2019年3月11日
岡本太郎記念館で、この個展の思った以上に大きいチラシを見てから、必ず見たいと決めていて、ただ2週間の期間で、さらにはやや遠い場所にあるギャラリーだったのだけど、とにかく行こうと思っていた。今日は、別のギャラリーに寄ってから、地下鉄を乗り換えて、駅で降りて、こっちで合っているのだろうか、と不安を抱えながら歩いて、一度は行ったことがあるギャラリーを見つけた。
入口から入ると、まずは、この個展のテーマの主人公でもある富子さんの絵があって、それはあとで聞いたら、写真を見て描いたのだけど、その下に手書きのキャプションで、ぼくは富子さんに会ったことがない、というような言葉が書いてあって、それは、そういう正直さを書くようにした、というらしいが、こういう構造が、新鮮でもあったし、距離感みたいなものを表明しているようにも思えた。
そして、1階の細い廊下みたいな場所は、作家が心中した場所に出かけていって、その自分のことも含めて、いろいろな写真や絵画や新聞の切れ端などが、ちりばめられていて、考えたら、ランダムに見えて、かなり周到な計算、といったこともあるのだろうと思ったが、確実に、少しずつ違うところに行くような感じになった。
そこから、のれんがあって、そこに描かれていた絵は、この富子さんの息子さんである末井昭さんが描いていて、そこをくぐると、靴を脱いで、ちょっと上にあがって、そこから、ふっと気配が変わって、恐い後ろ姿でもある富子さんの絵があり、ちょっとのんきな心中相手の男性の絵があったり、そこに、今の風景を描いているような絵もあって、その振幅も含めて、単純に昔に戻るだけでもないような感じもあるし、ただ、そこから階段をあがると、また、もっと違う世界に入る。
一枚は、富子さんが全裸で自慰をしている絵。あとは、今回、作家が行った時に、たぬきにばかされたと思ったような場面の絵。さらには、心中した男性が、そこに行ったちゃいけないというような道を入りそうになっている絵もある。どの絵も、現在と過去と現実と想像が入り混じっているはずなのに、同じように迫ってきて、そして、魅力的な絵だと感じる。
2階建ての建物全体がギャラリーになっている。階段を上がって、作品が並んでいるだけで、異世界に踏み入れるような感じになり、また一段上がって狭いところを歩いて、抜けると、そこには一番巨大な、ダイナマイト心中の瞬間を想像して描いた絵があった。言葉がすぐ出てくるような作品ではなく、ただ見ていた。
そして、クリスマスツリーにかかっているのは、散らばってひっかかったと言われるような、内臓、それも2人分を、柳本悠花が、縫ってぬいぐるみとして作ったものがあって、それも男性と女性の内臓が作り分けられていた。
そして、そこでこの2人は終わってしまったが、観客は下山しましょう、と自ら解説を続ける作家の弓指氏に言われて、階段を下りて、途中で、あ、これは内臓だったのか、というのもあったり、そして、行きとは違う方向に抜けると、そこには盆踊りのちょうちんがあったり、さらには、もし2人が生きているとしたらラブホテルにいるかもしれない、というような仮定の絵があったり、さらには、富子さんの血筋である小学生の絵があって、それが弓指氏の画風とちょっと似ている絵だった。すごくいい絵で、それが、瀧川絢子さんのもので、2点あった。
そして、最後は男性器の塔が山にある絵があって、この展覧会に来た椹木野衣によると、実は太陽の塔の真ん中の顔は、生まれようとする子供で、腕と見えるのは開いた足で、赤い線は、だから血液で、その男性器の塔は、対ではないか、という指摘もされるような偶然まであった、と知った。
一回、途中から作家の弓指氏が説明しながら鑑賞をするツアーに参加し、そのあと、すこし弓指氏と話をさせてもらった。何しろ、まっすぐな作家で、しかも、作品の密度をあげていって、さらには、今回は、2階の暖房を切ることで、山の上に来た感じを少しでも出そうとする、といった細かい工夫やレイアウトも含めて、全部、作家自身でやって来た、ということに、すごい熱量と冷静さに驚く。この作家の作品を見て、作品や制作の話を聞くと、いつも自分もがんばらないと、と背筋が伸びるような気持ちにさせてもらうことも含めてありがたいし、すごいと思う。そこから、もう一度、解説のツアーが始まったので、前半の説明も聞いて、また作品を一通り見て、本当に充実した時間になった。
(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。
(この展覧会のきっかけとなった弓指寛治氏と末井昭氏の対談も掲載されている「自殺会議」という書籍です)。