アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

『ゲンロン5 幽霊的身体』刊行記念。 「視覚から指先へ」
梅沢和木×東浩紀 トークショー+サイン会。2017.8.6。青山ブックセンター

『ゲンロン5 幽霊的身体』刊行記念 「視覚から指先へ」

梅沢和木×東浩紀 トークショー+サイン会。2017.8.6。
青山ブックセンター

2017年8月6日。

 何日か前から、このイベントがあるのは知っていて、だけど、その前日から泊まり込みで、サッカーをして宴会をして、というようなこともあったし、どうしようと思っていて、ただ、思ったよりも、解散が早かったので、まずは家に帰ることにした。
 
 家について、妻と食事をして、もしも、このイベントに空きがあったらいってもいいかな、と相談して電話をしたら、あっさり空きがまだあるようだった。食事をして、出かける。すこし眠いが、でも、この2人がきっちりと対談するのを見るのは、初めてだから、行かないとたぶん後悔する。
 
 久しぶりに青山ブックセンターに行ったが、おしゃれ感が強くて、きおくれがする。トイレで汗でびちょびちょになったTシャツを着替えて、それから、会場に向かう。本屋の奥にスペースがあったのを知らないままだったが、100名まではいかないまでも、50名くらいは人がいて、1350円という金額を払ってくるのだから、それだけの金額を払ってもトークショーを聞きたいと思えるようなのは、すごいと改めて思う。
 

 話は司会とか紹介とかはぼなしで始まる。こういうほうが無駄がなくていい。梅沢和木が、別の場所での講義をダイジェストで語ってくれた。

 

 特にスマホが出てきてから、変化が大きくなったのだけど、指先だけで情報と関わる洋な肉体みたいなところはやっぱり考えないといけないんじゃないか、といったことを話す。

 

 それから、東が村上隆に触れて、スーパーフラットという概念は、とてもよくできてもいるのだけど、デジタルの環境に関しては、あまり触れていない、という言い方をしていて、それは確かにそうだ、というような気持ちになり、カオスラウンジが個展をした7年前に、今の時代のものを作品化した人たちが出て来たという目の前が開けるような感覚を憶えたのも憶えている。
 
 それからいろいろなことがあったものの、梅沢和木の作品はいいと思ってきたが、梅沢は、大量の情報を処理するために「音ゲー」をしているという話をしている。
 

 映画好きはマゾヒストなのではないか、といった東の指摘とか、視覚は分断する知覚、という言い方は、確かに見ているものが、こんなに違うのか、ということかもしれない。そこで、その指摘をまずしている、というありかたは、ホントにアートの作品のようだった。

 知覚の中で視覚が圧倒的に重要だということは、哲学的には何かあるのもしれない。東はそんな話をしていたようだったし、今のカメラは画像を見て、撮影していて、ファインダーをのぞいていたときとは違っている、といった話を東もしていて、ああやっぱりそうなのか、とも思ったりもした。

 

 

(2017年のときの記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

amzn.to