2015年1月12日。
八木良太の、氷のレコードを見て、その音を聞いて、音楽が聞こえることにやっぱり少し驚いたのと同時に、音の中にノイズが混じり始め、それもちょっとでも考えれば分かることだけど、ガリガリというような固い音が大きくなっていって、最後は音楽が消えて行く、というような経過を感じて、すごくいい作品だと思ってしまった。
さらには、中年になってから、学校を受験するための模擬試験だけは受けに行った予備校のある街にギャラリーがあり、そこの所属のアーティストだったので、レコードを半分に切り、それをつなぎ合わせて線路にし、そこに針とスピーカーのついたおもちゃの電車を走らせて、そこで音楽が聞こえるという作品を見た時は、新鮮だったし、印象も強く、そのギャラリーで氷のレコードの話をしたら、奥の部屋から、その作品(シリコンの型)が桐らしき箱に入っているものを持って来てもらって、貧乏で、私には購買力がないのに申し訳ない気持ちになった。
音とテクノロジーの作家。だけど、何か気になる、というような人だったから、今回、大規模な個展をやるというので出かけた。電車に乗り、冷たい風の中を歩いて、いつ来ても古くて重くて暗い印象のあるコンクリートの建物に着く。その中の音楽ホールがどうやら主流らしくアートギャラリーは、階段を降りて、少しひっそりとしたところにある。
1階は、砂時計の砂の落ちる音を聞いたり、とても小さい絵や焼きものを見たりする部屋だった。それは、作者の八木が言うには、感覚を鋭くさせる準備をしてほしい、というような意図があるらしかった。
そして、その部屋のあと、階段を使って降りる。セミの抜け殻が、イヤホンと共に天井からぶらさがっている。そのイヤホンからセミの声が聞こえる。いろいろなセミの声。そういうシュチエーションだけでも「すこしふしぎ」な感じは確かにする。
指紋に針を沿わせて音を出したり、カセットテープのテープを引き出して球場の表面に貼付けて、それによってノイズにしたり、といった作品が違う部屋に並ぶ。一度は見た事があるものもある。
赤白の色の入ったメガネで立体に見える絵がある。それは、やっぱり新鮮だけど、古い感じもする。だけど、改めて見ると、面白い感じは確かにする。
そして、午後1時半になり、ちょうど氷のレコードの演奏の時間に立ち会えた。けっこうな人だかりになっている。音楽が流れる。この曲は確かショパンの別れ、というような曲だったから、音楽が途中から消えるから、この曲なのか、というような話を妻ともしたが、八木本人はそういう意図はないと後で知った。
音が流れて、それが想像以上に明確で、さらには以前聞いた時の記憶の中の音よりもさらに長く音楽として響き続けて、この場所の寒さのことも思ったりもしたものの、だんだんと人は減り、音楽がノイズの中に消えて行くまでそこにいた観客は数人になっていた。氷の表面もさわらせてもらった。ちょっとミゾがあるような気もしたが、その瞬間、もうそのミゾはさらに溶けて行く、という感触だった。
海の波の音が、ヘッドホンをすると聞こえ、周りは水に浮かぶレコードなどが並んでいて、そしてしゃがんで机より下になると、急に海中にもぐった音に変わる。
プラネタリウム。部屋がぼこぼこしているのが返って効果的だった。これは作家が大学生の頃の作品らしい。
あらかじめ速度調節された2つの楽曲が流されて、それと同時に撮影された映像。すごくゆっくり流れる音楽と、すごく早く流れる音楽があって、同じ場面なのに3つの世界になっている。そして、おそらくは、この会場のこの作品がある廊下でも、それと同様の撮影を行なっているようだった。
最後の部屋は、暗くて、そして巨大なレコード盤が回っていた。
トークショーは午後2時からだった。
きわだっていたのは4人の話し手が、ここのキュレーターも含む美術関係者だったのだけど、八木良太本人の声の質、話し方が、とても明瞭でもっとも聞き取りやすかったことだった。
1980年生まれなので、レコードに触れたことがないまま育ち、高校生で初めてレコードを手に入れた時はどうやって音を出していいか分からず、ポータブルプレーヤーをおそらくはインターネットで手に入れたものの、音が出なかった。レコードのほぼ中心に針を落としていたせいだった、という話。古い新しいではなく、未知なものに出会ったときのとまどいが明瞭に語られていた。レコードに思い入れがないため、半分に切ってある作品も、このレコードを切るのか?みたいな反応をされてもピンとこない、という言葉もあった。
この展覧会を見たある人が「影がない」という表現をしていたらしい事を知り、何だか納得がいってしまった。信号を読み取って、本の形になっている白い板の上に映像が流れる作品もあったが、その映像は八木本人ではなく、「他の人がつくったほうがクオリティがあがるはず」という言い方さえしていた。
それは例えば、よく知らないから間違っている可能性も高いのだけど、グーグルとかフェイスブックなど、いわゆる「プラットホーム」をつくった人達の感じと、似ているのかもしれない。
(2015年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。