アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

会田誠展「はかないことを夢もうではないか、そうして事物のうつくしい愚かしさについて思いめぐらそうではないか」。2016.7.6~8.20 。ミヅマアートギャラリー。

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会田誠展「はかないことを夢もうではないか、そうして事物のうつくしい愚かしさについて思いめぐらそうではないか」。2016.7.6~8.20 。

ミヅマアートギャラリー

2016年7月30日。

 今月、会田誠トークショーへ行った。先週はシンポジウムで会田誠の姿を見た。個展に行きたいと思っていて、この展覧会タイトルは、安倍首相の写真が使われているから政治的なメッセージが強めに出ているのかと思ったり、そして、個展のテーマは、岡倉天心の文章で、それも日露戦争直後に英語で書いた「茶の本」からの引用らしく、その意味は、国家・社会・歴史といったマクロなものに対して、個人・芸術・茶室(小ささ、狭さ)といったミクロコスモスの優位性、実質的大きさを説いた本のようだった。このシリーズの精神を代弁してもらった。と個展のチラシに書いてあった。

 

 夏の暑い時だから、最寄りの駅から、いつもよりも、ちょっと遠くに感じる。階段を上って、重い扉をあけて、中には思った以上にお客がいた。4、5人。前に来た時は、本当に人がいなくて、それでも天井が高くて、広くて、かなり快適というか、非日常的な空間でもある。

 

 そこに、プラスチックの弁当箱に発泡ウレタンを使って、アクリル絵の具で着色してある中身が入っている、立体的な落書きみたいな作品が、立派なギャラリーの壁に何十個も並んでいる。中には、明らかに排泄物にしか見えないような形と着色もある。

 

 和室のような場所に、クツを脱いで、見る作品もある。そこには、和風に見える作品もあった。

 

 「ランチボックス・ペインティング」シリーズ。

 ギャラリーの入り口に1枚の紙があって、そこに会田誠の名前と、説明書きが書いてあって、それは企画書みたいだったが、A4の紙の上から下までびっしりと書いてあって、ミヅマアートギャラリーの紙を使っていて、9つの項目に分かれていた。あいかわらず、伝える熱気はあって、その上で、アートらしいもっともさを避ける注意深さもあり、それは、20年前に銀座のギャラリーで見た時にガリ版刷のわら半紙に、思いをなるべく率直に書こうとしていた感じと変わっていない、と思えた。

 

 ものすごくコンセプチャルな作品なのだと、思えてくる。それは会田による、一種の洗脳なのかもしれないが、発泡ウレタンを使うと、ボリューム感が出て、筆触の大げさな代替物になると分かった、といった文章。ターナー・アクリル・ガッシュという、趣味的な邪道な色が揃っているところも、意味があるという表現。また、プラスチック容器、発泡ウレタン、アクリル容器という、すべてが石油から作られた20世紀以来の物質に統一したかった、といった言葉も、安藤忠雄が鉄とコンクリートとガラスを使う、という言い方と似ている。

 

 さらに製作場所も、リビングのすみっこという場所を使う、という意図的な、分かりにくい徹底したコンセプトで作っている、ということの表明もある。

 念を押すように、参照したアーティストも最後に書いてある、という複雑な親切さまである。マルセルデュシャン。ゲルハルトリヒター→具象画と抽象画の分離。といった文章まである。

 そこまでやらなくても、と思うが、ただ、このじょうぜつさも含めて、作品なんだ、という納得感はあった。

 

 

(2016年の時の記録です。多少の加筆・修正はしています)

 

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