アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「牛腸茂雄という写真家がいた」写真展。2016.10.1~12.28。「SELF AND OTHERS」上映と、飯沢耕太郎のトーク。富士フィルムスクエア。

牛腸茂雄という写真家がいた」写真展。2016.10.1~12.28。「SELF AND OTHERS」上映と、飯沢耕太郎トーク
富士フィルムスクエア。

 

2016年11月5日。

 佐藤真という映画監督を知ったのは、つい最近で、その映画を見たいと思っていたのだけど、その映画が見られるチャンスができて、それも無料で見せてくれる機会があると知って、募集が始まった日(10月5日)に電話をして、予約をとれた。

 

 ずいぶんと先のことだと思っていたが、けっこう早くその日が来て、自分の体調が悪いから、余計に死のことを考えて、そういう時に見に行くというのは不思議だったし、どこか不吉だとも思ったが、初めて行く場所だけど、ミッドタウンの見間違えようがないようなど真ん中に建物があって、その中で写真展をやっていた。

 

 久しぶりに見る牛腸茂雄の写真は不思議な静かさと激しさと集中力があって、やっぱり見ると、ひきつけられるものがあった。もう時間になっていたので、その建物の2階にあがって、名前を言ったら、同じ苗字が3人くらいいたみたいだった。それでも100人を超える人が集まっていて、無料とはいえ、これだけの人が集まるのはすごいと思えたし、そして、映画も16ミリフィルムで、それも写真を撮影するシーンもあったし、この時は、本人も亡くなっていたし、風景が続いて、ただ、手紙を朗読する声と、誰の声か性別もよく分からない「聞こえますか?」という声がこちらへ刺さるような、もうやめてくれ、というような声でもあった。朗読の声は西島秀俊だったし、性別も分からない声が牛腸茂雄本人の声だというのを、エンドロールと、そのあとの飯沢耕太郎の話で分かった。ドキュメンタリーは何でも出来るのか、というような、静かなのに力があって、それがどうしてなのかよく分からないが、最小限の要素で、死ということを何度も思った。本人の声は監督の佐藤真が実家に残されたカセットテープの中から見つけたらしい。そして、その佐藤氏も今は亡くなっている。見られてよかった。

 

 そのあとの飯沢耕太郎氏のトーク。テレビでキノコの話をしていた時とはまったく違うような話し方。残り10分くらいになって、少し気配が変わって、言葉の力の質がかわって、目を離せなくなった。牛腸茂雄とは会えなかった。ある展覧会で、芳名帳の三人くらい前にその名前があったり、本人の個展に行ったら、たまたまいなかったり、ということが続いたそうだ。そして、だけど、気になっていて、それは、つまづく、という表現をした。降って来る感じ。

 

 飯沢は、写真の雑誌を出して、売れなかった。それならば、一度は自分が好きな作家の特集を、と思った時に、牛腸茂雄の名前が降ってきたそうだ。評判をよんだ。それが再評価につながったらしい。今日も、年齢的に高めの人も来ているが、若い人も来ている。こういう風に、つまずくような人なんだと思うし、今回の企画もそうだった。これからも、こんな風に、何か続くのだろうと思う。

 そんな話が残った。

 そういう話がふさわしい写真家だと思う。

 資料を見たら、セルフアンドアザーズの写真の何枚かは、どうやら多摩川園あたりで撮られたらしく、あ、近所だと思ったりもした。

 

 

(2016年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

fujifilmsquare.jp

 

amzn.to