1997年1月5日。
月に一回、新聞の地域ごとの薄い小さなPR版がある。そこの片隅に催し物の招待券のプレゼントがあるのに気がついた。感想などを書いて、割と素早く出せば高い確率で当たるのを知った。レオ・レオーニ。板橋区立美術館。ハガキを出す。狙い通り、当たった。妻と二人で出かける。まだ正月の5日だった。
巣鴨で都営地下鉄に乗り換える。だんだん少しすさんだ光景になってくる気がする。高島平団地を過ぎる。今はどうなっているか知らないが、自殺の名所という言葉だけがすぐ浮かんだ。そして、その団地はそれを肯定するように妙な灰色っぽい色をしていた。思い込みで余計にそう見えただけかもしれないが。降りた駅は、その印象を強化するような佇まいだった。西高島平。改札口のすぐそばに高速道路が走っている。クルマの出す低くざらついた音がずーっと響いていて、慣れてしまうとその音が聞こえ続けているのを忘れそうになるけれど、それは心と体に悪い影響を与えそうだった。歩道橋の上から道路がよく見える。中央分離帯は打ちっぱなしのコンクリート。幅は15mくらい。そこは、空き缶、コンビニの袋に入ったゴミ。そんな物でびっしりと埋まっている。久々に典型的に荒んだ光景を見ながら、チケットの裏に歩いて15分と書いてある美術館へ向かう。妙に不安を感じる道筋は思った以上に遠く思える。
公園の中にあるかなりこじんまりとした建物が板橋区立美術館だった。展示室は小規模だけど解放的に見える。レオ・レオーニは、「あおくんときいろちゃん」という絵本の作家として有名と説明してあったが、恥ずかしながら、私は初めて知った。でも、その絵本は抽象的な色というものをきちんと作品にしてあった。知らなかったが、すごいと素直に思えた。
さらにレオーニの作品は絵画、立体、版画といろいろなものがあったが、例えば空想の植物も形は突飛でもどこか整いを感じさせる。どの作品も穏やかな感じがする。でも妙に甘くなり過ぎないのは、この人の理性のおかげかもしれない。その穏やかさが、この美術館によく合っていた。
この美術館は1980年代に東京都の23区が美術館を作るという一種のブームがあったらしいが、その最初がここだったらしい。それからあちこちに美術館が出来、その後。税金の無駄遣いといわれることも多くなったが、これから先とにかく建物が建ったせいで、アートの世界だけでなく、実は生活にも思った以上のプラスになるような気がする。
(1997年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。