アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ひびのそら展」Kyoshiro Takahashi Exhibiton 。2011.7.19~8.14。Hasu no hana CAFE。

「ひびのそら展」Kyoshiro Takahashi Exhibiton 。2011.7.19~8.14。Hasu no hana CAFE。

 

 これが正式なオープンということだった。

 絵本作家の原画と、そこに登場する動物がモービルになっていて、吊り下げられている。

 

 吹き抜けの高い天井も含めて、今回も、絵本の世界になっていた。

 

「イルフビエンナーレ絵本展受賞『びびとぱふ』を中心に、原画や小作品を展示します。また、絵本から飛び出した動物たちがモービルになって、“びびのそら”をゆったりと泳ぎ会場を彩ります」(DMより)。

 

 作品を見ながら、コーヒーを飲んだ。

 気持ちよかった。

 

 何度か見に来た。

 

 

 

「Hasu no hana」サイト

https://www.hasunohana.net/

山田秀寿 展。2011.6~7。Hasu no hana CAFE

「山田秀寿 展」。

https://www.hasunohana.net/exhibition-2011

 

  その建物は古く、以前は、あまり冊数がない古本屋のような店だった。古い木造で、その前はカメラ屋だったらしい。

 

 あるとき、その古本屋も閉店したらしく、そして、その建物自体を改装しているのはわかった。妻と歩いていて、その内部が見えた。雑然とした、さまざまなものがあちこちにあって、工事途中のような中に、明らかに異質な物体があった。

 

 それは、人の形を模した、だけど、明らかに人の意図によって制作されたはずの、半立体のようなものだった。あれは、作品ではないか。マクドナルドも撤退するような町に、こんな物体があること自体が不思議だったけれど、少しの間、集中して、何かを分かろうとしていたようだ。

 

 後から、声をかけられた。

 若い女性だった。

 

 言葉を交わすと、どうやら、ここにギャラリーカフェができるらしい。しかも、その女性がオーナーで、もうすぐ開店するらしい

 

 ちょっと信じられなかった。そんな文化が、この町にやってくるなんて、すごくラッキーだと思った。

 

 2011年6月2日に、雨が降っていたけれど、初めて、このギャラリーカフェを訪れた。

 

 まだプレオープンらしいが、この前、見た、人物の作品もあった。天板に描かれた各国の子ども(?)と思える作品が、天井からつるされている。透明のシートに風景が描かれ、壁面には、海外を思わせる人物画も飾られている。

 

 古い木造の建築物の中が、別の空間になっていた。高い吹き抜けに改装していて、しかも、建物内部にはツリーハウスがある。

 

 アートを見ながら、コーヒーを飲めたり、食事もできたりする。

 

 私たちにとっては、信じられないような、天国のような場所が近くにできた。

 近くには、こうしたアートに関連するような施設はなく、どうして、ここにできたのかは偶然のようだったけれど、すごくありがたいことだった。

 

 

「Hasu no hana」ホームページ

https://www.hasunohana.net/

 

 

 

 

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映画「FAKE」。森達也監督。2016.7.6。ユーロスペース。

映画「FAKE」。森達也監督。2016.7.6。ユーロスペース

2016年7月6日。

 話題作りは、上手い。というよりも、誰もがやりそうで、やりたくて、だけど、めんどくさそうなことを、真正面からやっているだけ、ということなのだろう。オウム真理教の内部に入って撮影した「A」という映画について、その頃は予告編は見たものの、見る気がなかったのだけど、それについて書かれた本を読み、取材をしたい、こういう理由で取材をしたい、と何度も手紙を出し、そのことでオウム真理教の内部の取材が出来た、という内容を読んで、ものすごい愚直さが、奇跡的なことを呼び、だけど、それは「人からどう思われるだろうか」の前に、「それは本当はどういうことなのだろう」という目的そのものへ向かって、ただ走れるすごさと、勇気と集中力というものかもしれず、今からでも見習うべきことだと思うが、この人は経験によって、「凄玉」(村松友視)になってしまった、というような一種のモンスター感が全編にわたって、映像の中から伝わって来た。

 

 ただほとんど部屋の中の映像が続く。カーテンを締め切っている部屋。その中での佐村河内氏のしぐさや言動は、ナルシシストであるのは伝わってくるし、その一方で撮影している森氏もただものでないのは分るし、くせ者であるのも良くわかるが、何かしらの揺るがなさがすごくて、その安定感があるから、全体的にあいまいさに満たされた映像も見ていられるのかもしれない。テレビ関係者が訪ねて来て、ものすごく真面目な顔で、いじりません、と言っていたが、そのしごとは断ったものの、かわりに出ていて新垣氏が、すごくいじられていて、テレビの怖さみたいなものも改めて感じたし、アメリカの記者の、普通に冷静に出来ることを求める感じもすごく、そこで明らかに困惑している佐村河内氏の表情をずっとただ、映している残酷さみたいなものも感じたが、でも、それは撮ったぞ、というような力みが少なく、世界の像として冷静に撮っている感じもした。

 

 ただ、部屋の中の映像が続き、それは退屈といっていいものかもしれないが、たとえば、佐村河内氏の奥様の手話が、その発話のタイミングなどが、なんだか不自然に見えて、ずっと気にかかりつづけ、映画の中で、唯一、この人は本当のことだけを言っているのだろうな、と安心感すら覚えたのが、自らも聴覚障害者でありながらも聴覚障害者へのメンタルトレーナー的な仕事をしているという人の存在で、そこだけ、輪郭がすっきりして見えた気がしたのは、見ている側の気持ちの問題なのだろうなとも思う。

 

 報道の恐さ、みたいなものも改めて感じたが、見る側の未熟さが、それを作っているのも事実だから、なんだか微妙な絶望感もあるものの、それでも、見ていて、最後のところで、あそこで終らせるのか、というようなあざとさもあったが、それは、本当にだめ押し、ということかもしれず、何が本当なのか、といったことが、そう簡単に分るわけもなく、ということを、改めて、身体で分らせてくれる映画でもあるのだと思った。

 でもそれが面白いと思えるのは、あの騒ぎがあったからで、ある意味では、あの騒動の続編でもあるのだけど、ただ、すっきりとした続編ではない。

 

 今は有名であることのリスクがメリットを上回った時代なのかもしれない、ということもあるけど、やっぱり、こういう映画を作れるのは、すごい。

 

 

 

 

amzn.to

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画「ふがいない僕は空を見た」。2011.1.21 。キネカ大森。

映画「ふがいない僕は空を見た」。2011.1.21 。キネカ大森。

2013年1月21日

 ポッドキャストでライムスター宇田丸さんの映画の話を聞くようになってから、おそらく誰の言葉よりも、映画に関しては信じるようになっていて、その話で、面白いようなのなので、見たいと思っていて、やっとボランティアの帰りに見にいけた。

 

 「ふがいない僕は空を見た」。ちょっと昔の文学臭がするようなタイトルが気になってはいたが、でも、始まりからセックスシーンが田畑智子がキレイでエロティックだけど、何か変で、という感じでもあって、その背景が描かれ出してからは、そのセックスの違う意味が重なって来て、その上、そのシーンがインターネットで流れたりしてから、いろいろと無茶苦茶になってはいく。
 
 その後、その主人公の高校生の友達が中心の話になってからは、今の時代の貧困を描いていて、その感じがすごくリアルだったし、その友達がどんな厳しい場面でも泣いたり、叫んだりしなくて、なんだかすごくて、屈折した行為をその団地に住む同級生の女子校生とするのがなんだか楽しそうに見えて、それでも、いつもぐっと構えていて、そのうちに、自分で勉強を始めていた。
 

 そして、最初の主人公の母親が助産婦をやっていて、いろいろとリアルな厳しさはありながらも、生まれて来る事、生きていくことに肯定的な感じが、伝わって来て、前半のどうしようもなくなった感じが、そうはいっても、生きていけばいいんだ、と決して安直ではない感じに淡々と描かれていて、その感じが、自分にも振り返って来て、すごくよかった。

 

 ただ、貧困が描かれていて、それを観客として見るのは、いうのは、一種の貴族の遊びにも近いかもしれず、自分だって、そういう事は他人事でないとは思いながらも、でも、自分はやっぱり恵まれているとは思った。自分の、母親が、ここから抜け出したいと思った、と勉強を必死でやっていた、というのが改めて思い出されたし、会社の昼休みに絵を見に行くという教養への行為も、どこか執念だったんだ、とも思い、その感じは、母親が思ったのと違う形で息子である自分に受け継がれているかもしれない、とも思い、今も、また貧困というか貧乏ではあるけれど、、教養か、ただの知識か情報かは分からないが、だけど、その知識にしても、情報にしても、そのことを知っていることによって、貧困に落ち込みにくい可能性は少し高めているのかもしれないなどとは思った。

 

 ラーメンを食べて帰った。

 

 

 

amzn.to

 

 

 

 
 

井上よしと。2008.12.1~6。T-BOX。

井上よしと。2008.12.1~6。T-BOX。

2008年12月5日

 この展覧会で、このギャラリーでは2002年、2003年、2007年、そして、今回で4回目になるそうだ。

 

www.tbox.co.jp

 

 フレッシュな作品を、ずっと制作しているのは、すごいと思った。
 

https://www.tokyoartbeat.com/events/-/2005%2F1A4D

井上よしと  「ギャラリーハウスMAYA」

 

言葉にならないものを黙って、気持ちを込めて描いて、形にしてみました。 
それらの形が見る人の中でどんどん広がり、新しい世界になればと感じます。 
作り手の愛が伝わったときです。そんな展覧会になればと思います。 

 

 これは、2005年の時の作者の言葉だけど、2008年でも、この言葉通りの作品だと思えた。

 

 

 

 

現代アートとは何か」小松崎哲哉

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映画「2つ目の窓」監督・河瀬直美。2014.7.26ロードショー。テアトル新宿。

映画「2つ目の窓」。2014.7.26ロードショー。テアトル新宿

2014年8月4日

 ニュースか何かで見たらしく、妻が珍しく自分から「見たい」と言ってくれたので、探したらテアトル新宿では、ちょうどいい時間で上映しているので、少し早く起きて、出かける。

 

 初めての場所。地下一階。キレイでわりと広いロビー。珍しくほぼ真ん中の席を並んでとった。コンビ二で買った食事をしていたら、お客さんが次々とやってきた。自分たち以上と思われる年齢の人が圧倒的に多い。平日の昼間は、もう20年くらい前になるけど、学生が多かったような気がする、と書いて、それから20年たったから、自分も中年になり、そして、少し上の世代のほうが映画を日常的に見ていた人が多いのだから、少し時間が出来たりしたら、シニア割引もあるし、それは大勢来るかもしれない、と思い、もしかしたら、もう少したつと、映画産業はさらに衰退するのかも、などとも思ったりもした。

 

 時間になる前にトイレに行く。それから、席に座る。真ん中のH。だから、8番目になるのだろうけど、妻には少し遠いかな、と思ったり、前の人の頭が邪魔なのかな、と思ったりしていたけれど、始まると何しろ海が波がなんだかすごかった。こんな風に見た事がないような波だったり、海だったり、森だったり、音だったりで、島のいろいろな環境の得体の知れなさが画面に広がっていて、そして、そのうちに、そこにちょっと巻き込まれるような感じになった。
 

 途中で中年以上の、特に男性の言葉にどうも違和感を感じたり、年輩の男性を変に仏っぽくしてみたり、というのが引っかかたりしたものの、最後まで、何かに包まれているような感じで、海の中を初めてセックスした高校生同士が全裸で泳いでいたが、その裸が海の中では生々しいというか、弱々しい生き物に見えたのは、周りの海とか波とかが、すごいというのを分からされたあとだからかもしれない。

 

 途中、この若い男性が、その母親へ、離婚したこともあったのか、いろいろな男性と付き合ったりしていることへ、淫乱的な言葉をあびせていた時に、若い女性が家に入って来て、そういう事言うもんじゃない。関係ない。関係ある。というような会話も、とてもよかったりもしたから、徹底して、自伝に近い映画を作ってくれたら、圧倒的に映像の人でもあるのだから、などとぜいたくを言っていたら、妻は、おもしろかったのに、などというような話をしていた。

 

 久しぶりに妻と一緒に見られて、それが楽しかった。平日の映画館が自分も含めて、あんなに年齢層が高いのも改めて知ったりもした。大きい画面を壁に映して、大勢で見るって、考えたら、変な行為だと改めて思ったりもした。

 

 

 

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松永真のデザイン展--- 日常性の美学-----。1997.4.25~5.26。セゾン美術館。

松永真のデザイン展--- 日常性の美学-----。1997.4.25~5.26。セゾン美術館。

1997年5月26日。

 デザイナーの名前は知らなくても、そのデザインは見たことがあった。

 あ、これも、そうだったんだ、といった気持ちに何度もなる。

 

「松永真は、東京芸術大学を卒業後、資生堂宣伝部を経て1971年に独立しました。以後、グラフィックデザインを核にして、ポスター、パッケージ、企業のCI計画、ロゴ、ブックデザイン、イラストレーション、近年においてはモニュメントなどその制作活動は多岐にわたっています。また、ハイ・センスで静的なものから躍動感あふれる動的なものまで驚くべき守備範囲で幅広く制作しています。それらには、一貫して私たちを和ませてくれる要素がふんだんに盛り込まれており、デザイナーに消費者が一方的に圧倒されることなく、両者が共有できる喜びや豊かさをその暖かさの中に見て感じ取れるでしょう。そしてその根底にある茶目っ気や意外性をも発見できることと思います」(チラシより)。

 

 この表現が、確かにそうだと思わせるような「作品」だと思った。

 

 

 

「松永真、デザインの話」

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