アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチ ― 天才の実像。2007.3.20~6.17。東京国立博物館。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ ― 天才の実像。2007.3.20~6.17。東京国立博物館

 

2007年6月14日。

 上野駅で、友人と待ち合わせ。

 そして、「東博」へ。この呼び方は、確か美術手帳かなにかで見て、憶えたけど、まだ何となく違和感がある。最初は、西洋美術館かと思ったら、こちらの建物らしい。30年前にモナリザが来た時も、同じ建物。同じ部屋らしい。たった1枚の絵のために、1つの部屋が与えられる、という「宝物」パターンなのだろう。

 

 東京国立博物館へ近づくと、その列だけが気になる。や、あんまり並んでない、と油断したら、隣の東洋館のところまで使って行列。100人はいる。でも並ぶしかないので、ちょっと雨気味の空の下に並ぶ。並び始めてから、けっこう早く列が進んでいく。それだけで、並んでいるのに、ちょっと嬉しい。立派な建物。大きな玄関。列を構成している人たちは、かなり年齢層が高い。モナリザも、ここで見ている人は予想以上にけっこう多いかもしれない。

 

 約20分で、中に入った。荷物を開けて中をチェックされ、金属探知機を通る。空港か、と思う。軽食にと買ったサンドイッチとペットボトルに何か言われると軽く警戒したが、気をつけて持ってください。と、言われるくらいですんだ。

中に入ると、だんだんに仕切られて、行ったり来たりしながら、前へ進んで、絵に近づいていくシステム。薄暗い。遠くに、「畳1畳」くらいの絵が明るくかかっている。

「受胎告知」。

ガラスの透明度が、遠くからでも分る。少しずつ近づいていく。

3段くらいまだあるところに、立ち止まって、見る。私たちより詳しい友人に話を聞きながら、見る。いろいろ、おかしいところがある。でも、パッと見はハリウッドっぽい派手さが、確かにあるように思える。細部にこだわって描いている。20歳そこそこで描いたのならば、それは物凄く細部がうまく、全体のレイアウトに欠点があっても仕方がないのかもしれないが、でも、目が死んでいるように見えるのは、ずっと変わらないかもしれない。

 

 他の絵は、写真などで見ただけなのだけど、これだけ技術が高いのに、いつも、人物の目が死んでいるような、というよりは、冷たく感じてきた。実物を見ても、その印象は同じだった。どうしてだろう、と考えて、その生涯を少しだけでも知ると、もしかしたらレオナルド・ダ・ヴィンチは、作品に描かれてきたような視線を、ずっと向けられてきたのかもしれない、と思った。そうであれば、やはり、とても忠実に、自分が見たものを描いてきたということなのだろう。こんな推測は失礼かもしれないけれど、ただ、それが本当であれば、人としては少し悲しいことになってしまう。

 

 近づいて、その1枚の絵のことだけを考え、この薄暗い部屋の中で少しずつ近づいてきて、そして、そばで見て、ホントに印刷にのりやすい絵だと思い、様々な細かい欠点の事も思い出し、ああ、そういえば有り難みが少ないかも、などと思い、でも、ずっと「立ち止まらないでください」とだけ言われ続けて、絵を見たのは少なくともアートに興味を持ってから約10年の中で初めてのことだった。部屋の中だけで何人の警備員がいたのだろう。そして、人物の目線のことは、自分の勝手な推測が、もしかしたらある程度は正解なのかも、と思えた。

 

 ロッカールームが広く、その中でサンドイッチとパンと飲み物を食べた。

 もう1回、並んだ。

 また荷物を見られて、ゲートをくぐって、またじわじわと近づいて、見た。感動とかとは遠い。えー、これだけ。と言う若い男性。

 

 それから、第2会場へ行く。ほとんど映像などの資料。ほとんど集中力がなくなる。テラコッタを見る。若い男性の頭部。でかい馬の像を計画した絵。いつも自己アピール。有名になることに全てをかけてきた、という説もあるらしい。

 それは、レオナルドの生まれや育ちだけではなく、個人的な何かなのかも、と感じた。

 

(2007年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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