2014年6月25日。
こわい映画だった。
帰りは、渋谷駅に行くまでに夕食に牛丼などを食べようかと思っていたのに、食べる気がしないくらいだった。
虐殺を、その本人に演じさせる。
そんなことが、その国でない外国籍の映画監督によく出来た、というような驚きと、これだけの映画を撮ってよく無事に帰って来れた、という気持ちは、最後のエンドロールにスタッフの名前のところに「匿名」の英語表記がずらっと並んだのを見て、改めて恐くなったりもした。
最初に画面に出て来た人は、田舎によくいそうな、どこか動物的な人だった。この人が1000人もの人を殺した人、といわれてもピンとは来ないし、その映画の作り方が、本当にばかばかしいミュージカルみたいなものを本気で作ろうとしているし、なにしろ、虐殺の再現をしてくれ、と言われて、OKを出す、というのが、おそらくあまり考えてないのだろうとも思えた。
そして、職業は暴力団。その部下ともども、その恐さは善悪の基準が元々関係なさそうなのと、異常にエネルギッシュで、動物としては強いのだろうな、というような、私のような、弱い人間が抱く恐怖なのかもしれない。
その映画が進んで行くと、違う立場でありながら、虐殺に関わった人達が、目立つ人があと2人出てくる。一人は、少し政治家よりの人。この人は頭もよく冷静だから、この映画が自分たちにとってまずいのではないか、という事にすぐに気づく。その上、監督と話をすると、虐殺を悪とするのならば、現地人を殺したアメリカを裁け、というような反論をすぐにしてくるような頭の回転の早さもある。
もう一人はさらにエネルギッシュなマッチョな軍人的な男性。虐殺を再現するシーンで、美人はみんな犯す。14歳なら最高だ。おまえには地獄でも、おれには天国。などと普通に言えるような人間でもある。
ただ、何がどうなったかよく分からないが、最初に出て来た、再現映画の主役の暴力団の男性は、拷問されて、殺される人の役を演じることになり、そのときは、異常な反応をしていた、と思ったら、拷問される人の気持ちが分かった、というような事を語り出した。人の身になる、という客観性はおそらくなく、そのことで強さが出ているのかもしれないが、そのことを身を持って体験することで、ついに相手の気持ちが分かってしまったのだろう。1000人を殺したことが初めて分かったのかもしれない。
そんなふうに距離を置いて、語る事自体が映画を見ている側のごうまんなのかもしれないが、ただ、その男性は体に来ていた。映画の冒頭ではどこか得意げに語っていた虐殺のことを話すだけで、激しい感情なのか、嘔吐なのか、何しろ体の反応が激しくなっていた。
これから、どうするんだろう。
すごい映画だった。