アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「美術館を読み解く」。2001.1.23~3.11。東京国立博物館(上野公園)。

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「美術館を読み解く」。2001.1.23~3.11。東京国立博物館(上野公園)。

 

 

2001年3月8日。

 

 読み解く。という言葉が、少し苦手だ。

 何か、必要以上に高飛車な感じがする。こうやって、何かを書くこと自体、すでに偉そうになっているのは前提だとしても、でも、「読む解く」という単語にまつわる自分の能力や立場を疑わないような、楽天的な感じが、少し嫌なのだと思う。

 

 この企画のことを知って、すぐに、何ヶ月か前にやったと雑誌で知った国立国際美術館の展示のことを思い出した。3階の会場を地下の駐車場に見せたりする展示は、その美術館が移転ということもあり、見たいと思った。

 

 今回の古くからの建物(表慶館)を使った展示は、布を使って空間から受ける印象を変えたり、空のケースにパイプを通して向こうの向こうまで見えるようにしたり、あえて軽い存在に思える自分の作品を広いところに置いたりと、面白い試みだった。ただ、そうした作品は、特にこの場所でないという必然性は薄いように思えた。おもしろかったりはしたが、別にここでなくてもよかったのでは、という感じがした。古さや立派さが、どこかで変に見えたりというのを、もっと徹底してやってくれれば、おもしろかったのに、と思った。今回のこの展示は東京国立近代美術館の企画だった。

 

 同じ敷地内の法隆寺宝物館は、建物がかっこよかった。雑誌で見て、見たいと思っていた。豊田市立美術館と同じ設計家。屋根などを薄く見せ、柱もつや消しのアルミ。軽さが気持ちいい。すみずみまで神経が行き届いているが、うるささはあまり感じない。

 広い本館。広すぎて、疲れ、見たかった絵があったのを忘れた。

 そして、時間ぎりぎりで入った東洋館。法隆寺宝物館の設計家の父親の設計。さり気なくミイラがあったり、4000年前のエジプトの人形は、何か人の評価を気にしてないすごさみたいなパワーがあった。もう、今は作れないもの。すごい、たっぷりで、圧倒された。何千年も前のものが、そこに平気である。少しいただけで、どこにいるか分からない感じになり、とても遠くまで行ってきた気になる。入場料420円。行かないと、もったいない場所だった。

 

 

(2001年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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