アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「今もゆれている あざみ野コンテンポラリー vol.9」。2018.9.29~10.21。横浜市民ギャラリーあざみ野。

f:id:artaudience:20210521101046j:plain

「今もゆれている あざみ野コンテンポラリー vol.9」。2018.9.29~10.21。横浜市民ギャラリーあざみ野。

 2018年10月8日。

 2度ほど行ったことがあったはずで、その時は、静かな時間を過ごせたし、作家の方々も、いつも自分が知らない人たちだけど、考えさせられたり、感じたり、いろいろなことを思いながらも、印象が新鮮だったので、何か自分では盲点をつかれるような企画に思えて、今回も「今もゆれている」というタイトルだから、震災関連かもと思ったが、リーフレットのイメージは風景が主体のようだったので、妻とも見たいと思って、誘って、一緒に出かけたら、妻は、このギャラリーは初めてだった。

 

 きれいなギャラリーで無料なのに、いつもしっかりしたパンフレットを作っているから、ありがたい。最初の部屋は、西村有。下手にも見える、微妙なズレとか揺れとかを感じさせるような絵画で、ただ、そこにイメージが重なっていて、遠近感があちこちに焦点を変えるので、それで、見ている方に、余計に不安定さを伝えてくる。そこにある形も微妙に溶けるように崩れたりもしていて、不思議な印象がある。色使いも、鮮やかさを避けているように、でもモノクロームではなく、色はそこで使っている以上に多彩にも見えた。

 

 石垣克子。沖縄に生まれて、沖縄の絵を描いている。基地が当たり前のようにあって、米軍関連の建物は、あくまでもばりばりの西洋の形態を崩さないから、違和感があるのだけど、たぶん現地では当たり前のことだから、そんなことは感じないのだろうけど、何かの本で読んだように、写真も撮れないのだから、もし基地を主体にした風景画を描くことも、もしかしたら政治的な困難というか、禁止みたいなことも有るのかもしれない、とも思ったが、絵はほんわかとした温かく柔らかい印象だった。 

 

 次の部屋は暗くなっていて、映像が流れている。沖縄の光景らしく、すごく強い印象の場所も多いが、そこにいる人たちの演技みたいなものが、ちょっと恥ずかしい。全部は見なかったが、重要な映像なのだと思った。

 

 次は階段を上って、次の部屋へ行く。

 写真作品が並ぶ。今井智己と露口啓二。

 露口の写真は、大震災から3年以上たった、避難地域などの写真。それは、そうしたキャプションがなければ、当たり前かもしれないが、どこかの田舎の捨てられた家にも見えるが、それが新し過ぎるものが多い、ということが不自然なのだろうと思ったりもした。今井の写真は、震災の直後から、事故を起こした発電所を、何キロから先からそこを向けるように撮影した写真が、年数を重ねて並んでいる。その年数がたっていく映像があって、それを見ていると、雨の音がわりとリアルに感じられるような装置があって、細かい工夫もしているんだと思う。

 

 大震災から7年。沖縄の問題、(問題という言い方は、ずれているとは思うが)はずっと続いていて、そういうことは、こうして作品として提示してくれると、ようやくいろいろと考えたりする。いつも、無関心で生きているんだと思うが、それは、何か大事なことを考えないようにしている、ということでもあるのだとも思った。

 

 

 

(2018年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

www.amazon.co.jp

 

www.amazon.co.jp