アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「鉄くず拾いの物語」。2014.9.1。キネカ大森。

「鉄くず拾いの物語」公式サイト。

https://www.bitters.co.jp/tetsukuzu/

 

2014年9月1日。

 ボスニアヘルツェゴビナを舞台にした物語、というよりも実際にあった話。グレーが全体にかかったような空。ベオグラードへ20年以上前に一度だけ、それも1日とちょっとしかいなかったが、すごく微妙に重苦しい中にいた感じをわずかに思い出した。

 

 その街に住んでいる貧しい夫婦。子どもが二人。かなり大柄な奥さん。鉄くず拾いが仕事で、集めては持っていって、そこでお金をもらう。ただ、その元締めのほうが、おそらくはちゃんともうけているんだろうな、とは思うものの、他に仕事がないのだろうとは思い、そして、それでもそれなりに幸せそうな時間が流れていたのに、急に奥さんの具合が悪くなる。病院に連れていって、流産だと分かって処置はしました。あとは、産婦人科医で手術をしてください、と言われ、ただ、その行った先の病院ではお金がない、と手術をしてくれなかった。しかたがなく、帰る。淡々とした時間。夜にまた痛みがひどくなる。再び、クルマを借りて、病院へ。また断られる。緊急だというのは分かっていて、もしかしたら命に関わることも分かっていて、院長がダメだから、オレも雇われの身だから分かってくれよ、と医者が言うだけで、助けてくれ、お願いだ、みたいな事は言うけど、また淡々と帰る。

 

 どうしたらいいか分からない。今度は支援の事務所のようなところへ行き、メドがたったようで、支援の女性が家に来るが、その奥さんが、もう嫌な思いはしたくない、と拒絶をする。それから、その夫は、義理の妹に保健証を借りて、偽名みたいにして手術を受ける。そのあと、その手術代と薬代を払うために、自分のクルマを仲間と解体して、金にする。ものすごく淡々としていて、ただリアルで、自分も本当に他人事ではなく、介護が終ったあと転落していくのは本当に簡単なので、ぞっとする部分もあったが、助けてくれる親戚や仲間がいるから何とかなんだ、というように思った。その一方で夫のしゃべり方がやっぱり階級というものを感じさせるものだった。あとで、その夫婦は、その実際の出来事にあった本人達と知り、それはすごいと改めて思い、それを知る事で、その映画の印象さえも少し変わった。

 

 

 

amzn.to

 

映画「スノーピアサー」。2014.6.19。キネカ大森。

「スノーピアサー」公式サイト

https://www.bitters.co.jp/snowpiercer/s_introduction.html

 

2014年6月19日。

「かしこい狗は吠えずに笑う」という映画がとてもよくて、その映画を20代の監督が200万円足らずで初めて作った、というのを知り、トークショーまで行って、質問までして、好きな監督を聞き、ポンジュノという名前を知り、見たいと思っていた。

 

 スノーピアサー。

 重量感のある場面。寒そうな光景。

 無茶苦茶な設定だけど、そこに生きている人がいると思わせる映像は、すごいと思った。ただ、今までの日常に近い作品を見たくなった。

 温暖化を何とかするためにロケットをとばしたために、氷河期が来て、人類がほぼ滅び、わずかに生き残った人達は走り続ける列車の中にいて、そこに階級があるという映画。ありそうな設定だけど、映像が妙にところどころリアルだった。生活がそこにあるように見えるのが、すごいと思う。

 

 

amzn.to

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「木々との対話 再生をめぐる5つの風景」。2016.7.26~10.2。東京都美術館(上野)。

「木々との対話 再生をめぐる5つの風景」。2016.7.26~10.2。東京都美術館(上野)。

2016年9月10日。

 同時開催の展覧会があったりして、「開館90周年記念展」とあるのに、会場に入ると、奥のほうでちょっとひそやかに開催している、という気配だった。この前は、この美術館の講堂でシンポジウムがあって、けっこう充実した時間だったから、ありがたい場所でもあるし、今日は、若い友人と一緒でもあるので、さらに楽しいような気持ちにもなっているようだった。

 

 奥に歩くと、この美術館の古さが目立つような、公民館というか、市民ギャラリーのような空気感が強くなってくるような場所でもあって、このすみっこの部屋の並びは、もしかしたら初めて入ったのかもしれないが、最初の展示室には木彫りというにはスムーズな手触りを予感させるような「よくできてる」という印象の作品が並んでいた。土屋仁応。木彫りで、精密で、それも架空も、実在の動物も同様に作られていて、同様な存在の重さで、そのなかでも子犬という作品が、そこに柔らかく、体重を感じさせるようの横たわっていて、売れるのではないか、という感じがある。

 

作品は何体も並んでいて、その技術のすごさを素直に思うのもいいし、木という昔からの素材で、そして、木というのは樹木という植物があって、それを切り取って、というものでもあって、だけど、木を切り倒しても、そこからまた生えてくるから、動物を殺して食べる、ということとは微妙に違うニュアンスもあって、その完成度の勝負みたいなものは、鎌倉時代も含めての勝負になっているような気もして、こうやって定期的にこうした作品を作る人があらわれるようにも思った。

 

 だけど、この技術を獲得するには、ある程度以上の年月が必要で、身につけたら、アートの世界では評価も得られないということもありえるのに、みたいなことを見たあとに思ったが、見ている時は、その技にやっぱり感心をしていた。

 そのあとに田窪恭治の作品。木に金を塗ったりしていて、不思議な質感があって、それは金継ぎというような流れとも関係あるのかもしれないが、そうした作品が並び、わたしが知っているのは、ヨーロッパの教会にリンゴの絵を描いた人という印象しかなく、その人ですか?という質問をスタッフの方にしたら、スムーズに答えがかえってきて、そういえば、前室で、監視のスタッフの女性がほとんどステップを踏むような動きで、注意をしている姿を見ていたので、プロの人が集まっているのかもしれない、などと思った。外には、イチイの木、というタイトルの作品が横たわっているが、それはブロンズで出来ているようだった。外にいちょうに関係している作品もあるらしいが、それはあとにして、次に行く。

 

 舟越桂。あれだけすごいと思っていたのだけど、そして、相変わらずの完成度とたたずまいの静かさと、変わらないのだけど、勝手なもので、そのすごいと感じた感じが薄れていると思った。

 

 須田悦弘の作品があって、いつもと同じような雑草だったり、ゆりだったり、バラだったりして、雑草以外の置き所は、それほどのすごみも感じなかったが、作品の薄さがまた薄くなっていて、技の上達が目に見えるようで、その凄さがまた更新されるような感動が少しまたあったのを感じた。

 

 國安孝昌の作品。巨大な木材と、陶器をつかったインスタレーション。数十メートル単位の大きさで、部屋の横も縦も、高さもうまっているような凄さ。カタログで見たら、屋外に設置してある作品もあるみたいで、そのほうが魅力的に見えたのと、写真で見ると、川俣正と似ているなどと思ってしまったのだけど、だから木材と陶器を組み合わせているのか、とも思ったが、今回の設置も15日間で本人とスタッフだけだったということをスタッフに聞くと、すごいと思った。

 

 さらに、資料室にある美術全集のすきまの奥にある須田悦弘の、草の作品や、アートラウンジのガラスケースにある朝顔を見て、やっぱりおおと思って、そのあとに田窪のイチョウのまわりに敷き詰めてある焼いたパンのような色のレンガのようなものが、びっしりとあって、それが、さびさせて安定させたような材質、というところが、いろいろなことを考えさせてくれた。

 

映画「高地戦」。2013.2.16~2.22。キネカ大森。

映画「高地戦」。2013.2.16~2.22。キネカ大森。

 

2013年2月18日。

 キネカ大森で、ここのところ見たい映画が続いていて、それでも何本も見れないままだったけど、今日はボランティアの帰りに、家に電話をして、大丈夫と言われたので、見に行くことにした。午後の時には、京浜東北線で人身事故があり、帰りは東横線で事故があって、時間の乱れもあるけれど、予定よりも早く着いた。
 
 映画館に入って、ベルを鳴らすと、さーっと走って係の女性が来てくれて、名画座の最後なので800円。と言われて、ちょっとうれしかった。それでも、もう予告編もなくて、始まった。
 
 すぐに最前線に送り込まれた主人公が戦争を戦っていくのだけど、すごく若い戦士が上官だったり、以前の戦闘で悲惨なことがあったり、その高地をめぐって、奪って奪われての繰り返しの中で、人がどんどん死んでいって、50万人も死んで、それが、ただ繰り返される。
 

 その時間の中で、その戦場のあな(?)の中で酒をおいているから、替わりに手紙を出してくれ、と頼まれて、それを実行したり、そうやって時間が過ぎて、相手の「2秒」と呼ばれる狙撃手(人が撃たれてから2秒後に銃声が聞こえるので、つまり600メートルくらい離れているということなのだけど、すごいネーミングだと思う)が女性だったり、そんな中で、1人死に、2人死に、どんどん死んでいって、やっと停戦が成立して、ばんざーいになって、見ている方もホッとしつつ、あれ?ライムスター宇田丸さんのラジオの映画評で聞いた演説がない、と思っていると、停戦条約が成立したのが午前10時。でも、実効されるのが午後10時。だから、その12時間で総力戦をする、というとんでもない話で、残酷とか不条理とかでないような闘いを始め、そこまでせっかく生き残って来たのに、ほとんど、1人をのぞいてみんな死んでいく。ものすごい話だった。トイレに行ったら、知らないうちに目が赤かった。

 

 家に帰って、チラシを見たら、サブタイトルみたいなところに「朝鮮戦争、最後の日。歴史から消された過酷な12時間の戦い」とあった。宇田丸さんが言っていた、チラシとかポスターとかなるべく見ないようにして、行った方がいい、というのはこのことで、自分はラッキーにも、これに気づかずに見ることが出来た。

 

 本当に、人が道具としか思われない戦争で、今の日本が変に勇ましいことを言っている人は、絶対に前線に行かないのに、みたいな事を思った。こんなに命を安くというか、理不尽な発想を出来る人間が、どこの国にも、一定数いるのかもしれない、などと思っていたら、気持ちが暗くなった。

 

 

amzn.to

 

 

「キネカ大森」

https://ttcg.jp/cineka_omori/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

さやわか×佐々木敦「サブカル批評はキャラ概念で延命しうるか」【さやわか式☆現代文化論#25】。2016.3.31。ゲンロンカフェ 

さやわか×佐々木敦サブカル批評はキャラ概念で延命しうるか」【さやわか式現代文化論#25】。

https://vimeo.com/ondemand/genron20160331

 

2016年3月31日。

 会場は、何か知り合いの人たちが多い雰囲気で、それは珍しかった。トークが始まってしばらくたって、それは、批評再成塾の生徒だった人達だと知って、内輪の集まりな感じもあったが、それで新しいコミュニティが出来るのは、素直に素晴らしいことだとも思った。
 
 さやわかと、佐々木敦
 トークを抜粋する。(ごく一部に過ぎませんが)
 

佐々木  宇野常寛は、前の世代との切断を強調して、それで注目もされたのだけど、切断し過ぎたのではないか。

さやわか その切断みたいなものを、つなぎたいとも思っていた。

 

佐々木 いろいろなものを終らせすぎるのではないか。そうなると、次に待っている人さえ、いなくなってきたのが今ではないか。

さやわか ジャンルを焼き尽くさないということは考えている。

 

佐々木 自分がインサイダーではない、という自覚はある。どのジャンルもやる気のある人は、好きだし、次のスターは大事にされる。

さやわか  あるジャンルに献身すれば、それなりに大事にされる。

佐々木  だけど、それがやれない。

 

佐々木  「○◯◯についての言説」が批評だと思っていて、それは多いほどいいと思ってもいる。だから、今みたいに信者とアンチしかいない、というのはおかしくて、もっと真ん中の言説がないと変だと思っているので、そこをしていると考えている。ほめるか、けなすかのどちらかだけでなく。
 
 

 休憩をはさんで、トークは続く。

 

佐々木 ジャンルは、全部沈んでいくと思う。音楽に関わっていて、音楽が一番早いと思っていて、今は全部がぐずぐずで、これが全部のジャンルに行くと思うから。ただ、そこで生き残るとしたら、沈みきらないと思うので、そこで、仕事が来るとすれば余人に代え難い、ということだとは思う。

 

佐々木 オレだって考えてる問題が、震災以降、すごく多くなって、それでも、気持ちが重いのは、無理しているからだと思っている。これから、ひとり出版社のように、一人か2人が食えるようにしていって、個人的なことをしていく、という方法があると思っている。

 自分としては、たとえば500部だけ発行する。あとは刷らない。そのことで売っていく、というような方法もあるかもしれない。

 

 同一を見られるというのも批評のセンスだと思う。

 コンテンポラリーダンスを見ていると、他のことを考えていて、それを止めない、といったことも大事かも。自分がどう反応しているかを見る目みたいなもの。

 

さやわか  分らないもの。それを考える。

 

 距離をとれる、というような、さやわか氏が、自分は離人症的なところがあって、といっていたように自然に対象と距離をとる距離感があって、それが作品につながっているかもとも思った。

 

 午後11時を過ぎて、4時間を過ぎても続いていて、終る前に抜けた。

 有意義な時間だった。

 

 

 

「キャラの思考法」さやわか

https://amzn.to/3GgYQdF

 

 「未知との遭遇」【完全版】 佐々木敦

https://amzn.to/3Z9wgUf

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

映画「アクト・オブ・キリング」。2014.4.12~。シアター イメージフォーラム。

映画「アクト・オブ・キリング」。2014.4.12~。
シアター イメージフォーラム

 2014年6月25日。

 こわい映画だった。

 帰りは、渋谷駅に行くまでに夕食に牛丼などを食べようかと思っていたのに、食べる気がしないくらいだった。

 

 虐殺を、その本人に演じさせる。

 そんなことが、その国でない外国籍の映画監督によく出来た、というような驚きと、これだけの映画を撮ってよく無事に帰って来れた、という気持ちは、最後のエンドロールにスタッフの名前のところに「匿名」の英語表記がずらっと並んだのを見て、改めて恐くなったりもした。

 

 最初に画面に出て来た人は、田舎によくいそうな、どこか動物的な人だった。この人が1000人もの人を殺した人、といわれてもピンとは来ないし、その映画の作り方が、本当にばかばかしいミュージカルみたいなものを本気で作ろうとしているし、なにしろ、虐殺の再現をしてくれ、と言われて、OKを出す、というのが、おそらくあまり考えてないのだろうとも思えた。

 

 そして、職業は暴力団。その部下ともども、その恐さは善悪の基準が元々関係なさそうなのと、異常にエネルギッシュで、動物としては強いのだろうな、というような、私のような、弱い人間が抱く恐怖なのかもしれない。

 

 その映画が進んで行くと、違う立場でありながら、虐殺に関わった人達が、目立つ人があと2人出てくる。一人は、少し政治家よりの人。この人は頭もよく冷静だから、この映画が自分たちにとってまずいのではないか、という事にすぐに気づく。その上、監督と話をすると、虐殺を悪とするのならば、現地人を殺したアメリカを裁け、というような反論をすぐにしてくるような頭の回転の早さもある。

 

 もう一人はさらにエネルギッシュなマッチョな軍人的な男性。虐殺を再現するシーンで、美人はみんな犯す。14歳なら最高だ。おまえには地獄でも、おれには天国。などと普通に言えるような人間でもある。

 

 ただ、何がどうなったかよく分からないが、最初に出て来た、再現映画の主役の暴力団の男性は、拷問されて、殺される人の役を演じることになり、そのときは、異常な反応をしていた、と思ったら、拷問される人の気持ちが分かった、というような事を語り出した。人の身になる、という客観性はおそらくなく、そのことで強さが出ているのかもしれないが、そのことを身を持って体験することで、ついに相手の気持ちが分かってしまったのだろう。1000人を殺したことが初めて分かったのかもしれない。

 

 そんなふうに距離を置いて、語る事自体が映画を見ている側のごうまんなのかもしれないが、ただ、その男性は体に来ていた。映画の冒頭ではどこか得意げに語っていた虐殺のことを話すだけで、激しい感情なのか、嘔吐なのか、何しろ体の反応が激しくなっていた。

 

 これから、どうするんだろう。

 すごい映画だった。

 

 

 

 

amzn.to

光内亘利 展。2014.2.3~2.8 。T-BOX。

光内亘利 展。2014.2.3~2.8 。T-BOX。

2014年2月3日。

 妻の友人が経営している画廊。

 

 ずっとポップな身近な作品を描き続けている作家。

 以前と比べると、明るい色の作品も洗練されてきて、というか、強さが増してきているように思うのは、やっぱり描き続けているということだと、偉そうで申し訳ないが、思う。同時に単色の作品が見ていて、いいと思う。

 

 立体もかわいらしい。

 妻が、太陽をたこと言ったり、同じく太陽をライオンと言ったり、と笑いも起こっていたが、作家の方はとても繊細そうで純粋そうで、という印象だった。描き続けているというすごみが、もう少しで宿りそうにも見えた。

 

 

 

「T-BOX」ホームページ

https://www.tbox.co.jp/

 

 

 

amzn.to