2017年6月1日。
違う分野の話だけれど、エジソンの発明をコンスタントに発生させるために、クリエイターと現場のマネージャーと、全体を見るプロデューサーが、一緒に生活をして、作っていくシステムといったことと一緒なんだ、みたいなことを思ったし、その時のパープルームの説明で、授業なども、それが夜中であってもタイミングがあえば、行なうという、めちゃくちゃな感じが、それが奇をてらっているだけには思えなくて、確かに、環境から考え直さないと、それは何か違うものが出来るわけもなく、そして、こういうことに反応する人間がおそらく全国にいて、そうした人たちに呼びかけやすい環境が、今はあって、だから集まるべき人間が集まるのではないか、といったような事を、そのトークショーの時に思って、いろいろと厳しい時代だから、よけいにそういう場所が必要なのだろうと思っていた。
初日に展覧会に行くのは、もしかしたら初めてかもしれなかったが、駅から美術館に行くまでに激しい雨が降った。
その絵は印象派というかスーラみたいなものを意識したらしいものだったり、あとは全裸ではしごを上り下りする映像だったり、あれこれあるものの、柔らかい雰囲気はあって、どれもコンセプト重視というか、方向性みたいなものだと感じる。それらは、すごく感動する、みたいなものでもなく、ただ、こうした作品群があること、ここが文化祭のような場所になっていて、可能性だけはあるような感じがすることが大事なのかもしれない。
初日なので、マスコミ関係者らしき人と梅津がしゃべっていて、その関係者らしき人の大声が、ちょっと気になり、同じタイミングで進まないようにしているのだけど、そうもいかなかった。
3階はパープルームのメンバーの作品で、植物に→の紙をはったりしていて、ちょっと面白かったり、二階は広い展示室で、そこには、昨日もずっと作品を作っていたであろう、メンバーが4人も寝ている。作品そのものよりも、何しろ作品を作ることが優先されるような、そういう空間がここにあることが印象に残る。
リスカちゃん、の作品を買う。とても丁寧にパッケージを作ってくれて、700円なのに、申し訳なくなる。こういう場所が、そして、10年後にどうなるか、みたいなことだと思うが、今あることそのことに、価値がやっぱりあるようにも思えた。
(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。