アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

αM project 「絵と、」藤城嘘。 キュレーター 蔵屋美香。2018.6.16~8.10。ギャラリーαM。

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αM project 「絵と、」藤城嘘。 キュレーター 蔵屋美香。2018.6.16~8.10。

ギャラリーαM。

 

2018年6月16日。

 

 前日に、アーティストトークは、誰でも参加していいのでしょうか、とメールをギャラリーに送ったら、すぐに返信が来て、だれがいらっしゃっても大丈夫です、そのあとのオープニングも、というような言葉だったが、さすがに作品を買う経済力もなく、関係者でもないので、オープニングは出られないけど、丁寧に対応してもらって、ありがたかった。

 

 最近、馬喰町にはギャラリーも増えて、以前よりもさらにアートな街になっているらしく、一度は行きたいと思っていたので、ちょうどその地域にあるので、他のギャラリーに行く予定を自分の中だけで立て、さらには、キャッシュレスでの初めてのファミレスが出来た、というので、そこも行きたいと思ったりもして、地図に書き加えたが、出かける時間が遅くなったので、とにかくトークがあるギャラリーに向けて、出かけた。

 

 気温が低いので、ウールのセーターも着て、ちょうどいいくらいと思っていて、久しぶりに昔実家にいる頃はよく使っていた鉄道の路線を使い、降りて、地図を見て、でも違う道を一生懸命歩いたせいか、汗をかいて、そして、最初の選んだ道筋がまったく違っていた。なんだか嫌にもなった。

 

 それでもギャラリーに着いたら、まだあまり人がいなかった。以前、この街のギャラリーというか、ギャラリーとカフェが一緒になっているような建物があって、その地下だった。

 

 藤城嘘の作品を見て回る。色合いや、描いてあるもの。乱暴に見えて、しばらく見ていると、味わいがあるというか、なんだか少しずつ好きになるような作品。描きこんであるキャラクター、文字もあちこちにかいてあって、それも含めて、見たようで、見たことがないような作品。明らかに、今の時代の作品、というように思うのは、そのバラバラでも自然な感じが、インターネットが大きく影響を持つようになった時代のもの、というような感じはする。

 

 一通り見て、階段を上って、他のギャラリーものぞき、ここには以前も来た、というような思いになって、トイレに入って、Tシャツを着替えて、こんなに汗がかいているんだと思い、それから、またギャラリーに行くと、イスが並べてあった。空いている席を見つけて、座る。

 

 周りは、おそらくは関係者ばかりで、声をかけあったり、話をしたりしている。無関係者で、美大の学生でもない人間は、ほぼいないのではないか、といったような気持ちにもなる。

 

 キュレーターの蔵屋氏と、作家の藤城氏の話が始まる。

 トークの最初に蔵屋氏が話を始める。竹橋の国立近代美術館の学芸員で、この前の熊谷守一の展覧会の企画もしたそうで、この美術館には、時々、優れたキュレーターがいて、不思議な感じがするのだけど、その蔵屋氏は、2011年の大震災以来、世の中が大きく変わってしまった、と感じているらしい。ヘイトスピーチも、以前は人前で言うべきことでない、ということを、広く伝えるようになってしまっている。その中で美術の世界も変わって、ただ、映像などの作品は出たのに、絵画はどうなっているのだろうと思いながら7年がたった。

 

 藤城の顔は改めて見ると、不思議な印象があって、20代後半のはずなのに、もっと若く、女性に近い印象さえある。初めて、香港人の父と、骨董商の家系の母親だということを知った。そして、大震災の時は、蒲田のホテルの内部をペインティングする、という作業の途中で、それをこもって続けていることで、シェルターにいながら、テレビで外部を見る、といった経験をした。そして、SNSが、それまでは大喜利をするような空間だったのに、少しでもふざけると炎上するような場所になってしまった。シリアスなことを求める人がたくさんあらわれた。

 

 そして、梅沢の作品のことで、炎上したのが震災後2カ月、ということを蔵屋氏が聞いて、改めて驚いたような表情だったが、確かに、そんなことをしている場合ではなかったのに、と思ったりもした。

 

 その3カ月後、藤城は、津波の被害にあった土地で宿泊する機会があり、その時は、夜は、生き物の気配がなく、耳が痛くなるほどの静かさを経験し、それは作品にもなった。蔵屋氏の指摘で、日本が受け入れの国、というような黒瀬陽平の話を出していた。

 

 その話は深まらなかったものの、聴き手としては、受け入れ、というのは、こちら側からの話で、文化も流れて、そして、物質的に優れたものは、たどりつくわけもなく、資源もないのだから、来る人も限られていて、だからこそ、侵略のリスクも少ないままだったから、文化が流れ込んでくる、というよりは、文化を吸収して、帰って来て、が繰り返される方がたぶん多くて、だからこそ、今でも海外に行って戻ってくる方が偉い、ということかもしれないなどと思っていた。

 

 藤城の新作は、DMと少しレイアウトが変わっている。そして、それはVチューバーをモチーフにしているらしく、改めて光が当てられると、さっきよりも魅力的に見え、あれこれと目を引く要素があり、全体として見ていると、なんだかしみじみいいな、と思えてくる。

 

 キャンパス全体が「萌え」になるような、それをキャラクターとしても成立するようなことをしているのだろうか、と思った。

 

 トークの中で、藤城がデジタルが苦手なので、描いているみたいな発言は、蔵屋氏は意外そうだったが、聞いている方も意外だった。そして、大震災以降に、何が変わったのかについては、作家やキュレーターだけでなく、観客であっても、きちんと考えて、まとめて行く必要があるのではないかとも思った。

 

 

(2018年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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