2017年9月30日。
この前は、祐天寺から駒沢通りを歩いて、そのギャラリーにたどりつき、道をはさんだ向こう側にブルーボトルコーヒーがあって、意味もなく気持ちが盛り上がったが、今日は中目黒から歩いて、一度は来ていると、ちょっと気持ちは落ち着くというか、勝手ななじみ感が出てきている。でも、この場所も変って行く。
ギャラリーに着くと、最終日のせいか、思ったよりも人がいる。映像作品は多くなって、それは鑑賞するのに時間がかかる。美術作品を見る時間は、それまでは見る側が決めることが出来たのに、映像が多くなった今は、鑑賞時間が長くなった。全部見たからといって、感動が深まったり、まして理解が深まるということが、いつもあるわけではないけれど、自分が見られない、見ていても気がつかない世界を見せてくれるので、長くじっくりと、時間を気にしないで滞在できたら、また違うものになるのかもしれなかった。
小さなトンチみたいな、ちょっと笑わせるような、そんな作品に見え、そして、もっと大ぶりな変化や、奇をてらったような作風でもなく、また物語的な要素を強めるのでもなく、映像の加工などをしているわけでもない。淡々とした動きがありながら、そういうことをしている時や、その動きを特に意識して見た事もないのだけど、改めてそこだけを見せてもらうと、何ともいえない気持ちになるのを感じるような作品が並ぶ。
佐々木敦氏がツイッターで、傑作と言っている作品は、ギャラリーの一番奥のモニターで繰り返し映っている。Everything is everything という作品。日常で、誰もが出来そうなこと。階段から、何かプラスチックの板みたいものを投げて、スーッと一瞬跳んだり(これは微妙に記憶が違うかもしれない)、足で何かを倒したり、といった映像。リーフレットに長い文章が書いてあって、それが今回の企画者の上妻の文章で、今、注目のキュレーターということなのだけど、だけど、読みにくくて、なかなか読めない。
それでも、何か作品を十分に見た、という印象だけは残った。
映像作品の面白さ、みたいなものを考えたり、写真が、ヒロミックスが出て来た時に、「女の子写真」などと悪口のように言われたことがあったけど、誰もが写真を撮るようになって、という時代の後というか、ほぼ並行して、動画も、誰もが撮るようになって、今はスマホでも撮れるようになったから、プロだったり、アートだったりは、何が違うのか、余計に難しくなってきて、だから、面白いものが見られるようになってきたとは思っている。前の方が、もっと流しっぱなしだったような気がするけど、気のせいだろうか。自分が慣れただけなのだろうか。
(2017年の記録です。多少の加筆・修正しています)。