アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇「百五〇年の孤独」。2017.12.28〜2018.1.28。福島県泉市。

カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇「百五〇年の孤独」。
2017.12.28〜2018.1.28。福島県泉市。

 

2018年1月20日。

 何で知ったかはもう覚えていない。たぶん、カオスラウンジの黒瀬陽平ツイッターか何かだと思うのだけど、おととしは、この市街劇の第一回目に出かけ、その時は、やっと福島県に行けたし、その土地にあったことを形にしたような感じもしていて、そして、作品は梅沢和木らのものも見れて、遠かったのだけど、すごく楽しかった記憶があって、ただ第2回目は、会場があちこちに散らばることになっていて、とても一日では行けないような気がして、やめてしまったのだけど、今年は、それもどこで見たか忘れてしまったけど、評判が良さそうだ、といったことも見たし、さらには、たまたま義母のショートステイの日程とあった。

 

 もしかしたら、採用の面接があるかもしれない、などということもあったのに、履歴書を送った時点ですぐに落とされた。もう履歴書がからむ採用では、2度と勝負しない、と思ったのだけど、そのために、自分にとっては遠い片道3時間くらいがかかる場所に、それも午前中から、出かけられることになった。金土日と週末しか開催していないから、限られたチャンスにちょうど行けることになり、妻と相談をし、その日は妻はクラス会なので、別々に行動することになるけど、行くことにして、前日に自動販売機で指定券をとれた。

 

 朝方は、ちょっと辛かったけど、今は品川からでも、常磐線に乗れるから、気持ちは楽だけど、時間はかかるし、まだ仕事のことが残っているしで、本を読みながら時間がたって、時々ちょっとだけ寝て、そうしたら本を一冊は読めて、現地に着いた。

 

 初めて降りる駅。思った以上に何もない駅。たとえば、今回の「市街劇」のチラシとか、矢印とかあってもいいのに全くなくて、駅員さんに聞いて階段を降り、先に歩く人がどうやらそれらしい人だから、自分が思ったよりも一つ早い角を曲がったけど、それについて行ったら、目指す雑貨屋(?)に着いた。少しおそるおそる入ったら、いろいろなものが売っていて、このあたりの光景から見たら、とても不思議な店で、そこでお金を1000円払ったら、封筒に入った手紙と、寒いから、ということで使い捨てカイロも渡される。気遣いにありがたいと思う。さらにはコーヒーか紅茶どっちがいいですか?と聞かれ、コーヒーを飲みながら、その渡された手紙を読んだ。今回の、この土地は廃仏毀釈が相当に激しく行われた事。そして、失われた仏教が、復興しなかった事。そんな場所があることも知らなかったし、最近読んだ本で、廃仏毀釈が、思った以上に野蛮で無茶苦茶な出来事で、お寺がなくなった地域もあることは知ったものの、その復活がうまくいかなかった土地があったというのも初めて知った。そして、コーヒーを飲みながら文章を読み、次に行く場所が分かった。最初は隣の墓地。そこは、仏教がない土地だから、戒名がない墓地だということが書いてあり、確かに戒名は、関心もないものの、こうした場所には当たり前にあるものだから、ないと、それに最初は気がつかない。

 

 そこから、第2会場まで歩くのだけど、その途中に寄ってほしい場所があると書いてあり、写真を撮りながらも、広くて、人が歩いていなくて、駐車場のある店が並んでいる道を歩いて行く。たぶん15分くらい、ということで、その場所は住宅街に突然あらわれる。お墓の墓石が並んでいる。ただ、広い空き地のすみっこに、直線的に並べてあって、それも欠けている墓石もいくつもあり、資材置き場みたいな気配に近い。ずっと仏教が捨てられるようになっていて、ただ、墓石が集められ、ここにあるらしいが、それは、祖末に扱っていたのを集めてきて、配置していて、確かに、こういう光景は、死後の世界とかを信じていないとしても、もっと丁寧に扱っているから、かなり不思議でもあった。こういうのが、復興の失敗ということなのだろう。

 

 そこから、また歩く。何の変哲もないけど、空は広くて、ただ手紙を見て歩く。少し迷って、第2会場に着く。そこは、新しく建てられたお寺だと、そこに着いて次の手紙を渡されて知った。カオスラウンジが、修行に出ている人を知り、そして、お寺を作ることを手伝い、その上で、その場所で展示をする。それが、今回のメインテーマだと知り、そんなことがあるのか、と思った。わりとゆっくりと、この会場の作品を見て、天国とか地獄とか、そういうものとカオスラウンジの作家たちとは、意外と相性がいいのでは、とも思ったが、そこから、また歩いて、時間がかかったけれど、坂道を登って、またお堂に着いた。そこにはスクラップブックがあり、最後の手紙もあった。泉の廃仏毀釈によって、こわされたお寺を訪ねて、写真を撮り、記録に残し、本にした人がいて、その人の資料が、ここで大量に、偶然に見つかった、ということが書かれていて、ここの鐘もアルミ缶を大量に溶かして作ったもので、だから、この前の大晦日に除夜の鐘をついたのは、150年ぶりくらい、ということになる、という記述もあり、そのお堂では、地域の集まりがあったり、うちにもある浄土宗の同じカレンダーがあったりもした。

 

 最後の映像作品はスマホも持っていなくて、見られなかったが、ほぼ半日楽しめた。階段を下って、予定よりも早かったので、指定席の時刻を1時間早めたが、それでも時間はあった。第2会場に藤城嘘の自筆のおみくじがあって、そこに辛いものが吉、と書いてあったので、最初のお店のグリーンカレーを食べた。そこには地元の人がいて、東京のお医者さんにかかっていること、それも、大震災の時に、親を失って、それでも片付けを急かされて、そういう中で転倒をして、足首の骨を折ってしまい、不幸中の幸いにもいいお医者さんに治療してもらい、後遺症もないが、その医師が東京に移ってしまったために、治療に通っている、という話をしてもらった。そのうちに、第2会場の持ち主で、修行をしてきた方と、この店のオーナーの方があらわれ、話もして、オーナーの、ここには神道しかないから、仏教はいかがわしいものだと思っていた、という話に、そんな場所があるんだと思い、話の中で、「黒瀬さん」と繰り返し、しかも敬意をこめて語られているのを聞いた。それから、特急に乗って東京に帰って来た。

 

 すごく充実して、楽しい一日になった。こんな展覧会が出来るんだ、と思った。あとになって、800人が参加したと知り、そこにいられたことは、秘かに自慢するような気持ちにもなった。

 

 

 

(カオスラウンジ「百五〇年の孤独』)

http://chaosxlounge.com/wp/archives/2157

 

 

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