1996年6月。
たぶん屈折した興味だろうが、「1953年ライトアップ展」のこんな言い方で、見にいこうと思ってしまった。
『戦後美術の流れの中で、何も重要なことがなかった1953年にあえてスポットを当てることで、見えてくるものがあるはずだ』
美術史を知らなかったが、これは自分が「タイムリーじゃないから」という理由で、通らない企画を通そうとする時の参考にもなるんじゃないか、と下心も持って一人で目黒美術館へ行った。
よくある感想だが、いろいろな人の(といっても知らない人がほとんどだけど)いろいろな作品を見ることができた。その中でも、その著書を読んで以来、敬意もはらうようになった岡本太郎の絵画や、音楽家の武満徹もいたらしい『実験工房』の立体的な作品は今の目で見ても新鮮で何か力を与えられるような気もした。人も少なく、ゆっくり見られて、バリエーションも多く結構、満足感もあった。その時は、時間的に、もうコーヒーを飲めなかったと思うが、中にある大きなテーブルでの喫茶コーナー(本当にこの呼び方がよく似合う場所)もいい感じだし、確かに企画の力というものも感じた。
「シンポジウム 1953年 私はこう見る」 6月14日。
美術館のそばの体育館でシンポジウムがあって、電話で問い合わせまでして参加した。壇上には4人いた。私にとっては、遠い世界に見えた。その中の一人の評論家は、社会派やルポルタージュの美術がいいといっていた。
その中で一人、造型作家がいて、こちらの思い込みかもしれないが、話し始めると、好感の持てる無邪気さを感じた。他の3人の話の多くは、申し訳ないけれど、私には難解だった。その中では、岡本太郎の『今日の芸術』がベストセラーになったうえに、読んだ人から、その人は特に美術と関係ないのに「生きる勇気を与えられた」と多くの反響があった。これは今でもすごいと思うという話や、ただ一人の作り手である造形作家の「日本の中でこわいのは、すぐ囲いこむこと。仲間で、言葉で。それが、こわい」といった言葉だった。初めての美術のシンポジウムだったが、難解に思いながらも、結果として、結構楽しかった。
(1996年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。