アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

美術展 TOKYO2021「慰霊のエンジニアリング」。2019.9.14~10.20。TODA BUILDING (戸田建設)。

f:id:artaudience:20220104103131j:plain

SiteA 「災害の国」

2019年10月18日。

 意外でもあったけど、去年、福島にカオスラウンジの作品展を観に行った時に、その関係者の、明らかに年齢が高い方が「黒瀬さん」と連発して、敬意を感じるような言葉遣いをしていたので、こうした建設会社という、一見縁のなさそうな企画でも、それを通すだけの総合力があるのだから、考えたら、ある意味当然だったのかもしれない。でも、とにかく行きたいとは思っていて、黒瀬洋平のツイッターで土日は混雑のために入場制限がかかるかも、という情報を知り、妻がカゼ気味で大丈夫かどうかと思ったけど、相談して、本来だったら二人で出かけられるように事前登録も2名分にしておいたのだけど、一人で行くことにした。

 

 東京駅から歩く、という都会の真ん中というには、ちょっと人通りが少なくて、何しろ車の音以外はけっこう静かでオフィス街だからかも、と思いながら小雨が降り始めた中を歩いて、会場に着くと、入り口に、福島で観たはずの「2021」という大きい立体文字がある。ブリジストン美術館のとなりの、整った中に、これから建て直しで、一部、壊し始めているかもしれないとしても、サイトA「災害の国」に入る。

 

 中は、きれいな街の中に微妙にざらざらした空間となっていて、梅沢和木の作品が広がっていて、見るとすぐにわかるのに、違うものだとは思って、不穏で気持ちいい平面が広がっている。少し進むと足下には、災害時にみかける土嚢のようなものが並んでいて、踏まないでください、みたいに注意をされた気がしたのだけど、実は靴を脱いでふんでください、という作品で、それは53個の座布団が並んでいて、その中には、東海道の53箇所の土が入っていて、会場を斜めにつっきっているのは、京都の方向へ向かっているということだった。

 

 その土嚢を乗り越えると、向こうに団地の写真。大山顕。とても長いアパート。それは高さ40メートル、1・2キロでつながっていて、それ自体が巨大な防火壁となっている墨田区の「白髭東アパート」。その長さが、ちょっとこわい。だけど、人が住んでいる建物そのものを「壁」として使うということが合意されるような、そんな大災害があったせいで、その恐怖が作らせたものだとしても、その意図が形になっているものは、なんだかすごい。

 

 そして、その奥に白いシーツがあって、ふくらんでいて、その中には飴屋法水がいるはずで、この期間中、ずっと会場にいるらしいということは事前情報で知っていたが、本当に独特の存在感がある人で、ただ、今はシーツみたいな中にいて、微動だにしないので物のようでもあり、そばに骨壺があって、そのシーツの下にいるであろう飴屋をずーっと見ている青年が一人いた。

 

 八谷和彦の作品は、特殊なメガネみたいなものをかけて初めて見える文字が電光掲示板に流れ、その下は通らないでくださいと、最初に注意を受けたのを思い出すが、その文章は、1995年の阪神大震災のあとの「メガ日記」という作品だと、あとで知る。

 

 その壁の反対側には、カオスラウンジの絵画作品が壁一面くらいに長く設置されていて、それは、東海道53次をテーマにして、京都アニメーションの事件を受けての製作だとも、やはりあとで知る。ビデオ作品を、ゆっくりと見られる時間もあって、次の会場もあるのだけど、何しろ見ていったら、第2時大戦当時の、日本軍の風船爆弾をテーマにした映像作品で、それが、その言葉の響きのどこかのんきさとは別に、たとえば映画館みたいな広い場所で、人手をかけて作り、1万発くらいが空に放たれ、途中で事故によって日本人が亡くなったりもあったりして、何発かはアメリカ大陸に到達して、爆発もしたが、人が亡くなったこともあったが、その被害はとても少なく、目撃情報の数をそのまま犠牲者数として「大本営」発表で盛り上がったりなど、初めて知ることばかりが、そこで映像化されている。爆弾は太平洋を超えて、だけど、爆弾は「盲目」だから、見たはずの景色を、とそこにアメリカの、たぶんすごく田舎の下手をしたら砂漠のように見える土地ばかりが映し出されていた。竹内公太の作品。

 

 高山明の作品は、街でインタビューした映像を個室で見る、というもので、並んでいたのと、どの人を選ぶかが明らかになるのが、ちょっと恥ずかしいという恥ずかしい自意識によって、見るのをあきらめたが、そのインタビュアーの一人がキュンチュメで、その話を聞く力のことを思ったりもした。部屋の奥には、不穏な気配のするビデオが流れていたり(「水俣病を告発する会」1972年 中谷芙二子)、さらには、扉の向こうに文字がうわーっと書きつねられている部屋があってトイレまであってそこには麻原彰晃の声が流れていたりする。それは、飴屋の作品だった。

 

 竹内の作品を見ている時に、飴屋は起き上がり、目の前を見て、座り、ほぼまばたきすらしないで座っていて、それをさっきの青年がじーっと見続けていて、それをはねかえすというより、そこにいるのに本当に近寄りがたい気配は強力に発し続けていた。

 

f:id:artaudience:20220104103517j:plain

SiteB「祝祭の国」

 

 最初の会場を出て、オフィス街に戻り、そこから事前登録をした紙を見せて、「sitebB 祝祭の国」の会場に入る。入り口付近に、これまで画像で見てきた太陽の塔。それも、顔だけで、後ろは光っているのは分かったが、現場だと白く塗った車いすと、そこに蛍光灯で光があり、それが積み上げられているのがわかり、その作者の他のビデオ作品や、本人がそこにいることで、車椅子がないと生活していけないという作者だと知る。

 

 その後ろに、弓指寛治の黒い盆踊りが並ぶ、というか、踊っている。絵に描かれた人たちが、板に描かれて、立って踊っている。そして、その後ろ姿は真っ暗だった。突き当たりの壁には、岡本太郎記念館でも見た「白い馬」という馬の死体の大きな絵があり、その盆踊りは、不穏というか、そのハンドアウトにも書かれているように、盆踊りは死者のための祝祭でもあって、それで思い出すのは、花火も死者を悼むためのものだったことだったりもする。

 

 奥に、がれきを使ったという2026という数字があって、それは、再びの大阪万博の翌年で、また下がるのではないか、といういやな予感を形にしたものかも、と知る。藤元明の作品。そして、その向こう、ごみみたいな向こうに走る中島晴矢の映像作品が流れていて、あとは見たかったプロレスをテーマにした作品も見て、昭和のプロレスの感じは出ていると思ったりもした。

 

 キュンチョメの太陽の塔の裏の太陽に、太陽を見せるという作品。その発想だけで、面白いけど、形にしていて、でも、その形になった映像は思ったよりもインパクトはなかった。

 

 HouxoQue の作品。階段の下に水がたまっている黒くしているから、不吉で、その階段を降りると、向かいに点滅して、それが不穏な気持ちにもなって、こういうザラザラした感じを、安全に持ち込むのは、すごいと思った。あとになってキースへリングの作品が、今だに秘密にされているような作品や、奥にある高山明の作品を見るのを忘れていたのを、合計で2時間はいたのに、気がついて、残念だった。印象に残って、あとでまた何かを知って、また考えたりできる展示だった。

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

www.tokyo2021.jp

 

www.toda.co.jp