2017年4月30日。
ツイッターなどで知った情報だった。青森県立美術館での展示「ラブラブショー2」をやっていて、それもイベントが多く、楽しそうで見たいものでもあるけど、一回は行ったことがあると言っても、青森は遠く、できたら、そういう時に何のちゅうちょもなく行けるくらいの収入の余裕は欲しいけれど、そしてそういう時間の自由も含めてのことになると、かなり難しいとは思うけれど、生きている以上は、そこらあたりを目がけて、実現したいとも思っている。
といった事とは関係もなく、だけど、青森県立美術館での展示を、東京でもやってくれるのは、それも、行ったこともない場所で、さらにはアートとあまり関係のない大田区でやってくれるのはとても有り難く、妻と一緒に行きたいと思いながらも、妻がカゼをひいて、どうしても治らないので、自分だけで行くことにした。
初めての場所は、慣れてないから緊張もするが、新鮮でもあって、だけど、羽田空港からバスに乗って通ったことはあるけど、おそらくは、初めて降りた大鳥居駅には、展示みたいな気配はまったくなくて、埋め立て地特有のやたらと広い空間の気配と、広い道路があるから、ひっきりなしに聞こえるクルマの音と、そして、コンビ二の向こうにあるはずと思ったら、あまり新しくない建物の前に人がいて、そこに美術館のロゴがあった。
それがついているだけで、違うものに見えるのは、こういうアートのルールみたいなものに、少し気持ちが慣れてきたのかもしれない、と思いながらも、狭い、まるで茶室の入り口みたいなドアをくぐって中に入る。暗い。映像が見える。水尻自子。タマゴがちょっと粘りつつも、ビヨーンと落ちていく感じとか、針でさす時にブニューと少しずつめりこんでいく感じとか、そういう擬音でしか表せないような感覚だけで出来ているようなアニメーションで、それはそのスピードだけで、シンプルな線なのに、ずっとそういう感覚を見ている時間のあいだ、おそらくはずっと思い起こさせてくれた。
その周りには、家具らしき立体。それも、酒屋の倉庫に捨てられていそうなプラスチックの入れ物、それも半分壊れたような感じの黄色い物体と、タンスがくっついて、それも粗く一体化していて、あとは工事現場のコーンが違うものになっていたりと、それで、どこにもないものになっていた。青野文昭。
2階へ上がる。動物が描かれた壁のようなところ。そのうしろの、アニメーションなのに質感がザラザラして感じる作品。ミロコマチコ。そして、アニメは、アンナ・ブダノヴァ。
机が置いてあって、あとで気がついたのだけど、その机の表面は何ページかめくれるようになっていて、そこに宮崎夏次系の作品。レンズの入っていないメガネをかけると、耳から微妙にずれた位置でなり続ける、音楽。柴田聡子。恥ずかしながら知らなかい音楽家だったのだけど、気になって、今度聞いてみようと思う。
大田区で、こんな場所があって、展示を見られて、やっぱり独特の時間の流れを感じられてよかった。ありがたかったので、感想のメールを青森県立美術館に送り、出来たら、またこのような展示をやってほしい、という言葉を入れた。
(2017年の時の記録です。多少の加筆・訂正をしています)。