アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

弓指寛治「太郎は戦場へ行った」。第21回敏子賞受賞者特別展示。2019.2.6~2.24。岡本太郎記念館。

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弓指寛治「太郎は戦場へ行った」。第21回敏子賞受賞者特別展示。2019.2.6~2.24。岡本太郎記念館

 

2019年2月23日

 弓指寛治の作品を最初に見たのは五反田のカオスラウンジのアトリエで、新芸術校の卒業展だった。作品を見て、その集中力みたいなものが伝わってくる絵というのはわかったが、それにプラスして、本人が作品のことを話してくれて、その圧倒的な熱量にちょっと押されたりしながら、すごさを感じた。

 

 弓指氏は、自身の母親を自殺でなくし、その後、自殺をテーマにしながら作品を作り続けて、岡本太郎賞の敏子賞も受賞して、あっという間に、ある意味、偉い作家になってきていて、それは個人的なことを突き詰めて、普遍に広がるみたいな部分で、それを支えているのが、圧倒的な手間ひま、といったようなことを思ったのだけど、今回の、特別展示も、密度が高かった。

 

 岡本太郎が戦争に行き、帰って来たことをテーマにして作品を描く。

 

 戦場で馬の死体をうじがびっしりとたかり、ざざざざざ、といった音を立てた、というエッセイを元にした作品。大きく、描き込んだ色合い。

 それに対して、帰って来て、絵を描くところを見守る敏子さん、という作品。

 さらには、戦場へ行って、一度も発砲しなかった、という文に対して、ほんとだろうか、と疑問を投げかけるキャプションがついた銃をかまえる太郎の絵。

 戦場で、その戦友と一緒に撮った写真があり、2人で写されている像の、太郎を間違えて、ガイコツにしてしまって、そのことも文章で書いて、仕上げた作品。

 

 いつも死をテーマにして描いていて、今回は死と生になっていて、重いテーマをずっと手放さないすごみを改めて感じる。技術的に巧みというのではなく、描写力がリアルというのではないのだけど、描こうとするものと、筆の重みと凄みみたいなものが一致しているような、リアルな力を感じる。次の個展が、また3月にある。見に行きたいと素直に思う。

 

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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