アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

カオスラウンジ 新芸術祭二〇一五 市街劇「怒りの日」。2015.9.19~10.4。 いわき市街。

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カオスラウンジ 新芸術祭二〇一五 市街劇「怒りの日」。2015.9.19~10.4。 いわき市街。

 

2015年9月27日

 遠い場所だけど、去年の古い民家を使った展覧会も、なんだか他にないような感じでよかったし、梅沢和木の作品が、なんともいえない、やっぱり他にないような気配があって、それで、また見てみたいとは思っていたが、東浩紀ツイッターでの評価の仕方が気になり、妻と相談したら賛成してくれた。ありがたい。お金はかかるが、電車に乗って、日帰りで行けそうなぎりぎりの距離。

 

 昼過ぎの電車に乗る。行きは、車内で、もっと本をちゃんと読むか、ちゃんと寝たかったけど、妙に緊張していて、眠れないけど、本もすごく集中できたわけでもない。だんだん景色が変わる。福島に近づき、それまでと何も変わらないようにも見えたが、看板のようなものに「福島県内の原発すべて廃炉」みたいな文字が見えて、当たり前だけど、事故があって、それがまだまったくといっていいほど解決の方向へ進んでいなくて、それをなかったことのようにしていたというのは自分自身の問題でもあって、行かなかったことが微妙な後ろめたさもあって、今回、大震災のあとにやっと東北へ行く機会が出来た。

 

 駅はもう10数年前と比べたら、当たり前だけど、とても開けていた。ここに宿泊して、Jビジレッジに通ったのは、トルシェが日本代表の監督をしていた頃で、あれからまたとても長い時間がたったと改めて思い、駅前の観光案内所で地図をもらって、歩いた。

 

 最初の会場は、地方で見かける古いスーパーみたいな建物を使っていて、そして、そのスペースは思ったよりも広く、そして撮影が自由なので、写真を撮りながら見るのは、微妙に気持ちも違うものの、そこにある作品は、よく見ると、このいわき特有の歴史に根ざしたことをベースにして、そこから現代につながるものになっていて、そして、あまり軽々しく言うのは失礼だと思うけど、今の福島県は怒りがあっても自然な状況で、そういうことも含めて、つながってくる、というか、その時だけでなく、あとになって、いろいろと考えが蘇ってもきた。

 

 

 山内祥太「もっと遠くへ行きたい」。ホームレスなのか、原発作業員なのか、というような人形みたいなものが横たわって、回っている。その奥で、どこかへ出かけて行く映像作品が映っている。思ったよりも奥に広い建物。

 

 2階に上がる。村井裕紀の大きい作品。パルコ木下。藤代嘘。

 徳一、といういわきの僧のことがテーマとして扱われる。竜宮伝説とか、死人田とか。その作品を撮ったら、炎のように写って恐かったが、それだけ怒りが強いのかも、などとも思い、あとになって、読むほど、その意図の強さが伝わってくる。いわきで内戦が起こったら、というような作品もある。

 

 次の会場は、道に迷った。まるでセットのようなスナックが並ぶ路地を抜けても、次につかない。かなり違う方向へ歩いていたが、同じような場所で、同じような地図を持っている青年がいたから、同じように迷ったのだろう。

 

 次の会場には天狗にまつわる展示。フェルトで作られた作品は、天狗が、震災後の再開発で失われた神社らしく、それを思うと、もう天狗のいる場所がなくなっているのだろうな、とも思える。そこで、アートが好きそうな女性に、次の会場のことを聞かれる。

 

 そこからまた歩く。

 緑が多く、夕暮れが迫り、暗くなると見られなくなるのでは、とも思い、やや焦るが、お寺につくと、そこには梅沢和木の障壁画がある。今回は、また著作権で訴えられそうなものになっているが、やはり乾いたひりひり感は、他の作品にはない独特のものだと思う。

 

 そこから、本堂へ行き、ご本尊さんを見ながら、音声でのドラマを聞く。途中で、お寺の僧の方が、電気をつけてくれる。途中で沖縄との関係の作品があったが、よく分らなくて、あとで、解説を読んで、少し分った気にもなり、そして、そんな遠い場所と、このお寺の僧が沖縄と関係があるというのは、とても不思議な気持ちにもなり、そういう場所でやる意味は、確かにあって、これが文脈というもので、その話は昨日の人間科学とエビデンスをテーマにした講演会の中でもさんざん聞いた。裏庭に長靴をはき、どろどろの斜面をローブをつかまって、くだっていく。そこに作品。さらに竹やぶの中みたいなトンネルをくぐって、さらに奥へ。川まで作ったところに、石がつんである。

 

 戻ってくると、空がとてもきれいに見えた。

 そこから歩いて、第2会場に行くと、まだトークショーが始まってなくて、参加も出来た。道の途中で走っている黒瀬陽平東浩紀を見た。ものすごく明解な話をする東。

 

 今回は3つの点があって、ひとつはカオスラウンジの到達点。2つめは美術の演劇化。3つめは、芸術の公共性についての新展開。さらに、今は、10分話を聞いてくれる人もほぼいない。1000人に一人いればいいほうで、問題は、その人達をいかに効率よく呼べるか、みたいな話だと思う。今は、極端にいえば、売れてるからすごい村上隆と、気合いがあるからすごいチンポムしかいない。そうでないことをしていくしかないのでは。といった事と、今回は、外から精神分析医のように来て、そこにある土地の無意識を形にした、というような事だともいえるではないか。こうしたことを継続するためには。

 

 の話の途中で帰りの急行に間に合わないかもと思い、出た。もう駅弁もないだろうから、ファミリーマートでののり弁と、デザートにシュークリームを買った。飲み物と。

 

 あとから、またいろいろな事を思うのだと思う。

 体験でもあったから、また違うことを感じるのかもしれない。 

 行ってよかった。

 

 

(2015年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

chaosxlounge.com