アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「わきもと さき ひとりくらし」。2019.8.24~9.1。パープルームギャラリー。

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「わきもと さき ひとりくらし」。2019.8.24~9.1。

パープルームギャラリー。

 

2019年8月31日。

 この前は、相模原に吉田17歳の個展を見に行った。それは、美術史みたいなものに対して、どうやって、そこへのズレを生むのか、みたいなことの人体実験みたいにも思えて、でも、それで作品を作って、個展を開くというのは、やっぱり高揚感があるものだろうし、うれしいものでもあるだろうし、その一方で、注目されるのであれば、思いもよらない批判も受けたりもするかもしれないが、それでも、熱心に語って、しかもその内容も面白かった。

 

 さらには、その吉田17歳よりも、「後輩」にあたるわきもとさきが個展を開く、ということだけだったら、人に対しての興味に過ぎないのではないか、と自分を疑うことになったと思うのだけど、コンピューターを買い換えたので、ツイッターもいろいろな画像が見られるようになり、わきもとの作品が、生活の中でのコラージュで、その色使いなどがすごくよくて、できたら欲しい、みたいな気持ちにもなって、そして、確か、見に行った展覧会があって、その時に、本人の部屋を侵食するように、広くないような部屋なのに、低いロフトができてしまっていて、作品も並んでいるから、その期間は、本当にすみっこに寝袋で寝ている、という話は聞いた。

 

 そのあと、その展示の足場を、そのままにして、その上で生活をし、その痕跡も含めて、作品として出して、さらには、今回の個展の期間中はギャラリーに住む、というようなことも書いてあって、こういうキュレーションがうまくて、まんまと行く気になって、行くことにしたのだけど、なかなか行く機会がなくて、と思っていたら、その日に、あざみ野でアートの講座があって、電車の路線図を見たら、遠い、遠い、と思っていた相模原が、意外とそこから近いので、行くことにした。

 

 講座が終わってから、外へ出て、駅まで歩いて、そこから電車を乗り継いで、相模原について、バスを待つ。歩いて、20分くらいらしいが、もっと遠く感じるし、すごく直線が続いていく、というのが余計に疲れそうで、バスに乗って、でも、それは、予定よりも早めに乗れて、思ったよりも早く着いた。

 

 現地に着くまでは、何回かきているけど、本当に「ギャラリー」があるのだろうか、というような感じで、でも、パープルームギャラリーには、わきもとさきと、梅津庸一がいた。

 

 観客は、誰もいないちょっと気まずいとも思ったのだけど、この日、二人とも、きちんと話もしてくれて、ありがたかった。

 

 作品は、やっぱり面白く、コラージュもよくて、それで見ながら、話を聞いたら、わきもとは、寝てしまうとよく遅刻もするし、起こしに行っても、起きないんですよ、といったような話をしていて、そして、梅津を「ハムスター」と名付けたりもして、確かに、距離が近い感じはあるけど、梅津のありかたは、やっぱりアート面のリーダーシップがあるから、これだけの作品を、わきもとは、1年の在学で生み出せるのだろうと思った。

 

 その会話を聞いているだけで、なんだか楽しかったが、それほど、やる気に満ちていないけど、そのわきもとにやる気を出させる、というよりは、そのまま、というか、その個性のままで、作品制作ができるように、生活の中でできるような方向へ促しているように思えたし、その普段のやりかたが、実は、4年間の介護の仕事で身についた、サービスの仕方なども生かしている、といったようなことを話してくれて、だから、もっと直接的に介護のことをテーマというか、素材として使うのは搾取だと思うと、穏やかだけどはっきりと語っていて、それは、いろいろな体験というか、当事者性の扱い方にも通じると思えるような言葉で、それは感心もしてしまった。

 

 何よりも感心したのは、絵の具に関しての話だった。私は聞いたことがない方法だったが、すごいと思った。絵の具の色は、それこそメーカー側の都合だから、といった話をしていて、それは本当に基本だけど、他の人が知っているようなことではないらしく、この展覧会のキュレーションとともに、梅津氏は、すごく頭がいい人だと思った。

 

 わきもとの作品も、欲しいと思ったのは、非売品で、それは、梅津が選んだらしかった。さすがによく見ている、と思ったのだし、それに、今、わきもとが生活しているのは、床に大きい紙を貼っているから、いろいろな汚れがついて、それも、その紙を並べて、普通に抽象画みたいに見られたら、おもしろい、というような話もしていて、本当に面白いと思ったし、こうして話がゆっくりできるなんて、すごくぜいたくな時間だと思っていたら、それから、観客の方々がどんどんきて、人口密度が高くなってきたので、帰ることにした。

 

 缶のお茶ももらったし、図録も800円でありがたい価格で買った。この本の製本も、パープルームのスタッフで、ホッチキスで止めたりしていたとも聞いた。こうしたことすべてが、作品なのだろうけど、古くは「新しき村」みたいなように、分裂みたいなことにならなければいいな、とも思うけれど、だけど、若い時だけしかできないことかもしれないし、継続が目的でなくて、その成果、というか、どんな作品を、どんな風に制作していったのか、というような過程も含めて、残せれば、そのこと自体が、意味が大きいのだろうとも思った。また行きたい。

 

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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