした印象が残るかも、などと思っていたら、前を歩くやや小柄なおそらくは女子大生のグループの一人が、アートってわかんない、と声に出していた。何かひっかかりがあるのだろう。この空間は暗くなったら、本当に恐いかもしれない。

 

 

 

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「牛腸茂雄という写真家がいた」写真展。2016.10.1~12.28。「SELF AND OTHERS」上映と、飯沢耕太郎のトーク。富士フィルムスクエア。

牛腸茂雄という写真家がいた」写真展。2016.10.1~12.28。「SELF AND OTHERS」上映と、飯沢耕太郎トーク
富士フィルムスクエア。

 

2016年11月5日。

 佐藤真という映画監督を知ったのは、つい最近で、その映画を見たいと思っていたのだけど、その映画が見られるチャンスができて、それも無料で見せてくれる機会があると知って、募集が始まった日(10月5日)に電話をして、予約をとれた。

 

 ずいぶんと先のことだと思っていたが、けっこう早くその日が来て、自分の体調が悪いから、余計に死のことを考えて、そういう時に見に行くというのは不思議だったし、どこか不吉だとも思ったが、初めて行く場所だけど、ミッドタウンの見間違えようがないようなど真ん中に建物があって、その中で写真展をやっていた。

 

 久しぶりに見る牛腸茂雄の写真は不思議な静かさと激しさと集中力があって、やっぱり見ると、ひきつけられるものがあった。もう時間になっていたので、その建物の2階にあがって、名前を言ったら、同じ苗字が3人くらいいたみたいだった。それでも100人を超える人が集まっていて、無料とはいえ、これだけの人が集まるのはすごいと思えたし、そして、映画も16ミリフィルムで、それも写真を撮影するシーンもあったし、この時は、本人も亡くなっていたし、風景が続いて、ただ、手紙を朗読する声と、誰の声か性別もよく分からない「聞こえますか?」という声がこちらへ刺さるような、もうやめてくれ、というような声でもあった。朗読の声は西島秀俊だったし、性別も分からない声が牛腸茂雄本人の声だというのを、エンドロールと、そのあとの飯沢耕太郎の話で分かった。ドキュメンタリーは何でも出来るのか、というような、静かなのに力があって、それがどうしてなのかよく分からないが、最小限の要素で、死ということを何度も思った。本人の声は監督の佐藤真が実家に残されたカセットテープの中から見つけたらしい。そして、その佐藤氏も今は亡くなっている。見られてよかった。

 

 そのあとの飯沢耕太郎氏のトーク。テレビでキノコの話をしていた時とはまったく違うような話し方。残り10分くらいになって、少し気配が変わって、言葉の力の質がかわって、目を離せなくなった。牛腸茂雄とは会えなかった。ある展覧会で、芳名帳の三人くらい前にその名前があったり、本人の個展に行ったら、たまたまいなかったり、ということが続いたそうだ。そして、だけど、気になっていて、それは、つまづく、という表現をした。降って来る感じ。

 

 飯沢は、写真の雑誌を出して、売れなかった。それならば、一度は自分が好きな作家の特集を、と思った時に、牛腸茂雄の名前が降ってきたそうだ。評判をよんだ。それが再評価につながったらしい。今日も、年齢的に高めの人も来ているが、若い人も来ている。こういう風に、つまずくような人なんだと思うし、今回の企画もそうだった。これからも、こんな風に、何か続くのだろうと思う。

 そんな話が残った。

 そういう話がふさわしい写真家だと思う。

 資料を見たら、セルフアンドアザーズの写真の何枚かは、どうやら多摩川園あたりで撮られたらしく、あ、近所だと思ったりもした。

 

 

(2016年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

fujifilmsquare.jp

 

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渡邊知樹 展 「雲の足跡」。2012.1.13~2.5。Hasu no hana。

渡邊知樹 展 「雲の足跡」。2012.1.13~2.5。Hasu no hana。

2012年1月15日。

 鳥のオブジェがたくさん飾ってあって、それから、頭に花が咲いている人の形のオブジェが並んでいて、絵も壁にあり、それはけっこういい感じだったが、たとえば、鳥のオブジェを作る動機とか、その作品が、どのような系譜につながっているのかを説明出来たりとか、そういう事が出来れば、さらにアートとしての強度が上がるのに、と思ったりするのは、現代美術とか、美術史とか、アートとか、いろいろと考え過ぎたりしているせいかもしれない、などと思いながら、見ていた。

 

 そのうちに時間が来て、名前を呼ばれて、それで、去年の6月からこのギャラリーが出来て、何度も来ているのに初めて入るキッチンから2階までの階段を上がって、ツリーハウスまでの手すりのない板の上を歩き、まるで茶室みたいなツリーハウスの中に入ると、絵や立体があった。

 

 そして、思ったよりも広い感じで、中に2人で座っていると落ち着けて、そのうちに、今回のアーティストの人が料理を持って来てくれた。フィリピンの家庭料理の「アボド」です、と言ったと思って、それは、肉や野菜などをしょうゆと酢でつけ込んだもの、という事で、この申込みの時に聞いた時は、その味に不安はあったりもしたが、妻と二人で、「アボド」だっけ?「アドボ」だっけ?と話していたら、部屋を出たアーティストの人が、「アドボ」です、と言ってくれて、なんだか笑った。アボガド、といか、アポカドに引っ張られるような気がするんですけど、というような話をしたら、少し納得してくれたのが意外だった。

 

 しばらくたって、部屋のあちこちを見ながら待っていたら、持って来てくれた料理は、思った以上においしくて、妻が好みに合わないんじゃないか、と心配していたのが、考え過ぎだと思うくらい、よく食べていた。そして、しばらく、その部屋にいて、違う時間が確かに流れている、くらいの豊かな気持ちになって、下に降りた。 

 

 作品を見るだけではなく、この「雲テラス」の企画に申し込んで、よかった。

 

 

(2012年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.hasunohana.net

 

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『陶芸↔︎現代美術の関係性ってどうなってんだろう?現代美術の系譜に陶芸の文脈も入れ込んで』。日比野克彦×村上隆 トークショー。2017.8.25。19:00~20:30。カイカイキキ オフィス3F。

『陶芸↔︎現代美術の関係性ってどうなってんだろう?現代美術の系譜に陶芸の文脈も入れ込んで』。日比野克彦×村上隆 トークショー。2017.8.25。19:00~20:30。カイカイキキ オフィス3F。

 

2017年8月25日。

 たぶん、この2人は対談もしたことがないと思ったので、行きたいと思って、妻に相談して、行かせてもらった。今回の企画でもう二度目のトークショーに来た。

 

 エレベーターで間違えて2階で降りてしまう、という微妙なハプニングのあと、3階に着き、汗まみれになったTシャツを着替えて、開始を待つ。今日もホワイトボードにまだ何かしらを書き込み続けている村上隆。これだけの「名声」を得ているのに、変にかっこつけたり、偉そうにしていないのに、国内であんまりホメられていないのが不思議ではある。
 

 日比野克彦と、ギャラリーの前の階段ですれ違う。スタッフと一緒で、相変わらず守りの気配が濃い。そして、トークが始まると、その守りが固い日比野を見越してないのか、これまでの日比野の活動をスライドにしたものが100枚くらいあるというので、この時点で、この解説で終わってしまうのか、というガッカリ感はあったものの、80年代は特に有名人の固有名詞だけで時間がたつほどで、日比野本人の言葉も、その時の事実を淡々と話をしていて、この人は本当に華やかなスターだったんだな、という気持ちにはなれるが、そのときの本人の感想や印象などは語られないまま、時間がたつ。

 

 この前の村上隆トークショーでは、日比野の作品は今でも瑞々しい上に、このときのリアリティがあって、素晴らしい、というような村上の言葉を思い出し、こうしてこれだけ慎重な人から、どうしてああいう作品が出てくるのかは、ちょっと不思議でもあったけど、それは現在の日比野であって、若い時は違うような人で、有名という中で生きてきたなかで、今の分厚い守りがないと大変だったのかもしれない、と思ったりもした。そのあと、村上隆が、言葉をはさむ。

 

 すごく当時のそうそうたるひとたちと一緒に仕事をして、そして、いつもコマーシャルな仕事をしていて、それは、日比野さんが、その役割を果たしきれる、というようなことなのでしょうね、というようなことを言って、そのあと、もう少し個人的な感情をともなった話を日比野は少し話し始める。

 

 大学院一年になったら、すぐに個展をしようと思って、7月に予約した。そして、そのあとは順調に仕事が来るのだが、それは淡々と語っていて、普通に考えたら、とんでもないスピード出世という下世話な話になるのだけど、日比野克彦の話は、そういうニュアンスではなく、ダンボールも特に意識した、というよりは、美大の課題で初めて使って、それから使い始めて、それでも、身の回りのものは何でもダンボールでできるような気がしていた、といった話をしていたが、何しろ、ずっとスターだった、というのは分かった。

 

 途中から、ブルータスの元副編集長の鈴木氏も話に加わった。ブルータスがアートの特集をやるようになって、その時は必ず買っていたし、複数買って、人にあげていたりしたのだが、その姿は、いかにもバブル期のマスコミの人が歳をとった、という感じで、つまりは有名人固有名詞を、ちょっと得意げに語るような人で、最後は2人には共通点があるんです。名前が韻をふんでいる、と得意気に言ったときは、本当にがっかりした。

 

 そのあと、村上隆がブルータスでの特集を組まれた2000年頃、日本を捨てた、と強い感情がまだ残っている言い方で語り、それは奈良美智と同じ年に個展をやって、圧倒的に入場者数で負けて、小山登美夫ギャラリーでも完全に二番目になってしまったらしく、その話を今の話のように語った。まだ何か心のキズのような出来事だったのかもしれない。それだけでなく、周囲のいろいろなことを含めて。

 

 それでも、日比野に対して、国内であれだけメインストリームであっても、世界で見たらアウトサイダーであって、それで興味がでてきた、というように村上は続けた。
 
 だけど、もの派から、スーパーフラットの間をきちんと検証しようというのは、それは研究者の仕事をアーティストがしているようにも思えた。
 
 さらに村上は、日比野に会ったときに、すごく大物というか、ゆとりがあって、それが自分にはないもの、という言い方をしていたが、それはないのが強みなのに、と観客としては、思った。それと同時に80年代のサブカルが弱くて、という村上が、鈴木氏に力を貸してほしい、みたいなニュアンスを伝えていたが、観客としては竹熊健太郎Mr.もいるのに、などと思って、勝手に残念だった。
 

 質問が誰からもでなくて、アート関係者ばかりに思える、こういう中で質問をするのは、勇気もいるけど、日比野さんは、いつ頃から村上さんを意識し始めたのですか?そして、どんな風に思っていたのですか、みたいなことを聞けばよかった、と後悔した。

 

 

 

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『陶芸↔︎現代美術の関係性ってどうなってんだろう?現代美術の系譜に陶芸の文脈も入れ込んで』。村上隆トークショー。2017.8.12。カイカイキキ オフィス3階。

『陶芸↔︎現代美術の関係性ってどうなってんだろう?現代美術の系譜に陶芸の文脈も入れ込んで』。村上隆トークショー。2017.8.12。
カイカイキキ オフィス3階。

 

2017年8月12日。

 カイカイキキのホームページで、トークショーがあるのを見つけて、妻と相談して申し込む。おそらくは最後まで見られないと思いながらも、久しぶりのトークだし、聞きたい気持ちがあるので、出かけて、ギャラリーで展覧会を見て、午後2時半になったら、そのギャラリーで受け付けが始まった途端、そこにいた人たちがわらわらと集まった。自分も少しくらいあわてたくらいで、列の後ろに並んだ。2000円のお金と、急な告知だったのに、かなり人が来ているようだった。

 

 地下のギャラリーから、階段をあがって、初めて、そのビルの中に入ったら、スマートな男性がエレベーターの前でドアを開けてくれた上に、三階のボタンまで押してくれた。いつもとは縁がない世界。オフィスに入ったら、異質感を出して、薄いジャンパーと帽子を身につけた村上隆が、ホワイトボードに書き込みを続けていた。修行僧のようにも見えた。

 

 人はけっこう来ていて、いつもは見ないような、おしゃれで裕福そうな人がたくさんいて、本当は、自分がここに来てはいけないんだろうな、とひがみっぽいことも思ったが、どういう人が来ているんだろう、という気持ちにはなって、関係者でもないのに、学生でもないのに、来ているただの中年は、他にいないのではないか、というような気配だった。
 

 時間になったら、ジャンパーを脱いで村上は話し始めた。

 

 バブルの頃、日比野克彦の登場で、現代美術界は焼け野原になった。その焼け野原になったところで、私はデビューしたのですが、その流れと同様というか、おしゃれ、というのがある。このおしゃれというのが鬼門で、おしゃれというのは時代に追従してしまうので。何か作ろうとするのであれば、何かの足場に立たないといけない。たとえば、現代陶芸では、青木亮という人が、おしゃれだと思いますが、パトロンは大衆でマスにうけるとなると、おしゃれがいるのかな。西欧は特定のパトロンがいるので、マスではない。
 

 ところで柳の民芸は、エリートの上から目線で、それに比べて古道具屋 坂田は、裸一貫だと思っていて、それを、おしゃれだけで見ているのは、違うと思う。何しろ、芸術は、おしゃれに触れると、腐ります。

 

 坂田の、ぼろぼろのTシャツを見た時に、裸一貫だと思った。ヒップホップが好きなのは、裸一貫の感じがあるからで、それで、日比野克彦が出て来た頃は、バスキアみたいだと思っていたのだけど、それはマイノリティの勇者でもあったのだけど、だけど、今回、日比野さんの作品を並べたら、瑞々しくて素晴らしい。そして、どれもあの頃のアメリカへのあこがれが出ていて、すごく、うそなくリアルで、素晴らしい。時代を変えたのも、現代美術を焼け野原にしたのも、しかたがないかな、と思える。
 

 このあたりで、午後4時20分。話は面白そうだけど、自分は帰らなくてはいけない。気がついたら、部屋いっぱいに人がいた。100人はいるかも。小走りで、広尾の駅に着いた。とても残念だったけど、しかたがない。村上隆の話は、いつもうそなく聞こえてすごいと思う。

 

 

 

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